広い範囲で梅雨入り。
2019年6月6日(木)
那須の園芸店を母と訪れる。その庭園ではいまちょうどばらが花盛りで、午後の陽射しの中、カナブンを抱いた花々がさわさわと輝いていた。そこかしこに植えられているオルレア(レースフラワー)はやはりというか、近年の流行らしい。一年草なわりにこぼれ種で増えるしぶとさや、セリ科らしい清潔感のある白く細かな花が受け入れられているんだろう。オルレアの株が庭に二、三あるだけで良い雰囲気になるものなあ。
訪問客たちは庭園中でかしゃかしゃと写真を撮っている。僕は今回、引いた構図で奥行きのある写真を撮ってみたかった。FA 31mm F1.8 Limitedを開放に近い設定で絞り優先に固定し、これと思う構図を見つけてはひたすらシャッターを切っていった。花の季節で撮る対象に溢れていることと、レンズの明るさが相まって、ものすごく楽しい。撮った写真は後ほどLightroomでデジタル現像し、全体的にふわっとした雰囲気のよい仕上がり(当社比)となった。今後はもっと絞って使っても大丈夫そうだ。
今日はおそらく梅雨入り前最後の晴天で、この春は本当にいい季節だった。梅雨では水没感と湿っぽいにおいを感じられたら。
2019年6月5日(水)
WordPressから投稿テスト。
テンプレ作りがどうこうというのをトップページの近況欄に一年も載せ続けていて、それなりにみっともなかったものの、やっとそこから解放されそうだ。phpとCGIを同一ページ内に共存させたくてhtaccessを弄っていたのだけれど、結局、奮戦したにもかかわらず実現できなかった。ちょうどいい機会だからスクリプトの環境はぜんぶphpに入れ替えてしまおう。
「World for Two」というスマホゲームが面白くていまプレイしてる。現時点で、滅びた動物たちを復活させるためにDNAを集めたり組み合わせたり、という紹介で良いのだろうか。ただいま遺跡マップへ入れるようになったところ。渡された系統図を見るにカエルがボトルネックぽいと思ってそのDNAをせっせと集めていた。こういうのは生物に造詣のあるひとなら容易く勘が働くのだろうなー。
かつてブラウザゲームの「Little Alchemy 2」を遊んでいたことを思い出した。生命や人間を錬成したあたりでやめちゃったけれど、これも組み合わせを試行するタイプの楽しいゲームだった。
2019年6月4日(火)
スターリンク計画についてのオンライン記事がナショジオにも来ていた。こちら。スペースXのスターリンク計画 天文学者は不安の声|ナショナルジオグラフィック日本版サイト
栗の花のにおいが野外に漂い始めた。前にもここで書いた気がするけれど、僕はあのにおいがそれほど嫌いではなくて、事前の知識を外せば青々とした植物の香りだなあと思う。たけのこの内側のそれでもあるよね。念のために検索すると、「栗の花の匂い物質は精液と同じくスペルミンが原因」はデマという記事が出てきた。
論文を読んだら、栗の花の臭いは、低級の不飽和アルデヒドによる臭いらしいのです。スペルミンは CH2CH2N のユニットが臭うんですよね。このユニットが入っている低級アミンは、みんなくさい。 ? 2014年5月14日 https://twitter.com/fluor_doublet/status/466455767764467712
へー。栗の花のにおいは(スペルミンという)特定の物質によるものではないようだ、とのこと。
空中からロケットを打ち上げるストラトローンチ計画が事業を終了するという記事を見かけた。まだ出処が固まっていないためリンクを保留するのだけれど、自前のロケットを諦めつつ、あの巨大双胴機を用いた外注ロケットの打ち上げに関しては継続するとのこと。この飛行機に関してはそれなりな期間をオンライン記事で読み知っていて、その機体の重量と大きさを思わせる低空飛行な報道ぶりが印象的だった。でも、いまも不時着したわけじゃないのだよね。
2019年6月3日(月)
少し前に雑記を書く動機に触れたのだけれど、それについてよく思い返せば、ごく個人的な三つ目の動機もあるのだった。このあたりに関連。
- The Web Is Dead. Long Live the Internet | WIRED (2010.08.17)
- もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて – WirelessWire News (2016.08.22)
- Tech Tent: The woes of the world wide web – BBC News (2018.03.08)
