しんどさもありつつゆっくり。夜になり近場の花火大会を見に出かけた。見晴らしのよい田んぼが広がるあぜ道のあたりに車を止めて、そこから。お祭り会場の賑わい目当てではないからわりと適当で気まま。いまふと検索してみると、この地域でカウンセリングを受け付けているところがひとつ、すぐ近場にあった。それとは別に各自治体が提供している相談室もあるのね。ほか、オンラインでとなると地域に縛られないため選択肢は多い様子。こういうのって人柄の相性とどんな療法を得意とするかだろうから、とりあえず気になるところから渉猟して合うひとを探す、というのが筋道であろ。この地域だと選択肢は限られるとはいえ、まずはオンラインより対面の方を希望したいところ。ひとの放つ雰囲気って言葉や表情やしぐさと並ぶ非言語コミュニケーションの独立軸なので、そこは見たいんだよね。電話よりオンライン対面の方が表情という言語が増えるのと同じ。カウンセラーは前々から探す必要があると感じていたから腰を上げる頃合い。いまの状況はきついけれど、自他境界を引き癒着をはがし、傷を手当てして癒やすことでレジリエンスを育てるチャンスでもある。これまでひとりで本を読んで知識はそれなりに仕入れているわけだから、資格を持った専門家に適切に支えてもらってブーストかければ、きっと目に見える変化は招けるはず。それはそれとして、しんどいとここで言っているこの状況でなにがしんどいのか、自身のこころをじっと見つめてみると、不安はこれ、怒りはこれ、許せなさはこれというふうにとりあえずの分類はでき、名前がつけばそれなりの手当てにはなる。のだけれど、このゆらゆら揺れて波立つこころをじっと見つめてみる、その感情をよく味わってみるという行為自体が、こころを鎮めるのだよね。もしかしたら、こころはそれ自身がどう感じているかより、こちらにまっすぐ見つめてほしいのかもしれない。なぜかというに、このこころは見つめてもらえないことをしんどいと感じているからなのだな。きょうはここまで。すこし楽になれた。
