2020年4月7日(火)

このサイトのフッターにも使ってるメインのメールアドレスが容量いっぱいになっていた。ぷららの要件には、メールボックスの容量を2GBから無制限に移行することはできるものの、メールの保存期間が直近二ヶ月になってしまうと書いてある。仕方ないからGmailにアーカイブさせたのち適宜削除、というつもりでいま読み込みをさせてるのだけれど……件数が多いせいで一日か二日掛かりそう。何年も前に「メールでそう何ギガも使うわけないよ」みたいに書いた記憶があるけれど、現実になってるよ。デスクトップでの受信はnPOPQという、「フロッピー一枚に収まるメーラー」という触れ込みだったソフトが現役。自作PCにはもっと新しいクライアントを導入しような。

「情報から離れたら心に変化は起きるだろうか」ということを試して一ヶ月経った。その間に祖父が亡くなったり、本の処分や大掃除をしながらも、全体としては普段と変わりなく過ごした。教訓的なものを得ようとはあまり期待していなかったし、積んでいた本を読めたらそれが収穫だと考えて、おおむねそうなった。たぶん、このことから強引に結論を引き出す必要はないんだと思う。無駄にも思えるこの精神のリソースの空きは、今後もそれとなく確保していくつもり。明日からオンラインの生活に戻り、情報端末の画面にも再び向き合っていく予定。正直に書くとTwitterが気になる。

2020年4月6日(月)

神社のある高台から夜桜と町とを眺めていた。木陰の向う側で市街を見下ろすそこは、コンクリ製のテーブルと椅子が置いてある小さな空間で、暗い街灯が一本立っている。訪れる者にふわっと滞在を促すようで好きな場所だ。桜は明日あたりから本格的に散っていくところのようだった。受粉を終えて濃い色へと変わった花弁は、昼ならその美しさの少しくすんださまがよく目に付いたんだろう。煌々と月が照り星の少ない春の夜空は、街明かりのためか砂塵なのか、遠く南西の方角が夜目にも霞んでいた。そちらの地平線に沿った送電線の、赤くゆっくり点滅する航空障害灯の連なりが、視界の中で確実に呼吸するもののように、安心感をまとって見えた。そうしてふっと思い出す。2011年から翌年にかけ大阪で生活していたときも、部屋の窓から見える夜景のビル群に赤いランプが点滅するのを、ぼーっと眺めたりしていたんだった。そういうの、風景が脈打つようで飽きなかったな。しばらく突っ立っていると、男性の二人連れが談笑しながら後ろの歩道を通り、足もとの石段を下りていった。例年通りまだ肌寒い夜風や、人通りのない路上を往く車の音に、満たされるような侘びしさを思う。

NHKR1によれば、政府が明日、緊急事態宣言を発表する予定だとか。社会機能を維持する、なんて言葉を今日はラジオで二三回聞いた。疫病は今後更に流行るだろうけれど、治療薬やワクチンが流通するまではなおのこと、風景を楽しめる心の余裕は持ち続けたいなあ。

『ムーミンパパの思い出』を読み終えた。なにかに呼ばれて海岸へ下りていく、みたいにパパが最終章で言及した「魔法の感覚」って、一家のお話としては最後の『ムーミンパパ海へ行く』で、ムーミントロールに受け継がれていることが当り前みたいに描かれてる。

2020年4月5日(日)

物置代わりにしていた空間を掃除。一部屋増えた。情報を閉ざしてるいまの状態は八日に元へ戻すつもり。机の上のスイカズラの葉が元気ないような。

2020年4月3日(金)

桜の写真を撮った。神社では朝と正午過ぎの二度、日の光の角度が変わるのを待って試したんだけれど……今年の桜は目で見て楽しむのがよかろ。いまの状況だと野外に出掛ける後ろめたさがあるかも。郊外の観桜スポットを訪れて、桜を眺めたり写真に撮ったりする人たちの姿は、それなりの塩梅で見掛けた。リングフィットをそろそろ再開しような。wp_get_archivesを使うと由緒正しい日記置き場が作れる(メモ)。

2020年4月2日(木)

