2025年1月30日(木)

午前中のみ通所。近隣の児童施設へ実習に向かった。内容は不要書類への押印だったりアンケート用紙の整理などと単純なものだったのだけれど、静かな環境で少人数だと意欲が湧くなあ。早めに終わったとのことで時間的に余裕を持って帰着、のち買いものを済ませて帰途。疫病で嗅覚が消えたと寝込んでいる友だちから連絡があり、送ったポートフォリオの感想などのやりとり。そうしてお布団でまどろみもするうち宵も過ぎており、長湯をしてごはんたべたらもうねむる時間。

2025年1月29日(水)

あすの実習に備えて身の回りのことを済ませたり。渡航に際したワクチン接種の件で予防接種センターへ電話をするとお休みで、これはまたいずれ。フェアリーマグノリア クリームの、オーストラリアからの個人輸入代行をしてくれそうな業者さんを見つけ、見積もりについてのやりとりをはじめたところ。検疫をはじめとした諸々の手続きがあるそうだから予算は覚悟することになりそうね。のんびりしたらお布団へいこう。

2025年1月26日(日)

ポートフォリオ(試作品)の冊子が届いた。一冊は友だちに見てもらうため早めに梱包して送る予定。グランベール スーパーホワイトで印刷した緑色優位な写真の明るさや発色が印象よりも抑えめになっており、ときおり見る色空間で再現できない部分のあれなのかなと首をかしげている。ポートフォリオのコート紙のほうではよりよい発色をしてるんだよね。もしかしたら当たり前の紙の性質を飲み込めていないだけなのかもしれないけれど、明らかに発色のよいコート紙や光沢紙より、ファンシー紙のざらっとした紙肌を写真の印象に合わせられたらよいなと思う。……とか書きつつ利用先の印刷方式を見ていたら「これを使えば発色がよくなるんだ」という選択肢を見つけた。いちばん小さい部数+安い納期で印刷してもお値段は一桁上がるぽい。。。あー、印刷には色々あるんだねえ。今宵はここまで。のんびり過ごした日。おやすみ。

2025年1月24日(金)

午前中のみ通所。お昼ごはんにはインドカレー専門店でビリヤニを食べ、喫茶店で本を読みながら時間調整をし、定期通院先へ立ち寄ってから帰宅。気分の浮き沈みがある日。フォトラグ+ジークレー印刷での注文品が届いた。んー……よいのかわるいのかわからないような、すきかどうかもちょっとはっきりしない。もしかして印刷技術の解像度が高いためにかえってあらが目立ってる? 写真にざらついた感じが目立つから、この仕様だと粒状感はもっと抑えてよいのかも。光沢があったほうが色の深みは増す。写真に幻想的とか絵本のようとの感想をいただいていたので紙の質感が活きるのではと思ってのフォトラグだったのだけれど、この紙が向いているのはカラーではなくモノクロ写真なのかもね。ほか、通常の印刷でMr.Bスーパーホワイト/グランベール スーパーホワイト/写真用紙(半光沢)と三通り届く予定。入稿データをきちんとつくろうと思ってRAW画像をsRGBからAdobeRGBに変えて書き出すと、明らかに彩度が上がって見えるんだよね。いまさらの話で二重にびっくりなのだけれど、故障を機に導入したカラーマネジメントモニターが役に立ってる。あした行けばしばらくお休みだから今夜もほどほどにして切り上げ。

2025年1月23日(木)

午前中のみ通所してあとはうちでのんびり。あーメンタルしんどー。夜になり、それぞれ紙を変えて、印刷物の注文をさらに二件追加。入稿したって書くとなにかたいそうな響きがある……。谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)を再読。前回はそれがなにかわからないなりにxやyといった代数で読み進めていたのが、衝動=「ひとりであるほどよい」を代入することで、より具体的に読み解くことができたと思う。キャリアデザインという発想から逸れ、衝動というエンジンと知性という方向づけをベースに実験的/実践的な試行へ投じていく、その営みのなかで働けば/暮らせばよいのでは。別の話として、春までにバンコク行かない? という気持ち。また別の話として、届いた印刷物をあちらやこちらへ見てもらいに行こう、という気持ち。起きているとネガティヴなことを考えるからもう眠ろう。

2025年1月22日(水)

午前中のみ通所。いったん帰宅したのち薬局で処方を受け取る。きのうに引き続き早めの夕餉とし、オフロ、のち散歩。それ以外の時間はゆっくりと過ごした。秋以降は体重が増えすぎたのできのうからダイエットを始めてる。しんどい気分を晴らすつもりでの一時間ばかりの散歩だったけれど、やっぱりネガティヴなことをあれこれ考えてしまうなー。これまでであれば冬場のしんどさはときに気が変になりそうなものだったから、そこから考えると現状の高ストレスな環境下でそれなりに動けているのは、かなりな変化なんだけれどさ。思うに、傷つけやすかったり(または、かつ)傷つきやすい人々を集めてなにかする場所という構造自体がむつかしさをはらんでいると思う。忘れそうになっていたけれど、いま通っているほうは長居するような場所じゃないんだ。じぶんに知恵があるのなら舵取りの方策を考えるべき。そして根が深いなあと思うこととして、じぶんは他者に対する基本的な安心感が乏しいにもかかわらず、期待することは多いゆえ、いらだちを抱きやすいね……。愛着やAC、パーソナリティの文脈で紐解いた理解が体感として腹落ちしてこないのは、じぶん自身をまだ受け止め切れていない、感情の抑圧が解けていない、あたりだろうか。それなりに逆境が重なりつつしぶとさを捨てないじぶんは生命の側にいるよと褒めることにして、そろそろねむろう。煮詰まったコンディションのときって書くことがへんに多くなるのだけれど、それは思考に偏ることの悪手というか休むに似たりというか、休みなよ! という。厳しい季節には生きものらしく応じて日々を過ごそう。おやぷみ。