僕はクラシカルなウェブを継承したい。「誰もがそこにアクセスできる自由」と「自分で拠点を持ち発信できる自立精神」が僕のオンラインでの望む方向だ。特定の企業が提供する便利さには(できるだけ)依存せずに済むほうがいい。かっこ付けて、なんて言う向きがあるかも知れないけれど、日々利用されるこの空間と未来はまだ制御されていないし、そこを織りなす人たちで決めていくべきものなのだから、一人ひとりが下から支えていく考え方が大切だと思うんだよね。
……なのでまあ、Twitterがわるい的なティム・バーナーズ=リーの指摘に対しては、大通りの風は欲しい/どこかで還元するからさー、くらいに思っているわけなのだけれど。かっこわるー。
木曜あたりに園芸店に行く話が持ち上がった。ばらのほか様々な花が見頃なはず。
2019年6月2日(日)
懐中電灯を付けて庭に出ていると、メスのコクワガタらしきものが螺旋を描きながら光に飛び込んできた。おお、今年初めて見るクワガタだ。捕まえられると驚いたのか、ふんぞり返って小さなあごで威嚇している。少し触り写真を撮ったあと、網戸の外側へ逃がした。
10日間天気予報を見ると、次週の金曜から傘マークが並び、降水確率も高め。関東の平年の梅雨入りもだいたいその辺りなはずだから、からっと晴れる春の続きは残りわずかなのだなあ。このところもう、日没後の空気はべったりとしているけれどね。
きのうここで曲を紹介するために、youtubeの「共有」から埋め込みタグをそのまま持ってこようとして、念のためHTML Lint Gatewayを通すと40点くらい減点されていたのだった。むむ。当サイトはWebがCSSだのxhtmlだのvalidだのstrictだの言われていたころ弄っていた別のサイトをひな形に、なにはともあれ楽な運用ができるようシンプルに、というコンセプトで作った場所なので、こういう見えないどうでもいい部分にうるさいのだ(そのこだわりで楽をしていない気もするけれど)。
2011年にGatewayを通るよう書いたときはまだ、youtubeがshockwave-flashの技術を使っていたため、<object>や<param>でぎっとりと指定していた。html5でレスポンシブ対応とするためには、<iframe>を囲う別のタグに名前を付ける必要があるみたいだ。
こんな感じ。imgタグと同じように書けた。
そういえば道の駅の新じゃがコーナーに「インカのめざめ」が並んでいた。僕はこのじゃがいもが好きなんだよー。一株辺りの収量の少なさが影響するのか、こうした旬のあいだのみ店頭に見かける。味はねっとりしてとても甘く、全体的に黄色。さっそくふかして食べた。
2019年6月1日(土)
六月かー。四月、五月と過ごしやすい季節を数えることもなく渡ってきて、とうとう麗しい月が巡ってきた。僕にはおいしいものを出来るだけあとまで残しておく習性があり、それを季節で例えるなら、春のあとに控えているこの六月が一番おいしい(七月はどこか変調する感覚がある)。本来なら昼の時間が長く爽やかな初夏に雨期が訪れ、そこに自然の変化や生活の陰影が映し込まれる、ということが魅力なのだろう。夜闇の騒がしさやじっとりと香る大気を楽しむには、梅雨は少し短いくらいだ。
自分の梅雨の感覚を支えている歌に、小学生のころEテレの「みんなのうた」で見た國府田マリ子さんの「雨のちスペシャル」(youtubeへジャンプします)がある。名曲だよねえ。一番好きな音楽かも知れない。
2019年5月31日(金)
原付で道を走っていると乾いた麦の香りがする。夕刻より僅かに雨。大気は熱と湿度をはらんで立ちこめており、夏の夕立のような肌触りをしていた。
昨日ここで年長者にどうのと書いたけれど、幾年か前の僕は生きることの根っこに苦痛を感じていた気がする。それで、自分よりも長い苦痛を乗り越えて生存しているひとに対し敬意を払う、みたいなやや偏った考えを持っていたような。いまではそういうことをわざわざ思考に挟んだりはしないなー。それに、書き残さないと忘れるような頭をしているため、かつて考えていたことはおおむねよく覚えていない。
先日立ち寄ったホームセンターでは球根ベゴニアの苗を見つけた。彼らの茎や葉の、水気を含んでぼってりした様子はとてもいいね。花は特に好みというわけでもないのだけれど、葉に入ったコリウスのような模様を見ていて、観葉植物として楽しむのもありだと思った。たぶん僕の見た球根ベゴニアは特に育てやすい品種なんだろう。この植物は触ると溶けるくらいに栽培が難しいと聞いており、個人的にブドウや薔薇や蘭といった、上級園芸家が愛すると思われるカテゴリーに入れている。うちには普通のベゴニアがいることだし、こういうデリケートなものよりも、丈夫さに定評があり慎ましやかなシュウカイドウが欲しいところ。
2019年5月30日(木)
