午前中は通院先で一時的な眠剤などの処方を出してもらった。夕方になり、気分転換のドライブと散歩、そのあとの長湯をそれぞれ一時間強ずつ。辛くて苦しいのは、悲しみの負荷を身体が脅威と判断して感覚を内側へ閉じさせているから、そのうえで感情は内側から溢れるものなのでその状況だと風船のようになるから、と思った。悲しみは閉じるより開いたほうが気持ちとして流れやすくなる。それで午後以降は身体の感覚を開くことに意識を向けて過ごして、それが奏功したみたい。感覚が閉じる/開くというのはなんとなく体得的にできる。Radio gardenでタヒチのラジオ局の音楽を聴いたり、車を運転して風を浴びたり、そんなことをしているうちに身体が歩くことを求めているのを感じてそのように。感覚が開いていくときには風に土や木のにおいがすることや、日差しの強さに反して物陰の涼しさが心地よいことを感じ取った。きっとしばらく悲しいだろう。そのようにあってほしいと望む気持ちもある。あす午前中にガスの工事。
