この一年で身に付けた習慣に長湯がある。湯船に浸かりながらラジオを聴いたりネットを見たりして、三十分とか一時間くらいをまったり過ごすようになった。風呂でラジオは去年の五月くらいから続けていたもので、スマホを防水仕様の機種に変えてからというもの、長湯に拍車が掛かった。自分を癒す手段としてお風呂は優秀だと思ってる。
今夜は雪が降るかも、という予報を目にした。五、六年前のダージリンなんかを見つけたし、味覚が冴える雪の晩にお茶を淹れたい。
この一年で身に付けた習慣に長湯がある。湯船に浸かりながらラジオを聴いたりネットを見たりして、三十分とか一時間くらいをまったり過ごすようになった。風呂でラジオは去年の五月くらいから続けていたもので、スマホを防水仕様の機種に変えてからというもの、長湯に拍車が掛かった。自分を癒す手段としてお風呂は優秀だと思ってる。
今夜は雪が降るかも、という予報を目にした。五、六年前のダージリンなんかを見つけたし、味覚が冴える雪の晩にお茶を淹れたい。
市街を見下ろせる丘でしばし夜景を眺める。当分はここで暮らしていくのかもなとか、こうして年の暮かーとか、この夜景は変わらないなあとか、ほんの少し感慨に触れた。また来る頃には桜など咲いて、もっと暖かくなっていることだろう。
今年最後のごみ出しおしまい。気象予報で今年も年末寒波が来ると言っていた。一年いっぱいを喪に服すと決めているけれど、なにも祝わない正月ってどんなんだろうか。
四月末くらいのにぎやかな宵を想像すると身体がくつろぐ。それはそれとして「現代俳句歳時記 冬」を読んでいる。冬の季語にはじんわりと広がる味わいがあって良いね。
特別なにも祝わずに過ぎ去りし日。ムーミンのコミックスをじわじわと読んでいるところ。明朝は冷える予報。
焼却センターに粗大ごみを出してきたり、ブックオフで古本を見繕ったり、ゆず湯に入ったり。
いつか欲しいとここで書き付けていた、ムーミン・コミックス全14巻セットが届いた。少し早いけれどクリスマスの自分への贈りもの。読むのが待ち遠しい。
原付に乗っていて老夫婦の車にぶつけられた。直進する道で、無理に右折しようとする対向車に巻き込まれたもの。その場の話し合いで済むようなものだったのだけれど、ああいうとっさの態度には人柄が出るようでげんなりする。男性の「(車のボディは)交換すると高いんだよね」とか「俺が泣く(泣き寝入りする)よ」とか、こちらを気遣う前から牽制するようなふるまい。思い出したらむっとしてきた。
今年も年末寒波の予報が目に入り始めた。二十七、八日くらいに一段と冷え込むそう。
『楽しいムーミン一家』を読みたい気配。
年末の実感が薄い。
最近写真撮りをしていないなあ。
抗がん剤の投与を続けている叔父の見舞いへ。午前中に来院するも面会は午後からという。少し用事を済ませることにして、スーパーあさのが営業を再開して賑わっているのを覗いたり、コメダ珈琲で時間を潰したりした。あさのでは、目当ての干し柿がお手頃から化粧箱入りまで豊富に揃っており、市田柿とあんぽ柿を見繕う。市田柿の良いところは析出した果糖で柿が宝石のように見えるところだ。白くさらさらした粉が舌に触れるそばからすっ、とひんやり溶けていく。僕は黒糖のようにかちかちで真っ黒なのも、蜜を湛えて崩れそうな干し柿も同じくらいに好きだ。店の前にはみかんの箱売り、量り売りに人だかりが出来ており、なかなかに活気があった。コメダ珈琲で歳時記を黙々と読み、時間を調節してやっと叔父の個室へ。叔父は読む本は(物語のある)歴史物でなければ駄目なんだと言い、僕の持っていった本(ちくま12月号/現代俳句歳時記 冬/垢石釣り随筆)はお払い箱になった。そのほか、心細さあるいは歓迎の現れなのか、あれこれと小言をお見舞いされ、そんな元気があるんならまだ大丈夫そうだ、という判断をこちらで下した。長話は疲れるからと言われ、そこそこの面会で帰ることにし、帰着。佐藤垢石の随筆を持っていったのはまた一緒に釣りをしたい、という含みもあったのだけれど、それどころじゃ無さそうではあった。