2020年12月14日(月)

夜になると風は収まり、深夜の一時過ぎには雲も晴れてきた。近所の土手へ出かけていって銀マットを敷き、そこへ仰向けになると、視界は星空だけになった。そのあちらこちらで星はひっきりなしに流れる。頻度としては一分に一つかそれ以上に感じた。仰向けで星を見ることはベランダから見上げるのとはずっと違う体験で、視界のほぼ全てが柔らかい青黒さで圧倒される浮遊感や安心感は、百聞は一見にしかずのそれ。目が慣れてくると、冬の大三角からぎょしゃ座を通ってカシオペヤ座の辺りへ至る、雲ではないうっすらしたものがあるように見える。それは肉眼では初めて見る天の川だった。このあたり、田舎とは言え関東圏だから光害がきついと思っていたけれど、視界の開けたところで目を慣らせば肉眼でも見えるというのは思ってもみないことだった。そしてそのことで、自分の宇宙観が物理的に拡張される気がした。銀河系の円盤部を背景に、見えている星々のそれぞれが個別の遠近を持ってだだっ広い空間に浮かんでいる事実が、眺めるという単純な行為の前でまざまざと繰り広げられているのだった。既知世界の広さが、自分のいるこの銀河系にまで、それも直接の知覚によって及んだことが嬉しかった。そのあいだにも流星群は空の高い位置から降り注ぎ、三時頃までの一時間半を仰向けで過ごした。ぬいぐるみを連れてきたりちょっとしたお酒を持ってきていたおかげで、退屈をするということはなかったのだけれど、低空にかかるガスの濃さが徐々に気になってきたのと、厚ぼったい靴下を二重に履いていてもつま先の冷えが厳しい。冬場に野天での滞在時間を延ばすなら、靴の先へ入れるタイプの使い捨てカイロが必要なのでは。今回、珈琲は場所的に火を使うことがはばかられたため、これからはもうちょっと気の利いた観望地点を探しておきたいところ。一年のうちの限られた機会はこうして天候にも恵まれ、忘れることのないだろう夜を過ごせた。そして、光害の及ばないところで天の川を見てみたい、そのためにいつか遠くへ行くことはできるだろうか、ということを思う。

ルピシアだよりに烏龍茶の入荷チラシが入っていた。そんな季節かー。冬の空気を取り込みながら花系の香りをくゆらすと、雪の向こうに春が見える。本格的な寒波と雪の季節に入ったらしく、日本海側を中心に大雪への注意を呼びかける防災情報が目に入った。あすあさっては最低気温がマイナス四度から五度という予報で、日中もかなりな低温のままみたいだ。最高気温が幾分ましだった今日でさえ、屋内へ伝わってくる日中の寒さは身にしみた。ので、しまっていた加湿器を部屋で使い始めた。湿度が上がれば体感温度は違うだろうし、冬場の体調維持にも好影響なはず。

2020年12月13日(日)

昼ごろばらばらと雨が降った。しばらくして黒い雲は吹き飛ばされていったのだけれど、空には風も雲も出てきてしまったから、今夜は完全な快晴は望めなさそうだなーという状況。流星群の当日に全くの曇りという状況もあり得るわけで、観望ができそうなぶん前向きに考えたいところだ。冷蔵庫の生豆を煎った。これをマキネッタに詰めて流星観望へ持っていき、ほどよいところで抽出するつもり。これを書いている夜九時現在、星は見えるものの雲量5という感じの薄い雲もあり、GPVの予報で晴れてくる一時から二時までは様子見。リングフィットで身体を温めておこう。

2020年12月12日(土)

ラジアンFを聞くうち眠りへ落ちた。夜になり、ふたご座流星群の前哨戦のつもりで星空を眺めた。ベランダへ出た瞬間に流れ星がさっと流れ、幸先がいいかもと思う。リングフィットで予め身体を温めておいたのが効いてる感じだ。数えることこそしなかったけれど、流れ星はわりとちらほら流れる。流星痕を伴う長くて明るいものも一つ見えた。風のほとんどない晩で、遠くの物音が届く静けさが心地よかった。人間は時代や地域を越えてこうして星を眺めてきたのだろうなと思うとき、夜空の持つほのかな明るさや柔らかさが、ゆったりとこちらの気持ちにまで宿るように感じる。この普遍性と豊かさを自分に根付かせていきたい。あす夜の流星群は今夜の倍以上の頻度で流れるそうで( 2020年のふたご座流星群の情報 )、天候にも恵まれそうなことだし、楽しみ。人が来ない場所で地面に寝転がって眺めようと思う。

2020年12月11日(金)

