2021年10月30日(土)

大手のフルサイズミラーレスをざっと調べるうち、どれを選べばよいかがなんとなく見えてきた。やっぱりソニーのα7R IIIの2017年モデル(ILCE-7RM3)……の、中古品がよさそう。この機種のマイナーチェンジ版(2021年モデル、ILCE-7RM3A)で大きく変わった部分は「背面モニターの解像度が144万から236万ドットへ増えた」ことくらい。そこに目をつぶることができれば、中古価格の30万円は20万円ほどに抑えられる。検討対象だった上位機種のα7R IVはさすがに高性能さこそ目を見張るけれど、写真ファイルが大きくなるとそのぶん記録メディアや編集環境も強化する必要があるんだよね。現状のK-50だと、RAW画像が一枚あたり12~13MBくらいでストレスなく編集できてる。α7R IIIではRAW一枚あたり40~80MB、α7R IVは非圧縮RAWで110MBを超えるそう。ファイルサイズの違いは編集環境の負荷に直結するだろうし、弄っているときのストレスは少ないほうがいいなと思う。それから手持ちのAPS-C向けレンズを流用した場合、α7R IIIでさえクロップしてもK-50の解像度を超えるから、そこを落としどころにしてよさそうに思えた。もっか新製品のα7 IVが国内発売待ちらしく、それを待てばα7R IIIの中古価格も多少は下がるかも、と期待してる。日没後に期日前投票を済ませてきた。当日の混雑は避けたいと思ってのことだったのだけれど、会場の建物も投票室も、疫病に対するリスク分散を考えてか、人口密度がわりと高いように見えた。

2021年10月28日(木)

教習所へ。次回が第一段階の見極め。第二段階からは路上かなと思うのだけれど、それは普段から走っていることだから、次回は難所である坂道発進(のクラッチ操作)をやり過ごせたら進捗ありかなーと思う。個人的なフィーリングで言うと、乗り物を動かしながら四肢五感を駆使するのって、認知機能と気分の改善にものすごく寄与するんじゃないかな……。ほか、NPOさんが先導している体育館内のスポーツに参加するつもりで、靴屋のワゴンからセール品の上履きを見つくろった。いま使っているカメラボディは七、八年前の初心者モデルで単三電池を四本使う煩わしさがあり、さすがに機種を変えようという考えが強くなってきた。SONYのα7R III(中古)かSIGMA fp(中古)がもっかの候補。もっと検討対象を見つけたい。プロの言によれば使いたいレンズでボディを決めるのがよい、みたいに話していた気がする。AF可のマウントアダプターがあるなら31mmは使い回したいところ。

2021年10月27日(水)

雑誌を読んだり、話を考えたり。数日前に地元のホールへ立ち寄り、イベント関連のチラシを大量に持ち帰ったのだった。自分で作りたいペーパーの、おもにデザインの参考になればと思ったのだけれど……なかなかめくれないな。活動のリソースが限られていると、あれもこれも手を出そうとして気持ちばかりはやってしまうね。できることから手をつけて、頑張りすぎないことだよ。スマホのToDoアプリでタスク管理をしているのだけれど、自分について常にダメ出し/向上/すべきことを探している気は、うっすら。そうした性質は飼い慣らさないとまたいずれ病む要因になるかもね。確かにこういうのは気持ちよいし、やればやるだけ成果や充実が得られてよりよくなり、自信にもつながる。でも、なにかをできる人間が目を向けるべきは、それが苦手だったりできない人の立場なのかもしれない。そういうの楽しいというものではないし、苦々しい思いで立ち去ったこともあるから、いまのところ理想みたいに書いている。注文したジギタリスやデルフィニウムの苗が届いた。球根もまだ出しっぱなし。水耕栽培用の小鉢があるから、プシュキニアかシラーの球根をひとつ部屋で飼ってもいいかもね、という気がしてる。否定表現が多めなときは無理をせずやすもう。

2021年10月26日(火)

自分がなにかをつくり出す理由は、そうしたものを愛でて安らぎを得るのが、ほかでもない自分だからなんだろう。それならそこを軸線にするのがいちばんよいのだろうね。そして、もし大勢に伝えたかったり、ピントをより精密に合わせたいときには、それを伝えたい特定の誰かただひとりへ向けてつくろう。一月前に撮った夜明けの空を見直しながらステラナビゲータを操作するうち、月が一回りするころだと気がついた。それで確かめたところ、30日から1日にかけて、天文薄明が始まるおよそ四時半から日の昇る六時ごろが、おいしい位置に月がいる狙い目。その写真そのものは台風一過の翌朝にたまたま目が覚めて、ふらふらと出て行ってなんとなく手にしたもの。ムーミンシリーズには「ただ導かれるように浜辺へ降りていく、魔法の感覚とでもいうべきもの」が幾度か描写されるのだけれど、そうした感覚は確かにあるように思う。それはもしかしたら、敏感さやアンテナの張り具合、体験をあとから解釈することなのかもしれない。だったらなんだっていうんだろうとも思う。カメラを持った人間が自然に対してできることといえば、自然の気まぐれをパパラッチする自由と危険がせいぜいだから、おいしいおこぼれに預かりたいなら謙虚に粘るべし。それはときおりこちらを振り向いてほほえむものだ。

2021年10月25日(月)

夜遅くから雨。窓を開けて長風呂しながら雨の音を聞いたりした、のがさっき。身体の熱を風に逃がしたら眠ろう。こうした事情を抱えています、ということを打ち明けたときに、見なかったことにされたりその後触れられなかったりするのは、こちらも感情の変動を固定しながら対応してしまうな。ただそこにはやはり期待があり、その期待から想像した通りにならない不満が生じるのだよね。こちらとしては説明できたのならとりあえず気は済むでしょ、くらいのつもりでいるのがストレスは少なかろ。想像力の外側にある現実は、少なくとも自分が期待するものよりずっと多様なので、思いがけないものを求めるなら、思い通りであってほしい期待を乗り越えてそちらへ行くのがよいのだろうと思う。

2021年10月24日(日)

『ブレードランナー』のDVDのラストを見直していた。世界のありのままの姿、地上から遠く離れた辺境の驚異を、不当に奴隷扱いされながら目の当たりにした人が、その過程で身に受けた憎しみや不条理さを微笑みに変えて死んでいった場面が、涙ぐましいと思う。そうした人はかつてきっと、この地上のあちらこちらにいたことだろう。そのなかには苦痛と空しさを抱いて去っていった人のほうがずっと多いだろうから、僕にはそうした思いを慰撫する権利や力はない。でも、そうした人々のために、なにがしかの思いを馳せることはできそうな気がした。

2021年10月23日(土)

めずらしく昼寝をしてしまった。虫の声が聞こえなくなり、日中も夜もとても静か。その染みこんでくるようなさみしさに心地よいものを感じる。宵のころにスーパーへ向かった帰り道、町を一望できる高台にある家屋の窓から、間接照明の暗く暖かい光が見えた。これから季節風も吹き付けるだろうけれど、そうした晩を市街の光を眺めながら静かに過ごせるとしたら、それはよい時間だろうなと思う。僕はアクリル(仮)の世界にそうした人々のことをたくさん見つけてやろう。