2020年3月18日(水)

風邪の症状が強まってきたため、あれこれと対策したりされたり。熱や気管支の重さ、鼻づまり、ぼーっとして怠い感じがある。早めにベッドへ入るほうがよさそう。

2019年9月24日(火)に2WAYのトート/ショルダーバッグが欲しいと書いていたことを覚えてる。おととい、ネット断ちの自分ルールを少し曲げてこれを見つけて、きょう届いた。カラーキャンバス 2WAYトート(Lサイズ) AddNinthというブランドらしい。さすがに帆布は頑丈そうな作りしてる。アイボリー/ミントの明るそうな雰囲気が好き。これにカメラやレンズ類を入れてあちこちうろつきたいのだけれど、いま引いてる風邪は長引くかもと懸念してる。

2020年3月17日(火)

オンラインほかメディアの情報をだいたい閉ざして九日目。『いやな気分よさようなら』を読み終えた。今後は覚えたことを実践しつつ、必要に応じてこの本の各章を読み返すことになると思う。手に取ってよかった。この本は、辛さや怒りといった気持ちを感じる心の不合理を切り分け、自分で考えて納得していくことで、生きる苦しさを克服する手順を解説した、認知療法の本の有名どころ。なんかしんどいが精神科や心療内科やそのおくすりに抵抗がある、というひとには、二週間分の処方箋代だと思ってこの本を本棚に突っ込んで欲しい気持ち。読みたいとき手に取れる状況だけでもよいものだし。コンパクト版は単行本よりも価格がこなれていて、僕はこちらを読んだ。デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら コンパクト版 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(野村総一郎ほか訳、星和書店) 僕にはとても効く本だったけれど、人や状況によって、この本が必要かどうかは当り前のように違うはず。これを読んでいた僕の状況も、ネット断ちや祖父の死が重なり、ほかに考えることがなかったような感じなので。心に踏み込んで行くこうした書籍を選ぶ際は、受け止める側が弱っている場合にはなおのこと、評価がある程度定まっているものの方が健全だろね。誰かに本を勧めるなら、実用面ではムーミンシリーズよりもこっちが推しかも。

昨日かおとといの気象情報のメールに雷注意報が載っていた。そうかー、春だしね。雷鳴を聞くのが楽しみ。

2020年3月16日(月)

眠ってるあいだに喉を痛めたみたいだ。おおむね晴れ。冬の颪と春の嵐を足したように風の強い日だった。地元の写真/カメラ屋さんへ。初めフイルムコーナーが見つからず店員さんに訊くと、隅っこへ案内してくれた。世間的に浸透したと思われる写真趣味はこんな具合なのかー。評判がよいらしいKodakのPORTRAは在庫がなかったけれど、そこでlomographyの感度400というものを見つけた。こってり系みたいに覚えてたフイルムだ。写ルンですは、入ってすぐ通りすがる位置に、目立つ感じに陳列されていた。意外なことにマスキングテープが豊富。客層が合うんだろうか。確かに現像以外にもこのマステ目当てでまた来る気がする。

井田茂『地球外生命体 実はここまできている探査技術』(マイナビ新書)を読了。ここしばらく希望や未来を語る本を読んでいるような。前に井田茂・長沼毅『地球外生命 われわれは孤独か』(岩波新書)を読んでいたから、きょうのは個人的にその続きとして受け取った。天文/宇宙はいまとても活気のあるジャンルなのだなあと思う。なんだかんだあって『別冊日経サイエンス no.223 地球外生命探査』はこれから手を付ける。電子情報から離れると読書が進むね。いつまでこうするのかまだ不明。

先週の母の話で、祖父は水や食事を摂ることを積極的に避けていたようだ、ということを知ったのを思いだした。たぶん生前のそれなりな時点から、新聞の切り抜きや周囲にあった幾つかの雑誌などに、身体を身軽なものにして逝くことについての記事を見掛けていた、らしい。祖父らしいかもなと思った。亡くなる直前に入院に同意していたことについては、気が弱くなり決心が鈍ったのでは、特に水を飲まないのは辛いことだから、という話になった。祖父が置かれた状況を顧みて僕が考えるのは、彼は自分の家の畳の上でひとりで逝くか、入院したなら周りの者たちがそばにいて看取るため、どちらにしても祖父と周囲が共に納得出来る部分はあっただろう、ということ。話を聞くと、最後に意識を失ったタイミングは布団の中のようなので、落し所として悪くなかったのでは。又聞きによると大叔父も摂取を断つこういう去り方を目論みたいとか。

2020年3月15日(日)

