2020年11月24日(火)

祖父の物置を母と片付けていた。上の写真はそこにあった薬箱。貼られたステッカーに使われていた時代が反映されている。祖父、というより、かつてここで何代かに渡って営まれた家族の暮らしを、こうして手仕舞いにすることの風が吹くようなさみしさは、自分より母が感じているのかも知れなかった。義母といとこたちは一月以上前に、その同じ敷地から引っ越していった。残った屋敷は母が引き取り、義母たちの家の買い手候補ともっか話をしているところ。仕方がないかもね、祖父母は嫁いびりをしたわけだし。彼らについて不思議なのは、他者を抑圧したり貶めたりして、それで死ぬまで一方的な関係のまま逃げ切れると思っていたんだろうか、ということ。歳を取ればその他者からは庇護を受けたいわけで、いくら自分はえらいんだと思い上がっていたにしても、形勢が逆転した場合のリスクは想像しようと思えばできたはずだ。実際にこうなったわけだし。まあ、家の後を継ぐものがいないとして、屋敷や畑の面倒は叔父が最後まで見るつもりだったそうだから、彼ががんで亡くなったことは、よりによって扇の要が解けるのかよというようなピタゴラスイッチ的案配だったけれど。後年の祖父は僕に、ほかの連中からでかい顔をされてしまうなあ、と弱々しく漏らした。黙って聞いていたけれど、祖父は家父長制依存のはかない権力を叔父一家にも、うちの親たちにも、横暴に振るったよ。そればかりではないにしても、それについては禍根が残った。驕りや過信が想像力を失わせるのだとして、自分はこの先想像力を持ち続けられるんだろうか。叔母やいとこたちについて思うことも多いけれど、生きてる相手であるし、それ以上にもうほとんど他人だと思ってる。あちらにしてみれば旦那の実家と疎遠になっただけのことで、いのち自体はそちらへ受け継がれていく。あした、金属回収業者の人が物置に残った金属類を持っていってくれるそうで、きょうは僕が引き取りたい工具や農具を別けておいたりもしたのだった。形見分けってところ。こんな執着をしてるのは僕だけだ。USB経由のマイクが新しいパソコンではなかなか使えなかったので、ごく一般的な3.5mmジャックのマイク/イヤホンマイクをAmazonでお取り寄せ。

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