2026年2月10日(火)

タイ料理の居酒屋が昼にも店を開いているのをGoogleマップで見つけ、昼ごはんはそこへ行ってみることに。……外食という線でみるとじぶんのなにかが静かに変わってる。居酒屋というのも思えばこれまで縁がなかったのでは。内側のノリでできてるように見えてハードルが高かったのだった。行ってみると郊外の民家というか農家をそのままお店にしたような、靴を脱いで和室に上がるかたち。すごい、バンコクのあの特有のにおいがする。ソムタム・プー・プラーラー(パパイヤと川ガニのサラダ)とパッペップラードゥ(ナマズのカレー炒め、ココナッツミルク入り)を注文。女将さんに、前者は臭いがきついから海老でつくることもできるよと訊かれ、迷わずきついほうでと答えた。ナマズはいま入荷してないけれど代わりにティラピアでならつくれるとのことで、それもそうしていただいた。辛さは? 辛いのでお願いします。ほんとに辛いよ? だいじょうぶ。など。ほかには先客が二人ばかり、思いのほか気楽な雰囲気でこちらもすぐのんびりできた。そして運ばれてきた二皿はボリュームあるなあという量。箸をつけてすぐ、この辛さだー、といううれしさを感じて、そこからは辛さと汗に圧倒されていた。二皿とも唐辛子をもりもり使っていて心底辛い。ソムタムのほうはしょっぱく、確かに発酵した川ガニは臭うという表現で、でもこれ納豆やたくあんと同じ枠で白米に合うタイプのうま味としょっぱさだなーとか考えていた。運んできてくれた女将さんが料理を前に、ごはんは……(この量なら)いらないか、とひとりで合点していたのは、これはそういう併せの食べ方をするからぽい。ティラピアを揚げてカレー炒めにしたもののほうは、これあの路地で40バーツで食べた魚だ、と思いだした。はっきりと旅先で味わったエスニックなにおいや味がする。特有の甘い香りはローリエとココナッツミルク、あとなんのスパイスだろ。身体の水分が辛さで顔から押し出されるくらいの辛さを感じながら、旅先の記憶をうれしく思い返していた。魚があと一切れ残ってるなーくらいの思いになってきたころ、女将さんとすこし雑談。タイ出身らしく、こちらへ来てもう27年になるそう。いまはここにお店を構えているけれど、その前には市内や県内のほかの場所でもお店を開かれていた経験があるのだとか。じぶんよりこのあたりのことに通じてらして、お互い地元のローカルな表現でああ、あのへんね、みたいに会話。ここの料理は日本人向けのアレンジはいっさいしておらず本国の味で出してると伺い、とても納得したのだった。料理は持ち帰りにもできるよとのことで食べきれないぶんをそうしてもらったら、ビニール袋に入れるあのスタイルで渡されて、それもなんかうれしかったなー。知らない国を訪れてみるというのはそれだけで完結する体験ではなくて、その異邦の気配が身体や意識に宿り、息づいて、ふとしたときにこうして顔を出すという、生の更新なのかもしれない。このお店へくる前は数度通ったことのあるカレー店とですこし迷ったのだけれど、こうしたとき知らないほうを選ぶことにしていてよかった。それから喫茶店で本を読むことにして、もっか相談員さん経由でやりとりを行っていただいているお店に向かい、そこでしばらく過ごした。下見だよね。元通所先に通いはじめる前はしばしばそのあたりを出入りしていたものの、もし商品を置いていただくとしたらという視点になると、細部はよく見ていなかったと思った。チラシや案内がたくさん並んでいる。知り合いになったギャラリーさんのとこのカレンダーが商品として置かれていた。もしポストカードを置くとしたらどこにとか、それらと店内の雰囲気は合致するかとか、色彩は壁の白、木の調度品のダークブラウン、白熱電球の暖かくてやわらかい控えめな照明、とか。帰り際、CDアルバムがいくつか並んでいたのでなんとなくひとつ手に取りお会計へ。以前ここでライブをされた方々のですねとレジの方から伺い、そうした置き方はあるんだ……と思ったり。うちへ帰ってきてからは仔猫の相手や夕餉、あとはのんびり。仔猫の相手をするにあたり、釣り竿と糸の先にもさもさが付いているおもちゃでじゃらしているのだけれど、そのもさもさが確実に戻ってくる場所、こちらの足もとで構えるようになった。へんな賢さがついてきた……。なんかきょうはタイ料理に触発されたのか、とみにとりとめもなく書いている気がする。文章を弄ぶのではなく、単に出力が多いときって、それなりにフィジカルが元気というかメンタルは一定の安定を保てているときのしるしなのだよね。このフィジカルの元気を消費しすぎないことだけ押さえておくとよい感じ。もうあとはゆっくりしよう。

