2022年10月30日(日)

庭のモッコウバラのアーチに手を加えたり、冬咲きクレマチスの誘引作業をしたり。きのうの「いつも」ってどういうことだろう……。前回もお店の方から背が高くて憧れると褒めていただいたことを思い出した。しもつかれを買ったときは若い方も食べるんですねえと感心された記憶が。ときおりそこを訪れるたび、わりかしな頻度でなにかしら褒めてもらっている気がする。浮いてて目立つんだろうか。きのうの相席喫茶では、そこにいるのは自分の世界をがしがし掘削している方々ばかりのように見え、おもしろい一方で所在なく過ごしたのだった。自分もではあったけれど、戸惑われているのは感じたしね。……大切なのはオールのひと突きで海へ繰り出すことで、じつはそこが最大の試練なのだった。じき外洋のうねりが次々に船べりを洗うけれど、それは安全な港をなんとか出られたしるしだ。あとにくるのは岸壁を離れたときほど大変なものじゃない。舵の切り方や潮の乗り方、波や嵐の乗り切り方も、やがてはただ馴れや方法として身につくはず。ときどき考えることなんだけれど、勇者や冒険者が対峙する危機って、敵いそうもない強大な魔王や化け物ではなく、故郷をあとにして踏み出す最初の一歩なんだろうね。その一歩は勇気なんてものに後押しされるのではなく、ここからどうなるのか分からないことへの怖れをなんらかの方法で減じたときに抵抗がなくなってするもの、というのが自分の考え。ポケGOはろいんイベントのえり飾りロコンがかわいい。色違いをつかまえてキュウコンにしたい。

2022年10月28日(金)

UDトークの使い方をあれこれ。あしたは以前に訪問した本屋さん主催の相席喫茶へ出かけられたら。 体重を減らす工夫について定期通院先の先生に尋ねたところ、人にお勧めできる考えかどうか分からないけれど、と前置きされた上で「自分にとって(もう一方の選択肢よりも)メリットがあるからそれを選択する」「一方の選択肢が満たされたからこそもう一方の選択肢も満たしてみたくなるけれど、それは両方を同時には選ぶことのできない類いのもの」「その選択に折り合いをつけ、選択することの責任は(罪悪感などと外在化せずに)自分で引き受ける」といったことを話していただいた。先生のこの意見は以前にもお話ししてもらったもので、その過程がなんであれ結果を自分で引き受ける(ことで生きやすくなる)、という自己受容なのかなと思う。自分で引き受けるという部分はたしかに万人向けではなさそう。人の考えって少しずつ癖をつけていくことで変えられるし、先生の考えは取り入れてみようかと思えるから、ちょっとずつね。それとは別にストレッチや散歩もいいですよとも。ストレッチは朝の目覚ましくらいにゆるゆる続けているから、新たにできるなら散歩かなー。

2022年10月23日(日)

一日じゅう雑事など。すこしぼやっと考えたことで、現在の状態は(いま自分のできることに対して)がんばりすぎて精神的なゆとりが尽きており、もう赤信号が灯っている感じだなーと。しつこいいらだちに加え、他者全般に対する距離の取りたさと過食、ときにわずかな吐き気がある。書き出してみるとこの状態はわりあい深刻だね。講演の文字起こしの勉強会が水曜にあるから、月火は休息を取ることにする。「家事や雑事はこなせるからまだ大丈夫なはず」という思考の先には、力尽きて動けなくなるいつものコースが待っているにちがいない。ここ半年くらい、積極的に趣味に没頭するということが乏しくて、時間があるとネットをだらだら閲覧みたいな過ごし方になっている。「やるべきことをこなす」という生活は、焦点がそこへ集中するゆえに関心の余剰が生まれにくいんだと思う。それで推進し続けられるひともいるだろうけれど、自分の場合はじつは様々な余剰や無駄に生かされていたひと、ということなのでは。タスクをこなすことを追いかけるあまり消耗してばかりいる、というのは大きい要素だろうから、もっとのんびりと目的無く過ごしていいんだと思うよ。こんなことを考える時点で真面目もいいとこ。ひとまず、孤独と無意味を優先しよう。