クレマチスと残りのスイカズラを植えた。『楽しいムーミン一家』と『ムーミン谷の夏まつり』を読み始める前に、『ムーミンパパの思い出』へ手をつけた。三つとも冨原眞弓さんが仰るところの夏の章にあたる。個人的に、このシリーズをこちらの季節と呼応するように読む幸せというのがあって、特に『楽しいムーミン一家』は四月から八月の末まで時間を掛けてめくっていく。ムーミン特有の透き通る光の中へ踏み出していく、寝しなの溶けるような時間が好きだ。近ごろは夕闇の青い時間が長くなってきて、いい季節が来たなあ、と思う。

2020年4月1日(水)

雨。湿度の高さで衣類がまとわりつくこの感覚って、今年はきょうが初めてではなかろうか。あしたは風が立つとのこと。桜が散るのも早いだろね。

2020年3月31日(火)

耳鼻科でアレルギーの薬を出してもらう帰りに近場の桜並木へ向かった。中央分離帯のある大きな道だけれど、工業団地の奥でぶつんと途切れているから、ここを通る車両の目的は周囲の工場へ出入りするか、そばの国道を離れてひとやすみに来たかのどちらか。並ぶ桜は五分から七分咲きという感じだった。その下を原付でのんびり走る。似たり寄ったりな速さで桜並木を流したり、路肩に止まってそこだけの時間を過ごす車を、まばらに見掛けた。満開のころまた来られるといいな。あしたはそれなりな雨降りの予報で、それだと桜の下にアミガサタケが出やすくなるのかなあ、探せるかなあと思う。この三月は情報を閉ざしたり、祖父が亡くなって葬式に加わったり、風邪を引いたりした。色々あったようなのに大して思い出せない気がする。そういえばもう水を入れている田があった。沈殿しない気持ちの中を季節が推進していく。

2020年3月30日(月)

きのう積もった雪はほとんどが解けて消えた。取り寄せた「グラハムトーマス」という品種のスイカズラ(ロニセラ/ハニーサックル)を鉢に移し、部屋のコクチナシと一緒に置いた。強香種だとか。園芸図鑑の説明では肥料食いに思えたので、完熟堆肥と顆粒の化成肥料を鉢底へたっぷり入れた。上手く育つとよいのだけれど。夏場のそのへんの茂みから、野生スイカズラの甘く爽やかな香りが漂ってくるたび、これ好きだなあと感じていたのだった。ほか、グラハムトーマスと「セロティナ」が1ポットずつある。これらのスイカズラとクレマチスの「フォンドメモリーズ」は外に植える予定。猫を埋めた周りにはいずれシュウカイドウが咲くはず。秋冬のあいだの自分は活力が失せて沈黙していたのに、こうして春めくと俄然生き返って動き出してる。

2020年3月29日(日)

雪は昼過ぎまでどさどさと降った。積もった分が溶けるのはあした以降だろね。やはり長いこと積んできた『よくわかる気象・天気図の読み方・楽しみ方』(成美堂出版)を読み始めた。天気に関心がありながら、理科の授業で習う範囲の知識を曖昧なままにしてきたのだった。恥ずかしい。ほか、いまくらいの季節がくると目を通すことにしている現代俳句協会編『現代俳句歳時記』(学研)の春版を手元へ持ってきた。夏版もそのうち。

一年か二年前に道の駅のフリマで掘り出して以来、とても気に入って薄闇を共に過ごした石油ランプが、朝起きて見たら壊れてた。ガラス製の油壺が夜のうちにひとりでに割れ、たっぷり入っていたパラフィンオイルは床のカーペットへ染み込んでいったのだった。あああー。カーペットのしみはティッシュ敷いて重石をしておこう、吸うはず。それよりも、この石油ランプは理想的な形状で好ましい出会いをしていたから、大切にしたかったのに。江戸川屋ランプ – 灯油ランプの専門店棒芯レトロ ランプ シンプル クリアー(商品番号 S27020) が割れたものに近い形状で、手に入れた値段も近かったため、購入。もし今後、口径32mmくらいのガラス容器を見つけられたら、無事なままの継ぎ手やホヤはまた活用できる。取っておこう。

おこもり21日目。30日目が過ぎたら元に戻ろうと思う。あと一週間と少し。優先度の高い積ん読はいくつか読み終えたことだし、そうした収穫をもう少し増やせたら。