雨が降ったりみぞれだったり。さほど寒くない。情報依存を減らそうとしてみると、べつになにもしていなくても退屈はしないんだよね。そちらに強い快があるということであって。変化を感じはじめるまでに三日から一週間はかかることを想定しているのだけれど、きょうはすでに悪くないというか、離脱症状なら納得というそわそわが半分/これはこれで心地よいような気分が半分。そして気楽という感じ。このまま続けて様子見ましょう。すでに臓器として炎症を起こしている脳に余計な負荷をかけない、そのためには情報その他の刺激を減らす、安全さを感じ脅威は遠ざける、長湯はじぶんに効果的、など。能動的な強いアクションはいまは強いなくてよいよ。業務スーパーの野菜コーナーにいろいろめずらしいスプラウトがあることに気づいて、いくつか買ってサラダに入れてみた。今回はシトラスフラッシュ/ウッディーナッティ/四川花椒菜というの。すごくおもしろい……! 爽やかな柑橘の香り、樹木やナッツの香ばしい風味、舌が痺れる味。素の植物にこんな風味が出せるんだ、とびっくり。いいお値段したけれど、こういうのが選択肢としてそこにあることはおもしろいなー。きょうはパクチーをサラダにして好きなだけ食べ、もうはっきりとパクチーをおいしい枠へ移した。いけるかもと考えを改めたとたんおいしさを求めて突進しているところ、じぶんだなー……。
2026年3月2日(月)
なにもしない日。というのは思考がむやみに走っている日。回復という点で認めたほうがよいこととして、スマホ見過ぎ。この認知負荷や眼精疲労、ほかの行動を排除していることのデメリットを、慢性疲労の原因としてみたら? ここを変えたら変化がありそうと推測できるなら変えたらよくない? たしか疫病が流行り始めたころだったと思うけれど、一ヶ月ほど最低限のチェックのほかはネットから離れたことがある。あのときは読書が多少捗ったかなという感じだった。いまは状況やコンディションがまた別かなと思う。身体を大切に扱うことにいまは具体的な意味や反応が生じているから、見当が付いていることはしてみたらよいよ。行動を変えにくいと感じるのはそこに依存と消耗のループができているからで、抜け出そうとすればしばらくきついのはそう。とりあえず方針づけてやってみる、そう思えたらなかなかいい感じだよ。
2026年3月1日(日)
のんびり。夕方前に初めてのラーメン屋でラーメンを食べたり。
2026年2月28日(土)
歯科へ。三ヶ月ほど連続することになった一連の歯の治療はこれで一段落したと思った。そのあとモスでハンバーガーを食んだあと、よい感じの花びんを探そうと思って方々巡った。Googleマップを頼りに花屋や雑貨店、園芸店など。それ自体が作品のような花びんは自分の好みではないぽい。品々を見て回るうち、素っ気ない硝子びんのようなの、たとえば試薬びんや酒びんのようなかたちのがほしいこと、しかもいまは細口よりは多少口径のあるもので、ただ透明よりは緑がかっていたり水色寄りだとうれしいとか、多少のいびつさや気泡が入っているようなのは歓迎とか、細かい好みが浮かんできた。とりあえずだねと、汎用性がありそうな広口で透明硝子の花びんを見かけて入手。べつに端正というわけでもなくそれ自体は主張しないような素っ気ないフォルムがよいし、束が太かったり多少大きめな花を買ってきてもそこに活けられそう。もうひとつ、口が広がっているから小粒の球根も育てられる形状の、小さな青い硝子の花びんも買った。じぶんのために花を買うということを覚えたからどちらも後使おう。理想というか好みは立ち上がったし、よい感じの花びんを探すという志向性は、足もとの石やそのへんの草に興味を持つみたいに退屈しないんじゃないかな。花びんを探すというのもゆとりがあり気持ちが穏やかで初めて成り立つことよね。きのうの宵のころまではじぶんに同情するほどしんどかったのに、まったく気分というのはこうなんだよ。まあ楽であるときその楽さを味わうのは幸せの基本なので……。帰ってきてからは営業となる返信のメールを書いて送った。めんどくさいだけでやれば終わるよと思えたのえらい。夜になっても気分は凪いでいて、夜更けのいまもなにかを思い煩うことなく気楽。