2025年12月19日(金)

きょうもなにごともなく。え、もう金曜? みたいな。休めているのはよいことだよ。クリスマスの気配がみじんもしないというか、新年まであと二週間を切ったということにも実感が湧かない。そして、冬場の寒さがメンタルに堪える感じもことしはまだない。いろいろありつつも淡々と過ぎていく日々のなかで変化は静かに用意されていくものなので、このまま。そういえばきのう、壊したお隣さんのあれこれの工事が終わったので、お詫びのご挨拶に伺った。大らかに許してくださりひと安心。やっと懸案がひとつ片付いた……という実感は薄めで、まだ後処理や新車のあれこれがあり、それらは気にしてもしかたがないことにつきどうでもよくしておく。

2025年12月16日(火)

午前中は歯科へ行ってあとはゆっくり。なんとなくしんどめだねと思って夕餉のあとはベッドで過ごしていた。そうして食べたぶん膨らむ感覚とか曖昧な具合の悪さとかおなかが微細に動く感覚とかぬいたちと触れている感覚になんとなく意識を向けているうち、身体の声がこれなんだ、という思いがぐっと実感を伴ってきた。なおもそうしていると、身体と、そして心も、いろいろな感覚で話していること、ずっと一緒にいたということにやっと気づいたんだと思えるようになってきた。いつだったかここで、じぶんはじぶんというよりもさまざまな価値観や経験や感受、感情、思考、記憶といったものの複合体、生態系だと思えると書いた記憶があり、ある時点からはじぶんがじぶんたちというそれぞれの過去から来ていまを共に行く複数の自己になったわけだけれど、ここへきてさらに、じぶんたちというのはさまざまな臓器や器官や神経系の寄せ集めとしての身体と、そしてそれら全体で宿る心だと感じる。じぶんたちをそうと認識している意識というのはまるでそれが自己の全てのようだったのに、いまやとてもささやかなもの、体と心に主体を譲りそれらの声を聞くためのもののよう。おなか、よそよそしく言えば消化器がつねに微細に活動している細やかな感覚を感じることが、すごくうれしくて心地いい。心臓の鼓動や血管の脈打つ感じも悪くないし、触れているぬいたちはこの身体の言葉を分かりやすくこちらへ伝えてくれる。いろんな内側の感覚が話している。直近のストレスと不確定要素について体も心もまだいくらかは不安がっていること、そのことはとても正しくてなにひとつ押さえ込む必要がなく耳を傾ければよいこと、控えめになった意識はみんなを守るためにあるよと約束したこと、どれもうれしい。風景や自然といった外からの情報を受け取る感覚が五感だとしたら、身体のなかで生じなかで感じ取る感覚=内受容感覚が織りなすものも、風景や自然のように飽きないものに感じる。この身体と心のことが大好きだな、これからはみんなでずっと一緒にいようねと思う。もしこうしたことを自己との和解とか関係の結び直しと表現するとしたらなんて味気ないんだろう、これはもっとそれ以上のもの、それとももっとこの先があるんだろうか。きょうはもうこの先を急がない。

2025年12月15日(月)

なんとか胸をなで下ろせる状況になった。かいつまんで書くと、雇い主である奥さまと一対一で直に話す機会になったので、その流れに乗ってぶつかるかたちで意見を述べた。当初スタッフさん方とまとめたゆっくりやろうという方針とは真逆の選択をいきなり取ったかたち。向こうが譲らないところにはこちらもしつこく、こちらの価値観ではそうではない、ということを伝えた。ひとつひとつの焦点について平行線で、さしたる合意にも至らなかったものの、あちらが気に入らないと思っている箇所は洗い出せた。それはじぶんについてではなく、じぶんをサポートしてくださる元通所先や相談員さんがそれぞれの立場の筋を通していない、という観点に収束する。こちらからは、あなたはものごとをご自身の視点でしか見ていません、私の価値観ではそれぞれのかたにそれぞれの視点や立場や事情、限界もあり、そういったものを想像しつつ最適な落としどころを探る、それが私の価値観です、と繰り返したけれど、こうすべき、こうあるべきだという意見は、まあ譲られはしなかったよ。あんたも強情ね、と言われたくらいにはいろいろな意見についてくどく粘った。関係者へのフォローやその方たちにどれほど感謝しているか、人生を支えられたり救ってもらっているのだ、だからこそいまのじぶんがある、真剣なひとたちでありこの上なく信頼しているのだ、というこちらのお気持ちはまあ、向こうは念入りに聞かされる羽目になったので、そこについてはこちらのことを考えるなら無下にはできなくなったかたち。最終的に、支援する立場の方々について、それぞれが筋を通すつもりならいくらでも話を聞くつもりだ、という言葉はしっかり引き出せたので、そこを着地点とした。そこからは雑談。北海道やバンコクに行ったことでの体験とか、精神障害というものについてとか、そんな感じの話題についてこちらの価値観を語ったり。そのへんは笑いも交えて話せた。長く話したのでそのまま昼ごはんを食べたのち退勤し、各方面にひとまず安心できそうですと連絡を入れ、帰途。上司に当たる立場のかたがいつにも増して雑というかぞんざいな気がしたので、そこは見ていくほうがよいかもね。ああほんと疲れた。じぶんはこういうやりとりをするとメンタルがごりごりに削られるなー。適当な理由をつけて今週はもう休むことにしたので、すきなだけだらだらするがよいよ。対処するという意思が今回は結果的にはよい方向へ向かったかたち。あすは午前中に歯科の予定があるから、もうおふとんへ。

