作家協会の総会へ参加/入会してきた。雰囲気や活動内容を把握しながらつつがなく終え、連絡先を教えていただいたり、連絡網に入ったり。よかったのではないだろうか。知らない場へ飛び込むの、身構えることはそこまでないけれど、疲れた~。外向けの表情つくるのは気力にくる~。帰ってきてからじわじわと疲労感が出ており、ごはんたべて早くおふとんへいこうと思い、ばたばたとこれを書いてる。大昔のじぶんだったらこうした機会では、脳が直接作りだす行動不能な鈍痛に近いくらいの不安に死んだ目で耐えていたものだけれど、いまはずっと楽。場というものに対してじぶんがゆっくりと、でもしっかりと受け入れられる存在だってことを経験の蓄積として持っているし、元通所先のスタッフさん方が与えてくれたものも効いてるみたいだ。心身が持ち直すまでここまでかかったというのもシンプルにある。どれもありがたいことだな……。なんとなく思う、あれだけ手を焼いてきた怒りというものがすこし楽なような、なんか最近そのへんに変化しているものがある? これはあまり言葉で確定させずに曖昧なまま抱えたほうがよいもの。きょうは流れに沿ったつもりだし、ここからも流れ重視で。
2026年4月4日(土)
なにごともなく。庭のアーマンディー・アップルブロッサムが花開いてきたため、パーゴラの下のほうの花序を二束ほど切り取ってきて花びんへ活けた。甘い香りと、気品のある色合い。桜色/チェリー/金といった感じで、この季節のもうひとつの花吹雪。あすは総会があるからほどよいところで眠ろう。
2026年4月3日(金)
午前中は産直と定期通院先へ。お高めのすいかがもう並んでおり、山菜系はまだふきのとうくらい。山菜ねえ。何年か前の大型連休明けに男鹿半島の入道埼灯台を見にいった帰り、立ち寄る産直や道の駅にミズやネマガリタケなどあらゆる山菜が所狭しと並んでいて、これが本場……! と感動したのだった。……ということを千葉の館山の居酒屋でほかのお客さんに話したという。原付ではなくいまの車なら、会津や喜多方、田沢あたりは開店時間を狙って、前日から行けそうにも思う。それはそれとして、産直で野菜を買ったあと建物裏の参道を歩いた。下草が刈られた杉林には新鮮な午前の光が差していて、境内の桜もちょうど満開になったくらいの咲き方。木のつくる影と光の降り注ぎ方が桜を取り囲むようで綺麗だなあと思う。宵のころ別の観桜スポットな高台へ、ぬい一名と一緒に。毎年ここへくるね。町のあちこちから聞こえるかえるたちのかろやかな声に、とりあえず冬を乗り越え春へやってきた、というほっとした感じがする。しばらくそこで過ごし、身体が冷えてきた頃合いで帰途。日曜に総会があるからあすはその支度など。その日のコンディションによって夜が居心地よいときとネガティヴ思考に傾くときとがあり、今宵は前者。きょうふと思ったのは、旅に出かけるとひととの縁だったりつながりができたりする、ということ。そんなこと目当てに出かけたわけではないにもかかわらず、こちらを見つけて関わりを持ってくださったり、連絡先を交換したいと申し出てくださる方々がたしかにいる。不思議なことだ。じぶんはひととのつながりをつくるのが極めて下手なので、今度の総会のようにコミュニティへ飛び込むことと、ときどき今回の房総巡りのように旅をしてみることが、ひととつながるのに適した機会なのだろうな。べつにホヤやなまこを食べに宮城や岩手方面へ行ってもよいし、海鮮を味わいに新潟方面へ行ってみてもよいし、なんとなく思い浮かべているように九州を巡ってもよいし。寄る辺ない不確かさを引き受ける代わり自由なわけで、好きにしたらよいよ。
2026年4月2日(木)
なにごともなく。
2026年4月1日(水)
