2020年5月25日(月)

自作PCへのデータ移行も済んだから、筐体を据え置くついでに部屋じゅう掃除したり、ケーブル類を束ねたりした。お嬢様の巻き髪みたいなあれ(名称がわからない)でDisplayPortや電源ケーブルなどを束ね、くるくると覆う。乱雑だったものが単純になる気持ちよさ。検索したらスパイラルチューブというそう。古いマシンのウィンドウを閉じて電源を切る際に、別れのようなさみしさを弱く感じた。『ムーミンパパ海へ行く』で、島での生活が始まり砂浜の高いところへ移動させられた冒険号に対し、ムーミントロールが「かわいそうに、でもボートは眠っているのかもしれない、それに漁に出る日はあるだろうし」と思う場面がある。あんな感じ。自分は情がわいたのかもしんない。あの古いマシンを引っ張り出す機会はあるだろね。

きょうはただ、生きていることに感動していた気がする。開闢以来、果てしない未来へ向かって暗く冷えていくだろうこの宇宙にいま溢れる、相対的にはほんのひとときに過ぎない恒星の光のさざめきや生命の生み出すしわぶきが、そうしたものを実現可能な諸要件を備えたこの時空に鳴り響く、祝福の鐘か鈴の音のように感じられるのだった。命というものは、うねる岩の混沌からひとりでに発生するもので、在りようそれ自体に聖性を宿すように思う。触れて感じることのできる彩りあるものごとを、ちょうどよい時代に存在しながら受け取る幸運が、おそらくはかなくいずれ消えていくものだとしても、ここにいる一個体としてこの移ろいゆく様子を、夜が明け日が沈むときと同じように満ち足りて見ていたい。

すいかずらの’グラハムトーマス’のつぼみはいい感じに成長してる。今朝は目覚ましがなにか鳴らず、寝過ごした。歯科の予約はまたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です