追記:女将さんとのやりとりを振り返って思う。もしなにか望む仕事が浮かんで個人でしたくなったときはね、もう迷う余地はないんじゃないの。個人として商売している方たちと仲良くなっておくんだよ。そうしてたくさん話す。あれこれ質問できるくらいお得意様、顔なじみの客になれたら、知恵や経験も分けてもらえる。仲良くなりたかったら? それはじぶんが致命的に下手な分野だけれど、基本はひんぱんに顔を出すこと。そうしていたら自ずと話題や接点、関心は立ちあがるよ。挨拶しとこくらいのノリとペースで会いに行く。そんなノリを持てる相手に出会うには試行を増やす。いまは新しい扉を小さく開く体験がスムーズなので、このまま好きにお店を開拓してればそれが試行そのもの。歓迎されているかそうでないかは接してみればなんとなくわかるものだし、とくにじぶんはその手の反応が顕著に分かれやすい質だろうから、こうしたときには都合がよいはず。もししたいことができたときは、実践してうまくいっている人たちと仲良くなるのが基本なんだよ。なんだか学生でいたころの感覚が微弱にある。やっとそこまで立ち戻ってきたという感じ。こうしたムーブは当時はやだなと思っていた気がするし、いまも相変わらずではあるけれどね。積極的って、このくらいのことなんだよ。

2026年2月9日(月)

NPOの担当さんから電話があり、喫茶店の責任者の方とやりとりした結果、こちらがその方に営業をかけるのはOKという方向で話が進んでいることを伺った。忙しいところだっただろうし、都合のよい申し出なのに、ここまでしてくださりすでに感謝。その営業となる日はまた後日にとのこと。そのあとふらっと回るお寿司を食べに出かけた。外食についての身軽さはけっこう身についてきている感じ。長いこと臥せっているとそのへん縁がなくなることもあり臆しがちなので、扉を開く経験が数に乗るのは好循環。生きのびるために一度は世界を閉ざしたわけだけれど、そこからもう一度開いていくにあたり、じぶんはその経路だけで三通りの生き方をしてる。それ以外の節目ごとにも関係性や像が断絶しているのもあり、じぶんの同一性ってどこで保たれているんだろ、おそらくこの身体そのものに宿っているのだろうけれど、よくわからなくて謎。お店を出たあとは微妙に不安感が顔を覗かせていたため、どこか喫茶店で本を読もうという当初の予定はおやすみにしてうちへ帰り、のんびり。早めに長湯に浸かったものの気分はゆらゆらしており、夜はランプの灯りの前でぬいたちと過ごしていた。ふと思ったのは退職することを決定した件で、退職する/勧められたように我慢してそこにいる、という判断の分かれ目に正解があったのではなく、感じた怒りをなにひとつ抑圧することなく大切に扱い、それを守るために書類を作り手順を踏んだ、それ自体が意味のあるプロセスだったのでは。愛着や感情の課題を感じつつも、ここ幾年かは二次感情であろう怒りばかりが油田みたいに湧いており、今冬はそれをさほどは感じない。今回の件では怒りという感情が抑圧されずに表へ出られた、出ても否定されずに守ってもらえた、自我が外界との手続きや判断とその結果の責任も引き受けたことで、ふざけるなNOだとはっきり意思表示できた。怒りの側からすれば自由に感じていいし表出していいし突きつけていいし、対象からはじぶん自身が守ってくれる、そう信じられるようになって安心できたのでは。安心できた怒りは過剰さを潜めるのかもしれない。眠くなってきたからざっくり書くと、長く抑圧されてきた感情たちの二次感情として湧いていた怒りが自由を得、自我を信頼してくれるようになった、そうしたことがこの退職のごたごたで起きたことの意味だったのでは。この怒りという感情とはよい関係になれそうな気がする。ねむたい。不安はいつのまにか消えていた。変なタイミングで石油ストーブの灯油が切れてしまった。明朝汲むのも寒いし、これしておふとんへ。