ここ数週間は夜になるとしんどさが増幅されやすく眠りを優先していたから、こうした夜はありがたいな……。ところでふと気づいたこととして、奥の歯同士の間に、たとえば虫歯があってもおかしくないような微妙な舌ざわりがする。まだ治療は終わってないと思うとげんなり感があるけれど、時間のある時期に気がつけてよかったわけで、予約を入れて治療しようね……。また別の話で、他者のしんどさについて知ったり思うようなとき、そこに結論はないよと自分自身に対して思う。じぶんも浮き沈みがあれば今夜のように気楽なときもあり、それは多かれ少なかれひともまた同じで、そこは単純にどちら側からも比較は要らないよ、比較がないだけでかなり上等だよ、という。そのうえで他者の思いを想像もできるようなときであればそれは祈りに近いこと。書けば単純だけれどしんどいときはこう筋よくはいかなかったりするものであり、書けるとき書いておく。じぶんのいま置かれている立場/状況にしても運よく成立していると言えて、じぶんなりにそれを活かす、というのが妥当なところ。とりとめもなく長めに書いているときというのはコンディションは悪くないとき。生きものの変化する性質にほんのり感謝して、窓辺で過ごそう。
2026年2月27日(金)
日がな本気でつらくて夕餉の途中に床へ伸びた。たぶん初めてじぶんがかわいそうだと思い、もしかしてこれは悲しみというものではという気持ちに。状況的なストレスを抱えて増幅してしまっている身体に、そのしんどさは自我がタスク化して処理するから渡してと語りかけてしばらくしたらすこんと楽になり、それでタスクを書き出しきょう片付ける範囲をこなした。そのあとは憑き物が落ちたみたいに楽になってる。この自我はいままでずっと矢面でじぶんを支えてきながら目立つ主張もせず、どんなときにも現実に対処してできることをして、じぶんをここまで連れてきたのだなと思う。身体が信頼して負荷を全て預けられるくらい、黙々と着実にこなすかっこよさと信頼感があり、仕事がなければぽんやりしていることを最も好むチャーミングな面もある事務方、という印象。こういう人物像がじぶんのなかで一側面として存在しているなんて、なんだか、意外だ。きょうやるのはここというように優先順位をつけラインを引いてひとつひとつ片付けるし、自分自身からの信頼に対して誠実に能力で応えてくれるからあまりぶれることがなく、こういう相手に呼びかけられたら苦しがっている身体もそりゃ信頼して委ねるかも。いままでじぶんが自己像として認識してきたのはおもに体と心の反応だったみたいで、それはかなり極端にネガティヴな感情の実感を含む像だったから、こういう頼りになる事務方がずっと一緒にいて支えてくれていたことに、思いがけずうれしいような落ち着くような気持ちを感じる。気分の忙しいこと。呼びかけにこれだけはっきり応じたあたり、身体/心/自我は互いに信頼関係をもとに対話できるようになっているのだな……。元通所先へは一区切りとなるメールを送った。喫茶店さんとのお話の件はメールが届き、ポストカードを商品として置いてくださることになった。その返信はあすのタスク。きのうの雑記は書き損ねたけれど、風の強さに季節を感じたため、たぶん初めてじぶんのために花屋で花を買い、珍事くらい珍しくスタバで甘い飲みものを持ち帰りして、うちでそれらを相手にしていた。
2026年2月25日(水)
元通所先の退所のサイン含め、関係者が揃っての面談となった。いったん関わりが終了となる方々にも継続となる方々にもお礼を伝えたり。気持ちがほぐれたように思う。夜更かししていたら変な時間。この風の強さは冬が撤退していくときのざわめきだなと思う。
2026年2月24日(火)
きのう書いた定食屋さんへ行ってカツ煮定食を食べた。ポストカードを渡したらお店に飾りましょうという話になり恐縮。体調がよくないのでねむろう。
2026年2月23日(月)
