Twitterになにかあったときのために。拠点はおおむねこのブログ。
- Bluesky – 最近はこちらを覗くことが多め。
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なにごともなく。あたまがネガティヴ思考のループへ入っていかないなー、ということを感じていた。入ってはいかないのだけれど、そちらへ引っ張りたがる力はまだ働いているようで、未処理のまま凍りついているトラウマ記憶はまだたくさんあるだろうし、ひとまず苦痛のレベルが一気に落ちたことでなにか起こるのかなといったところ。このあたりはデフォルドモードネットワークやマインドワンダリングといったもので捉えることができそう。んー。こうして思考を探るのもそれはそれでエンジンの空ぶかしのようで、脳機能に楽をさせたかったら眠れば? という。それが正解のようね。おふとんへ。
朝からカウンセリング。EMDRの個人的発展形となる療法、の一回目を受けた。凍りついたままトラウマとなっている記憶を連想によって引き出し、その感覚をイメージ化、両側性の刺激を入力し、活性化した記憶と感覚をそれにより処理し、ポジティヴな感覚を刷り込み、体感を数値化して評価、正確ではないだろうけれど大まかにはそんな流れ。これらが脱感作とのこと。記憶を引き出す作業については、じぶんの場合は多すぎるし強いとのことで、ひとまずきょうできる範囲にアプローチした。80分枠のはずが130分かかった……。それでうちへ帰ってきて過ごしていると、ネガティヴ思考やその反芻、ここで呪詛と表現してきたものが起きない。んー。ありがたいけれどこんな即座に効果を感じてよいのかな。よさそうね。Webの情報をざっと流し読みすると、眼球運動を用いるEMDRでは複雑性PTSDに対してやや効果が薄いことや、こうした療法は基本的に8~12セッションかけて効果を期待するものみたい。多くは言及しないけれど、今回受けた発展形の療法は、確かに耐性の窓へ入れるだけのことはしたぽい。取り出したトラウマ記憶を解凍したうえで適切に処理しポジティヴな感覚で上書きする、というプロセスがうまく走るとしんどさから解放されるのだな。外科的な手順と似たところがあるし、きちんとした施術者にお任せする必要があるわけね。長らく苛まれてきた苦痛が配線を取り払うようにこうも軽減されて、なんというか、医療において適切なことを行うということの強力さを感じる。じゅうぶんに楽になるまで面談と療法は繰り返すとして、地味に転機なのだろなこれ。苦痛はシングルタスクらしいから、もしなにかが解決したならその次に控えているものが顔を出すはず。うちへ帰ってくる前に梨園へ立ち寄り香水をいくつか買った。ギャラリーのSさんなどへお礼がてら持っていく予定。
なにごともなかりし日。
雨の日。歯科へ通ったのみ。夜は栗をむいてお茶を淹れ、雨音を聞いていた。流感が早くも流行期に入ったようで、耳鼻科からも予防接種可の連絡メールが届いたため、接種の予約を来週に入れた。モニターを前に書くこともなく過ごしてしまうときは書く必要がないとき。
カウンセリングへ。療法をはじめるのかと思っていたものの、きょうはあれこれ話もありつつ、苦痛に感じることを対象化して評価基準を定めるあたりまで。ソマティックな取り組みは次回、木曜日からの予定となった。面談のペースがもっか週に一、二度という、月換算なら六回くらいになるだろうか。かなりのハイペース。それだけ話が早く進むのは下地作りはしてきたということでもあるだろし、そのように要望しているこちらの意思でもある。支払っている額が額なだけに、投資、という感じもそれなりに。対象化された件ふたつに対してトラウマの度合いをまずテストしてみると、25点以上で判定となるところ48点くらいと24点くらい、という結果。思考への侵入という要素が強めだとか。ここで散々書きつけている、呪詛と表現しているものがおそらく近い。ここから毎回療法と並行してテストを行い、変化は数値化もして計ることに。苦痛が軽減されるならなんにせよ歓迎だよ。愛着の継承についてある程度把握はしていたものの、内的作業モデルという枠組みの名前は今回知った。八月下旬から展示やなにやとスケジュールが埋まっていたのだけれど、もうそろそろ一段落しそう。案内はがきを置かせてくださった各喫茶店へ、回収とお礼に回る都合があるんよね。別に義務ではなく、誰も急ぐようになんて言っていないのだから、できるときすることにする。前回の面談でカウンセラーのYさんも話していたけれど、完全に回復した状態でもないのに動けるからと動いた結果として過放電になり、それで回復にむやみに時間がかかってしまうのはあるあるだとか。なにをする/しないかの取捨選択は自分で身につけていくしかないようで、学習するなら早いほうがよいそう。今回の作品展を含めた一連の期間は行動しすぎだったかもね。直近のここに書きつけている内容が短いあたり、気力切れした感じ。チャンスを逃さないという基準はおそらくいまのじぶんには負荷が高い、というのがぐったりしてしまうな。よい機会が舞い込んでも適度に見送ったほうが総体として好ましい循環へ入っていける、というかチャンスを掴むことばかり考えていると循環から出てしまうのだな。療法では前頭前野の過活動を抑えることで脱感作をつくり、耐性の窓に入ることを目指す、ということで、ひとまずゆっくりしよっか。