だらだらと過ごすうちに夜。小雨が降ってる。ボール箱いっぱいに届いたHEMのお香を少しずつ焚いているところ。OpiumやEROTICといったきわどい名称のもあって楽しい。いまのところ気に入っているのはパロサント(Palo Santo)=直訳では聖木、南米に生える木なのだとか。そのままではなく調合したものだろうけれど、とても甘くてスパイシーな香りが気持ちいい。ひとんちの庭先のソーラーライトを妖精灯と呼び愛でているのはなぜだろうと思うと、あれは日のひかりを貯めて点り、夜の訪れとともにそこにある、そういった点が人工物にもかかわらず存在としては自然環境寄りで、人間の社会からは独立しているところが好ましいのかもしれない。というか、その明かりはひとの役に立つというより小さきものたちのよすがのように思えるのだよね。言葉にすると理屈っぽくなるのがめんどい感はあり、夜の道ばたに点るささやかな明かりが愛おしいことに説明要る? 脈絡はないけれど確かだと思っていることがある。妖精ってきのこのようなもの。きのこ目という言い方があり、それを探し求めているうちに養われれる、傍目にはなんでもない環境からそこに生えているきのこを見つけだせる認識能力。このきのこ目は、それがいるという前提で関心を持ってつねにサーチしているから見いだせる類いのものであり、妖精についてもそれは同じだと思うんだよね。のんびりする。勢いで打ってるときの文章って切り方にそれが表れるような。
2026年3月30日(月)
めんどくさかった用事を片付け、細々とした買いものも済ませて帰途。やな感じが身体に居着かないよう厄落としも兼ねての暴言になるけれど、なんだそのつける薬もない対人様式は、おまえの壊れ方を私に無駄に開陳するんじゃないよ、みたいなすっごく厭な出来ごとがあった。その人自身が作りだす地獄に自身で囚われている、そしてそれに気付く段階は過ぎているタイプの拗らせ方。こういうのはパターンとして見ており、過去にも判で押したように似通った拗らせ方をした相手に遭遇したことがある。他者に対する敵意や執念がそのひとの空気としてぐちゃぐちゃに醸されているような。こちらの身体が拒絶を感じたということについて、それは否定しなくてよいし、理解や包摂を試みなくてよいのだろう。そして、ひとはどうありたいかはじぶんで願うことができ、おおむねそのようになっていく、そう思うなら文句もほどほどに適当にしとくがよいよ。セルフケアして眠ろう。思い出した、出かけた帰り道、夜桜を毎年見に行く高台へ花の下見に赴いた。桜は三分か四分咲き。枝先の花やつぼみを見上げていると、ゆるやかでよい風が吹いていて、身体のなにかが弛むみたいだった。ほんとうはね、そうしたひとときこそが人を生かす。目も当てらんねえぜ、みたいに思ってても、世界はその美しさを無頓着にこちらへ注いでいる。
2026年3月29日(日)
タイ料理の居酒屋を新たに見つけ、そこでヤムウンセンを食べた。ここも手加減なしに辛くておいしい。ここのヤムウンセンは挽肉とピーナッツ入りなのが特徴。テイクアウトもして、それから近場のブラジル食材店へ。旅の帰り際にもブラジル料理を食べて思ったけれど、ブラジルのひとというのは肉を、それも特に牛肉をたくさん食べるのかな。店内には焼いたソーセージと鳥の丸焼きが並んでいた。店主にあれこれ訊いて、よくわからないお茶や飲みもの、ココナッツのお菓子など買ったり。花屋へ立ち寄って机のうえに飾る花を見つくろい、それからこんどはGoogleマップで見つけたアジア食材店へ。スリランカものが多めだったろうか。こちらでもお店の方にあれこれ教えていただき、ジャックフルーツ入りのカレー缶だったかとお香各種などを手に入れた。ここでなら冷凍ドリアンが手に入るということを知ってしまったよくわからない喜び。どちらの食材店も、異邦の雰囲気を感じるひとたちが出入りしたり買いものにきていた。なんというか、地域に小さく海外が点在しているような、そこへ入れば異邦の気配に包まれるということが、おもしろいような不思議なような。うちへ帰ってきてからは花を飾り、先のお香を焚くなどしてのんびりするうち夜。夕にはことし初めての雷が幾度かとどろき、宵から夜半に書けてすこし雨が降った。町中には桜が咲きはじめていて、コブシとモクレンの白も目立つ。桜を撮らなければという焦りは全くなし。思うのは、回復というのは曖昧な状態を曖昧なままくぐり抜け、あとから意味がついてくる、そうしたプロセスなのかなということ。