2021年10月21日(木)

茉莉花やくちなしの鉢をよけたベランダの室外機のあたりから、かえるの鳴き声が何度か聞こえた。二週間ほど前から見かけているあのアマガエルじゃないのかな。あす朝の気温は8度らしい。だんだん冷えて動けなくなる前に、もぐる土のあるところへ向かってもよいのではと思うよ……。先週末から口笛がのりにのる周期らしく、音楽を聴いているときはほとんどずっと口笛でメロディを追ってる。くちぶえ音楽院さんのサイトを参考にしながら習得した吹き方に、舌の奥を使って高い音を出す/口腔の容積を大きくとって音の深みを出す/舌の先を動かしてなめらかに吹く(動的ウォーブリング奏法)があるのだけれど、なんであれ楽器を演奏するのってむつかしい。でもよく考えてみると、口笛は僕にとっては強く陶酔できる貴重な楽しみであるし、その気持ちよさでここまできたのだから、続けていれば腕は上がるはず。ひとりでいるとき歌うひとの気持ちもこんなんかもね。

2021年10月20日(水)

病院や買い物、掃除など。朝から動き通しでつかれた。していることが年末の大掃除みたいだ。あとは家具をばらす作業だけだから、これはいずれのんびりやる予定。アイロンを掛けたボトムスは正確には7本あった。はやいとこお布団へいこう。すべきことをこなしながら前に進めているときっていうのは安らかで楽しいものだね。自分の場合だと、それは長いこと手に入らなかったものなだけに、そうした充実感を味わえることは大切にしたい。

2021年10月19日(火)

歯科で最後の親知らずを抜いてもらった。心を無くす覚悟をしたわりには一連の処置があっさりというか、素早く済ませていただいた気がする。その余裕でニトリへ立ち寄り、以前から買いそびれていた敷き布団パッドを購入。季節柄ふかふかな毛布タイプのもの。クローゼットへ物品をしまう作業はやっと一段落したから、その掃除はあしたに。長いことたんすへ仕舞われていたボトムス8本か9本を見つけ、念のためいま洗い直して干しているところ。おおむねレディースのフレアパンツみたいだ。道行く人を見てあのシルエットはまた流行っているのかなーと思っていたところ、不意打ちのように引っ張り出した服なので、また穿けるように体型を絞るのもモチベーションが上がっていいな、と考えてる。あっ思い出した。あのころは訳あって食欲がなく、夕餉に素うどんを一杯だけなんて食生活をしていたんだった。レディースの28とか30インチが入ったのもそのためだけれど、おそらくカロリー不足も手伝って、慢性的に力が入らない身体で生きていたな……。感電したみたいにいくつかの記憶がよみがえってくる。僕、ほんとよく生き延びたよ。

2021年10月18日(月)

届いた二棹のチェストを組み立てた。これらはクローゼットの中へ設置するとして、運び出した物品をそこへ仕舞うのはあす以降に。つかれた。あしたは親知らずの抜歯がある。おとなしく死んだ目をしていよう……。

2021年10月17日(日)

疲れた。夕暮れへ近づくにつれ、風はぐんと冷えてきた。灯油缶を物置から玄関の内側へと運び出すなど。九月末ごろにここへ書き付けたクローゼットに置くチェストは、下の段がきょう届いた。クローゼット内の荷物を部屋へ運び出したせいで窮屈だけれど、設置と整理整頓はあす以降に。今夜は冷える。早めにお布団へいこう。

2021年10月16日(土)

祖父宅の物置にあるガラス板や火鉢を処理センターへ持ち込む作業を、母と行った。その屋敷内にあり義母やいとこたちが売りたがっている亡き叔父の家について、彼らと大叔父がとりあえず売買価格を提示し合うところまでは話が行ったらしい。ちょっといきさつがあって互いの価格がかみ合わないため、大叔父はどう出るんだろうね、ということを母から聞いた。こうした一連の事柄については、大人の対応ができているかどうかという基準で振る舞ったほうがよいし、各人への評価もそうあるべきなんだろう。それから、どう表現したらよいか、あるいはここに書かないほうがよいのか分からないけれど、義母(と特にいとこである彼女の息子)はASD傾向がありそうな気がしている。親戚に新書の一冊も読んでもらえたら摩擦が少なかろうと思い、とりあえず一度手放したその手の本を中古でまた取り寄せることにした。うちの母は読んでくれそう。

2021年10月15日(金)