せっかくローライ35のオーナーなんだから、そちらで撮るのもいいよね、と思い始めた。あとで地元の写真屋さんに行こう、フイルムと写ルンですを買う。物理的に触れて振り返ることの出来る家族やうちの様子、というのをいくらか記録しておくとよい気がする。ふだんペンタックスのデジイチをマニュアルで使ってることだし、ローライちゃんの電池を温存してきたおかげで露出計はよく動くし、設定の決め方に関しては問題なかろ。レンジファインダー機のピント合わせは……慣れていけたら。メールチェックをしていると、Polaroid Originals Japan Webのサイトが27日で閉鎖するお知らせが来ていた。高感度600フイルムが流通していたころは1パック10枚組で、1枚あたり缶コーヒー一本くらいの相場だった。いま流通してるフイルムはより高価で手が出ないけれど、撮る楽しさはポラが初めに教えてくれたように思う。

2020年3月14日(土)

雪やみぞれが降りしきる日。葬儀おしまい。解散する際、酒癖は悪いけれど気のいい親戚がうちの母に「順番的にはねえさんってことなんだからそうなんないでよね」と、笑顔ではあるものの、はっきりと言い含めていった。状況的に皆が言い辛いことでも言ってしまうこの人の腹の割り方は、おおむね気持ちのよいものかもね。懸念はあるし、ほんとうに兄弟で母を見ていかないと。

積み上がったベストアルバムの類のうち、雑に流して耳が拾った曲は、直近だと秦基博さん『スミレ』や米津玄師さん『飛燕』『春雷』とか。槇原敬之さんやaikoさんがよく馴染むのって、どういうところを気に入っているんだろう。自分がどの世代の人なのかよく分かっていないけれど、いまは配信の時代でもあることだし、そう珍しくないのでは。

情報的おこもり六日目。しばらく前に創作ノートの参考にと思い、ひとさまのノート本や手帳本を読んだりしていた。客観的に見て、他人の手元をこっそり覗う自分はたいへん気持ちが悪いですね。これからもっと気持ち悪くなるのだ。それらの同人誌には匿名の感想フォームが用意されていた。これから書いて送る。『いやな気分よさようなら』は半分まで。こういう本でなくても認知療法について高校辺りで知っておけたら、多くの人はより楽に生きられるのでは、と思う。最近ぼんやりと、ただ存在するだけでさえ未来へ向かっていることの眩しさや暖かさを、修辞よりも現実のものとして感じる。

2020年3月13日(金)

歯科と通夜。きのう従弟から、きょう大叔父二人から、ああいう人のもとへ通ってくれて、みたいに二言三言労われた。通ってくれて、の先が言葉として出ないところに親族たちの消化できない思いを受け取るけれど、僕としては生きてる者同士の問題が終わったことで、気を揉む動機はもうないのだし、という気楽さばかり。自分自身の未練を減らしたという意味では、僕は参列者のうちでも気分がすっきりしている方なのかもしんない。「祖父を孤立させたくない」という目的の伴った思いやりを、彼がそのまま優しく受け取ってくれ続けたことに、僕は長く感謝していくはず。あした会う人たちにうまくお礼を伝えられたら。

ARIAの前日譚な『AQUA』を勢いで読み始めた。痩せたかき菜の花瓶に液肥二滴を垂らしたところ葉が肥料焼けしたため、地植えを待たずに鉢植えにした。わさわさと発根していたことが幸いして、水は上手に土から吸えているみたいだ。椎名林檎『幸福論』の「時の流れと空の色になにも望みはしないように」がいいなー。

2020年3月12日(木)

少し前にここへ書いていた自作PCのパーツで、CドライブにあてがうつもりのM.2 SSDが未だに代理店から音沙汰ないのだけれど、世の中/自分の状況的に見て、組み立てがすぐに出来ないのは仕方ないなーという諦めの気分がしてきた。自分ひとりの案件なのだし、段取りの手際はもう気にせずにいよう。

『いやな気分よさようなら』は第七章へ。今年は桜の開花が早めということは、アミガサタケの出現も早いのでは。まだしばらくオフラインのまま。

2020年3月11日(水)

昼過ぎに集まり、祖父に棺の中へ移動してもらった。葬儀屋の都合から明日の予定はなし。金曜の通夜は午後より始まるため、その日の午前中に入っていた歯科の予約はキャンセルせずに受診できそう。大叔父は始め、人の集まる一般的な規模の葬儀を望んだそうだけれど、祖父本人は葬儀は要らないと言っていたらしいことや、新型コロナウイルスが流行っている状況も鑑みて、家族葬の規模で弔うことになった。祖父が残した指示はあるかと喪主の従弟に訊かれ、保存のために埋めた芋類や収穫できる果樹なんかの在処を伝えた。

