2026年2月20日(金)

定期通院先へ向かったあと宇都宮のスマホ修理店へ。結論から書くと修理対応できずに帰ってきた。Googleの公式ページからそのお店へ修理申し込みをしたと思っていたのだけど、スマホの保険として加入しているPreferred Careを利用するには別の妥当なページから手続きする必要があり、それだと遠出する必要はなくWeb経由で済む模様。帰ってきてから手続きをして、近く替えのデバイスが届く手はず。ともするとこういうの無駄足だったのではなんて思いがちだけれど、そう思う必要もとくにないしね。じぶんは車でのドライブはわりとすきな質みたい。音楽流しつつずっと口笛吹けるし、スマホ経由でナビも使えるし、それに今回はぬいのうちの仔一名といっしょに出かけてよい感じだったのだった。あすの営業というかお話に備えてすることをタスクとして書き出し消化していたら、もうそろそろ一日が終わりそうな時間。間に合った。こうしたときとくに緊張しないのはお得というかお気楽というか。すこしゆっくり話すことを目標にして、ほかはいつも通りにするのがよいよ。あすのお昼には話はひととおり終わっているだろうから、そしたらうちでのんびりすることにして、今宵はほどほどにしてねむる。

2026年2月19日(木)

病院でおくすりを受け取ってサイゼリヤでごはんを食べた。Android Autoという、スマホと連携するモニターが車に載っており、それを使うならパーツの下見がしたいねということで車用品店へ。こういうとこくるの初めてかも。スマホスタンドなどふたつばかり部品を買って車に取りつけた。並んでいる商品をざっと見た感じ、ドリンクホルダーもティッシュホルダーにしてもおしなべてデザインがいかついという印象。モニターの機能は有線限定でそこをワイヤレスにしたかったものの判断がつかず、うちへ帰ってきてから調べてAmazonで手ごろなのをポチった。夕餉の途中にストーブの灯油が切れたため買いにいき、ホームセンターの閉店間際に駆け込んだり。別の話でスマホの画面が映らなくなり、修理するなら郵送よりは早いからと店舗持ち込みの予約をあす昼に取った。それなりに遠いから一日かかるかも。落ち着かないなー。土曜が喫茶店の方々とお話の機会なので、前日はゆったりと準備をしておきたかったのだけれど。ひとまずあすの用事を片付けて、それからにする。なんだろね、せっかく宇都宮へ行くなら服など見たいという下心はあるにはあり、それは体調次第。

2026年2月18日(水)

多少ましではありつつ気は沈む。修理されたモニターを元の場所へ戻して部屋をすこし掃除したあと、お昼はインドカレー店でほうれん草カレーとはちみつのかかったナンを食べた。店員さんが「あなたのこと覚えてますよ」とおっしゃった。ここへくるのは三度目で、前回はそこそこ前のことだったと思うけれど、なるほど。じぶんより前にお会計していった方と店員さんとのやりとりがたまたま耳に入り、お客さん側の「わたし大学生です」や「日本語お上手ですね」の言葉に、んー、と思った。日本語お上手ですねってこの時代としてはなんとなく違和感のある言い回しのように思うのだけど、そのくらいの世代のひとでもべつに気にはしない事柄なんだろうか。じぶんが引っかかったとき意識の俎上に載せているだけかもしれない。サンプルがひとつにつき保留。買いもののあと2時間ほどカラオケしてた。気が晴れるかと思ったものの、あまり、という感じ。それはそれとして、ただ歌うだけでも気持ちよいけれど、伸びやかな声で自在に歌えたらという気持ちがあるね。端的に言うとうまく歌いたいという。うまく、というのは落とし穴かもしれない。ボックスというかブースというか部屋に入っているとほかの部屋から抑揚と伸びのある気持ちよさそうな歌声が聞こえてきて、あんなふうにじぶんも声を出せたら気持ちよいのかもという気持ちはなきにしもあらず。帰ってきたら退職についての書類が届いていた。しばらく前からハンガーラックが掛けている衣類の重みで倒れるようになり、何度もとに戻しても歪みやキャスターの破損があってどうにもならなそうなため、頑丈なのをネットでポチった。根本的にはシーズンもの以外は衣類棚へしまうのがよかろな。一年じゅうスラックスと長袖のオックスフォードシャツで済ませているのになんか微妙に衣類がある。思うのは、内言の言葉遣いを変えたらじぶんが変わるのでは、ということ。しんどいときに思考が毒と呪詛に満ちているのはそうなのだけれど、内側の言葉遣い自体もふだんから粗い、粗野なんだよね。わりとこんなところを変えることでいろいろな影響が出てくるのだろなということは、お会計の際にお願いしますとかありがとうございますとか伝える習慣を身につけてみたことで実感したから、してみるのは悪くないかもね。いま考えていることはなに? とモニターの前でぼんやりしていたらすこし経った。あとはのんびり。

