午後より雨。明日午前中にかけ雪またはみぞれになるとか。八重のコクチナシは昨日の深鉢へ移し、部屋のかき菜の隣へ置いた。一月くらい経って根と土がこなれたら表土に堆肥をやろう。そういえばそのかき菜はアブラナ系の黄色い花をまた咲かせてる。母の愚痴を三時間ほど聞いていた。収納のほうはおおかた片付いたから、残った段ボール箱の山とほこり、がらくた類の掃除は明日かそれ以降に。引越しじみた労力を注いで要らないものの中から紙切れや写真やはがきなんかを見つけ出した。そういうわずかなものが種々の記憶や感情のよりどころとなることに愛しさを感じる。箱詰めが済んで処分予定とした本や漫画類は15箱程、こんなに沢山捨ててしまって大丈夫かと薄ら引く。かつて身近に楽しんだ作品が多い。なにかしら、それが必要ないと感じたとき切り捨てる自分の潔さって、「そりゃやってはいけるだろうけれど未練はないの?」という心の問いも聞こえて、いちいち戸惑う。腰が疲れて眠たい。
2020年3月27日(金)
園芸店にて、取っ手が付いた樹脂製の深鉢を二つ買ってきた。8号相当。日曜は雨らしいから明日の午後あたり植え替えをやれたら。収納のほうは要らない本を箱詰めにし始めたり、整理せずに置かれている物置状態の荷物を片付け始めたり、手掛けている範囲が広がってきた。この土日で全体の蹴りが付くかどうか、ってとこ。
長らく積んできたきゆづきさとこさんの『棺担ぎのクロ。~懐中旅話~』全7巻を一気に読了。物語後半へ向かうにつれ、自分の心を見つめ過ぎたとき近づいてくる、あの恐慌状態のようなものを感じた。でも、読み終えてみて、風が吹いていくみたいにすっきりしたよ。2006年の暮れにこの漫画の1巻を手に取り、7巻まで揃えながらも積んできたんだから、こうして物語の結末へ辿り着くまでに13年掛けたことになる。先日通しで読み終えたARIAも同じ時期に出会って積んできたのだった。2006年末というと僕も棺桶の彼女みたいにぎりぎりで生き延びる姿勢に入ったころだ。あのころのことは記憶や記録がほとんどないけれど、おそらくこれから先の人生も含めた中で、指折りの苦しい時期だった。ああしたときでも知ってか知らずか、いまここへ繋がる受容の糸を何本か握っていたんだなーと、ほんのり不思議。本って、読み手の側に受け入れる準備が整って初めて意味あるものとして開かれる、理屈としては当り前のことなんだけれど、こちらを少し特別な気持ちにさせてくれるものだと思う。『棺担ぎのクロ。~追憶旅話~』という番外編を見つけた。
いま始まったラジアンFでやまだひさしさんが話していた「世の中デコボコみたいになってるから」に、好きだったゲームソフトの設定を思い出した。糾える縄というか、エネルギー保存則みたいに幸せ保存の法則がある、というお話から始まるトランプ遊びの物語。「めるへんうぉーかーAlice」というシリーズで、検索してみたところ体験版はいまもVectorにあるぽい。
2020年3月26日(木)
クローゼットの収納に手をつけ始めた。ボール箱をもう少し高く積めるようにして、使わないものを効率よく仕舞い込もう。祖父が置いていった電動ドリルで樫のほだ木に穴を開け、クリタケの菌駒を打とうとしたところ、一本全部に穴を開けたところでドリルからビットが外れ、木の幹深くに潜り込んでしまった。あー、僕はこういうへまをするやつだったか……。祖父が使っていた菌駒用の木工ビットは根本が丸軸という形状をしていて、これだといくら噛み合わせをきつくしても負荷が掛かれば外れるよねえ、なんて訝しんでいた矢先だった。ホームセンターで六角軸の菌駒用ビットを買ってきた。これなら外れることはないはず。一度は埋まった刃を取り出そうとほだ木をのこぎりで切り出したのだけれど、二度目でもういいよ、という気分になった。樫の木はほんとに堅い。夕暮れの空は淡く限りない階調の中に緑の領域を宿していた。三月の日没には繊細な緑色が出ることがあり、今日がそういう日だったみたいだ。自然や気象を相手にするのはいいかもね、と思う。
