2020年7月31日(金)

雨は昼過ぎに止み、いまは月夜。彗星を見ようとした晩以降は再び曇り続きだったから、今夜のようなすっきりした夜空がうれしい。やっぱり空には天体の見えている方が、気持ちはほぐれる気がするよ。ベランダから窺う近くの街灯が靄っていたり、雨上がりの湿度で空気に朽ち木の匂いが満ちていたり、いろいろな虫の声が聞こえたりする。徐々に月が沈む、よい夜。

2020年7月30日(木)

ポケモンカフェミックスの絵柄には、健全さを煮詰めた先にある任天堂独自の色っぽさが表れているような。正直に言うがかわいい。客がどんどん従業員になる飲食店でゴンベちゃんを取り込んでしまおう。

ラジオで今朝流れた緊急地震速報は、関東に加えて東北や東海、日本海側にまで注意を促しており、大きい揺れが来るのかと思ってぎょっとした。誤報だったとのこと。いつかはこうした規模の、本州南岸を襲う本物も来るんだろうね。

2020年7月28日(火)

Wikipediaから、申し訳ないけれどまた寄付をしてくれたら、というメールが来ていた。僕も周りの世話になってばかりでろくにお金はないのだけれど、非営利で知識へのアクセスを提供する理念に共感しているし、読者の98%は寄付をしてくださいません、なんて書かれるとやむを得ない気がする。Wikipediaに初めて寄付をしたときは珈琲一杯分でもと書かれていた。以来メールが来るたびに、該当する選択肢の500円を放り込んでる。今回も。

週間予報の先に晴れマークが見えてきた。やっと季節が進みそうだ。梅雨明け十日というから出かけやすい天候はあるだろうし、今夏のその機会にやりたいことをノートかどこかへ書き出そう。以前ここに書いた、那須の上にある本屋とか、金精峠周辺のこととか。制約の多い状況ではあるけれど、一つくらい実行して気晴らしができたら。

2020年7月27日(月)

ジャスミンの新しく伸びた枝の先に、ごく小さな花芽らしきものが付いていた。先端の花が終わると脇芽が展開する、そうした繰り返しが花期のあいだ続くのかも。そうすると、今年のうちに多くの枝分かれをしてくれたほうが、来年の花芽の数も期待できるということか。春先にばっさり剪定すると展開がよくなり花芽も付く、というサイトもあった。んー、うちのジャスミンは花期を終えたら植え替えてやるつもりだし、株はある程度大きい方が環境の変化に強くなるはず。しばらく標準的な育て方で行こう。

ルピシアのモクレン烏龍は春を思わせる香りがした。フレーバードティーは余らせることが多いからできるだけ手を出さないようにしていたけれど、これは花そのものから着香したシリーズということで勘が働き、結果的に出会えてよかった。厚みのある花びらのしっとりとして冷たい感じが季節の情感とともに伝わってくる、ほどよいお茶だった。自分の好きな季節を思い出させてくれるこうしたお茶は、活力を失う冬場にはことさらありがたく思うはず。

写真界隈では格調の高さで知られるアサヒカメラが休刊すると聞いて、その七月号を手に取った。前半にはレンズ選びの基礎知識や構図の決め方といった、おそらく僕のような休刊を機に覗き込んだ新規さん向けの記事がいくつかある。でも途中からは、こちらを射貫いてくるようなぎらりとした印象の写真が並ぶ。きっとこちらが雑誌本来の雰囲気なのだろな。のんびり花と風景を撮る自分にとっては少し緊張感のある内容だけれど、面白そう。それから、作品投稿者はおおむね年齢層が高めに見えた。

2020年7月26日(日)