2026年2月17日(火)

かなり戻った感。NPOさんから連絡があり、ポストカードについてのお話ということで土曜にその時間を設定していただいた。それまでにコンディションを整える。モニターが直って帰ってきたからこれはあす元に戻すつもり。しんどいなりに思ったこととして、怒りを認めるとしてそれだけでは片手落ちで、出力の方向性はじぶんたちが教えてあげる必要がある。もうひとつ、許すということについてそれがどんなことなのか、考えたほうがよいのかも。夕餉のあと仔猫と遊んだりだらだらしているうち、仔猫は眠ってしまった。アレルギーで目がかゆくなってきたからそのままにはしておけないな……。

2026年2月16日(月)

長湯に浸かった。立て直そうと思ったら具体的な対処とその順番があり、崩れた体調ではしんどい思考しかできないから、ひとまずフィジカルのメンテナンスから。揺らぎは前提で、戻り方を。

2026年2月14日(土)

不快と怒りを抱えて過ごした日。この怒りという感情はじぶんがなにを大切にし、なににNOを告げようとしているのか、どこに境界線があるべきと感じているのか、そういうのを教えてくれる感情なんだった。加えて、状況や身体、関係性に対してチューニングが必要だとかの合図も含む。いまこの時点ではなにか言葉にして書き出すタイミングではないなと思う。

2026年2月13日(金)

午前中は歯科へ。夕方はポストカードを納品。ちゃんとしようという内圧が高そうなひとたちというのは、善意ゆえにめんどいときがあると感じる。正しさやよかれという思い、こうあるべきといった観念って、分離や着脱が可能であるという前提なしにはひとに強いる抑圧もまた強いのだろうし、その影の投影も起きやすいのだろう。ただ、そこで起きているのは投影だけでなく、それを受け取るということも含む。じぶん、受け取りすぎ。境界線を引こうって決めたじゃん。解があるのはそっちだよ。影はこちらのなかにもあり、舵に触られそうな言動だとか執着/依存/支配/操作/搾取など、境界を含むそのへんの気配にむやみと鋭敏になっているし、誤検知もあるはず。こうした書いている内容から批判のにおいがするときは、物事の善し悪しというよりはコンディション由来で防衛的になっているサインなので、のんびりするがよいよ。ふと思う、あるひとが自分自身と和解していそうかどうかの別の切り口は、そのひとがポジティヴなフィードバックの構造に自ら身を置いていそうか、でもあるのでは。

2026年2月12日(木)