2025年12月14日(日)

やはり強いストレスを感じているなー。食欲の減ったおなかがもっかのストレスを感じる状況は嫌という感覚を出している。こんなときほど行動と判断ができるよう栄養は摂っておくことにしつつ、おなかのいうことも正しいからと、ほどほどにした。二時間ほど湯に浸かったり、早めに眠って睡眠を確保することにしたり。とりあえずだね、ぐるぐる思考のループが離れないとしても、ひとつの感情に圧倒されないようにしてみるだけでけっこう違うはずだよ。それから変な抑圧や気の使い方はじぶんに強いない。うまく要求を通そうみたいな気負いは要らず、もうむやみに余白を差し出さないだけでもよいよ。これから誰がどんな言動にでるのか見ていよう、くらいの態度もどこかに持っていていい。そしてじぶんには価値があるしこういう状況が嫌いだということ、そのことを心や身体の声と同じく大切に扱う。理不尽な状況が起きていてその巻き取りをこちらが負担している、フェアではないそれについてどのへんまでしてみるのか、その判断はじぶんが負うのだということ。自由と自身への引き受けと寄る辺のなさはセットなのだけれど、それらについてうまく立ち振る舞えるかみたいなのはあまり関係なく、力を抜いていてもだいじょうぶ。深刻にならないということが下手ではあるけれど、そういうあり方もありえること。いまやじぶんたちは互いに見方だということ、助けてくれる人たちがたくさんいるのだということ、すっかりうんざりしたときは他へ行けばいいし、それはできるよというシンプルさ。よし、おふとんへ。

2025年12月13日(土)

なにごともなく。この状況でこうされるとかちんとくる、というのは、じぶんのなかにこうすべきという観念が強くあるからかもねと思った。こうすべきという規定の強さはもしかしたら受けてきた抑圧や否定が作りだしているのかもしれない。考えてみたら当たり前で、それは他者に見つければ負の連鎖として嫌っているものだった。ひとまず内側に渦巻くこうすべき、こうあるべきという規定を否定せず受け入れて、負の感情もこのまま湧いていいよと思ってみる。感情的になれるならそれは歓迎したいはずのものであり、いまは通過点。ときおり、この理路やこの受け止め方ができると身体が喜んだり面白がったり反応するという感覚があって、いまおなかにそれがある。じぶんがじぶんの見方になれているときの感覚。眠たいならおふとんへ。

2025年12月12日(金)

とても寒い日。日中は小さな雪がちらほら舞っていた。壊した水道などの修理がきょう始まったため、お詫びの品を用意しておこうと思って和菓子屋で日持ちのよい菓子を見繕ってもらった。時間的に余裕があり、お寿司を食べたあと病院を回り、それから定期通院先へ。先生に今週のできごとをお伝えしてから心理士の件について相談した。先生も詳しくないとのこと。じぶんでよく下調べをして連絡を取ってみて、こちらが望むことをどのへんまで対応してもらえそうかとか、料金の相場だとか、相手との相性なども検討内容に入るでしょう、ということを伺った。先生は専門領域とそれ以外のことにははっきり線を引くひとなのでそういうものかーと思うけれど、なんとなく医療やメンタルヘルス、ケア、支援のあたりは相互に関わり合っているように想像していたから、そうもいかないのだなーと思う。そのあと買い物をして帰宅。コーヒーをちょっと飲み過ぎたのか、気分が優れにずおふとんでのんびりしていたら、もうこんな時間。カフェインレスのものだったので原因はコーヒーそのものぽい。今週は長かったのか短かったのか、よくわからないなー。いま金曜が終わったところ、みたいな認識。このところの変動の多い気分に関連して思うことは、じぶんの心と身体を大切にすることをなにより優先しよう、じぶんがじぶんの味方でいよう、ということ。我慢で成り立つ安定より、愚かでも爽やかにあろう。ほんとうにじぶんを労るためであれば苦労もなるべく引き受けてあげよう。そろそろ眠るがよい。

2025年12月11日(木)