2026年2月6日(金)

定期通院先へ。意欲についてあれこれ訊く。フランス料理を食べたり東京へ買いものに行ったり、優雅に生活しているように見えますよ、との言。できないと思っているところへの評価が強いけれど、外食や買いものなどそうしたことをできている点も含めて事実をまず正しく評価しないと、その上に思考を積み上げてもうまくいかないですから、ということだった。できないというよりは気持ちと実行にずれがある、そのずれをどう見るか、ということもあるでしょうとのこと。そしてやはり、運動は基本にして王道らしい。じぶんにとって大事なとこだからと粘って話を伺い退室したら、待合室が混んでいた。とても久しぶりのことだけれど今回は申し訳ないという気持ちは薄め。じぶんも誰かを許せば済むこと。薬局で処方を受け取ってから市役所に向かい、期日前投票を済ませた。建物から出たところで見知らぬご婦人から「期日前投票の会場ってここですか」と訊かれ、入って突き当たりへ行けば案内の方がいます、その投票券があればじゅうぶんです、などやりとり。別れ際に行ってらっしゃいとお伝えした。なんとなくうれしいのは不思議な感じ。それからイタリア料理のチェーン店でお昼のピザなど食べたあと、初めてのカラオケ店へ入って計二時間歌っていた。初めてだしねとひとまず一時間のつもりが延長してのこと。通りすがりの女子高生二人にちょっと気を遣われてお礼はしたものの、若干の申し訳なさ。ここのDAMは新しめだったし、料金も安くてよいね。それからホームセンターやスーパーを回って帰途。うちでは仔猫の相手をしたり、長湯したり夕餉を食んだり本を読んだり。元通所先から返信がきて、被雇用者以外としての経験や知識を持つスタッフがいないために助言ができない、とのこと。じぶんは就労支援の枠外へ出たということになるね。そこからしばらく気持ちに揺らぎはあったものの、今夜はおとといやきのうとはうって変わり、凪の気持ちで本を読んだりインセンスを焚いたりして過ごしてる。夜が居心地よいのは久しぶり。一日のうちにけっこういろんなことをした日だったし、これはじぶんが想定/期待しているのとは別の側面で意欲が顔を覗かせている、と解釈して、できていることを増やしていくというアプローチもありなのだろな。趣味や生活が期待通りにできていないように見えて、外食やカラオケでは新しい扉を平気で開いてる。夜風のざわめきを聞いたとき、季節を感じることに出口がありそうに思った。もしかしたらそれは逆で、現状から脱したときには季節への感受性も回復している、ということかもしれないけれど。関係ないけれど、いろいろ厳しそうな今回の選挙、正しさからはそっと距離を置こうと感じた。もちろんいかがわしい真似で力をつけているあれこれへの拒絶はあるけれど。こうした局面で戦い方としての正しさがカウンターとして絶対になっていくことへの、一歩だけ引いておく距離。投票へ行くこと、それを表明することの正しさみたいなものに、ちょっと今回は違う気がしたから、それはこの場末に書いて留めておく。旗幟鮮明にしてアカウントで表明せよ、みたいな気配にそれは知らないよと思っているだけかもしれない。

2026年2月5日(木)

