2011年3月21日(月)

今日は春分の日。明け方から小糠雨が降っている。

あの地震、東日本大震災や東北地方太平洋沖地震、East Japan Earthquakeなど様々に呼ばれているらしいが、あの3.11から疾うに十日が過ぎた。

Twitterで割かし呟いてしまったし、今、なにかを語るという気分にはあまりなれずにいる。未だに余震は続き、被災地で避難している方々は数十万のオーダーに及び、自宅から百キロやそこら先での原発事故という見えない脅威が暗雲のように立ち込めている。そんな状況の中で社会はいち早く現実へ立ち返り、ネットやテレビ、新聞などの各種メディアが日和見的な安心感を纏った煽りをまき散らし始めている。こんなときはしばらく情報から離れた方が良い。そう思ってこのサイトの配色を変える作業に取りかかった。昔弄っていた別のサイトで得た教訓──Webはスマートな構造であることが望ましい──のお陰で作業は数時間で終わってしまった。大して手の込んだことをやっているわけでもない。散らかりきった部屋の掃除は概ね済んでいるし、今降っている雨にはあまり濡れたくないし、こう揺れていては本を読む気も失せる。壊れた本棚の代わりが届くのはまだまだ先のことだ。なので、特段なんの宛もないのだが、とりあえず気を紛らわす為にお茶を淹れテキストエディタに向かっている。

猫は先ほどからこの部屋のセミハイベッドの上で丸くなって寝ている。あの日は家族が出掛けていたちょうどその時で、地震の第一波が過ぎ去った直後に、僕は火の付いていない煙草をくわえたまま家のどこかで寝ていたはずの猫を探した。僕の呼びかけに洗面台の下であお、あおと鳴いて返した猫をデジ一と一緒に抱え、ガス栓とブレーカーを妙に落ち着きながら落として家を飛び出し、全部で三つの大揺れが収まるまでずっと抱きしめていた。それからだろうか、猫は僕のそばにいることが少し増えたように思う。まあ、僕がいないときは家族にくっ付いているそうだから少し怯えているだけだろうけれども。

外飼いの犬はあのとき、地面が動くことは多少不審に思ったのかも知れないが、しゃがんで頭を撫でてやると尻尾を振りいつものように散歩を要求したので、安心すると共に少々呆れたことを記憶している。しかしすぐあとで自分の掘った穴に引き籠もってしまい、中々出たがろうとはしなかった。もとは野良犬だったから勘が良いだろうかと思っていたが、あいつは自身の第六感もどろんこも同じくらい信頼しているらしかった。家の基礎が剥き出しになるくらいでっかく深く掘った穴だ。たぶん、雨が止んだらしい今も、気が向いては自分が収まる穴を掘っているんだろうか。

あの金曜日の前日に頼んでおいたルピシアのお茶とAmazonのCDは、ちょうど一週間後に届いた。そのお茶を淹れて音楽を聴きながら今を過ごしている。僕が住んでいる家はヒビこそあちこちに入りはしたけれど、倒れるようなことはなかった。いつぞやのモニタの向こうには津波に押し潰された家屋がみっしりと映っていた。僕は自分や僕の家族、殆どの知り合いや友人が怪我も負わず無事だったことに感謝している。その一方で、なにか、なにか後ろめたいものを自分自身に感じずにはいられない。きっと無事にやり過ごした人びとはみな、同じ意識を心のどこかに隠し持っているはず。ネットの一部ではそれを自粛ムードとか何とか呼び出来るだけ敬遠している様子だ。きっとそれが良いのだろう。各々が各々の生活にいち早く戻ることがなによりの復興だからだ。だが、目に見えない幾つかの脅威から抜け出せる日は一体いつになるやら分からない。今こうして先のことを考えながら、のんびりと雑記を書けているのはささやかな幸運だ。

休題。ルピシアのオンラインショップで三千円以上買い物をすると、お茶のカタログと一年間ティーバッグのサンプルが届く。おまけにその買い物で三つ、お茶の試供品が数多くの種類の中から選べる。前回はさくらんぼの香りの日本茶、マンゴーの香りの烏龍茶、桃の紅茶を戴いた。前回というのはそのおまけの美味しさに釣られてフレーバードティーを先日買い足したからだ。有名どころの紅茶はだいたい戴いてみて、紅茶ってこういうものなのかと少し分かりかけてきたところへ毛色の違うお茶たちに出会ってしまい、味覚や嗅覚への欲望と好奇心がむくむくと頭をもたげてきている。色を連想させるお茶や季節を感じさせるお茶、寝起きの朝に飲みたいものやおやすみの前に飲みたいものなど様々に感じられることがあり、自分好みな淹れ方のコツもだんだんに分かるようになってきていて、いつか誰かに淹れてみたいなどと思う。

雨露に濡れたクロッカスこれを書いている途中に昼食を挟んで家族とテレビを眺めていたところ、九日ぶりに救助されたという少年とその祖母の報道が目に入った。僕の心は次第にすれて醒めてきている。放送する方は感動的なドキュメンタリに仕立て上げようと躍起になってるんだろうな、などと考えていた。娯楽の箱の前でお腹いっぱい食べておいて自分の良心が虚しい。

書くこと自体は僕自身の精神の健康なのだが、あまり考えすぎるというのは今は止めた方が良さそうだ。幸い食欲は満たされた。ガソリンなどの燃料は明日から流通の見込みが立ったし、原付にもまだ半分以上入っている。ひとり、茨城県高萩市の友達を除いて、遠方の友人知人らとも安否の確認は取れた。あとは出来るだけ暖かくしてぬいぐるみを愛でているとしよう。初日の夜もでっかいきつねを抱いていたお陰で割合眠れたし、彼ら彼女らとは実に長い付き合いだ。何もかもが不確かで乏しいこの状況、ひとまずぬい達の肌触りの良さは信頼に値する。

春雷らしい。クロッカスが咲くのももうじきだ。

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