2020年3月25日(水)
スムージーは意外と簡単に作れるんだね。豆乳(または牛乳)とバナナをベースに組み合わせることで、大抵の野菜はおいしく飲めそう。そしてびっくりする、お腹にみっしり来るというか溜まるというか。朝はこういうので済ませるのもありだと思った。ほうれん草と冷凍バナナがもりもり消費されていく。
オンラインやディスプレイから(おおむね)離れて十七日目。いま思うと、これを始めてから数日ほど漂っていた奇妙な感覚は、情報に対する離脱症状だったのかも知れない。情報を取り除いたことで生じた意識の隙間を満たすように、聞いてる音楽や自分の考えが流れ込む、知覚の密度が増えているような感覚だった。……この感覚は話が逆で、昔の人にとってはこれが当り前だったと思うのだけれど。無くてもいいような隙間や余剰だから、刺激的な情報がそこを取って代わることは容易だったんだろうね。でも、無駄に思える精神のリソースの空きは、なにかを考えたり創り出していく上で大切なものだと思う。そしてこのリソースの空きはたぶん、情緒にも深さをもたらすものだよ。
Vanness Pen Shop, Little Rock, ARよりインクが届いた。注文から三週間ってとこ。Diamine Grey Stipula Calamo Dark Grey Papier Plume New Orleans Collection Bayou Nightfall の三本。Diamine Greyはとても使いやすそうな濃さをした、ニュートラルなグレーのインクだった。なるほどねえ、グレー系を探す中でこの名をちらほら見たのは、こうしたバランスのよさがあるからか。Stipula Calamo Dark Greyは暖色系の灰色で、インクをティッシュに含ませると紫と黄色の二色が出てくるためか、書いたものの色味も複数あるような。Papier Plume New Orleans Collection Bayou Nightfallは青緑系の灰色。この三本と手持ちのJ. Herbin Gris Nuageを合わせたグレー系インクを、ノートつける夜の雰囲気ごとに使い分けたい、なんて思っていたのだった。
2020年3月24日(火)
今日届いていたお葉書をこれから読む。オンラインにて苗をいくつかお取り寄せ。着いたら鉢を見繕おう。町のあちらこちらに気の早い桜が咲いているのを見掛けた。
2020年3月23日(月)
ムーミン・コミックスにて、小さな生きものがムーミントロールの周りをうろちょろしているのに気が付いて、全巻のコマを読み返して登場シーンを確認していた。暇そう。彼の名前はソフス。新聞に掲載された全ての話がコミックスに収録されているわけではないから取りこぼしがあると思うのだけれど、ソフスが話す場面はほんのときどきに限られ、特にその名前が挙がる場面はコミックスの中では三回。14巻『ひとりぼっちのムーミン』に、結婚するいとこからムーミンの相棒を引き継ぎ、気落ちしているムーミンを励ましている場面がある。このソフスという生きものがけっこう可愛いのだよね。コマの中にいるか探す楽しみみたいなのもあるし。小説のムーミンの挿絵にもこの黒いねずみの姿をちらほら見掛けた気がする。これまで名前のないキャラクターかと思っていたから、彼らのうちの一人であっても名前があり識別可能だなんて、なんだか思いもかけないことだった。ちらっと検索したらムーミン公式サイトのキャラクター紹介にいた。ムーミン・コミックスは小説と絡みついた別のTLを持っているのかなーと思う。僕はこれまで小説のほうをバイブル扱いしてきたけれど、コミックスの世界も豊饒というか一つの世界になっていて、ここへ手を伸ばして良かった。残るはトーベ・ヤンソン・コレクション。次のクリスマスにかなあ。