体調は戻ってひと安心。『悪人正機』を読み終えてハ・ワン『あやうく一生懸命生きるところだった』(岡崎暢子訳、ダイヤモンド社)を読みはじめた。日が暮れたころ、なんとなくごはんを食べに行こうかという気分になり、タイ料理のお店でごはんを食べた。うん、本場の味を知ってるってこういうことかーという側面もあれば、そこのトムヤムクンは間違いなく美味しく、時間が早かったのかひとりで気楽だったこともあり、旅の記憶を振り返ったりしていた。多層化されたじぶんたちが同席している、じぶんにとっての現実の風景にほほ笑んだり。いまこれを書きながら思うのは、きのうの不安はやはりかなりの部分が体調由来の気分の揺らぎだったという手応えと、それを把握して圧倒されずにやり過ごそうとするじぶんのささやかな長所。じぶんで褒めよう、えらい。突然別件になるけれど、目にとまる誰かに対して、このひとは自分自身と和解していそうかどうか、という視点がさいきんじぶんのうちに芽生えた感。それはとりもなおさずじぶんはどれくらいそうなのだろうかという問いの延長で、このところのテーマなのだな。そんなものがなにになると言えば全てだと言ってよいものだった。おそらくじぶんの疲れやすさにも影響があるはず。いくつか本を読んでみて思う、この和解と便宜上呼ぶプロセスは自分自身のことなのに、協力的な他者がいてこそ功奏する。元通所先でじぶんが獲得したのは仕事についての理解や一連の経験よりも、手を差し伸べてくれる方たちの存在そのものが安全基地となってくれたという肌感なのでは。仕事のあれこれはじつはオプションで、そこでしていたのは愛着のケアだったのでは。他者と安全の関係を構築するという回り道を経由することで自己と和解できるという、一見よくわからないけれど子どもの成長という線で見ると明らかな手順は、きっと大人になってから踏むのは状況から見て大変なのだろね。また少し別件になるけれど、就労支援の現場ではよく社会性が大切ということが言われており、確かにいろいろな意味で痛感はしたものの、それってきちんと切り分けないと怖いと思った。意地悪く言うと、なんら公正でもないいびつな世間の声を内面化して、その声につねに自己をジャッジさせる、そうやって社会の一部となる、それが社会性と呼ばれているものの一側面だと個人的には解釈してる。だからそれは必要に応じて着脱自在なペルソナ扱いで別によいはずなんだよね。自己判断で外した際にそれでは社会性がないと口を揃えて言われたの、それはそれで根に持ってるんだな……。なんでこんなことを書くんだろうと思うと、それはじぶんの関心でもあり、だから『悪人正機』や『あやうく一生懸命生きるところだった』みたいな本を読んでいる途中でなおさらなのだな、という。ところで、新車のカーゴはまだ各部のフィルムもめんどくさくて剥がさず、夏タイヤも積んだまま乗っているのだけれど、そのへん手入れして敷き布団と掛け布団を買ってきて積めば、ひとまず車中泊仕様になるんだねと思った。いまのところ思うだけ。自覚が薄いだけで、いまかなりな自由と行動圏を手にしているのだろな。なにかするのは別に暖かくなってからでもよいよ。

2026年2月4日(水)

