2026年9月22日(火)

きのう書いていなかった。カウンセリングで前回の家系図の件について、あれは濃かったと感嘆されたのだった。ひとりひとりが苦しみながらもここまでつないできたわけでしょう、ありがとうございますと思います、と。個人的にはいまのところそこまで高い視座はないし愛着もないんだけれどね、その時点で敢えて表明をしなくてもよいかなと思い、曖昧に頷いた。この日は療法の二回目。自分史と家系図が出たことで巻物あるいは見取り図ができたから、そこから傷の分布を推し量れる、もっとも大きな傷からアプローチするのが定石です、とのこと。それで個人的に行ってきた、子ぎつね、うさぎ、おおかみの三人といまのじぶんを含めたじぶんたちで記憶を辿り、それに触れ、結論を出したことについて、話した。カウンセラーのYさん曰く、すごく高級なことをされてます、正解です、とのこと。トラウマ治療に際しては多くの技法で、過去の傷を活性化したうえで処置するプロセスを含む。ざっくり言うと取り出し→解凍→再生→処理を安全な条件の中で行うのだけれど、それを無意識にしろ踏襲しているぽい。慢性的な怒りを見つめたうえでそこに対象を見出すというのは直球で適切な対応であり、それを単体ではなく三つのユニットに分けているという側面は、必要性があったにしろかなり特殊なことを行っているらしかった。ひとりでにセルフワークを編み出して適切に処置している、そうしたことをお褒めいただいた。特に誇張も謙遜も要らないと思うから書くと、たぶんね、ひとはほんとうになにかを見つめざるを得ないとき、必ずしも知識に依らずとも、直感で最適な筋道を嗅ぎ取り、辿るんじゃないかな。ある種の普遍性。高級というのは、Yさんの療法の場合は高い効果を出すためにあくまで理路に則って削ぎ落とされた行為のみを行うわけで、じぶんのそれは物語を丁寧に扱いながら辿っている、そういう意味での高級さのよう。せっかくだからじぶんのこれを使いたいということで、中学生時代であるうさぎの子に了解を取り、その子と一緒に療法を進めた。統合を勧められてその提案を受け入れたものの、一日経ってもとくにそこまで行う必要はないなという感じなため、こちらの判断で併存の状態を取ってる。イマジナリーフレンドとして存在することで脳のメモリを食うことが疲労に繋がると言われていたんだけれど、そのことで困らなければよいのであろ。この子に怒りについて訊ねた際のイメージについては、当初の際限なく湧きだすべたつく重油から、羽の生えた空色の丸っこいものに変化していたのが、今回の療法では金色の卵のイメージとなり、二人がかりでそれを割った。そこから先は別の流れに合流していったよ、と書いておく。うちへ帰ってきてからはなんだか疲れが出て、ここへ書かずに床へ就いたのだった。きょうは体調のしんどさから夜に散歩をしたほかはなにごともなく。きょうに限ったことではなくなっているけれど、日中は退屈というものを感じていた。療法のセッションが進んで精神的な疲労が取れてきたときの、行動の下地になるものだと捉えてる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です