Googleマップで見かけて気になっていたタイ料理のお店で昼ごはん。行ってみるととくに看板が出ているわけでもないようだったけれど、ほかにお客さんが店外で待機していた。やっぱり30分くらいは待つかーという声を耳にする。駐車場のナンバーに隣県がいくつか。なかの客層は夫婦連れや女性客多めなのかなという印象だった。白米におかずを乗せて食べるクアクリンムーとカオマンガイ、チャージョー(えびの入った揚げ春巻き)、それからデザートにバナナの揚げ春巻きを注文。どれもほどよい味付けの、香ばしくて美味しいごはんだった(先日の居酒屋の手加減なしな料理と比べて)。チャージョーについてきた酸味の強いたれ、あれすごくエスニックでいいなと感じたのだけれど、なにでできていたんだろう。揚げ物としての熱いバナナ、それも冷たいアイスクリームと合わせて食べるのって、思いがけないおいしさ……。メインのボリュームがあっておなかいっぱいだった。ヤムウンセンとなますをテイクアウトして、そちらは晩ごはんに。ひとりで切り盛りされているらしい店主を軸に横のつながりが広がっているのかなーという印象。そのあと出かけたついでにと、文房具屋へ向かって絵の具やペンなどを手に入れた。そのうちまた使いそうな気配がする額縁に傷が入っているため、近い色を塗って補修しておこうと思ってのこと。急に声がかかってもよいように、A3用の額と額マットをそれぞれふたつ、注文しておかないとね。作品も印刷所で印刷し直したほうがよいのがたぶんいくつもあるから確認を。友だちが研修先の定食屋さんに食べにきてねと教えてくれており、あすはそちらへ遠出してみるつもりで連絡しておいた。別の話で、替えのスマホを申し込んだのはタイミングがよくなかったなーという気持ち。申込先サービスが平日に発送となっていて、それをしたのは三連休前の金曜だったのだよね。不便なのかデバイス依存なのか。また別の話で、仕事に可能なだけ依存しない暮らしを設計として実装する、という方向性を実践しているひとたちとつながりたいという気持ち。働く/稼ぐ/消費する、という循環を抑え込み、生活コストも抑えることで多少の不便を受け入れる代わりに半身抜ける、つくる/育てる/交流する/仕組みに参加する/自然とつながるといった、消費とは逆な生成する営みへ舵を切りつつ稼ぎ方を増やす、お金をはじめ諸々への依存を小さくしていきつつじぶんの時間を増やしていく、まあそんなこと。実践している/模索しているひとたちは探せば観測できるのだから、容易くないか魅力がないだけでできないことではないのだろう。働いて稼いで消費するというエンジンのほうがこの社会では標準提供されていて実装しやすく効率的で刺激も強いし認められやすく楽で安心安定できる、あたりだろうか。じぶんは、ひとりでいるときこそ充実や自由や気楽さを感じる/ただ存在してただ感じることに心地よさを感じる、という点において、別の設計へ入れる性質持ちと言えそう。消費に依存しないということはそれが持つ強力な欲望をどこまで方向転換し、無料/じぶんで生み出す快へ切り替えられるか、ということだろうか。じぶんは最終的にひとりでいるために、ひととの関わりを経由する必要がある、という思いがあって、関わるための性質や能力を切り捨てずに伸ばせている点はきっとこれから効いてくるよ。とりとめもなくなってきたからこのへんで切り上げ。
2026年2月22日(日)
さいわい風邪の症状は出なかったものの、体調もメンタルもぱっとしない日。というより人間沙汰のことばかりで思考が煮詰まったまま過ごしていた。ふと北へ帰る鳥たちの写真が目に入り、ああ世界は広いんだったと思って風通しを感じたり。世界や宇宙、自然、地球、この世などと呼ばれるものたちに接地してる? 光の加減や風のざわめき、大気のにおいや肌触り、空と雲の様子、遠くを行く車の音、夜の静けさや物音、星や月、そういう現実を感じられてる? いまこの瞬間へ戻ってくるのがよいよ。人の世はあんがい数えられるくらいのレイヤーでできていて、ゆえに生きもののはずの人間はそこへ回収されるとき削られるのだけれど、世界のほうはなまの質量と無限の階調でできている。人の世を包摂してなお麗しい混沌を保つこの世界とじぶんとのあいだに風通しを確保しておくこと。
2026年2月21日(土)
ポストカードについてのNPOさん/喫茶店の方々とお話の機会。それはひとまず済んだのだけれど、別件として夕方ごろからのどが重くて咳が出るし、鼻は詰まるし、風邪の引き始めみたいな感じ。おふとんにこもる。