モニターを梱包して引き取りにきてもらい、元通所先へ面談の相談についてメールを書いた。会社員/被雇用者以外の形態で収入、生計、暮らしを立てていた経験のある方が居たらお話を伺いたい、という内容。いつかそういうのを選択肢として持っておくのもありかなと思ってのこと。きょうはこの二件をこなせたら達成と捉えていたので偉業。うまくできないことだってよくあるからね。というかきのうよりはましだけれど体調由来の不安感が強めで耐えるように過ごしていた。そのわりにはお決まりの反芻思考はあまりなくて、買いものへ出かける夕方の車内でいまじぶんはとりとめのないことを考えているなあ、呪詛で占有されていない思考って気ままに考えるものなのだなー、と思ったりしていた。不安を感じるときは原因を、体調/状況/対人、に切り分けて捉えてる。体調はそのまま寒さや疲れがたまっていないか、睡眠不足や栄養不足がないか、気分転換になる動きはあるか、など。状況は幅広くて、直近の身近なストレス、居場所や避難先があるかとか、生活していく上での不安要素がどこにあるかとか、幼少期の愛着まで含む。対人はそのままで、他者の揺らぎを受け取っていないかとか、境界線に迫られたかどうかとか、解釈をじぶんひとりで増幅させていないかとか。とりあえずで原因を切り分けられると不安への耐性が持てるから、漠然と不安を感じているときにはその根っこを把握できると個人的には楽。不安は種から芽生えて枝葉を伸ばすもので、具体的なことから漠然としていくもの。そうしたいつのまにか生えてきたよく分からない雑草については、それをよく眺め、観察し、触れて、口へ運びよく味わってみる。不安は基本的に身体の声なので、じぶんと呼べる者たち皆でその雑草を味わいしっかり分かち合うと、身体は安心して不安をすこし弛めてくれるみたいなんだよね。でもこんなことをする前に具体的で確実なケアを見つけておくほうが早い。じぶんの場合は睡眠と長湯。睡眠はとても強くて、これができると心身不調も翌朝にはとりあえず、にできると感じる。これがうまくできないまま過ごした長い年月のじぶん、よく生きのびたものだね……。寒さが身体に溜まってくる夕方は具合がよろしくなくなってくるのだけれど、二時間くらいの長湯は自覚できるくらいには気分を持ち上げてくれるんだよね。きょうは一行くらい書きつけたらおふとんへいって養生しようと思っていたのに、なんかとりとめもなく書くのだなー。そんなに書きたいのかと問うと、とくにそんなことはない感。ここに雑記を書きつけるのって、じぶんにとっては一日の終わりの禊ぎのようなところがあり、一日を通して思考に浮いたり溜まったりした灰汁や澱をすくい取る作業でもある。そうしてすっきりした気分でおふとんへ入ると眠りも気持ちよいというか。いま吉本隆明、糸井重里『悪人正機』(新潮文庫)を読んでいて、いまのじぶんには吸い上げるように届く本だと感じてる。仕事を二月で辞めたいと決めるにあたって、世間のこうあれという通念や周囲のよかれという提案を退け、じぶんの判断を優先したのだよね。そろそろそうしたことが必要な局面は出てくるだろうから、正しさや通念へのカウンターを示してくれるこの本はたいへんな滋養。いま思い返したのだけれど、こうしてただ乱雑な思考のうちをとりとめもなく書き出す快があるときって、具合はそんなによくないときのサインなのだった。明らかにそのようね。素直に眠っときなさい。おやすみ。

2026年2月2日(月)

なにごともなく。モニターの件はメールして修理受付番号を発行してもらった。替えのモニターも届いたから、勢いでカスタマへ発送できたら。

2026年2月1日(日)

なにごともなく。デスクトップ機のモニターについている任意にON/OFFする電源ボタンが壊れたみたいで、そのようにできなくなった。OSや筐体本体と同期して動きはするから、前のように基板が壊れたとかではなく、たんに電源ボタン自体の故障かなといまはみてる。これ、よいお値段したちゃんとしたカラーマネジメントモニターなので(それでも安いほう)、商売してはいないけれど商売道具のようなものでもあるし、細かい故障でも早めに修理へ出しておこうか。ひとまずその場をしのぐ代えの安いモニターをAmazonでポチった。公式のカスタマに連絡するのがめんどいという気持ちは肯定しておくよ。めんどくさいね。だらだら過ごせるタイミングでたぶんましではある。夜はランプの灯りで過ごしているからモニターの電源切りたいのだけれど諸事情によりそうはいかず(スリープ/省電力モードやデフォルトのスクリーンセーバー設定がどこかで強制的に無効になってる)、ただ画面を黒くするだけのスクリーンセーバーを探してる。すごい、こういうのが探してもすぐに見つからない時代になってる。検索しただけでは手に入らないからいつぶりなのというくらい久しぶりに窓の杜へ飛んだ。ら、往時はあれほど隆盛を誇ったジャンルが十件くらいしか表示されないみたいで、さみしいことになっていた。もうしょうがないからPaintでただの黒い画像をつくり、それを全画面表示させておこう。今夜はもう考えるのやめ。タスクはあしたへ。話を聞いてもらえそうだからと求められるのはよいのだけれど、心身不調で寄りかかられるのは避けたいと思った。自他の反応を過剰に気にされると困惑するものね。わたしに関わりたい人間はわたしと良好な関係を保つために、あるていど具合がよい状態で触れてほしいな。

2026年1月31日(土)

なにごともなく。中古本で全巻揃った『からくりサーカス』を読みはじめたり。なんか長めの漫画でも読もうかという気分になり、ジョジョとこれでどちらへ行こうかすこし考えもしたのだけれど、なにも前情報がないこちらへ。