控えめに言ってメンタルの具合が悪い日。具体的に言うと怒りで消耗していた日。案内はがきの地図をどう簡略化するか、紙に書いて案を練っていた。定期通院先へ向かった帰り道、市のお祭りへ向かう人足や賑わいを見かけた。眺めるだけ。お祭りもいいかもねと思いつつどこかで気が乗らない感じもしていたのは、まあこうしたコンディションのときには。
2026年8月6日(木)
なにごともなく。流れがないね、と思い当たった。このところ持ち出しているレンズはOrestonで、これはいかにもオールドという感じの甘い軟調に加え、朝夕の光線や日中の日差しの強さがはまればボケが暴れるところが魅力かなーと思う。とはいえそろそろ違うテイストに手を出したいのも正直なところ。Planar 50mm F1.4 MMJとKIPONのC/Y→Eヘリコイドアダプターを手に入れられないか検討中。作品展にあわせてポストカードを新たにオフセット印刷すると大金が出ていくので、どうしようね。というのも最近はカメラで撮って編集して、という活動が地味に回復傾向にあって内心うれしいため、これを育てたいと思っているのだった。外界への関心と気力のバロメーター。宮崎光学のISM 50mm F1.0を逃しちゃったのが物欲に障ってる感。
追記:
いらだちを感じて煮詰まっていたのだけれど、ふと案内はがきのテンプレ作りに手をつけたらましになってきた。いらだちは流れが止まっているときの、それもじぶんでせき止めているときの、メッセージとしての感情かもしれない。
2026年8月5日(水)
二週間先までの予報を見ると、しっかり晴れる日はきょうくらいかも、というあんばいだった。花を撮るならこのタイミングということで、うちの子一名と車で高速に乗り、県南の花センターへ。めんどくさいと思っていても腰を上げると動けるなー。着くとお昼になっていたためすぐとなりのそば屋で天ぷらそば。それから園内へ入ると、意外にもばらがわりと咲いていた。ただ、目的は熱帯植物の大温室。なんとなくそういうの見たいと思ってここを選んだのだった。カカオの木から直接ぶら下がって実っているのはカカオポッドと呼ぶ実だとか、オオオニバスの葉の直角なめくれかたはある程度葉が育ってきてからそうなっていくように見えたこととか、タビビトノキの見上げるような高さだとか、見どころはいろいろ。ネットでたまに見かけるくらいには有名らしきヒスイカズラは花期が3~5月ごろとのこと。熱帯植物の種ガチャや夏休みの自由研究のテーマがあったり、ほかにも興味を引かれる展示が並んでいて、よくやっているなあという印象を持った。併設のカフェでかき氷を食べたりして帰途。
2026年8月4日(火)
たまに行くタイ料理の居酒屋でお昼ごはん。ココナッツミルク入りのトムヤムとナントックヌア(牛肉のサラダ)を食べた。お客が多い日で忙しいようだったけれど、居もしない誰かに遠慮するのもねと思い、時間がかかることを了解してテイクアウトもお願いした。それからどこへ行こうか迷った末、ふたつ向こうの市を散歩することにして車で向かい、適当な住宅地をカメラ持ってふらふら歩いた。さいわい晴れており、花の少ない季節ではあるけれど、咲いているものを見つけて玉ボケを出したり。方々の植え込みの椿には、つやつやころころした円い実がいくつも付いていて、それが緑から赤みがかった色へ移りゆくところだった。そうした実は季節を辿れば花が咲いていたころには雪も降ったかもしれない。ゆっくりと、確かに、受け渡され、巡りゆくもの。椿の実のように季節を渡っていくというのはどうだろ。人の世に足を突っ込んでいると否が応でも流されていくからね。じぶんで決めた実りを待って季節に身を委ねるというのは、力みもなくゆるやかかもしれない。ほどよくぶらぶらしたところで帰途についた。これ書いたらねよっか。
2026年8月3日(月)
なにごともなく。真夜中に煮詰まったような思考と気分に陥るなら答えはそれらの外にある。それを止めるか、眠るか。ここ何日か生活が乱れていたのが原因と言えば原因。知り合いの写真家さんから返信がきて、きのこが出はじめたら連絡しますとのこと。雨がしっかり降るかどうかで発生が左右されるらしい。すこししたら眠ろうか。
2026年8月2日(日)
入荷予定とあるレンズのページを10分ごとにチェックしていたDistillから更新ありの通知が来たので即座に見にいくと、入荷した表示ですらなく、すでに売れて無くなっていた。がっかり……。予告期間がそれなりにあっただけに、競合する誰かがいたと考えてよいのかな。あ~、期待していただけに、あ~。簡単には手に入らないか。またどこかに入荷するのを気長に待とう……。
2026年8月1日(土)
机の前やおふとんで過ごすうちに未明。
2026年7月31日(金)
耳鼻科へ。夜になり散歩。赤十字が熊本地震の義援金受付を始めたので、すこしばかり振り込んだ。九州一周のおかげで、どこそこと言われて思い浮かべられる風景がある。天草を渡ったドライヴも、車中泊した熊本市郊外の公園のことも、阿蘇へ向かう朝に入った定食屋でのやりとりも。個人的にはSNSでは、災害なり危機の話題にはなるべく乗らない。乗る人への批判ではなく、それは各人の判断だと思う。先日ここに書きつけたように、ひとは強い情報に触れるだけでアドレナリンやコルチゾール濃度が高まるもので、これだけ動揺を含む話題にはなおさらそうなる。言い換えると、言及することにはストレスを拡散する側面もあると思うんだよね。とはいえ情報や思いこそSNSのメインであるし、でももしかしたらそれ以外に、いつもと変わらず日常を保っている様子がそこにあることにも意義というか需要はあるかもしれない、というのが個人的な立場。