だとしたら言語化なんてものも善し悪しよね。ここでむやみやたらと言葉を書き出すことは、まあ習慣になっててしてしまうんだけれどさ。主治医があまり指導めいたことを言わず見まもりに入っているように見えるのは、こちらがくぐり抜けるべき曖昧さを外からの答えで収束させないための配慮なのかもしれない。また別の話として、回復とはつねに新たなじぶんの創造なのだろうということ。一度元気を取り戻したときにはできたことを、いま再度取り戻したいと思っても、おそらくひとのあり方はその都度異なるんだ。あのときはああいう芽吹き方をしたものが、今回はそうはならずに別のかたちを取って現れてくる。具体的にいうと前回の回復では写真/創作というかたちが現れ、いまは飲食店開拓/知らない場へ踏み込んでみるというかたちが現れてる。どちらにも探索モードが働いているのはじぶんの根がそういった張り方をしているからかもね。先は自然や地域に対して発現していたのがいまは文化に対して立ち上がってる。こういうのって必要に応じて現れるような側面もあるのではと思うけれどどうだろ。結論なし。外からはまとまった雨の降る音が聞こえてくる。
2026年3月28日(土)
なんだか旅の疲れが取れないなーと身体が凝るようなげんなりした感じを覚え、こういうときはねと夜の散歩へ出かけた。かえるたちの軽やかな声がもう聞こえ始めていた。水の入った田んぼは数ヶ所だけだったけれど、そこに水鳥の小さな群れがいるようで、こちらの気配に合わせて向こうも場所を変えているのが声と音で分かった。薫る風の中に沈丁花を見つけたり。帰ってきてからオフロに浸かり、それで疲れはそこそこ取れた気がする。それとは別の話で、HEMのお香を70種類ほどウェブでポチった。はまったものに突進しますね、とかつて言われたことがあるけれど、うん。でも本家のサイトを見たら香りの種類でいうと400種以上のラインナップがあるようなので、始まったばかりなんよ。長めのインセンスホルダーや香皿ってしっくりくるものってなかなか見つからないね。細長くシンプルな木の皿がよいのだけれど。とりあえず目星をつけたもので使い心地を試してみる。こういうのはよい木材を手に入れてじぶんで削り出してつくれたら納得するのだろうな。
2026年3月27日(金)
疲れが出て夕近くまで眠りこけていた。旅行について軽くまとめておくと、ぬい四名といっしょに二泊三日の房総巡り。初日は茨城を抜け海沿いに銚子の犬吠埼へ。せっかくの港町だからと、ひとりとしては初めて居酒屋へ入ってみた。カウンター席の小さな居酒屋で、おかみさんがひとりで仕切っており、八人も座ると満員だったろうか。土地の人たちといろいろ話し、目の前の海で採れたものを味わい、灯台の下にある小さな海浜公園で車中泊。ぬいたちと潮騒を聞きながら眠った。二日目はまず犬吠埼灯台へ上り、それから居酒屋で教えてもらったように海産品センターへ向かい、刺身定食を食べ、土産物屋でうみうさぎの貝殻を購入。お店の方としばらく話して連絡先を交換した。それからは房総半島の先端を目指して海沿いを南下。道の駅を見つけては立ち寄る。途中から雨になり、そのあとはずっと降り続けた。下るにつれ景色には棕櫚の木や新緑が増え、何種類かの桜がもう咲いていたり、マリンスポーツや釣り具のお店が目立った。宵のころ館山へ着き、また適当に居酒屋へ入り、店主や地元の方にいろいろ話を聞いたり。そこで教わったように海岸前の駐車場へ車を止め、そこで三月の雨と潮騒を聞きながら眠った。三日目は朝六時から出発し、道の駅を覗いたりしつつもひたすら北上。千葉市をやや迂回する経路で走り、利根川の両側は広大な田園地帯なんだなーと実感した。ごはんを食べたりしつつ北上を続け、うちへ着いたのは夕方の六時。半日を運転し続けたことになる。二泊三日、計600kmほどの移動は車で問題なしと。まだ疲れを感じるからこのへんで切り上げ。
2026年3月26日(木)
房総半島巡りから帰ってきた。疲れで眠たい。今宵はもうおふとんへ。
