2020年6月22日(月)

当たり前のものに別の角度から光を当てて当たり前ではなくしてみるとき、ものごとが繊細な色彩の粒子を放つことは、感動の源泉だと思ってる。さっきまで煮物のにんじんを食べていた。こういうにんじんは、山や野で採ろうとしたらかなりの大物なはずで、その日の採集のハイライト扱いになるんじゃないだろうか。山菜採りでこういう手応えのあるものを手に入れたら晩ごはん作りも張り合いが出るだろうし、食べる行為だって余裕を持って向き合いながら味わうようになるはず。実感が必要なんだと思う。当たり前とか気にもとめない事柄って、そこへ視点が行けば遠くへ出かけるより簡単に新鮮さが得られるだろうから、そうしたものに慣れずいる態度を持てたら。

きょうは一日中涼しい風が吹き抜ける、梅雨寒の日だった。こうした天候の不思議な爽やかさってどこから来るんだろう。昨晩のラジオ深夜便で、吉田篤弘の『空ばかり見ていた』に収録されている、おでこが広いことを気にしながら喪失を抱える司書の話が朗読されていた。夏至を過ぎてかすかに色褪せるような感覚と、梅雨の涼しさや、これから暑い盛りということなんかが混ざり、やがて周波数が変調するような七月へ突入していくんだろね。風があるせいか、少し肌寒い。

2020年6月21日(日)

夏至。曇り。叔父と祖母の法事を合同で済ませた。それから大叔父と二人で他所へ移動し、こちらの抱えている疾患のことを聞いてもらったり、関連書籍を渡したり、彼の二十代や三十代の話を伺ったり。大叔父は私のない超然とした人で、話の要点を掴むのもうまく、「理解して欲しいってことだな」と数時間にわたり相手をしてくれた。押しつけがましくないように心構えも説いてもらったように思う。それからお弁当を食べて帰宅。夕方に部分日食があったそう。このあたりは予報通り、ときおり小雨のぱらつく曇天で、空を見ることはできなかった。いまになって網戸越しに雨の降る音がさああと聞こえる。

ファンタジー世界の地図を引くのにWonderdraftInkarnateの二つを眺めてるけれど、どちらがいいんだろう。前者が買い切りに対して後者は課金形式。出力できる解像度の自由さは前者の方が高いぽい。InkarnateはMedieval Fantasy City Generator by watabouという中世都市の地図ジェネレーターと連携できるそう。redditにWonderdraftのトピックがあった。ネタ出しを再開したばかりだから、上記どちらのサービスを使うかはのんびり決めていくと思う。

きのうの雑記を書き忘れたことにいま気づいた。普段からたいしたことは書いてないけれど、日々の出来事を覚えていることが苦手なので、ここに書き付けた断片は過去を振り返るために重宝してる。手がかりさえあればほかのことも思い出せる場合だって多いしね。

2020年6月19日(金)

リングフィットがあまり疲れなくて意外。筋肉は裏切らないっていうあのフレーズは、しばらくサボっていても見逃してくれることを指してるのかも。いまのスキルセットは腕と腹部が中心。クイズの村で自主的に足踏みして、アイテム入手が倍になるキャベツのソイポタージュを作りつつ、紅茶葉/コーヒー/キャラメルあたりの重宝する素材も貯めているところ。しばらく梅雨寒の予報が出ており、きょうは雨降りなことも手伝って過ごしやすい気温だった。屋外の背景音や風の匂いが好きなので、できるだけ冷房を使わずに外の空気を取り入れて過ごせたら。

2020年6月18日(木)

写真は五月のよく晴れたころのもので、上がティールアンドオレンジ、下が銀残しのつもり。各カメラメーカーのプリセットを再現できるようにして、状況に応じた細やかな効果を自前で掛けられるようになれたら。こういうのって発想の話になってくるだろうし手管を突き詰めようとは思わないけれど、加工次第で活かせる写真はいくらかデータ置き場に眠ってるはず。前に折本を作ったときもそんなふうに写真を発掘しながら使ってたしね。創作方面でのもっかの課題は、入力が足りてないから本を読むことと、遠回りに思えても体を鍛えよう、ということ。認知機能が落ちてしまったなりにやれることをやろう。それと、なにはともあれ撮り溜めておくスタイルって、もしかして自分に合っているんだろうか。

2020年6月17日(水)

新しい音楽を開拓すればいいのに、もう知ってる心地よい曲ばかり触れていたくなる。ときどき狩りに出て収穫を持ち帰り、その収穫をもとにまたしばらく引っ込んで暮らす、そういう関心のサイクルを持ってる。夜聞こえるかえるの声は合唱という感じではなくなった。去っていった季節を思い返すときに少し侘しくなる。でも、いまなら夏が来るしね。『たのしいムーミン一家』と平行して、夏至が近いから『ムーミン谷の夏まつり』を読んでる。 旧版の青い鳥文庫で揃えたものなのだけれど、第一章の挿絵に書き込みがあった。別居している子供たちへ宛てたらしい、辛ければ頼りなさいというどこかの父親の文章と、その電話番号。こういうひとさまの事情は急に視界へ入ってくると心が乱れるなあ。見ず知らずの家庭を案じてはみるものの、本自体は書き込みのないものを探したほうがよさそうだ。香寿とみなみさやかの釜煎り茶を手に入れた。週末に淹れるつもり。

