2026年7月31日(金)

耳鼻科へ。夜になり散歩。赤十字が熊本地震の義援金受付を始めたので、すこしばかり振り込んだ。九州一周のおかげで、どこそこと言われて思い浮かべられる風景がある。天草を渡ったドライヴも、車中泊した熊本市郊外の公園のことも、阿蘇へ向かう朝に入った定食屋でのやりとりも。個人的にはSNSでは、災害なり危機の話題にはなるべく乗らない。乗る人への批判ではなく、それは各人の判断だと思う。先日ここに書きつけたように、ひとは強い情報に触れるだけでアドレナリンやコルチゾール濃度が高まるもので、これだけ動揺を含む話題にはなおさらそうなる。言い換えると、言及することにはストレスを拡散する側面もあると思うんだよね。とはいえ情報や思いこそSNSのメインであるし、でももしかしたらそれ以外に、いつもと変わらず日常を保っている様子がそこにあることにも意義というか需要はあるかもしれない、というのが個人的な立場。ここの受け取られ方はたぶんひとによりけり。危機のとき日常を保つことで安心をそこへ置けないかと考えるじぶんみたいなのもいるということで。ぜんぜん関係のない話で、ネットであれ日常であれそこに溢れる性差の話題って男性か女性かみたいな0か1の話で、これが無限に擦られてるわけねと思う。じぶんは自身の属性を説明するための言葉は持っているけれど、それらすらマイノリティのさらにマイノリティのさらに盛り合わせ、みたいなややこしさで、それをわざわざ語るに値する状況ってほぼない。それにいままでのところは自認を言葉で切り分けずにあいまいであることを受容して保持し続けてる。そうなると見た目で判断されて他者から仕分けされるわけで、病でもそうだけれど、透明化だよね。九州一周の際に実感したこととして、たいていの道の駅には誰でも使える多目的トイレが設置されていてありがたかった、というのがあった。……この話題でどうしてもなにか書きたいかというと、あまりそんな気はしないかも。個人的には男性性や女性性といったそれ単体に居場所を感じたことってあまりなく、社会設計に対してはしばしば寄る辺のない感覚を味わっている、ただしそれで抑圧されてばかりかというとかなりしたいようにしているし吹っ切れている面も多々、ということを書いとこ。のんびりしよ。

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