2015年3月12日(木) 震災の記憶

どこにも吐き出せないからここに書く。今は無きSNSでひと言だけ呟いたけど。数年前、確か2012年、大阪で生活していた折の喫煙所で、歳のころ十八、九の専門学校生たちが「震災ボランティアって自分探しみたいでムカつくんだよね」という趣旨のことを話していた。たばこを潰し黙って立ち去ったあのときの思いを、僕は未だに忘れない。

二十年も経ったり場所が異なれば、認識が違うだろうかという疑いは否定に苦労したし、率直な感情ではくそがきが、というところだ。

Twitterのフォロワーさんに仙台在住の方がいて、輸送インフラが回復したとき自分なりに物資を送ったりしたけれど、もっとうまいやり方があったはずという後悔がある。

輪番停電の合間を縫って西日本の知人に連絡したときは、ひどい報道が入っていくるばかりで連絡するのも憚られていた、と語られたりもした。

震災後の連休には茨城の沿岸を辿った。犬吠埼灯台に登ったり、貝の夥しく打ち上げられた海岸を散策したり、那珂湊の魚市場で喧噪に包まれながら買い物をしたり、かつて自転車旅行中に知り合った人物と再び会って話をしたりと、あのころは現実の出来事を自分なりにかみ砕いていた記憶がある。

宮城にはその後二度、キツネ村などを目当てに訪れている。仙台空港の周辺がまだ広々としていた頃合いで、そこで見上げメモ代わりに撮った写真には「ここまで津波が到達」「4.05M 東日本大震災 大津波到達水位 2011. 3. 11」とある。

今年、栃木ではようやく生しいたけの自粛出荷制限が解除され、品評会など開かれているという記事を読んだ。放射性物質の検出基準をクリアしたとのことだ。

震災のこと考えるの、疲れる。

YOMIURI ONLINEの本よみうり堂に吉田篤弘の「ソラシド」にまつわるあれこれの記事が来てた。冬の空気が立ち去る前に読み終えないと。

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