作品展の初日。ひとがこないなと思っていたら夕方近くにまとまっていらっしゃった。うちでごはんたべてから床で気絶するように眠りこけていた。気を張って疲れたのだな。これ書いてないでおふとんいこう。
2026年8月24日(月)
朝は歯の治療のあとうちへ戻ってきて額装をしたりポストカードをラッピングしたり。それから昼過ぎにギャラリーのSさんのところへ向かい、二人でSさんのカフェ兼ギャラリーへ移動。そちらのギャラリーで残りの額装をしたり、実際の展示や額の傷の修理、作品名のプレートを貼ったりと、ひととおりの作業をした。Sさんと別れてからも展示関連の細かい用事を済ませにあちこち移動していたら、帰ってくるのがすっかり宵のころになってしまった。うちでも書き出したタスクを消化しながら過ごして、いま一時過ぎ。もう眠って明朝で続きをしよう。あすから作品展『薄明かりの花たち』の一週間。
2026年8月23日(日)
作品の題名のプレートを作る。昼過ぎから、予定していたカウンセリングの初面談へ。結論から書くと、このカウンセラーのYさんは傷を預けても大丈夫そうに感じたので、今後も面談をお願いする運びに。来歴/病歴/困りごとについては受け取った質問用紙とは別紙にするつもりでデスクトップで書いていたらA4紙2枚にみっちりになった。今回の面談ではそのあたりについての把握と質問がメインだった。そのほか周辺情報というか、医療者や支援組織ではない立場からの視点によるあれこれ。どんな因果関係があるのかは分からないけれど、という前置きで、農作業の手伝いや庭いじりなど、土と触れあっているひとは改善が早いというのがあります、とのこと。思えばリハビリに入ったあたりからじぶんは庭へあまり出なくなり、いまでは接点が希薄。この庭をいまでは愛せないなあという思いがあったのだけれど、庭いじりの再開はやってみてよさそうね。じぶんのような陰性症状がメインとなるタイプは特に、寛解後にいかに負荷をかけず穏やかに過ごし寛解を維持するかが大切らしく、リハビリ→就活→お仕事と頑張ってしまったのはうーん、という話になった。歴史からこうした話に至るまで、なににつけても渦中は誰も答えを知らず、こうだったと言えるのはつねにそれが済んでしまってからであることよ。まあ現状の意欲や感受性の低下もそうした無理がたたっているとも言えるし、浮き沈みはある以上、意欲や感受性のあった時期というのが浮きのおいしい部分だったのかもしれず、そうだとすればいつでもそれらがあることを前提にすると大変かも、みたいな話も。頑張りすぎることと目標水準が高すぎることはほんっとうにどこへいっても指摘されてるなー……。二回目からの通常面談は料金がやや上がるのだけれど、Yさんはこちらの置かれた状況を鑑みてくださり、割安である初回の料金のまま今後も面談を受けることに。お金がないからと治療を途中で止められてしまうとなんのために私がここにいるのか分かりませんから、とのことだった。それでも金銭的に困るようなら遠慮なく言ってください、とも。ありがたいことだね……。こちらが希望するペース/週一くらいと目標/半年~1年で目に見える変化を望んでいることをお伝えすると、今週木曜にもう次の予約が入った。変わるための基礎作りはずっとしてきたしその覚悟もあるとはいえ、思った以上のハイペースになるかもしれない。夜までかかってプレートはでき、明朝に歯科で治療のあと、ギャラリーのSさんと連絡しつつ作品の搬入/設営の予定。額装は明朝に回そうね……。トーションの紙の表情も見てほしいからアクリル板は抜いてるのだけれど、それだと作品やマットへ簡単に傷がついてしまうため作品を額へ入れっぱなしにはできず、展示のたびに額装したり外したりと手間が要るのだった。夜更かしほどほどにね。思えば気分がなんかましになっている。
2026年8月22日(土)