教習所にて実技を二時間。(このあんばいだと)ちょっと遅れるよ、と教官から言われた。それは僕の飲み込みの遅いことが大きい。教習車のバイクは一度クラッチ操作を間違えると完全なバッテリー切れになるくらいぼろくて、いちいち押しがけしていただいていたから、それもあるけれど。でも、普通車と比べたらごく短期間で済む免許であるし、機材がぼろいのは前もって説明してもらっていたし、疫病の第6波がくる前に免許を取れたらというのが達成目標だから、気にせずに通うつもり。でも、こうした身体動作の下手さは、自分の認知機能はほんと低下しているんだなーと思う。あまりこの方面でなにかを求められることのない生き方が楽かもね。『ロンドンゾンビ紀行』観た。ゾンビものに接したのはこれが初めてだったのだけれど、わりと朗らかというか前向きな作品だったようで、そのおかげでグロテスクな表現もあまり気にならず、観てて楽しかった。お年寄りがつよいのはよいことだよ。この視聴を始める前に走った。そういえば月曜も走っていたのに書き忘れていた。身体の変化は今のところ感じないなー。それでも、アディダスのランニングアプリ/ポケモンGO/あすけんと行動のフィードバックが利くことを、なんとなくの報酬にしてる。んー、当座は一日のカロリー調整であるけれど、走れる距離が伸びたらいいなあという願望もあるのだよな。気が向いたら走るという縛りの緩さで様子をみる。

2021年10月14日(木)

地元のNPOにて、月一での相談の日だった。自分の得手不得手について、それはこうかもねという話をしていただいたり。趣味の多さのことをこの職場にもそこまでの人はいないですよ、というふうに言っていただいて、あまり実感が湧かないもののそうなのかもしれないと思った。一つの事柄にどれほどリソースを投じることができるかはまた別かもしれないし、趣味が多かったらえらいという話でもないけれど。目的を持って始めるうちにすっかり馴染んだ写真やお香をはじめ、自分の趣味は感覚的に没入できるものが多く、それらは自己治癒というか癒やしの側面が強いように思う。二十四時間つねに回復をし続けていないと精神は削れていく一方だから、いろいろな手札を揃えてさまざまな状態に対応できることは、生き残るための切実な戦略だったのかもしれない。ほか、頑張りすぎないことや追求しすぎないこと、ひとりで抱え込まないことの話題が主。

2021年10月13日(水)

面談はあすへ延期。「この人と友だちになれるか」というのは場とタイミングの要素が大きくて、それなりに年月が経ったあとからもう一度交流を結ぼうとしても、記憶が残るだけでひとたび他人レベルへ離れた関係をつなぎ直すことは容易ではないのだなー、と思った。一方的に友だちと信じ続けたことは、人生のある時期において心の支えになったとしても、いつかはなにかから剥がれ落ちるかけらのように、目を伏せさせるものだね。だとしてもそれが無駄だったってことではない、少なくともそう思いたい。さみしいのはこちらに勝手な期待があったからだけれど、もし期待通りになるのなら、それは自分の想像力の範囲内のことしか起きないってことだ。期待通りでない現実を受け入れるなら、自分の想像力よりもずっと豊かな現実を享受できる、はず。メンタルよわよわだからボコボコにもなっているけれどさ。大嶋啓之feat.茶太『睡眠都市』の情報を漁るうち、新居昭乃『覚醒都市』へたどり着き、中古CDを取り寄せてリッピング処理を済ませ、いま聞いているところ。音がゆがんだように聞こえるところがとてもよいね。少し前にBoothを経由して送っていただいた、海辺の音楽屋(yo-ake)さんの『青と回答』もよかった。物静かで内省的な雰囲気がすき。そういえば、ミシェル・ベロフ『ドビュッシー:ピアノ作品全集』が手元にある。この曲目リストがよく分からないくらいに美しい。こうしたタイトルへのセンスを自分の創作中で再現したいと思いつつ、単語チョイスだけではこうはならないだろと思えて、じゃあなにが違うのと思っているのだった。今どきの言葉は彩度やコントラスト、エッジの精細さが高いように思う。でも、そこを回避したらこのアルバムのようになるのかというと、たぶん違うのだよね。

2021年10月12日(火)

茉莉花の挿し芽をしたり、シャコバサボテンの葉摘みと短日処理をはじめたり。挿し芽用の発根促進剤であるルートンをつかったことで、季節外れながら六本の挿し穂がどれくらい定着するか興味があるから、一月くらいは様子を覗うつもり。鉢が二つあるシャコバはどうだろう。若い葉は摘んでやったほうが花芽が付くのだけれど、株がまだ小さめあるいは中株くらいだから、あまり葉をむしるのはかわいそうかなあ、という落とし所があるのだよね。とりあえず、夜間の照明の影響がない部屋の窓際へ二つの鉢を置いた。あとは水をやらないまま、二週間ばかり窓際へ放置して短日処理を施せば、花芽が形成されるはず。シャコバは大株なほど花の見応えがあるから、いずれは鉢のサイズを現状の8号から10号くらいへ移植するタイミングが必要なのだろな。今年はまだ必要なさそうだけれどね。茉莉花の挿し穂は合計6本を、ルートンをまぶした状態で、3号か4号のプラ鉢2つへ赤玉土を入れて挿した。これはどうだろうね。季節こそ外してはいるけれど徒長枝を使うことができた。前回は全滅だったから、今回はルートンの効果がどれくらい発揮されるのかが気になるところ。