表参道のCA4LAまで赴いてフルオーダーしたキャスケットを受け取ってきた。疲れたのかなー、ごろごろしてる。
なにもせず。あす都内へ出かける予定。
定期通院先や別件で薬局へ。のんびり。
なんか用事をあれこれ片付けていた日。しばらく前から車の表示盤にオイル交換のサインが出ていたので、きょうやっと車屋へ電話してそのようにしてもらった。道の駅で果物やお米など手に入れる。UFOピーマンという初めて見る野菜を前に、となりの男性がこれなんですかねと独りごちるように言うので、なんでしょうねえ、辛くはないんでしょうか、などと一緒に野菜を手に取って話すでもなく話した。おもしろそうだから買ってみます、ありがとうございます、となぜか感謝されて、こういうの悪くないって思ったり。新米やくり、いちじくが並んでいるかと思えば、ゴーヤやすいかもまだあって、食べ逃したくない夏ものと飛びつきたい秋もののどちらも購入。すいか一玉はこれが今季の食べ納めになるね。お米は去年のをすこし。くりは粒が大きめのを買っていまは水に浸してある。いちじくはなによりすきな果物なので見つけたらなるべく逃さないのだった。そうしてうちへ戻り、やや丁寧に昼ごはんをつくる。夕方からカウンセリングの面談。ストレスチェックを定期的に行いますからとのことで、その設問のうちの「異性に性欲が湧くかどうか」という内容におん? となって質問したり。設問文がそうなってしまったという以上のニュアンスではなかったけれど、一般的にはシスヘテロかつ欲情することが健全さのバロメーターとして通るわけね。NPOさんのところで指摘された、いまの局面で行動できるようにしておきたいことと、そもそもリハビリ以降の活動からして無理していたのではという休息の必要性、それらは相反してしまいませんかということについて、Yさんに訊ねた。私から見てもあなたは活動レベル高いなって思いますし、適切なラインを見定めてそれを越えないように調整していくことが必要で、それは試行錯誤というか模索になるでしょう、とのこと。こういうのってドクターの領域なんですけれどねという、まあむつかしいですよねと返すしかない話も。CPTSDってあらゆる身体の不調に関われるのでジョーカーなんですよとか、そうであるとしてアプローチできればかなり早く変化が現れたりもするとか伺ったり。EMDRについての話になり、なんらかのソマティックなアプローチは不可欠なのでそれを、とお願いすると、ちょっとYさんの試みの沿革のような話になった。結論から書くとEMDRの個人的改良版にあたる療法を受けることに。ソマティック・エクスペリエンシングは評価も高い療法ではあるものの、その認定された専門家となるのにまず高額な料金が必要で、というお金の話など。効果があるのであればこちらとしてはなんでもよいしね。耐性の窓を広げるところからのアプローチになるそう。来週月曜にその療法を実践する予約を入れた。それから取り寄せた商品の受け取りをしにニトリへ向かうなどして帰宅、晩ごはん。細々とした用件もそれなりにあった日。かつて読んだ本に書いてあったことだけれど、経験したことのない異様な状況に陥り恐怖や孤独を感じている患者が、よく知らない他人である医師を信頼し、自身を預けてよく知らない治療を受けるというのはとても勇気の要ることであり、そうであれば我々はその信頼と勇気に応えなくてはならない、という内容。もっかじぶんは異なるステージでまたそんな感じ。といっても感じるのは前へ進む期待なんだけれどね、カウンセラーを選ぶのは初めてだからとりあえず信頼してみるというところがスタートで、高いお金を払うのは事実であるし、なんにしろ療法も初めてなわけで、理屈や説明は分かってもそれが正解へ続いているかどうかはまだ知らない。誰を相手にするにせよ変化と結果を手にするまで止めないことはもう腹をくくったから、ひとまずはお任せなんだけれどさ。目標設定の水準が高すぎることについてはほんっとうにどこへいっても指摘されるなー。業は物語の強度でありそのひとの磁場の強度であるとも聞くものの、どうなるかな、先はわかんないね。不安という感じでないのはある程度そう。ねよねよ。
だらだらと過ぎし日。そういえばNPOさんとこの面談で担当の方から、周囲からの意見の採用がとても柔軟ですねと、やや驚くようなニュアンスで言われたことを思いだした。それはバランスを崩せばじぶんがないと言うことになりかねないし、アドバイスをしていい相手として認識される面倒さもあったりで、一概によしとできるものでもないだろうけれど。その場では長所としての指摘だった。んー、書きたい日じゃない。のんびりする。