使われずにいる祖父のとある畑に、二度目の除草剤散布をしていた。日中は祖父から昔の話をあれこれと聞いて、うちでは母が繰り出す祖父への悪口に合いの手を入れる。こういう曖昧な折衝は今は苦でないからいいものの、僕としては今日だけで平常の一週間ぶんくらいの他人の話を聞いていた気がする。むかし、サークルで得た友達に対して、自分は周りの話を聞く側に回ってばかり、とこぼしたことがある(考えが足りず傲慢なことだ)。それから蝶の鱗粉のよな少ない機会を経て思うのは、自分になんらかの聴き手に該当する適正はあるか、ということ。年長者におもねやすい自分の性質に自覚的かつ、内心で報酬を設定することがあるところを上手に解いていけたら、その辺りに人のために出来ることがあるように思う。
先日わーすごいと打ち上げ情報を眺めていたSpaceXのスターリンク衛星は、なんというかとても意外なところで問題に上がっていた。衛星が反射する光と通信時の電波が、いずれ星の観測を邪魔するということだ。えー、事前に何らかの対策があるのかと思っていた。日本語ではAFPBB Newsの「スペースXの衛星群、天文学者の「悩みの種」に」という記事を見かけた。スターリンク計画の星座が出来上がるような将来では、インターネットはもっとよく分からないものになっていくだろうから、空が静かだったころはねなんて枕詞や昔話が生まれるのかもね。静かな星空を味わうなら今のうちってことだ。
2019年5月29日(水)
こうして日記を付けるのはわりと楽だ。その日あったことを好きな順に記述してるだけだし、慣れると自分のテンポみたいなのが分かるから、書く燃費が向上するに従って面倒くささが減る。もっと面倒な日は一行だけだったり、書かなくていいよということにして、それなりに続いてる。
でも、もう長いこと創作を気ままに書けていない。今のところ理由の仔細を書くつもりがないため思わせぶりな文章になるのだけれど、雑にいうと内面が不安定だった時期があり、いまは寛解への長い途上だ。そうして、こころが安定してくるにつれて、想像力はいつしか日照りの川みたいに干上がっていった。こういうふうに創作が止まることはちらほら聞かれることらしい。脳の空想/妄想の機能が錆び付いてしまって、いまや物語が作れない(大変な労力がいる)のだよね。
これから歳を取るにつれ集中力も落ちてくるだろうし、困ったなとそれなりに思ってはみるものの、なるようにしかならないとお気楽に考えている節もある。創作の形態やアプローチには、生活の改善も含めて色々あると思うから。
だから、ここで日記を書くことの一つの動機は、創作の書き方を忘れないための、例えて言うなら文章の鉛筆削りとひとりで位置付けてる。もう一つの動機は創作とは関係ないけれど、書き記すことで忘れない→記憶の連続性が生きてる実感に繋がっている、ということだ。まれにここに載せている短文は、錆び付いた頭をぎーりぎーりと絞って採れているもの。短文を増やせたら、どこかに集めて、自分で撮った写真をお話に添えたいなあ。
その晩は、新月へ向かう月が空の高いところにあって、静まりかえった街路や物陰を、そのほのかな明かりで照らしだしていました。夜更けの街では、誰もが昨日のことをまどろみの奥深くへと仕舞い込んで、こんこんと休んでいるのでした。
一方で、そこからこぼれたものたちはどこか輪郭がぼやけたまま、降り注ぐ月の光とはい上がる闇とのあわいを縫うように彷徨いました。
月の光がほとんど届かない街の深いところでは、暗闇は水底のように重く満ち、しかし全くの静寂には今一つ届かないような、覚醒を抱えたものたちの潜める微かな息遣いがありました。もしそこで感覚を澄ませたなら、闇そのものも粒子のごとく遊動していることが分かったでしょう。
波止場から見る海は凪いでおり、ぴちゃぴちゃいう控えめな波音とともに、潮のゆっくり満ちてくる様子が見て取れました。
水平線の向こうまで続くあかね色や紺碧が、それぞれの方角ですみれ色に向かって限りない階調を描き出し、しかもそれらは刻一刻と、宇宙まで続いている黒に染まっていきました。
彼女は桟橋の手前で当り前みたいに突っ立っていました。
夕暮れを背にした波止場の往来を眺めたり、積み卸しや海鳥の喧噪に耳を傾けたり、そよぐ潮風を嗅いだりして、そこにいることをひとりで楽しんでいたのでした。
感覚を感じるままの手放しにしておくことは彼女の良くやる遊びでしたから、人からの干渉を受けない限りは邪魔もせず、退屈もせずに過ごせたのです。
そのうちに夕陽はほとんど海の向こうへ沈み、水平線は一瞬のあいだ、真っ赤な火柱を映しました。天球からこがね色が失われ、彼女の視界に入るものは急速に青みを増し、辺りは眠たいような温度とやわらかな影に包まれていきました。
ちらほらと宵の空に、一番星、二番星と星が現れ出し、船が漁り火を点して続々と沖へ出帆を始めるころ、彼女はおもむろに桟橋から離れました。そして軽やかに人の波に乗って、その日の宿がある繁華街へと歩いて行きました。
短文というのはこんな感じの端切れ。深刻にならずにやっていこう。
