2026年7月29日(水)

やおらごみを片付けスマホを返送した。それから各方面へメールや電話を入れ、それぞれ予定が立てば摺り合わせる方向へ。じぶんはめんどくさいことを片付けるとき「めんどくさい~だるい~やだ~」と気持ちを口に出すと作業に取りかかりやすいんだよね。嫌がる自己をよしよしをしている感じ。夕方にはすこしだるさを感じ、行動することには気疲れしたのだなと思う。のんびりするうちに夜。故障して返送したスマホから取り出せずバックアップもあんまりしていなかった、亡くなった杢の写真や動画のことを思うと、水の流れるような強くはない悲しみを感じたりはする。すこしは残っているけれど。雑記を日々書きつけていても日ごろ考えていることってあんがい俎上に乗らないもので、いまある一つは、できることをしたことにどんどん変えていこう、というもの。種を蒔いてときには水も遣ってみて、なにかが育ちそうな庭を保っておく。あるいは持てる可能性をひとつひとつ検証して完了形というかたちに潰し、刈り込んでいく。すこし別の話で、収入やなりわいを成り立たせていくことも、セルフビルドで家を作ることも、旅や庭や犬や猫との暮らしを実現することも、ぜんぶ同時進行するのがよいなと思ってる。愛着や安心の問題があってそのために活力や持久力が不足しているとしたら、それらを解いていくためには逆説的に愛着や安心を実現できることが必要になってくる。ひとつひとつ手続き的に解こうとしたのでは解けない。もつれた糸をほぐすように、雲を掴むように、知恵の輪を外すように、循環へ入っていくように、全体に取りかかることでいつのまにかふと解けていることに気付くときがやってくる、そういうアプローチがじぶんには向いていると思う。考えることはあれこれあっても、ひとまずきょうは立ち上がり動き出せた、そのことでじゅうぶん。そういえばふと思い出していることがある。三月の房総巡りで入った土産物屋の方と立ち話になり、「(こういう商売をしていると分かることで)お店に入ってくる人は足取りが迷ったりするのですが、あなたの歩き方には迷いがなかった」と言われたのだった。それなりに売り場をいったりきたりうろうろして品定めしていたつもりだったのだけれど。そのあとお誘いいただいて連絡先を交換した。見つけてもらった気がしないわけではなかったし、旅というのはこうした出会いが起こりうるのだなと思ったりもした。明朝はギャラリーで打ち合わせがあるから遅くならないうちにねむろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です