2018年9月16日(日)

寺の空き具合等を考慮したらしく、十九日大安の日に通夜、翌日葬儀と日取りが決まった。今日は祖母の部屋の片付けを手伝い、服の買い出しは明日若しくは明後日に。

生きてる実感ていうのは、僕に限っていえば日々の記憶の連続性なのでは、と雑な思考が浮かぶ。この雑記もそれに荷担しているわけであるよ。

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