昨日の喫茶店へ再びお邪魔して、手織り&草木染めの作家さん……の息子さんと、写真家さんとで、布作品を見比べつつ三枚ばかり購入した。その喫茶店に、以前NPOでお世話になり退職された元担当相談員さんが接客のお手伝いにいらしており、びっくりしつつご挨拶。そのあと写真家さんと陶芸家である息子さんとで雑談。それはよいのだけれど、おおもとのしんどさに加えまとまった時間の雑談は体力使うなー。話すこと自体はよくても疲れを感じたら切り上げられるように、前もって事情を伝えておくのがよいのかもしれない。うちへ帰ってきてからはあすのカウンセリングで提出する質問用紙に記入。枚数が多いのもあって疲れた。今宵はもう眠って明朝に残りの文章をまとめよう。こうしてもう無理って感じに疲れているけれどまだ序の口で、スケジュールには二週間先までなにかしらひとと会う予定がある。おいおいって感じ。することを最低限に絞って余力をつなぐしかないねえ。あーもうねよねよ。寝るより休むはなかりけり。
2026年8月21日(金)
定期通院先へ向かったあと、残りの喫茶店巡り。先に伺ったお店では、お世話になっているNPOさんを退職された方が切り盛りしていた。その件はよそで伺ってはいたけれど、まさかこのお店だとは気付いていなかったからびっくり。注文を頼み、そこで開かれていた写真/陶芸/手織り染め物の合同展示を拝見しているうち、いらした当の写真家さんからいろいろお話を伺った。展示されていた手織りの草木染めの布には値札がついていた。ポストカードの商品写真を撮る背景としてナチュラルな感じの敷き布があればと思っていたから、その展示品たちはまさに探していたもの。写真家さんとは連絡先を交換し、布の作家さんがその喫茶店へ来るタイミングを取り持っていただいた。あすまたそのお店へ行って布を見せていただく予定。そのあともう一件のお店へ。元小学校を改装したらしきレストランというかカフェというかギャラリーというか。そちらでも案内はがきを置かせていただけた。……このところひとと会ってばかりで、状況的に厳しくもあり、持ちこたえるしかないのだけれど疲れる。たとえばひとと一時間がっつり話したら三日くらいひとりきりにならないと回復しない、そういうあんばいなんだよね。じぶんにとってひとと会うことは、単純な好悪ではなくて(どちらかというなら明確に遁世寄りではあるけれど)回復と組み合わせたバランスの取り方の話なので、スケジュールが埋まると回復を取れないためシンプルにきついなー。余計なことはしないし夜更かしも抑えて、ここでげんなりして溜飲下げよう。
2026年8月20日(木)
カウンセラーに渡す質問用紙をセブンのネップリで印刷してきた。二十枚近くありそうね。金土で片付ければよかろ。あとは展示作品のタイトルカードをつくって用意すること。もうきょうだけれど金曜のうちに残りの喫茶店訪問と定期通院先へ通うこと。ひとまず最低限必須なタスクはそれらなので、そこに絞ってあとはだらけよう。なにかをする気にもなれないしね。状況的に厳しかったりしんどいとき、生活は乱れるもので、そこをなんとか維持できると切り抜けやすいというのもある。朝に起きて光を浴びたり食事はきちんと摂ったり、軽い運動やオフロや家事、そういう日常を保つことは、ひとつひとつが網の目のようにつながって強いレジリエンスを形づくるものだから。あまりうまくできていないから言い聞かせてる。とりあえずおふとんへ。
2026年8月19日(水)
火曜は書き忘れた。その日は方々の喫茶店に案内はがきを置いていただけるようご挨拶して巡った日。Sさんから紹介された喫茶店のひとつでは、お店の方とお話ししているうちに「小さな作品であれば置けるから、うちで展示してみましょうか」というありがたいご提案をいただいた。ひととひととのつながりや恩というのは巡るものなのだなと思う。ちなみにそちらはLOVOTの子が店長、ロボホンの子が副店長、お話ししたお店の方は従業員の立場という。じぶんのあとから来店した男性が店長を抱き上げて親しげに話しかけていた。