やっと漫画の『ARIA』を読み終えた。かなり前から本棚に揃えていたにもかかわらず、なんか照れがあって後半に手をつけられずにいたのだよね。よかった。読むべきときに読んだ気がするよ。それからやっぱり本棚の肥やしにしていた、デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら コンパクト版 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(野村総一郎ほか訳、星和書店)にも手をつけた。厚みと内容のあるこの本に取りかかる状態って、そのために必要な余裕を捻出できるようになったってことで、すでに心が前向きになれてるんだろね。認知の歪みについてのクイズはまるきり現代文のテストだ……。今日は風が強く暖かかく、今年初めてコートが要らない日だった。例のインクの配送ステータスを見ると、それらがここへ届くのは葬儀が一段落するころになりそう。情報を遮断しての三日目は、自分の感情の範囲が見渡せているような気がするものの、ほかは変わりなく過ごしてる。

2020年3月10日(火)

昼前にNHKラジオ第1の「すっぴん!」を聴いていたら、この番組はこの春で終了ということで、曜日担当ごとの卒業式のような構成になっていた。火曜担当のダイアモンド☆ユカイさんに個人的な好感を持っていたから、ときおりこの番組で彼の声を耳にすると、そのまましばらく聞いてることがあったのだよね。「ラジオだと人柄が出るし、嘘はつけないよね」という彼の言葉に、そんな感じがするよと思う。終了を惜しむ声や「これからもどこかで」といったお便りがいろいろ読まれるなか、リスナーに応えてユカイさんが「ムクロジの木」を歌うと、聴き手の藤井さんは少し泣いていた。いま検索したら「すっぴん!」は金曜が最終回とのこと。

日がなしっかりした雨が降った。明日は晴れて風が出るそう。祖父の遺体を棺桶へ収めるため、昼一時過ぎに集まる予定。通夜は金曜で葬儀は土曜と聞いた。さっきfinalventさんの「考える生き方」を再読し終えたところ。今日はTwitterのアカウントが十周年のはず。二日目は情緒が回復するのを感じているけれど、さみしさが混線しているのかも知れない。

2020年3月9日(月)

午前中に小雨、そのあと微風の穏やかな春の日。陰影のある積雲が流れていた。

朝九時四十五分頃、祖父は周りの者たちに囲まれ、入院予定とは別の病院にて息を引き取った。今朝がた入院の支度をしているうちに容態が変わり、救急搬送されたらしい。心臓マッサージを施してもらったようで胸から電極パッドが覗いていた。大叔父を含む家族が揃い、延命しているだけとなった酸素マスクが外され、それが上記の時刻。本人が入院や点滴を長く拒んだことから、脱水と栄養失調が死因に直接関連したのでは、みたいな話は母から出たものの、少なくとも書類上は老衰ということになった。まばらに解散して再び祖父宅へ集まり、座敷周りの掃除をしたり、葬儀屋との打ち合わせに入ったり、それぞれが勝手に分担していた。日の傾くころ弟と僕は一足早く引き上げ。

祖母、叔父と来て三年連続で喪中か……。去年の秋に祖父を撮った写真をさっき出力し直した。写真嫌いな人だったから、そのほかの顔写真は運転免許証くらいだと思う。遺影向けだろなとここで書いたとおりになった。僕は同居しておらず外孫でもあるから、葬儀やその後の整理なんかの決定には関与しない。それでも「祖父が孤立しないように」という思いから、身辺の作業を手伝ったりただ訪問したりして、ここ数年では最も彼の近くにいた。集まった人たちの様子もほんのり見渡しながら思う、僕は祖父に接する動機を自分の外側に設けてここまで続けてきたことで、本人を含む親族みんなの心理的/物理的な負担をかなり軽くしてきたはず。家父長意識の強かった祖父に対して消化できない思いを皆が多かれ少なかれ抱えているなか、彼のやりたいことを手伝おうと心掛けたことは、それなりにいいやり方だったと思う。

祖父母と叔父が立て続けに去ったことで母がひとりにならないよう、兄弟で見ていく必要があるんだろうなあ。一段落したら屋敷周りの様子をいろいろ撮っておくつもり。

端末画面とオンラインの情報から一時的に離れる試みは「こんな簡単なことだったの」という気がした。まだ初日だし、大きな発見を求めてるわけではないけれど。祖父の死が重なったことで、自分と向き合ってみるときなのかもね、と思う。