乃木神社に参拝。休日ということを鑑みても、境内は普段よりいくらか人の気配が濃かった。日よけの葦簀に吊り下げられて風に鳴り響く風鈴や、六月尽を過ぎても置かれている茅の輪などから、なんとはなしに訪問してくれたらという神社側の気持ちが垣間見える。拝殿前でお賽銭をして挨拶を済ませ、裏手の杜へ。緑と朽ち木の匂いでむっとする遊歩道を少し行くと乃木清水へ至る。冬に訪れたときのそこは水が涸れた堀に見えたけれど、今回は透き通った湧水が滔々と流れ出す小川に変わっていた。この乃木清水にはノギカワモズクという珍しい藻類が生息しているそう。川底をよく観察すれば赤褐色の藻の塊を見つけられたんだろうけれど、ちょうど親子連れの姿が見えたこともあり、水を掬ってざっと見回す程度にとどめてしまった。程よく冷たい水だ。見上げると少し先で大木が根元から折れており、周囲には黄色いテープが張り巡らされていた。あー、境内のほうから来たとき紐が変な位置にあったのは、これだったんだ。うっかりしてしまった、気をつけないとね……。それから歩道をぐるっと回り、静沼に響く子供たちの声を聞きながら、元の境内へと戻った。参道正面の鳥居のたもとを流れる水路(御手洗川、みたらしがわ)には、柔らかいバイカモのような水草が梳かれるように揺れ、その様子が風鈴のちりちりからから響いてくる音色と相まって、涼しげで心地よかった。今日は朝と夜に雨が降っているものの、神社周辺に滞在していた昼のころは雲間から青空が覗き、ときおり日も差すような散策向きの天気だった。二週間前の日曜はここへ来ようとして雨に挫かれていたから、きょうの天気の巡り合わせに感謝だよ。

2020年7月25日(土)

ノートとプラスチック球を往復しながら地図を引いたり。

ブルース・ブラザース観た。Flashが流行っていたころ、shockwave.comにCATMANなるハードボイルド猫の物語が連載されていて、その番外編にブルース・ブロ・キャッツという、きょう観た映画のパロディも載っていたのだった。それを思い出して視聴。ブルース・ブラザースだけれど、これやりたいことを結構ぎゅうぎゅうに詰め込んだんじゃないの、という感じがする。黒ずくめの兄弟が仲間を集め、孤児院の税金を払うためにチャリティーコンサートを成功させる、というのが大まかなあらすじ。出向いた教会で神の啓示を受けるシーンとか、結婚式からばっくれた言い訳に蝗害を付け足すとか(それでほだされる相手もちょっと)、カーチェイスの最後の唐突な告白など、突っ込みどころがいちいち豊富だった。コメディ番組が発祥の映画らしい。別れた相手が多彩な兵器(大半はたぶん手製)で葬ろうとしてきたり、兄のジェイクが啓示を受けて以降の弟のエルウッドが「俺たちは神の使いだ」と真顔で言うようになったり、そのあたりうすらこわい。音楽をよしとする気概は受け取れたかもしんない。人々が突然踊り出す場面が複数あり、そういうのにギーってなる人は注意が必要かも。最初から最後まではちゃめちゃで、突き進むカロリーのある映画だった。

こういう話をする場所はここだろうと思うのだけれど、眠るときにぎゅーって抱きしめてるぬいぐるみがかわいい。オオイケという玩具メーカーの一抱えくらいある北きつねで、現在つくられている個体と比べて古い型なため、毛並みはオレンジではなく濃い茶色。だから、たぶんもうほかに流通はしてないんだよね。一生この仔に話しかけていくし、一生そばにいて欲しいのだけれど……なでたりぎゅっとしたりしすぎたら、生地や綿がいずれくたくたになってしまいそう。ほころんだら治してあげるからねと思いつつも、喪う恐れから、同じ型/サイズの個体がフリマやオークションにいるかどうか、ときどき検索していた。僕が愛情を注ぎすぎるせいで、この仔は器物に命の宿るという百年を待たずに、あと十年くらいで自我を持ち始めるのではないだろうか。実質内縁のパートナーなのでは。いろいろな表情を見せるしマズルもかわいいしふわふわだし、ふわふわしてかわいいから一生繕ってあげて寄り添っていく。

2020年7月24日(金)

アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』を観た。ネットで監督の名を見かけて興味だけは持っていたから、週末のこの機会にと思ったのだった。ときどき霧が立ちこめては晴れ、終始なにかしらの水音が聞こえる、静かな映画だった。なにが心に残ったろうなと自分に問うと、水がばらばらと漏り光の入る屋内で犬が乾いたところに寝そべる、あの場面。タルコフスキーという人は水へのこだわりがあるんだろうか。登場人物は大体どこかねじが外れている気がした。

