2020年9月21日(月)

お彼岸なので母と墓参りへ。寺では白い萩の花が盛りを迎えていた。きょうはつくつく法師が鳴いておらず、夜鳴くアオマツムシにも勢いが失せてきたように思う。

2020年9月20日(日)

手持ちの音楽CDは400枚ちょっとあった。へー。数で計ることに意味はないけれど、自分の関心はこんなものかーという実感は湧く。音楽に興味を持ち始めたのが高校卒業ごろと遅く、邦楽のメインストリームに触れるようになったのは今年の三月から。細々と関心を漁るなか、大学のアコギ弾きの先輩から言われた「意外と音楽好きなんだな」という言葉は、それなりの期間、小さな支えになってきた。このご時世にCDなんて古いという感覚も分かりはするけれど、物理媒体からいつでもデータをくみ出せることや、自分なりのライブラリを自分のものとして持ち運べることなどは、育った世代特有の習性のようなものなんだろう。レコードや配信の世代にもメディアに沿った聴き方の癖があるだろうし、時代が下ればそうしたものは刷新されていくはず。オンライン配布の同人/インディーズ系の音楽で育ったため、データだけ所持している状態の楽曲がそれなりにある。自分のネット遍歴の枝葉に見つけた小さな宝もの、出会いの文脈やいきさつを離れて自分の手元で継承されている、誰かの手製の制作物を、漂着物に触れるようなかすかな感慨とともに、ときおり聴いている。音楽好きなら冒頭の数なんかよりもっと聞き込んでいるだろうし、人が好む音楽の幅は35歳くらいから閉じていくという話もあるから、これからも積極的に関心を広げられたら。そのなかで好きな音楽を見つけていけたらよいね。

2020年9月19日(土)

灰色の雲が緩やかにうねりながら空を覆う日。風もなく、暑くも寒くもない過ごしやすい気候で、ただいま遠くの路上からバイクの騒音が届く。平和な夜ってことだ。一人鍋と梅酒がおいしかった。春や夏とはまた違う、秋の夜闇のしっとりと身近に安心する感じが、たまらなく心地いい。

2020年9月18日(金)

プライムビデオの『ムーミン谷のなかまたち』後半を視聴。自立と自己主張のメッセージを感じる。原作の持つ絶妙なバランス感覚や、それぞれが自由に振る舞いながらも落ち着くところへ落ち着いていくただそのことの、慈愛に満ちた視座を思い出す。制作者への敬意を引き出す前にこう感じるのは、いま僕に余裕が足りないということなのかも知れない。食事制限をしているのだけれど、日中にカロリーが足りないためか動作がもたつくことがあった。身体の燃費が飢餓モードに入るのは避けたいところ。それにしても空腹に身体が順応するこの感覚は久しぶりだなー。夕餉に一人鍋を始めた。昔の友達が「冷える季節には一人鍋と梅酒」と話していたことを、いまくらいの時期になるたび思い出している。

2020年9月17日(木)

疫病の流行以来、たぶん初めてとある直売所へ行った。古民家を中心に食堂や休憩所も兼ねたような施設で、和紙や背負いかごといった、地域で作られる民芸品も取り扱っている。たしか春先には営業を自粛していた記憶があるけれど、きょう行ったら開いており、ひとの出入りも変わらずにあった。古民家では近所で栽培された種なしピオーネの直販が開かれていたらしい。午前のうちに捌ききり休憩となったようで、囲炉裏の周りにくつろぐ年寄りたちの姿があった。ここへ来る前に僕が道の駅で買ったぶどうはたぶん、同じ農園のものだな……。直売所の野菜と民芸品をぐるっと見て回った。季節が冷え込んでいくたびにこの民芸品売り場の雰囲気を書いている気がする。時間の流れが違うみたいで、銭湯に桶の音がかぽーんと響くあの感じがする。あるいはクリスマスと正月の間にあるあの六日間のような、世間の緩急をよそにゆったりしている感じというか。この雰囲気が好きで年末が見えてくるたびに立ち寄ってる。今年ももう一度くらいは来てみたい。帰りがけにマタタビが生い茂る道路沿いへ立ち寄った。歩道にはみ出した下草はざっくり刈り取られ、実がなるようなマタタビの枝先も伐られたあとだった。虫えい(虫が入って変形した実)を集めて果実酒を作りたかったのだけれど、仕方ないか。蔓を何本かちぎって葉を落とし、リース状にした。宛てはないけれど、うちの誰かが猫飼いのお宅へ行くときのお土産になると思う。その後帰着。見た感じ、田んぼの稲は半分以上が収穫され、藁と焚き火の匂いが道々に漂っていた。

2020年9月16日(水)

ディルの種を小型プランターに蒔いた。この時期なら秋蒔きにちょうどよかろ。チーズやヨーグルトにディルを混ぜるのが中東風らしく、うまく育ったらやってみたい。成長に高温と強い日差しが必要とあるから、来夏まで気長に育てるつもり。ローズマリーも手元に置きたい気持ちはあるものの、豊富な園芸品種の中から気に入るものを選ぼうとすると、時間を掛けてでもじっくり考えたくなってしまう。おおむね自己満足。

2020年9月15日(火)

祖母の命日。この三年で去っていった祖父母や叔父のことを思うとき、すきま風が吹くようなさみしさと、接点やつながりの閉じていく感覚がある。それらは裏を返せば自由へとつながっているものなのだけれど、空しさや踏み出していくことへの恐れが視界を邪魔して、物事を見えづらくしているんだろう。少しの勇気がいる。

プライムビデオに『ムーミン谷のなかまたち』を見つけた。海外で製作されたフルCGのテレビシリーズで、日本でも去年かおととしにBSで放送していたけれど、僕はきょうがほぼ初見。ひとまず4話まで。平成ムーミンと比べてミイの出番が多そうで、ムーミントロールの煮え切らなさは強調されていそうだった。いいんじゃないかな。というか平成ムーミンも構成の水準が高かったのかもしんない。

2020年9月14日(月)

涼しい。今朝のように、時間帯によっては気温が20度を下回る日が現れ始めた。例年であれば九月末には奥日光で初霜初氷が観測されるのだけれど、もっかラニーニャ現象が発生しているため残暑は長引くかもという話があり、季節の変わり目はどのへんに来るだろうかと様子をうかがってる。それによってカメムシ対策をする必要もあるしね。

2020年9月13日(日)

祖母の命日とお彼岸が近いということで、母と早めの墓参りをした。そのあと猫や故人の写真を入れたSDカードを携え、地元のカメラ屋さんへ。プリントの注文を一人で登録できるカウンターもあったのだけれど、ハキハキと応対してくれる店員さんに案内してもらい、持ち込みデータのプリントを進めてもらう。猫ちゃんかわいいですねと言われると悪い気はしないものだね。待ち時間で買い物を済ませて再びカメラ屋さんに立ち寄り、今日のぶんのプリントを受け取り、帰着。祖父の遺影のプリントは切り抜き作業を施すため後日に。