2023年11月17日(金)

未明からまとまった雨が降り続け、さほど冷え込まない日だった。なぜ未明のことをというと、発疹のかゆみでときどき目が覚めたのだよね。雨の上がった夕近くに病院と薬局をはしご。通所は続けることで徐々に体力がついて馴れますから、と主治医は言ってくださった。そのあと体調がいまいちだったためか、皮膚科で待つ時間がややしんどかった。発疹にはかゆみ止めの薬や低刺激の石けんなどを出してもらうことに。そして勢いで夕餉に甘いものと脂っこいものを口にしてしまい、満腹感が危ういバランスにある。最近思うこととして、もう揚げ物や肉をどしどしという身体ではないかもね……。総じて体調が微妙な一日であり、もうお布団へ行って横になってもいいんじゃないかな。さっきベランダへ出たら外には濃い霧が立ちこめていた。窓明かりや街灯の輪郭がぼんやりとして綺麗。

2023年11月16日(木)

就労支援と面談。面談では疲れたということを多めに話したような。ほか、ここ何日か顔に発疹ができており、かゆいのだよね。なにかの感染症だろうか。あすは病院をはしごする予定で、皮膚科へも行く都合があるから診てもらえたらよいのだけれど、雨降りの予報も出ており都合がつくかな……。

2023年11月15日(水)

なにごともなかりし日。風のない晩も、外気を取り入れて耳を澄ましていると、思いのほか物音やなにかが流れてくる。航空機の音はわりとひっきりなしに空から降ってくるし、けんかする猫の声も聞こえるし、よそんちの晩ごはんのにおいも流れてくるし。星もいつのまにか位置を変える。こうした物静かで変化のある晩をひっそりと過ごすのが好きだ。

2023年11月14日(火)

のんびり。ジェラートのアイデアを紙にまとめていたら日が変わってしまった。ねむる。

追記:『ぼのぼの(劇場版)』観た。「無茶をしても生き延びられるやつはそう多くはいねえんだ」から泣いてしまったよ……。変わったのは二人の争いの先にいるコヒグマくんの未来じゃないかな。そして最後のスナドリネコさんの顔のアップに、戦場のメリークリスマスを思い出した。あれも生の肯定だったような。

2023年11月11日(土)

昨晩吹き荒れた北風は今夜になりぱたりと止み、暖かかった大気もきんと冷えた。寒気が降りてきたのかな。北海道では雪が降ったそう。ここも明朝の気温は3度まで下がる予報で、茉莉花やくちなしなどベランダの鉢植えたちは居室へしまった。この者たちが春まで屋内で過ごす生活というのもそれなりに過酷だから、なんとか耐えてもらえたら。日中はまだ晩秋の光と風が注いで景色に彩りがあるけれど、じき木々の葉もすっかり落ちて寒々としてくるんだろうね。きょねんおととしと、秋冬の気候には精神がねじ切られるようなしんどさがあったのだけれど、ことしはどうだろ……。今晩は少し早めにベッドへ入ってムーミンを読もう。

2023年11月10日(金)

午前中は就労支援へ。午後は通院を予定していたものの、予報通り雨がぱらついてきたため帰宅した。日の暮れるころ友だちに電話で愚痴を聞いてもらった。休めば元に戻るのではなく、元以上に力が身につくくらいでないと、病気やなにかでダメージが入ったときに持ちこたえられないからね、とのこと。それとは別に、睡眠時間が一時間か二時間足りないだけで一日じゅう眠い。加えてルームシューズを履いていると暖かくて快適なのか、いつのまにか床で寝落ちしてしまうね……。さほど寒くはない夜風がごうごうびゅうびゅう音を立ててる。それを聞きつつもうすこしのんびり。

2023年11月9日(木)

昨晩は早めに床へ就いたのに、喉の渇きで夜中に目が覚めてしまい、それから眠れずに起き出してしばらく落書きなどしていた。早く寝付きたくて飲んだ導入剤は再度起きてからも変に残り続けたらしく、買い出しに出た午前中ずっと、なにか無理なことでもやらされてやっているかのようなだるさを感じてしんどかった。うちでひと眠りしたらすっきりしたけれど。近年はめっきり縁がなくなっていたこの嫌なだるさ、体調や精神の不調にお薬の副作用など生じる理由は複数あるだろうけれど、この苦痛を健康なひとが理解することは難しいだろうと思う。もし知ろうとせずに外部から見たら、ただ怠けた姿勢のように処理されるだろうね。でも、この手の苦痛に耐えているひとは可視化されないだけで大勢いるのだよね……。お薬が抜けてからは溜まっていた洗濯や靴磨きなども済ませたことだし、きょうはよくできました。あすは予定が複数あるから早めに眠ろう。「そこにいるただそれだけのことに苦痛を感じない」ことのかけがえのなさを思う。寝しなに『ムーミン谷の十一月』を読みはじめた。

2023年11月8日(水)

のんびり。明朝へ時間を回すことにして、早く眠ろ。

追記:
同居しているシャコバサボテン2鉢に芽出しと短日処理を始めた。といっても、葉摘みをして照明の当たらない別室へ置いただけのことだけれど。例年なら十月には行っていたこと。この植物には昭和的と言ってよい古い記憶が呼び起こされるのだけれど、ときおり、その懐かしさを再構築できるのではという思いが頭を掠める。「学生時代の鍋会で、誰かの下宿先の玄関にたくさんの靴が脱がれていた眺めを幸せだったように思う」と相談員さんに話したら、「これからまたそうしたものが得られるかもしれませんよ」というふうに仰ってくれて、それは驚きだったのだった。