出発に向けてタスク消化の日。月末の締め日にじぶんはこちらにいないと思われるので、その前に喫茶店やギャラリーへポストカードを納品。ギャラリーではオーナーさんから、作品展示とマルシェのイベントが6月にあることを伺った。作品持ってきなよ、とのありがたいお誘いをいただいて、ぜひとお願いした。バイトや別のギャラリーでの展示の件も帰ってきたらそのときにお話しできましたら、とお伝えした。それから園芸店を何ヶ所か回り、バジルやイタリアンパセリ、ローズマリーその他の苗を購入。いったんうちへ戻ってきて菜園に堆肥や川砂など足し、シャベルでかき混ぜていた。畝を立ててマルチを張り、苗を植えつけたかったのだけれど、これは土日に。定期通院先へ向かったあとはあちこちで買いものを済ませ、洗車をし、帰途。一日じゅう動いていた日。
2026年5月14日(木)
週明け月曜に九州へ向かうフェリーに乗るつもりで、リスト化したタスクを消化していた。あちらでは梅雨入りが近くなっており、二週間予報を見ると天気は曇りがちと頼りない感じ。写真家の知人がまた別の写真家を紹介してくださる連絡が入ったのだけれど、提案された日程が旅行でかみ合わないことを伝えると、出立までに会える時間があるか先方で調整してみるとのこと。その場合はこちらから都内かどこかへ伺うことになりそう。都内へ出かけるのならせっかくだからCA4LAを何ヶ所か巡って、キャスケットをふたつほど手に入れたいところだけれど。タスク消化がタイトになりそうだからどれくらい動けるか分からないなー。
2026年5月13日(水)
精神的に強姦されたように感じる。
2026年4月22日(水)
しんどいので早寝。
2026年4月21日(火)
しんどい。5km弱,1時間ほどの夜の散歩をしたり、長湯に繰り返し浸かったり。眠ろう。
2026年4月20日(月)
カラオケで二時間ばかり歌う。気分が沈むので早めにおふとんへ。
2026年4月19日(日)
東京九州フェリーで横須賀発-新門司着の予約を取った。連休明けの木曜に出立予定。Webでの予約なものの、窓口で手帳を提示すると金額の50%が割引で戻ってくるそう。金額にすると別に小旅行を組めそうなくらいの割引だなー。ChatGPTに高速道路の渋滞予想を訊ね、羽生PAでの渋滞を避ければ時間の予定が立てやすいことを把握。高速道路の割引はETC不使用だと手続きが煩雑そうなため見送り。夕方前にカメラを持って庭に出て、ライラックの花などを撮った。こういうことするの一年ぶりくらいでは。夜は3km,40分ほど散歩。気分的にしんどい夜につき夜更かしせず就眠。
2026年4月18日(土)
朝から行き先を決めずにうちの仔とお出かけ。知らない住宅地や気を引く路地を車で抜けるうち、いつのまにか県民の森方面へ。八方ヶ原の展望台はまだゲートが閉まっていたため山の駅たかはらですこし散歩した。そこから八方道路を抜けて上三依塩原温泉口駅へ。近くのそば屋で季節ものの天ぷらそばを頼むとたらの芽やコシアブラといった旬のものが盛りだくさんだった。天ぷら盛り合わせ(小)も別に頼もうとしたら、お店の方から量が多いから天ぷらそばの注文だけでいいと思いますと言われ、そのようにしたのだった。このまっすぐさは会津のひとらしさだ、ここまだ栃木県内ではあるけれど会津なんだなあ、と思う。見かける車のナンバーからしてそうだしね。食べ終わったあとは向かいの直売所でコシアブラを1パック手に入れて帰途。一日じゅう遊ぶ感覚を確認したりしていた。うちでは長湯するうち意識が落ちそうに眠くなり、きょうは早めに就眠。
2026年4月17日(金)
定期通院先含む病院ふたつをはしご。そのあと祖父宅へ向かってみると、畑は潰され砂利敷きになっており、たらの木は全て切り倒されていた。しらけた気持ちになるものだね。帰ってきてからはオフロで長湯したもののメンタルがいまいちで、1km,15分ほどの散歩をしたり。今宵は冷える。机の前で過ごしていてふと思い当たったのは、リハビリ以降のここ五年間でじぶんが忘れてしまっていたのは「遊ぶこと」なのでは、ということ。楽しいとかおもしろいとか夢中になるとか、世界へ招かれ踏み込み没入するような、主体的に主体を預ける忘我の感覚。ChatGPTいわくじぶんには小さな立ち上げの積み重ねが感覚の呼び戻しに向いているそうで、確かにそういう手触りはあるかなとも思うし、散歩から始めるのはよいことだよ。遊ぶって感覚を思い出せる? とじぶんに問うてみるのがよさそうね。それとは関係なくなんとはなしの頭痛がある。薬局でこちらが顔なじみに感じている薬剤師さんが、夜更かしはなるべく規則正しいサイクルへ戻せたほうが健康によいことを話してくださったし、今宵はほどほどにしておふとんへ。
2026年4月16日(木)
自宅の外壁の塗装工事が始まり窓とカーテンを閉めた。触れることが少なかった事柄かと思うのだけれど、じぶんは空間に外からの新鮮な風や景色がつねに入り込んでいないと気分が萎える。留保なしに言うと微妙に萎えた。つねに外界とつながっている、いつもすこし開かれている、そういう生活空間がすき。だからひとが集まって同じ空間でなにかするみたいなのは、そもそも空気の条件からして合わないとこがあるんだよね。喫茶店や飲食店であれば閉じてこもる安心や近さみたいなのも提供材料なのでそれを受け取れるけれど、事務室や教室といった場はもう進んで属したり入ったりしなくてよかろーという気持ち。かといって風の強い日に窓を全開にして外と完全につながってしまうと、それはそれで自然に対して身を乗り出す寄る辺なさのような、流れにひたされて固定された感じの失せた、どこか不安になる感じもする。まあ生活空間が野外化したらそれは心許ないだろうけれど。境界やあわい、移ろいを好む性質はいろんな側面で顔を出していて、たとえば性自認/性表現/性的指向/恋愛指向のあたりでも、いずれもバイナリなかたちを取っていない。おふとんでだらだらごろごろしながら「これはこれですきなことを味わってるよね」とか思っているうちに変な時間。かつてあれほど棲み慈しんだ時間に変て。ねよ。