就活/就職のあいだ二年半ほどご無沙汰だった喫茶店では、久々にきたこちらの厚かましいお願いを快諾してくださった。カウンター席へきたらマスターから「あ、写真家のひと」と呼ばれるなど。じぶんは写真家を自称したことはないのだけれど、なんか自然とそういう扱いになる。写真家というほど学んではいないし、目指しているのは写真と言うよりあくまでレンズやひかりを介した美しいもの、幻想的なものをかたちにしたい、くらいなので、写真家よりも自称したい名乗りがあるのなら、製作含めちゃんと方向づけて自ら名乗る必要があるのかも。ともかくそこでも雑談と滞在をしてから、ポストカードを置いていただいている喫茶店へ。こちらでも快諾してくださった。ポストカードは売れてないですねえとのこと。なるほど。つくるのとそれを商売にするのとではまるで違う文脈であり、ものを売りたければそうした文脈を掴む必要があるのだな。春からこっち過酷であれこれ工夫できなかったのもあるしね。八月末の展示が終わり次第、こちらでも展示ができたら、とお伝えして、そのように。できることは実行したことに変えていこう。そこでついでに伝言をするつもりだった相談員さんがたまたまいらして、時間にも空きがあるとのことで、本来の用件だった面談を一時間ほど行い、そして帰途。ほか、ちょうどお休みだった喫茶店は巡りそびれているから、そちらへの依頼はのちほど。そしてきょうというかもうきのうになっているけれど、水曜は怠惰に過ごした日。メッセージを送ったカウンセラーとやりとりして日曜にカウンセリング初回の予約が取れた。注文していた印鑑ふたつはできあがった連絡が入り、受け取ってきた。大事なことほど簡潔だったり触れなかったりするけれど、やっぱりメンタルの具合は悪い。そうしたときにいろいろと予定が立て込んでいるわけで、だから力を抜いてある程度、というかだいぶんてきとうにやりましょう。宣言しないと変に力むくらいには不慣れなことだけれどさ。気分でもないときにポジティヴでいるのは気持ち悪いから、鬱気味なときは鬱気味でやり過ごす。夜には夜の暗さで、日のひかりの強さや明るさよりも、影と輪郭を。
2026年8月17日(月)
カウンセリングの問い合わせメールをひとつ書いて送った。印刷注文した案内はがきが届いたため、ギャラリーのSさんへ持っていった。言ってしまえばSさんのコネで案内はがきを何カ所かへ置いていただける運びに。ほか、私の紹介で来たと言えば大丈夫だからと、カフェ兼ギャラリーさんを数件教えていただき、こちらから足を運ぶことに。地域全体のコミュニティハブでイベントチラシ類を勝手に置いてよい施設のことも。ほか数ヶ所は自力で頼み込んでみることに。Sさん曰く、こうしたときのためにもそういう場所には顔を出してつてを作っておくものなんだよ、とのこと。あいかわらずしんどいので夜は一時間半ほど散歩した。厳しいときだなという思いと、そんなときに前へ進むことを考えてる、と思う。建築/心理/商いやなりわい、といったあたりの本が積ん読の山になっていて、どれもいま前へ進むことに直結してる書籍ばかり。ひとまず建築家31会『間取りの模範解答 心地よい住まいをつくる建築家の視点』(誠文堂新光社)を読んだ。子育てや家族や二世帯向けが主でおひとりさまへのご提案はなかったので参考くらいに。こういう間取りでこういうことをする、の説明がなんだか型にはまっているというか、夢見るってこういうことなのだろな、という。スタディーコーナーやワークスペースを設けることはいまは一般的なんだろうか。『すごい平屋 (美しい住まいと家づくりシリーズ)』(エクスナレッジ)は読みはじめ。個人的な目的からはこちらのほうが具体的に参考になりそうね。平屋なら二階建てより耐震性を確保しやすいから大開口部を設けて開けっぴろげにしやすい、というのはなるほどと思う。平屋は配置次第で廊下が少なくて済む、とかも。じぶんがつくるのはたぶん平屋なんだよね。大開口部を設けて光と風を通したい、もしそこに猫や犬がいるとしたらおそらく網戸になるけれど、どうしようね。