2021年10月11日(月)

茉莉花の徒長枝を切るついでに挿し芽をしようと思いついた。前回は失敗したんだよね。挿し木の基本というページに植物の生理的な仕組みが詳しく説明されていた。つくった挿し穂は水を吸わせているところ。発根促進剤のルートンを用意したから、それを使ってあしたあたり鉢へ移し替えられたら。枝を切る際になにかぐにゅっとしたものに触った。それは鉢へ水をやっていた土曜にも姿を見せたアマガエルらしかった。そのあたりにいついてほしかったから、鉢を動かして脅かさないように徒長枝だけ剪定して切り上げた。

2021年10月9日(土)

教習所にて適性検査をした。この場で成果を気にしても仕方ないし、そもそもなにかをはじく検査ではないのだから、と思うと気が楽なものだね。最後の大問は気性についての問いのようだったけれど、なにかしらの特徴的な傾向が出そうだという手応えがあった。それはそれで自覚があればよいので。一時間くらいで終わり、帰着。

2021年10月8日(金)

創作の断片の中に、連れだって旅をしているきつねとウンディーネの話があるのだけれど、そのふたりはなんなのということを考えていた。ウンディーネは人と婚姻関係を結ぶことで魂を得て、浮気をされると相手を殺害して魂を失う、という生活環をしているみたいだ(Wikipedia調べ)。この場合、婚姻の状態とその相手の生死とは、条件が重なっているように見えてじつは切り分けられる、ということも考えられる。そうすると、結婚相手と良好な関係を維持し続けたウンディーネには、伴侶をまっとうな理由で喪ったあとには魂を所有したまま自由の身へ、という可能性もありうる。そのケースでは魂いっこぶんの残機があるためにもはや人と変わらないから、それ以降はどんなにただれた恋愛もし放題になるかもしれない。また仮に、結婚した相手がそのあと不死化するか、あるいは初めから内縁状態を維持するなどの手段で、この種族特有の悲恋を回避することが可能なんじゃないだろうか。魂を残機として考えた場合には、残機だから複数持てるかもしれない。猫は九つの命を持つとかきつねは所定のしっぽの数だけワイルドカードが使えるとか言われるように、いくつかの伴侶との暮らしのすえ魂の残機を増やしたウンディーネは、なんらかの状況で切り札となるのでは(なんらか?)。そもそも一方の気持ちが離れた時点で淡々と離婚の手続きに移れたら、物騒な手段に及ぶ必要はないような気がした。あるものがないというところから出発すると多様なあり方が想定できてしまうね。魂の話をしているのに人の心がない話になっている気がするけれど……。手元にフーケーの『水妖記』があり気になっているのだけれど、周辺の情報をWebで漁るうち、なんとなくアンデルセンの『人魚の姫』を先に読み始めてしまった。こちらは既読本で、やっぱり手元で温めている車椅子の人魚の話について、種族と周辺のディティールを拾い上げることができるのでは、と考えているところ。きょうはいつも利用している薬局の方から、痩せました? と聞かれた。服のシルエットが変わったことに気付いて食欲不振を心配してくださったらしく、一年前からダイエットをしてます、という会話を少し。周りの人たちから反応をもらえると励みになるものだね。ちょっと気が緩んでスナック菓子やプロテインバーを食べてしまったけれど、たまにはいいよ。教習所では本申し込みと視力検査など。視力はぎりぎりOKですねと言われた。教習車のバイクは一台きりですと聞いていたから混み具合を訊ねたところ、いまは特に待たなくても受講できますよ、ということだった。明日の午後に適性検査が入った。

2021年10月6日(水)

歯科へ。一切の苦痛はまやかしなのだよとぐるぐる考えるうちに削られ終えていた。そうした思考を日常の悩みにも適用できたら幸せなんじゃないかな……。流れるように最後の親知らずも抜きましょうと提案され、心の用意ができていなかったため、来週ではなく再来週に予約を入れてもらった。これから第6波がどうのとかふてえ書き方をしていたのはこの口ですね。まな板の鯉におなり……。あー、この一連の処置が済んだらインプラント治療に移るわけで、上顎の骨にドリルで穴を開け歯肉も切開して基礎を埋め込むのだよね、たぶん。死んだ魚の目をして心など持たずにやり過ごしたい。きのうの雑記よりはましな書き方をしているぶん、自分は状況的には持ちこたえているのだろうな。それから、ファッション誌に目を通すのはおもしろいなーという手応えがある。反り腰らしいと思って対策をざっくり検索し、筋トレ+ストレッチ+ドローインをしようと決めた。

2021年10月5日(火)

資格の勉強など。自分の予測や想定が甘いせいで現実とのあいだに齟齬が生じ、そのためにひとり勝手にいらだったり失望することについて、ほんと甘いんだと思う。そうしたストレスは現実が提示してよこした回答として考えるべきなんだろう。願望が向かうほうに答えもあるとは限らない、その一例。あー、しんどさの種類が変わっただけなら同じことと投げやりになりたくなるけれど、状況は少しずつ変わっているし変えていけてもいるのだから、その途上で諦めることだけは避けようね。それでも目をそっと伏せたくなるのは、周りと自分を切り離そうとする、やわらかい拒絶の表れなんだろう。それと思い出した。このごろ、これまでとは少し違った夢を見る。もうずっと、中高生くらいまでに見知った人と風景が出てくる夢ばかり見て、そのあたりで主観での時間が止まっているんだろうと思ってきたのだった。それが最近になり、知らない顔ぶれや知らない風景も見たという記憶が、夢のあとにもうっすら残ってる。よかれ悪しかれ、時計の歯車が動き出したような現実の手応えは、夢で見るものにも影響を及ぼしはじめたのかもしれない。

2021年10月4日(月)

宵のころに走ってきた。コースを変え、5kmちょっとの距離を1.5kmと2.5kmずつ走り、ほかは歩き。走る距離を増やしても負荷が前回までと変わらないように思えたのは、食事のあとではなかったからなのか、後半はゆるい下り道を行けたからなのか、いまいちわからないな……。それから、部屋のサッシの隙間や網戸にカメムシ向け忌避剤を散布した。あれは朝晩が冷えるころになると外壁に群がり、なにかしらの隙間から屋内へ入ってくる。何日か前に二匹ばかり目撃していたのだった。あれが心の底から生理的に受け付けず、寝入っていてもその羽音を聞くと瞬時に覚醒してしまう。例年のことではあるけれど、この件についてはすっかり冬になるまで憂えていそうだ。奥日光では初霜が降りたそう。はやいとこひとりで生きていく力を身につけないとね。

2021年10月2日(土)

ラジアンFを聴きながら眠ってしまった。夜明け前に目覚めて外を見ると、台風の去っていった空が朝焼けを迎える、その少し前だった。カメラを持ってふらふらと出て行き、そのまま空を撮った。台風一過と土曜の夜明けが重なったためか、早いうちから散歩へ出かけるらしい人たちがちらほら。その数人と挨拶をした。うちへ戻ってくると母のサルビアが風でひどくやられたというので、その手当てをしているうち、すっかり日は昇った。そのあと道の駅の産直へ出向いていちじくなどを見繕ってから、裏手にある神社の参道を散歩。きょうは天候にも恵まれたほか、各地で緊急事態宣言が解除されたタイミングでもあり、なんとなく人出を感じていたのはどこでも同じだったみたいだ。