今年の園芸なんにする? というのを祖父の死去などがあり決めていなかったため、手元の図鑑や育成本をめくって目ぼしいのを探し始めた。車葉草(ウッドラフ)は面白いかも。この植物には桜餅の香り成分クマリンが含まれていて、冷凍/乾燥によって細胞壁を破壊することでその香りが漂うそう。小さな花も綺麗。
桜が咲くのと前後してアミガサタケ探しやろうね。シーズン中にさまよってるのにまだ見つからないけれど、銀杏や桜の周りの、落ち葉や背の低い雑草などの中から生えるそう。このきのこはとても美味しいらしい、ということが大事。
2020年3月22日(日)
どこかでうぐいすが鳴いていた。昨日に引き続きムーミン・コミックスを読んでる。これは陽だまりみたいな気分が宿るなあ。付箋貼ったコマのスクリーンショットをいつか撮ろう、ひとりで楽しむ用。日が傾いたころ耳元でぷわんと聞こえたのは蚊だろうか。蚊取線香(金鳥の除虫菊の)の匂いは個人的に、潮や朽ち木とともに、特別好きな匂い上位三位か五位に入る。四月まで待つかと思うけれど、蚊取線香を焚く頃合いを覗うのは毎年の楽しみなんだよねえ。ごみを出す夜の道すがら、りんりんという風鈴の音がひとさまの家から聞こえてきた。もうじき新茶の季節が来る。緑茶や烏龍茶は旬の流通がほとんどで、今年も確保したい茶葉が幾つか。
2020年3月21日(土)
人々の出掛けたい気持ちを刺激しないためなのか、NHKR1からは桜の話題が少ない印象。宇都宮は開花したそうだから、もう幾日かしたらこの辺りの桜も咲くんだろうか。未明にラジアンFを聴きながら、ムーミン・コミックスの変なコマに付箋を貼っていた。ツボに入ってひとりで笑ったり、我に返ってへこんだり、手の掛からないやつだよ……。いま該当の箇所をぱらぱらめくっていたらまた笑みが浮かんできた。そのへん、上手く言葉にできないクセになりそうな味わいがあるんだもの。日中は部屋の窓を開け放して柔らかくなった風を通してた。心地よいね。情報源はラジオだけ、といういまの僕にも、世相の暗さは下腹部へ響くように伝わってくる。祖父の不在にはさみしさが揺り戻しているし。
2020年3月20日(金)
枕元に据え付けていた二階建ての本棚を外した。そこに本をどれほど運び込んでも、自分が寝床の中で読む文章の量はさして変わらない、ということに思い当たったんだもの。でも、この一年半くらい、沢山の積ん読に囲まれて眠るのは幸せな気分だったよ。すっきりした宮棚のスペースにはお気に入りと「いま読むべし」の本が残った。もっか『ポラーノの広場』を読んでる。枕元ではない普通の本棚にも手入れ。こちらからは『ランドスケープ──世界のトップフォトグラファー』をめくっているところ。棚の上のほうに突っ込んだまま忘れていた理科年表(平成22年/2010年の)をぱらぱらとめくるうち、一年の暦と天文情報はこれを参照すればいいんだ、というたいへん基礎めなことに気が付いた。そんなんでなぜ置いてたの。風邪の症状はなくなったけれど、軽い中耳炎らしくて左耳の奥から水分が滲む。そういえば今日は春分なんだね。窓を開けばいい風が入ってくるし、陽は遅くまで差すようになったし、早くこの大好きな気候の中に出ていけたら。カメラを入れるかばんも手に入れたことだしさ。
2020年3月19日(木)
熱は朝から引き続けていまは平熱まで戻った。気管支の重苦しさもかなり良くなってきたし、ひとまず安心てとこだよ。これが長引くようならと考えてた。祖父が去ったタイミングではうっすらと死の気配も漂う。「情報から離れたら心に変化は起きるだろうか」ということをこの機に試し始めて十一日目、四月までやれば少しは本が片付くだろうし、それらしい結論も出るかもね、と思う。Twitterを覗きたいけれども。
