葬儀終わり。喪主でもないのにそれなりに疲れた。故人が紙巻きたばこと釣りの仕掛けを持っていったことで太公望だとか話す。親戚なんてのは揃って会えば気疲れするから、当面は誰も亡くならなくていいよ。
週末以降より台風が接近すると聞いた。びわは熟すのを見てあと幾日か。一粒きゅうりは収穫できる大きさのものがちらほら成っていて、朝取りに塩を振って食べたら美味しそうだ。
葬儀終わり。喪主でもないのにそれなりに疲れた。故人が紙巻きたばこと釣りの仕掛けを持っていったことで太公望だとか話す。親戚なんてのは揃って会えば気疲れするから、当面は誰も亡くならなくていいよ。
週末以降より台風が接近すると聞いた。びわは熟すのを見てあと幾日か。一粒きゅうりは収穫できる大きさのものがちらほら成っていて、朝取りに塩を振って食べたら美味しそうだ。
通夜終わり。振る舞いの席にて、アルコールが入って泣き上戸な親戚に絡まれ、あとからひっそり労われる。故人のために一番泣いてくれたのがおそらくその親戚の方だった。明日は朝九時よりばたばたしているはず。
それとはなしにOrangeadeの楽曲の状況を検索したところ、CD収録曲がSpotifyで、そのMVがyoutubeでそれぞれ聴けるようになっていた。いつだったか、普段は聴かないInterFM897でOrangeadeの紹介があり、そこで流れた『私を離さないで』が、あ、良いなと耳に引っ掛かったのだった。ただ、彼らはCDの流通を絞っていたため、買い損ねた僕は仕方なしに中古のEPレコードを引っ張ってきて、ときおり針を乗せて聴くに留まっていた。欲を言えばCDが欲しいのだけれど、ともあれどこでもこれらの楽曲が聴けるようになってよかった。
そういえば斎場から引き上げる際、従妹の長女(僕にとっては姪)である赤子と触れ合う機会を得た。なんか小さい掌でこちらの指の二、三本を軽く握ってもらったりして、またね、と手を振り合った。これからは僕も叔父をやることになるのか、あんまり自信ないなあ、なんて思う。
吉田篤弘の『木挽町月光夜咄』(ちくま文庫)を読んでる。小説を書くのに行き詰まったときは書きたいこと同士の「つなぎ」が無い日記形式にするとよく書けるけれど、それでは文章は上達しないだろう(眉唾)、ということが書いてあった。僕はここの文章を鉛筆削りのつもりで付け続けているため、少し戸惑ったのだった。日記には表現力の現状維持の効果はあるような気がしてる。
吉田篤弘氏は今でも新刊をコンスタントに出しているはずで、いつからかそういう情報を追わなくなった。Amazonを見ると知らない書影がいくつもある。自分にはハマった作家ばかり読む傾向があり、もっか椎名誠氏への熱が落ち着いてきたところ。例外がトーベ・ヤンソンさんで、小学生のころなぜか家に転がっていた青い鳥文庫の『ムーミン谷の彗星』(カバーもなかった)と出会ってからというもの、ムーミン童話を読書のとっておきとして、飽きもせずに読み返してる。
BOOTHで六月と十一月に開催されていた音楽のオンライン即売会「APOLLO」が、今年は告知がないなーやめちゃったのかなーと思っていたら、問い合わせが多かったので秋にはまたやります、という旨のツイートを見つけた。よかった、でも僕も訊いておくべきだった。
明日というかもう今日、昼過ぎより通夜のために集まる予定。
火曜に通夜、水曜に葬儀と日取りが決まった。今日は駆けつけられる者たちで顔合わせをするほか、線香を上げたり、墓の掃除など。
宵に叔父が亡くなったという報せが入る。週明けよりばたばたするはず。
今年の梅雨はずいぶん涼しくて過ごしやすいけれど、この調子のままだとしたら、今夏はどうなるだろうか。夜の景色や空を見ながら、一つ先の季節の、しっとりした闇と空気を思う。柴咲コウさんの『Trust my feelings』やScoobie Doの『月光』がよいね。
日が高くなっても霧が出たままで、日中の視程は大雑把に1kmといったところだった。日没より雷雨、のち大降り。明日は夏至。昨晩のうちに『ムーミン谷の夏まつり』を今年も読了していた。
夕刻、叔父が今日か明日かという連絡を受けて、何名かが病室へ集まった。事前の説明によれば、叔父は今朝方にテレビや窓の外を見ようとしていたとか、いまは酸欠で朦朧としているかも、という話だったけれど、僕が側に立ったときの叔父は目をあちこちに動かしていた。大叔父が叔父の手をさすりながら優しい言葉を掛けている。僕は、怒っていてもしょうがないからなあ、というようなことを話し掛けた。その後、周囲の者同士でぼそぼそした会話が交わされ、叔母と従弟から「今日は来訪者が多かったから、本人は疲れているのかも知れない」という話が出て、大叔父や母と共に病院を出た。
祖父から連絡があり、びわが色づき始めたがどの段階で漬けるのか、ということを聞いてきた。なんとなく食べられる程度に熟したら、ということで話が付いた。びわの場合は、青い実では香りが宿らないのではないかなあ。
日暮れより夕立。この夕立はよくあるにわか雨ではなく、前線に添って大気が乱れていることで起きているものらしい。そのため、明日の朝まで降り続くかも知れないとのこと。いまのところざあざあと安定した雨脚になってる。
降ったり止んだり。雨のにおいが強くてとてもいい。
夕暮れより散歩。満月が煌々と輝いていて、懐中電灯の灯りがなくても野辺を行ける明るさだった。仄かに浮かび上がる夕べの景色になにか柔らかいものを思う。復路に物の序ででとある用水路へ寄り道をする。竹藪の中へ注ぐその用水路には毎年、蛍が出る。今年はどうかなーと見に行ったところ、数匹の明かりが月光の中や竹藪の真っ暗闇に、ふわふわと点滅していた。ああ、今年もいいものを見られているのだなあ。蛍の黄緑色は思いがけないほど目に明るく映る。帰り道、うちの近くでも蛍が道を横切っていった。蛍が光を求めて人家の網戸にくっついていることはよくあることだから、わりとこのあたりの広範囲で見られるのかもね。