2020年6月16日(火)

眠たい。日が暮れるころ、草むらからりーりーいう虫の声が聞こえた。この雑記を振り返ると例年いまくらいに初鳴きを耳にしてる。あと一週間もすれば蝉だって聞こえるかもね。きのう行ったガーデンでフェンネルとディルの苗を一鉢ずつ買い、小さなプランターに植え付けたのだった。それをいま自室に置いてる。以前からこの二つのハーブの香りが気になっていたものの、確認する機会はなかったのだよね。細くてちりちりした葉は揉めば容易く傷むだろうから、やるなら自分のもの、勢いのある株で、と思っていたのだった。わさわさに茂るのが楽しみ。ローズマリーを部屋で飼うと心の健康によいのではと考えてる。香気も鎮静作用も明らかに強い植物だから、心が乱れそうなときに適宜わしわしと嗅ぐことで、お手軽に安らぎを得られそうな気がする。ここまで書いてから精油でもいいのではと気がついた。

2020年6月15日(月)

バラ園再訪。花々はしぼみ、色褪せているものが多かった。それなら朽ちていくことに焦点を当てたいと思ってうろうろ。前回の反省からNDフィルターを付けて、白飛びが起きないよう露出を抑えて撮ったつもり。ソフトウェアでの加工が前提になってきてる。

政府が配布する布マスクがきょう、うちにも届いた。三人家族に対して二枚。「十分な枚数でないことは承知しているけれど、活用してね」と書かれると、うん……と飲み込む気分になる。特に宛てにはしていなかったな。疫病がはやりだしたころ、思うところあってマスク付けないということをここへ書いた記憶があるけれど、そのあと方針を変え付けるようになっていた。安心感を提供してない人というのを見かけると、自然にそちらへ注意が行って、そのたび自分にぎょっとする。この内心の不穏さには慣れずにいたい。もっか都内では新型コロナウイルスの感染者数が再び増え始め、欧州で収まりつつ中南米で大流行、アフリカも火種になりそう、という状態。

これを書きながら「リングフィットやるべし!」とひとり奮起して、自作PCを組んでいらい初めて、Switchをモニターへ接続しようとしていた。前の環境ではモニターにHDMIセレクターをつなぎ、そこからSwitchとパソコンを切り替えていたのだよね。今回は手をこまねいたあげく、パソコンはDisplayPort / SwitchはHDMIとそれぞれ一つきりのポートを使うことで、HDMIセレクター無しにモニターを共有できてしまった。すっきりした嬉しさと、自分はアホだったのではという疑念がある。時間食っちゃったしそうだろね。マッシヴになるのは明日からだ。

2020年6月14日(日)

日がなじっとり。夜になって燃えるごみを出してきた帰り道に、ほたるが木の葉の裏で休んでいるのを見かけた。はかない黄緑の光が暗闇から葉をほのかに浮き上がらせている。そこは生息地の用水路から数百メートルほど離れているけれど、飛んでくるものだねえ。その先の路上では、よそさまの風呂釜からと思われる、灯油の燃焼するにおいが流れてきた。雨上がりでむっとする夜ということも手伝ってか、このにおいにはどこか秋めいて安心する感じがある。そして栗の花の匂いがずっと大気に満ちていた。

2020年6月13日(土)

湿り気ある日。Lrを触ったり。月曜は晴れ間が覗くらしいから活かしたい。この辺りも蛍が飛ぶころ。ここしばらく、限られたやる気を動かすためにコーヒーをあてにしてる。カフェインにはいざというとき効いて欲しいから、これまで作用慣れするような摂取を控えてきたのだった。この夏いっぱい活用してしまえたら。昨日の金ローで観た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が面白かった。人生のどこかで視聴したはずがあらすじを忘れてる。単純なおかげで美味しい。「僕の未来を見てきてほしい」というマーティの二度ある台詞にそれぞれ首肯する、ドクの表情が頼もしくかっこよくたまんねい。腹を決めたひとの微笑みって揺るぎないなあ。ラストシーンの、改造され戻ってきたデロリアンが生ゴミをエネルギーにして再び跳躍していくところが、大電流なんて自然任せの雷だけだった過去と相まって、心地よい高揚感をくれた。

2020年6月12日(金)

写真置き場を追加。写真そのものは、著作権マークを入れたりサムネイルを作る必要があるから、Lrでカタログを作っておいて明日以降に出力作業をやろう。あのマークの法的な力はあまり当てにしていないけれど(無方式主義の国々が多数なので)、透かしの存在そのものは不要なトラブルを避けやすくしてくれるはず。日中の天気は降ったりやんだり、雨がぱらつくそばから路面は乾いていき、それでいて湿り気は地上に滞留している状態だった。とても雨期。