さっくり検索してみたら、動物の爪を通しにくい丈夫な網戸やワイヤーメッシュのものもあったりして、そうしたいのならそうできるらしかった。いまは間取りの例やパターン、考え方を読み込むときなので、じぶんにとっての間取りの要件を洗いだすのはそれから。花丘ちぐさ『その生きづらさ、発達性トラウマ? ポリヴェーガル理論で考える解放のヒント』(春秋社)も読みはじめたところ。ほかの場所でおそらくこの本の中の一節をピックアップした投稿を見かけ、その一節が書かれているならじぶんが読みたい本だと思ってのこと。この著者の翻訳となる『レジリエンスを育む-ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒』はたくさん再読するだろうなという本だったから、前述のも著者買いでたぶん当たり。中村菜月『考えるこひつじ』は少しずつめくっている、小さく手に馴染む白い本。こころが痛いとき、こころの痛みが手当てする、たぶんそうした本。あしたは案内はがきを置かせてもらいに頼んで回るつもりだから、あまり遅くならないように眠ろっか。いまのしんどさについてはじっくり考える時間を取って解剖と咀嚼をすべきで、早めにそうしなければいつまで経っても苦しむだろうね。そして、ひとりで抱え込まないこと。ひとに言いづらいことというのは言うべきこと、というのがじぶんの意見だったじゃん。終わんないからねよねよ。九割五分がひどい気分だとしてもひとつの気分に完全には支配されない。五分の余白だけでも意志として持つとき、そこから美しさが入ってきて、世界を提示してくれる。げんに、さっき聴いていた音楽がそのわずかな余白から入ってきて気分をすこし変えた。ひとつの感情に占有されずに余白を持つこと。
2026年8月16日(日)
怠惰に過ごしたおかげか気分がややまし。
2026年8月15日(土)
しんどさもありつつゆっくり。夜になり近場の花火大会を見に出かけた。見晴らしのよい田んぼが広がるあぜ道のあたりに車を止めて、そこから。お祭り会場の賑わい目当てではないからわりと適当で気まま。いまふと検索してみると、この地域でカウンセリングを受け付けているところがひとつ、すぐ近場にあった。それとは別に各自治体が提供している相談室もあるのね。ほか、オンラインでとなると地域に縛られないため選択肢は多い様子。こういうのって人柄の相性とどんな療法を得意とするかだろうから、とりあえず気になるところから渉猟して合うひとを探す、というのが筋道であろ。この地域だと選択肢は限られるとはいえ、まずはオンラインより対面の方を希望したいところ。ひとの放つ雰囲気って言葉や表情やしぐさと並ぶ非言語コミュニケーションの独立軸なので、そこは見たいんだよね。電話よりオンライン対面の方が表情という言語が増えるのと同じ。カウンセラーは前々から探す必要があると感じていたから腰を上げる頃合い。いまの状況はきついけれど、自他境界を引き癒着をはがし、傷を手当てして癒やすことでレジリエンスを育てるチャンスでもある。これまでひとりで本を読んで知識はそれなりに仕入れているわけだから、資格を持った専門家に適切に支えてもらってブーストかければ、きっと目に見える変化は招けるはず。それはそれとして、しんどいとここで言っているこの状況でなにがしんどいのか、自身のこころをじっと見つめてみると、不安はこれ、怒りはこれ、許せなさはこれというふうにとりあえずの分類はでき、名前がつけばそれなりの手当てにはなる。のだけれど、このゆらゆら揺れて波立つこころをじっと見つめてみる、その感情をよく味わってみるという行為自体が、こころを鎮めるのだよね。もしかしたら、こころはそれ自身がどう感じているかより、こちらにまっすぐ見つめてほしいのかもしれない。なぜかというに、このこころは見つめてもらえないことをしんどいと感じているからなのだな。きょうはここまで。すこし楽になれた。
