放っておくと一週間があっという間だなあ。今日、関東甲信で梅雨明けした。散歩もそれなりに続いてる。
サキは生存していて、いよいよ食事が喉を通ったり通らなかったり、黄疸なのか耳の内側が黄色みを帯びてきたりというところ。
放っておくと一週間があっという間だなあ。今日、関東甲信で梅雨明けした。散歩もそれなりに続いてる。
サキは生存していて、いよいよ食事が喉を通ったり通らなかったり、黄疸なのか耳の内側が黄色みを帯びてきたりというところ。
散歩コースを延長して、歩きでの一時間強を確保した。身体の動きが熟れてくる三十分経過くらいからわけもなく走りたくなる。感情が昇華される感覚があって楽だ。
断片的に、いなくなってしまったひとの話をすることがある。曰く「~のおばちゃんにはいろんなことを教わらないまま、逝ってしまったねえ」というような。かぶと虫やきのこを採るといった山の歩き方なんかの、そういう土地っ子のフレーバーを継承できなくて、静かに残念に思う。それはどうしようもない。
祖母、叔父、猫と、今の周囲には死の陰が濃い。そのわりには自分が微妙に鈍感になっているというか、日常感が感覚の表層を覆っているというか。
数日前から、夕方に鳴く虫の声が切れ切れに耳へ届くようになった。にいにい蝉の初鳴きも聞いてる。
夏至。夕暮れに散歩する習慣を付けているところ。空が桃色と黄に染まり、暗くなっていくのを眺めていた。
庭に堆肥を鋤き込むなどして、夕顔とアーティチョークの発芽していた苗を定植した。例年のようにちんたらと植え替えをしているなあ。夕顔は闇に花の香るのが待ち遠しく、アーティチョークは来年以降に食べられるはずのつぼみに期待してる。
やせ細っていく猫サキの、今日は満12歳の誕生日だった。食が細くなっているため、鮭や小アジの焼いたのや、マグロの切り落としに火を通したのをほぐして与えるのだけれど、サキは二口三口を食べると「もういい」というそぶりをしてそっぽを向いてしまう。ちゅーるは食傷気味の様子だ。
動物病院の先生が仰った最初の目標が、五月の予防接種まで生き延びることだった(投薬や外科的な手術無しでの)。だから、カレンダーを見ればサキが頑張っていることは分かる。付き従う人間はもう、おいしそうな真新しい食材を持ち寄ってなんとか食べてもらって、喉を鳴らしてくれるように撫でて、苦痛の少ない状態でより生存してもらうことを願うのみだよ。
このごろ聴きたいCDのリスト。
それから、いま使っているJVC HA-FX700というイヤホンの接触が駄目になってきてる。イヤホン貯金することに決めた。
昨日朝に近畿地方で最大震度6弱。災害の様相を呈しているし、困ったことはこれから増えるのだろう。外野は慌てないことが大切だと思うようになってる。
祖父宅で庭仕事の手伝いをしていたところ、叔父から本をもらった。佐々木譲『武揚伝 決定版 上・中・下』(中央公論新社)という、一冊あたりふつうの文庫の二倍も厚みがありそうな歴史物を、三冊。僕は歴史が得意ではないのだけれどなー。でも、先方では何か思惑などあるのかも知れない。読みたいときに読もう……。叔父は手の爪と指の肉質が剥離したさまを僕に見せながら、抗がん剤でこうなってると言った。
友達の家を掃除して回る寿司を奢ってもらった。
「内向的なことに耽るとき、夜明けが遠くあって欲しい。」なるメモがEvernoteに残っていた。
水中にいるような大気。
んー。日に一時間程度の散歩が楽しいかも知れない。あぜ道を辿りつつ見た今夕の空など、満ち足りたさみしさとでも言おうか、ずいぶん美しかった。運動の良いところはもしかして、この気分的に満たされた感覚にあるのではないだろうか。オフロもすぐに入れるようにしておくともう、一日の締めは
万端整った感じだ。
暮れ時の空をもっと見たい。なればこそこの習慣は可能なあいだ続けたいなあ。