午前中は歯科へ行って歯の根の治療。うん、患部に処置されたおくすりかなにかのために、口のなかがいまも正露丸のにおい。午後は元通所先でスタッフさん方三名と情報共有&会議。いま眠たいから結論をざっくり書くと、ゆっくりのんびり障害とこちらの思いの話題を小出しにし、時間をかけて期待する落としどころを探るのがよさそう、という方針になった。つまり、きのうここに書いたような前のめりの姿勢にはならなくてよく、気楽にのんびりやろうということ。上から目線ではないですが人柄がめちゃくちゃ成長されてます、サポートしている我々としてもうれしい、と皆さんからお褒めいただいた日だった。あなたならこうした出来事も糧にして更にうまくいく気がします、とも。そのことを素直に受け取れるじぶんもまたうれしい。会議中じぶんはかなり笑ってへらへらしていた。条件付きとはいえ安全な港があることのありがたさ、支えてもらえる安心感が、防衛反応を取り下げて前向きに取り組める力になっている。これはひとに恵まれているということだよ。帰り際、来月で退職される方がいらしたのでその件ですこしお話して、年内にまたご連絡しますとお伝えした。ねむたい。支えてくださる方々に気持ちをすっかりほぐしてもらったということで、きょうはひとまずおやすみ。

2025年12月10日(水)

仕事はお休みの連絡を入れた。脳で身体をいじめるのはもう止めたいでしょと思っていても、ぐるぐる思考のループにはまると出口もなく煮詰まってくるもので、久しぶりにじぶんの呪詛にあてられていた。夕方ごろふと、こういうアプローチを試してみるのはどうだろと思ったとたん、気分が変わった。こちらが一対一で直接に説明することには状況的に見込みがあるかもしれない。ひとに理解や協力を求めることはむつかしいし、分からないひとは分かりたくないひとな可能性もあり、分かってほしいという姿勢にはつねに暴力性が潜んでいる。それでも「向き合っているのだから言いたいことや嫌なことがあるなら私に直接言うはずだ」という言葉が出たならそこを支点にしてみる。ひとまず対処を試みること、具体的な対処の筋道をつけて行動しようとするとき、悩むことから解放されると感じる。では、先方が「分からない!」と言った領域はどこか、どのような言葉にすれば伝わりやすいか。じぶんが健常者のように振る舞えるため実情が伝わりにくいこと。障害者扱いしないのが本人のためだし尊厳だ(だから他からの支援を頼るべきではない)というロジックが相手側にはあるかもしれない。先方の認識は尊重しつつ、この疾患がやはり重い病気であることをどう伝えるか。向こうのメンツを立てること。回りくどいことには怒り、腹が据わっていることはよく評価する相手なので、単刀直入だと通りやすいこと。2000年以降大きく変化し整備されてきた障害者を取り巻く法律/雇用環境について、それ以前の価値観である相手に最低限どこを押さえてもらえたら助かるのか。障害者雇用促進法というものが施行され、こういった支援や福祉サービスを受けることは現在では権利であり、そのために支援組織や人員の関与、連携が重要なものであるし、それを職場が排すると法的に問題があるかもしれないということ。障害者差別解消法により、事業者には合理的な配慮の提供が義務づけられたこと。このへんは読まれなくとも資料を用意していくと効果があるかもしれないし、元通所先のスタッフさん方やこの件を食らった相談員さんに相談することで重心や勘所が掴めそう。現状のままだと職場と支援組織との接点が失われるぶんサポートに影響が出るかもということで、この件についてスタッフさん方にメールというかたちでも伝えておくと、じぶんによりリソースを割いてもらえるかもしれない。関わってくれるひとは多いほうがよい。いずれも先手を打って主体的に動くとよりよい流れになる気がする。高齢者の認知リソースに収まるようシンプルに伝える。結局という言葉は好きではないけれど、結局のところは高齢者に認識を変えてもらえないかと意図しているわけで、年齢的にそれはさして期待できないことだというのは前提としてあったほうがいい。これは複雑な社会問題であって、そこをひとことで言い切りたいひとであれば、根本的に伝わらないかもしれない。見方によっては操作を試みるとも取れるのだし。面倒くさい、嫌だと言われたらいったんそこまで。ここまで書いておいてあれだけれど、いまじぶんは正しい側にいてそれを伝えたいのだという暗黙の前提があり、そこから間違っている一面は考慮したほうがよいね。思い通りということはこの世にあり得ないのだけれど、状況に即して誠実に振る舞えたと実感できたなら、それだけ冷静かつ適切に判断を切り替えることもできる。無理だと感じたらサンクコストに囚われず去るという選択肢だって保険として持っていていい。じぶんは根本的なところで自由に生きてよいし、じぶんで下した判断を納得して引き受けられるなら、むしろ爽やかになれるように思う。うまくいかなかったらなんて不安は先取りする必要がなく、できることから気長に試すのが吉。対処しようとする姿勢から生まれる力強さを感じていい。よし、この方向性を試せそうか、スタッフさん方に相談してみるのがよさそう。もう日付が変わったし、これ以上考えるとそれはそれで煮詰まるから、きょうはここまで。