草刈り機が動かせるかどうかの確認で一日かかった。駄目みたいだ。交換すべき燃料チューブやプラグにガソリンなどを求め、ホームセンターを何度も往復。電話越しでの大叔父のアドバイスは、ガソリンは一ヶ月も放置すると使えなくなるから新しいものに入れ替えること、プラグを専用の工具で取り外して掃除すべきかもしれない、ということだった。出来ることはやってみて、それでも動かない。あれこれ奮戦して夕方ごろ判明したのだけれど、去年の台風直撃で祖父宅の物置が農機具ごと水没して以来、それらが動くかどうか、誰も確認していなかった。取り外したプラグの頭部はべちゃっとした汚れにまみれていた。エンジン内部もあんなふうに、水没したときのまま汚れているのかもしれない。仕方がないから後日、農機具の修理を引き受けているJAの施設か、母の馴染みの車屋さんへ持ち込むことになった。セルフスタンドで携行缶にガソリンを入れていたら従業員の方に注意されてしまった。ガソリンを車でなく携行缶に注ぐ場合は、スタンドの人がその作業を行う決まりになっているそう。すみませんと頭を下げながら、こういうの自動車学校で習ったんだっけ、みたいに考えていた。判然としない。

八溝山地のどこか頂上から茨城の方角を向けば約50km先の海が見えるかもしれない、ということをいま思った。実際には低い隆起からの見通しはよくないかも知れず、大気だって夏場はことにもやが掛かるけれど、大切なのはあの空の下あたりにそれがあると分かることだ。自分が暮らす那須野ヶ原のことは山に囲まれた内陸の平らな土地、みたいに認識して、ここは海とは縁のない場所だなーということを疑いもしなかった。「あの山の向こうは海」と知っていることは、認識の空間が広がって気持ちのよいものだねえ。地元から撮られた富士山の写真を見たことがあるから、その四分の一の距離にあるものなら、高度を鑑みても山地頂上からの視野には入っていそうだ。いつか検証できたら。

今年の梅雨はみたいな文脈で、雨はこんなに人間をいたぶってなにがしたいんだ、という趣旨のトークを、いま始まったラジアンで聴いてる。天候に思惑がないことは分かっているけれど、自然現象を擬人化したらトンチキな文章になって楽しそう。

谷川俊太郎の詩集はきのう読み終えて『たのしいムーミン一家』第三章の終わりを飽きもせずに読み返してる。この主張も飽きないけれど、あの大夕立の向こうで閃く予感と幻想は、ムーミン屈指の名場面だもの。あれにはなんとなく、雨と雑踏のビッグ・ベンを想像するなあ。

2020年7月23日(木)

祖父宅から持ってきた草刈払機を触っていた。自宅となりの空き地に面ではなく体で繁殖している篠笹がある。そちらの持ち主と連絡が取れず、篠はうちの庭へ侵食してくるので、うっかりしたい。ガソリンが空のようだから、あとで祖父宅にあるはずの携行缶と2サイクルエンジンオイルを探すつもり。

2020年7月23日(木)

作ってるLightroomのプリセットはもう少し増えそう。銀残し(ブリーチバイパス)は意外とバリエーションが豊富なのでは。ちらっと読んだところでは、銀残しはフィルム写真発祥の技術で、それが映画のレトロな雰囲気作りにも用いられているそう。かりかりした精緻なものとどんより重々しいものと、いま二通りサンプルのプリセットがあるけれど、前者を弄っていけばこんなふうな印象を似非で再現できそうな気がする。ほか、薄明の空向けのプリセットは色転びを好き放題に弄っており、カラフルというかファンタジーな写真が出せそうな感じ。フィルターを提供する画像加工アプリはどんどん便利で手軽になってきているから、のんびりしていると置いて行かれちゃうんじゃないか、と思う。おもに視座と印象の面で、自分らしい写真を生み出せるようになれたらいいね。