2026年9月14日(月)

なにごともなく。家系図を簡単に書き出したり、Exelで過去のできごとを簡潔にまとめているうち、日付が変わった。ここにつけている雑記を含めて、じぶんはそこそこ記録がまめなのでは。おかげでその年ごとの変化や推移がなんとなく掴めるのはよいね。カウンセラーさんに流れを把握してもらおうと思ったのだけれど、精神的/状況的な推移って覚えていることは案外おぼろげで、その推移を記録から改めて把握しておくのは大切。愛着と記憶の傷に対処していく以上、系譜や来歴、時間軸といったものが治療に示唆をくれるかもしれない。とりあえずということで、岡田尊司『愛着障害と複雑性PTSD 生きづらさと心の傷をのりこえる』(SBクリエイティブ)へ手を伸ばした。もう眠ろう。

2026年9月13日(日)

なにごともなく。煮詰まった気分を見つめていて、すきなことはいろいろあるじゃんと思ううち、風が通るように気分に色が戻ってくる感覚があった。『エストニアの聖なるカンフーマスター』を観たり。

2026年9月12日(土)

Sさんのギャラリーや各喫茶店を回り、案内はがきの回収とお礼をしてきた。帰ってきて夕餉を終えたころぐったりして、おふとんでだらだらするうち日付を越え、この時間。日中は動けたものの気力的に無理したぽい。そして現時点で、このレベルで疲れると気分のしんどさも顔を覗かせる感。トラウマ記憶の数々にアプローチして処理したことで苦痛がかなり緩和されたことを鑑みるに、疾患の症状が取れ次のステージとして現れていたのは複雑性PTSD、ということで部分的にでもそう扱ってよいのかな。診断は医師がするものだろうし、例えじぶんでもそう簡単に判断はしないだろな。診断や判断をしなくても対処できればそれでよいのだし。ひとまず知ることに問題はなかろと思い、ごろごろしながらその手の書籍をAmazonでポチった。知識を仕入れるよりセッションが進むほうが早いかもね。あまり書くという感じでもないから切り上げ。

2026年9月11日(金)

なにごともなく。あたまがネガティヴ思考のループへ入っていかないなー、ということを感じていた。入ってはいかないのだけれど、そちらへ引っ張りたがる力はまだ働いているようで、未処理のまま凍りついているトラウマ記憶はまだたくさんあるだろうし、ひとまず苦痛のレベルが一気に落ちたことでなにか起こるのかなといったところ。このあたりはデフォルドモードネットワークやマインドワンダリングといったもので捉えることができそう。んー。こうして思考を探るのもそれはそれでエンジンの空ぶかしのようで、脳機能に楽をさせたかったら眠れば? という。それが正解のようね。おふとんへ。

2026年9月10日(木)

朝からカウンセリング。EMDRの個人的発展形となる療法、の一回目を受けた。凍りついたままトラウマとなっている記憶を連想によって引き出し、その感覚をイメージ化、両側性の刺激を入力し、活性化した記憶と感覚をそれにより処理し、ポジティヴな感覚を刷り込み、体感を数値化して評価、正確ではないだろうけれど大まかにはそんな流れ。これらが脱感作とのこと。記憶を引き出す作業については、じぶんの場合は多すぎるし強いとのことで、ひとまずきょうできる範囲にアプローチした。80分枠のはずが130分かかった……。それでうちへ帰ってきて過ごしていると、ネガティヴ思考やその反芻、ここで呪詛と表現してきたものが起きない。んー。ありがたいけれどこんな即座に効果を感じてよいのかな。よさそうね。Webの情報をざっと流し読みすると、眼球運動を用いるEMDRでは複雑性PTSDに対してやや効果が薄いことや、こうした療法は基本的に8~12セッションかけて効果を期待するものみたい。多くは言及しないけれど、今回受けた発展形の療法は、確かに耐性の窓へ入れるだけのことはしたぽい。取り出したトラウマ記憶を解凍したうえで適切に処理しポジティヴな感覚で上書きする、というプロセスがうまく走るとしんどさから解放されるのだな。外科的な手順と似たところがあるし、きちんとした施術者にお任せする必要があるわけね。長らく苛まれてきた苦痛が配線を取り払うようにこうも軽減されて、なんというか、医療において適切なことを行うということの強力さを感じる。じゅうぶんに楽になるまで面談と療法は繰り返すとして、地味に転機なのだろなこれ。苦痛はシングルタスクらしいから、もしなにかが解決したならその次に控えているものが顔を出すはず。うちへ帰ってくる前に梨園へ立ち寄り香水をいくつか買った。ギャラリーのSさんなどへお礼がてら持っていく予定。

2026年9月8日(火)

雨の日。歯科へ通ったのみ。夜は栗をむいてお茶を淹れ、雨音を聞いていた。流感が早くも流行期に入ったようで、耳鼻科からも予防接種可の連絡メールが届いたため、接種の予約を来週に入れた。モニターを前に書くこともなく過ごしてしまうときは書く必要がないとき。

2026年9月7日(月)

カウンセリングへ。療法をはじめるのかと思っていたものの、きょうはあれこれ話もありつつ、苦痛に感じることを対象化して評価基準を定めるあたりまで。ソマティックな取り組みは次回、木曜日からの予定となった。面談のペースがもっか週に一、二度という、月換算なら六回くらいになるだろうか。かなりのハイペース。それだけ話が早く進むのは下地作りはしてきたということでもあるだろし、そのように要望しているこちらの意思でもある。支払っている額が額なだけに、投資、という感じもそれなりに。対象化された件ふたつに対してトラウマの度合いをまずテストしてみると、25点以上で判定となるところ48点くらいと24点くらい、という結果。思考への侵入という要素が強めだとか。ここで散々書きつけている、呪詛と表現しているものがおそらく近い。ここから毎回療法と並行してテストを行い、変化は数値化もして計ることに。苦痛が軽減されるならなんにせよ歓迎だよ。愛着の継承についてある程度把握はしていたものの、内的作業モデルという枠組みの名前は今回知った。八月下旬から展示やなにやとスケジュールが埋まっていたのだけれど、もうそろそろ一段落しそう。案内はがきを置かせてくださった各喫茶店へ、回収とお礼に回る都合があるんよね。別に義務ではなく、誰も急ぐようになんて言っていないのだから、できるときすることにする。前回の面談でカウンセラーのYさんも話していたけれど、完全に回復した状態でもないのに動けるからと動いた結果として過放電になり、それで回復にむやみに時間がかかってしまうのはあるあるだとか。なにをする/しないかの取捨選択は自分で身につけていくしかないようで、学習するなら早いほうがよいそう。今回の作品展を含めた一連の期間は行動しすぎだったかもね。直近のここに書きつけている内容が短いあたり、気力切れした感じ。チャンスを逃さないという基準はおそらくいまのじぶんには負荷が高い、というのがぐったりしてしまうな。よい機会が舞い込んでも適度に見送ったほうが総体として好ましい循環へ入っていける、というかチャンスを掴むことばかり考えていると循環から出てしまうのだな。療法では前頭前野の過活動を抑えることで脱感作をつくり、耐性の窓に入ることを目指す、ということで、ひとまずゆっくりしよっか。