ここの受け取られ方はたぶんひとによりけり。危機のとき日常を保つことで安心をそこへ置けないかと考えるじぶんみたいなのもいるということで。ぜんぜん関係のない話で、ネットであれ日常であれそこに溢れる性差の話題って男性か女性かみたいな0か1の話で、これが無限に擦られてるわけねと思う。じぶんは自身の属性を説明するための言葉は持っているけれど、それらすらマイノリティのさらにマイノリティのさらに盛り合わせ、みたいなややこしさで、それをわざわざ語るに値する状況ってほぼない。それにいままでのところは自認を言葉で切り分けずにあいまいであることを受容して保持し続けてる。そうなると見た目で判断されて他者から仕分けされるわけで、病でもそうだけれど、透明化だよね。九州一周の際に実感したこととして、たいていの道の駅には誰でも使える多目的トイレが設置されていてありがたかった、というのがあった。……この話題でどうしてもなにか書きたいかというと、あまりそんな気はしないかも。個人的には男性性や女性性といったそれ単体に居場所を感じたことってあまりなく、社会設計に対してはしばしば寄る辺のない感覚を味わっている、ただしそれで抑圧されてばかりかというとかなりしたいようにしているし吹っ切れている面も多々、ということを書いとこ。のんびりしよ。
2026年7月30日(木)
午前中はギャラリーへ向かい、そこからオーナーさんと一緒に別の喫茶兼ギャラリーへ移動。こちらもオーナーさんが運用しており、こちらで展示するために打ち合わせをした。日程はひとまず決まり、案内はがきとプロフィールカードの製作がじぶんのおもなタスク。めんどくさいけれどやればできるでしょ、たぶん。セルフビルドとオルタナ系の暮らしについて話すと、タイニーハウスの設置やキット提供も手がける地元の工務店の社長さんと知り合いなこと、働くということとなりわいについての書籍をいくつも出版されている陶芸家さんが地域にいらっしゃる話を伺った。正直なところ、求めている知りたいことが直球で手に入るというのは、ひとえにこのオーナーさんのお人柄と人脈なのかと、不思議なところがある。もうちょっとなにかの理があって、こうと決めて行動するとき世界は力を貸してくれる、のでは。もしチタケを持ってきた場合にこの店先で売ることできます? とオーナーさんに訊ねると、いいよ、店の取り分が二割になるけれど、と快諾してくださった。メールできのこ採りについて伺っている写真家さんからは返信待ちのタイミングで、そこはこちらの完全な皮算用なのだけれど、卸して並べられる先があるということだ。そのあと実際にタイニーハウスや避暑地らしい家屋が立ち並ぶあたりを案内していただいたあと、ギャラリーへ戻って別れ、買い物をして帰途。今後、じぶんのエゴや醜さは避けようがないな、ということを思う。いまさらでありずっとそうだったのだし、必要ならそうすればよいよ。Distillの有料プランでレンズの入荷しそうなところをチェックしているのだけれど、これだとひと月あたりトータル3万回のチェックが上限みたいで、それに引っかかり月が変わるまで監視が動かなくなってた。チェック間隔を調整。
2026年7月29日(水)
やおらごみを片付けスマホを返送した。それから各方面へメールや電話を入れ、それぞれ予定が立てば摺り合わせる方向へ。じぶんはめんどくさいことを片付けるとき「めんどくさい~だるい~やだ~」と気持ちを口に出すと作業に取りかかりやすいんだよね。嫌がる自己をよしよしをしている感じ。夕方にはすこしだるさを感じ、行動することには気疲れしたのだなと思う。のんびりするうちに夜。故障して返送したスマホから取り出せずバックアップもあんまりしていなかった、亡くなった杢の写真や動画のことを思うと、水の流れるような強くはない悲しみを感じたりはする。すこしは残っているけれど。雑記を日々書きつけていても日ごろ考えていることってあんがい俎上に乗らないもので、いまある一つは、できることをしたことにどんどん変えていこう、というもの。種を蒔いてときには水も遣ってみて、なにかが育ちそうな庭を保っておく。あるいは持てる可能性をひとつひとつ検証して完了形というかたちに潰し、刈り込んでいく。すこし別の話で、収入やなりわいを成り立たせていくことも、セルフビルドで家を作ることも、旅や庭や犬や猫との暮らしを実現することも、ぜんぶ同時進行するのがよいなと思ってる。愛着や安心の問題があってそのために活力や持久力が不足しているとしたら、それらを解いていくためには逆説的に愛着や安心を実現できることが必要になってくる。ひとつひとつ手続き的に解こうとしたのでは解けない。もつれた糸をほぐすように、雲を掴むように、知恵の輪を外すように、循環へ入っていくように、全体に取りかかることでいつのまにかふと解けていることに気付くときがやってくる、そういうアプローチがじぶんには向いていると思う。考えることはあれこれあっても、ひとまずきょうは立ち上がり動き出せた、そのことでじゅうぶん。そういえばふと思い出していることがある。三月の房総巡りで入った土産物屋の方と立ち話になり、「(こういう商売をしていると分かることで)お店に入ってくる人は足取りが迷ったりするのですが、あなたの歩き方には迷いがなかった」と言われたのだった。それなりに売り場をいったりきたりうろうろして品定めしていたつもりだったのだけれど。そのあとお誘いいただいて連絡先を交換した。見つけてもらった気がしないわけではなかったし、旅というのはこうした出会いが起こりうるのだなと思ったりもした。明朝はギャラリーで打ち合わせがあるから遅くならないうちにねむろう。
