2022年2月28日(月)

細々とした用事を済ませて疲れた……と思いながらも、ワクチンの副反応で脇のあたりはいぜん腫れており、もともと無理をするような体調ではなかったのだった。一日が一段落してから気づいた。もう、ごろごろする。

2022年2月27日(日)

昼ごろからワクチンの副反応らしきだるさが強まり、ベッドへ入って痛む肩の置き方を探るうち、深く眠っていた。といっても、全身の節々が痛む中の眠りでしんどかったのだけれど。日が暮れるころ目覚めてわりと楽になったかなという感じ。肩の痛みと熱はまだあるから早めに眠る。

2022年2月26日(土)

三回目のワクチン接種を済ませた。今回は交差接種を目的にモデルナ。自分に慣れがあるのか会場の違いなのか、気負いせず受付してそのまま打っていただいて帰路、という流れだった。心底どうでもいいことなのだけれど、市の職員さんや医師におしゃれな方がちらほらおり、地元もこの水準はありなのだな、みたいな安心を抱く。UNHCRのサイトからウクライナの件で少額だけれど寄付した。きょうは予報通り過ごしやすい気候で、僕の植物どもをベランダへ出し、液肥入りの水と日光をたらふく与えたのだった。

2022年2月24日(木)

先延ばしにしていたタスクをいくつか片付けた。スマホ通話の際にハウリングが生じる件で修理依頼をするつもりだったのだけれど、サポートセンターの方に助けていただいたところ、それはなんらかのアプリの干渉が原因では、とのこと。もっか特定中。狙っていたクリスマスローズはのんびりしているうちにどれも売り切れてしまい、また来年かーと思いながら関係ない植物の種をまとめて注文した。ほか、使っているものの整理。今年も『ムーミン谷の冬』を読み終えた。信じられないくらい描写に透明感がある。眠しなにこうしたものに触れることは、感覚としてはたぶん、祈りや禊ぎといったものに近いんだと思う。このシリーズに出会えたことは僕の財産のひとつだな……。いま唐突に思い当たったのだけれど、個人的なこだわりからこの作品群は季節の巡りにあわせて読んでおり、冬を読み終えたら次は『たのしいムーミン一家』なのだった。作中の時系列にあわせ、こちらは例年だとおおむね三月から。季節の進むのが待ち遠しい。ぬいのうちの仔たちは僕を支え側にいてくれる一方、物理的には自力で動くことができないから、なにかあったら僕がみんなを守る必要があるのだよな。ロシアがウクライナへ侵攻をはじめたという報道に、一緒に過ごす時間が貴重かもしれないことを思う。

2022年2月22日(火)

気がつかないうちにアーマンディ・アップルブロッサムの入荷通知が来ており、その二時間後に慌ててオンラインショップを覗いたら、在庫はすっかり売り切れていた。あー! 競争率高い! きのうあんなこと書いておきながらこうだよ。まだほかにも機会はあるはず……。メルカリが狩り場のように見えるのだけれど、個人的にそのへんのサービスをあまり使い慣れておらず、出品される株の素性が掴みにくいこともあり、及び腰でいる。かつての自分は「誰もやりたがらないけれど、誰かがやらなければ」ということを引き受けるたちの人間だったなーと思った。最近になってまたそうした行動が出てきたことは、外に働きかける性質が戻ってきたのかもしれない。ただ、それで後ろめたい人からそしりを受けるとか、無関心な他人にいらだつことについては、立ち回りというものを成長させる機会がまるきり損なわれていたんだなーと思って少し気が沈む。あなたの真面目さが気がかりということは周りからよく言われるから、もう少し気楽にね。こうした思考をするときは調子がよくない。お布団へ行くべし。

2022年2月21日(月)

挿し芽した茉莉花のひとつから新しい芽が伸びてきた。のを、ごく小さな節を二つ残して摘芯した。もとはシュートを刈った際の枝切れだったのに、四ヶ月かけていっちょまえの株に成長してる。えらい。アーマンディ・アップルブロッサムの流通時期なため、不定期に検索をかけたりするのだけれど、クレマチスのうちでも手に入れにくいという評判の通り、いぜん購入できる状態のページが見つからない。オンラインショップのいくつかからは入荷すればお知らせがくるかも知れないから、シーズンのあいだは網を張って待つ予定。

2022年2月20日(日)

気象が変化に富んでいた日。夕方は風が強かった。開脚前屈は両肘がなんとか床につくところまできた。没交渉だった父方の叔父が訪ねてきて、二十年以上ぶりで顔を合わせた。父の二十三回忌(は去年だったのだけれど)にあわせた挨拶と近況報告。顔を見ても誰だか分からなかったのはお互いさまだったみたいだ。

2022年2月18日(金)

目が覚めるとうっすら雪が積もっていた。通院や買い物、掃除をこなしたりと忙しかった日。実写版デビルマンを観た。原作を知らないまま摂取したからそちらのニュアンスは取りこぼしているかもしれないのだけれど、人の悪意についてはどうしようもなく庇いがたい一方で、もしかしたらそれだけではないかもしれず、人間はダメとすぱっと言い切れたら楽なんだけれどなーと思う。でも作品の九割方の含意はやはり、社会とともにすりつぶされることであふれ出す人の悪意、そのディティールなのだよな……。人の顔と名前を覚えづらいたちなのだけれど、それでもこの人はどこかで知ってる/見たことがあるという顔をそれなりに見かけた。正直にいうと、まことしやかに流布していた前評判よりもよかった。伝えたいものを受け取れた気がする、観てよかったと思う作品だった。もうきのうになるけれど、父の命日だった。きょうは雨水。融けてぼたぼた滴る雪解け水が、耳に温かい。