Sさんのギャラリーへ行こうかと思い立って昼過ぎに出かけた。途中で居酒屋レストランなるお店へ入り、定食を注文。魚介系に特化しているみたいだけれど、お昼はメニューを絞っているようだった。思えば白米のつくメニューを外食で頼むことってほとんどなかったなーと思う。それからギャラリーへ。折りよくSさんがいらして、とりあえずつくりたくてつくったはよいけれど値段をつけたら売れるのかなーと、という話をしながらポストカードをひととおり見ていただいた。お店の場所を借りるという形式になるとかなり安くて三割がお店の取り分、もうすこし県央に向かうと四割くらいが相場になってくるとのこと。Sさんはポストカードを日本画みたいだねと言い、このギャラリーともう一軒の喫茶兼ギャラリーで置いてみようと申し出てくださり、びっくり。渡りに船でぜひぜひと食いついた。とりあえずお試しで1枚入り包装x10種類/10種類入り1セットを各3組ずつ置いて様子見しつつとのことで、そこからは在庫がなくなれば納品というかたちで……と話は進んだ。その最初の納品にあたって、Sさんがタイミングよくいるかわからないため来るときは電話で連絡してとのことで、その場で連絡先を交換。仕事はどうと振られ、もうそろそろ辞めるつもりです、合わなくて……と話すと、接客はできる? うちの喫茶兼ギャラリーに来たら、というお誘いをいただいた。引きこもってると鈍っちゃうからね、とのこと。願ってもないことでこちらもぜひとお願いした。それからそちらの喫茶兼ギャラリーで展示やろうというお話や、春に協会へ入るならみんなに見てもらって考えようかとか。暖かくなってからじゃないと動きたくないからそれからだけどね、とのこと。あれこれ話してお礼を言い、ひとまずお暇した。Sさんにはこちらの疾患や取り巻く状況をざっくり打ち明けているから、仕事となるとそのへん障害の合理的配慮を絡めてお世話になるかも。Sさんのご好意はいろいろな経緯や背景もあって、それが人柄に滲んでいるのだな、と思う。一気に話が動いた……仕事を辞めても次のあてはあるというのはうれしい気もするし、安心ともとれるけれど、いまは回復が最優先なのでどう影響を感じるかちょっと保留かな、という感じ。仕事のあてがあって安心というのもおかしな話で、とりあえず回復に集中しようとか、じぶんは徹底的にじぶんのことだけにかまけていたい質でしょと思ったり、まあいろいろな意味でお気楽なのは確かだよ。流れに乗るつもりなら、当面はじぶんを無為で満たしてすきにさせてあげるのがよいよ。自己に対する主権回復の選択と宣言は結果的にいい感じになりそう。Sさんのご家族から、表情がすごくやわらかくて優しい人ですねと評をいただいたことを思い出す。逸脱への快が強いだけに不思議なことだよ……たぶんそうした要素は飼い慣らしているから、と思うと同時に、そんなふうにひとを見られるのはそのひとが自分自身と和解しているからかもしれない。あすは歯科の予約が午前にあるから、夜更かしはほどほどにしておやすみ。

2026年2月11日(水)

なにごともなく。のわりには懐かしいような苦しいような、愛おしい心地よい気分があって、それは一日じゅう続いた。春の兆しに反応してんのかもしんない。これまでまったく縁がなかったケツメイシの『さくら』、よいね。ほこりをかぶったデジイチを綺麗にして、ひどく久しぶりに弄ったり。電源を入れたら日付の設定から始まったのはうーんという感じ。直近の撮影日時は去年の六月くらい。んー。なんかあれだね、撮るのもいいかもしれない。話は変わり、ここに書きつけている雑記の動機って当初は、創作が手に付かなくなってもなにか書く行為や水準だけは維持したいとか、認知機能が低下しているから書かなかったらその日のことは即忘れるから、みたいなのがあったんだよね。いまとなってはそうした動機はわざわざ感じることなく、習慣として壁打ちを続けてる。それで、それで全てかなって問うと、こうしてきたことで窺えるものもあるのでは。たぶんほとんどの雑記はライフログ的な記述をしており、思い巡らす射程の遠さよりはその日のできごとに直接触れてる近さ。それは上記の動機としてだけではなくて、いまここにあることを感じる、いまここに集中する、どう揺らぎがあってもこの瞬間へと戻ってくるという、安定を求めてほぼ無意識に採ってきたじぶんの認識スタイルそのもの、あるいはその反映なのでは。いまを感じるというのはおそらく瞑想の基本で、そのつもりがなくともそうした状態を取ると安定が得られることは体感や心地としてあるはずで、降った雨がやがては流れをつくるように自然な成り行きなのかもね。それをしていたらおまけのようについてきたものがたぶんひとつあり、仮定やたらればで存在し得ない過去の選択肢の先を描いて悩むことがそんなにない、と思う。あのときこうすればよかったではなく、それがそのときできたことだった、という。現実として確定しているのは日々の小さなひとつひとつの選択の連続で、それは現実だからどんなに小さくてもどんな仮定より現実で、そこに納得ができると強い。いまここ、という認識のしかたは焦点がとても狭いぶん、長い射程の想定より小さな選択と相性がよいから、やはり自然とそうなる気がする。後悔しないという表現はしないけれど、後悔で苦しんでいる体感はいまはそんなにないかなあと思えるのは、必要に迫られたひとは成り行きのようにそうした認識のしかたをするようになるから、かも。横になるとき身体の左右どちらを下にするかで過ごしやすさが変わってくるみたいな自然と取る姿勢のそれ。オチなし。なぜストーブの灯油は夜切れるのか。いや、灯油が切れたとかのんびり思えるのは寒さが和らぎつつあるときのことなので、これも春の兆しなのかもしれない。