通院のついでにユニクロで長袖のシャツを見繕ったり、ダイソーで大掃除のためのぞうきんやスポンジを買い込む。祖父宅の物置には梱包されたひな人形が複数あり、それらを人形供養へ出すにしても一度取り出して確認する必要がある、という話を、昼に祖父宅で落ち合った母と交わした。今後のうちの方向について兄弟と話す機会があるかもしれない。録画しておいた『落下の王国』を観た。なんの話だろと思って流れを追ううち、病室のふたりと語られる内面の旅とが相互に影響しあう話なんだと合点がいった。果てしない物語のよう。絶望している青年が少女に言うことを聞かせようとして即興で語る物語なので、旅の仲間にダーウィンが唐突に出てくるのだけれど、その相棒のお猿がウォレスという、ダーウィンにとってライバルな博物学者の名前だった。いいのかと思ってみているうち、終盤でそのことをちくっと皮肉にする場面があり、悲劇的な一方でむふっとしてしまった。励まされた青年が内面の危機を乗り越え、旅の物語も一区切りつく場面で、物語に入り込んだ少女が傍らでのっしと腕組みをしている。その妙に貫禄のある姿が愛おしかった。そこへたどり着くまでにくどいくらい絶望が語られたためか、ぼやきに近い独り言をした青年に対しても、まあよかったじゃないのと素直に思える。そして少女のモノローグで流れた映画作品は見覚えがあるもの。あとで検索したらバスター・キートンという喜劇王の出演作で、そういう話だったのと茶目っ気を感じさせる映画でもあった。事前に聞いていたとおり衣装や舞台がやたら豪華で洗練されており、登場人物ひとりひとりの個性を際立たせることにも成功していたと思う。僕の目にも分かるくらいだから、これらの仕立てや撮影場所はよほどこだわったんだろうな……。楽しく観ることができてよかった。

2020年12月10日(木)

日中は曇り。夕方から青空が覗き始めた。日没直後に、ISSがほとんど天頂をまばゆく通過していくのを、たまたま居合わせた母と見た。友だちにも見せたいと言っていたから、今後は観望の条件がよい日を定期的にチェックしておけたら。日中に立ち寄った果物市場では、みかん箱を持って並ぶ人たちの列ができていた。そうした風景に出くわしても、今年はなぜか年の瀬の感じが希薄なままだ。いまくらいの時期は寒さも手伝って夜景が綺麗だから、今月中に市街を見下ろしに行けるかどうか、考えを少し留保しておく。柿に粉チーズを振って食べるのがおいしい。年内に空き缶のごみを出せる日はもうわずかだと思い、さっきごみ袋三つ分を回収場所へ置いてきた。空き瓶は来週の今日に。クリスマスと新年のあいだの不思議な緩急を持った六日間を余裕ぶっこいて過ごしたいのだよね。居室の窓磨きと家全体の掃除や片付けをぼちぼち始めようと思う。それと祖父宅の物置の整理も。

2020年12月9日(水)

月曜朝に撮った写真の編集はやっと一段落。作業に集中するほど、いま見ている色や構図が適切なのか、ずれているのかが分からなくなる。作業中は目を休めたり気分転換も含め、慣れから離脱する時間を小刻みに設けようと思った。明日の夕方はISSの観望条件がよいから晴れてほしい。

2020年12月8日(火)

きのう撮った写真を引き続き編集中。たまたま知った『旅行人』という雑誌に興味を感じて何冊か取り寄せた。数年前から休刊しているものの、バックパッカーなどその筋にはよく知られた旅雑誌だそう。日本の古本屋 を始めとしてバックナンバーを漁ったところ、中古でもそれほど値崩れせず取引されていた。中身はというと、いい感じに硬派で現地の雰囲気が充実してる。思った通り、これは創作の資料にもってこいだ。日曜の整理のさなか、ほかの年寄りたちの言動に思うこともあった。誰それとはもう付き合うなとか、誰それはパチンコばかりで挨拶もしないとか、どこそこの職人に作らせたという道具自慢だとか。文字通りの村社会でそうした楽しくもなさそうなことを繰り広げているのを見て、僕は閉じたコミュニティの濃密な人付き合いの場からは距離を置いて生きていこう、と思ったのだった。

2020年12月7日(月)

二十四節気の大雪。今朝は大霜が降りた。青く白く様変わりした風景に金色の朝日が浅く差し込み、朝もやと相まって非日常的な眺めが広がっていた。こういうのは一瞬で消えてしまう。思わずカメラを持って家の周りをうろつき、そのへんの凍り付いた植物などを撮った。登校する近所の小学生たちとすれ違って挨拶したけれど、僕はうさんくさかったかも知れないな……。日に照らされた霜はさっそく溶け始め、立ちこめるもやも徐々に薄くなってきていた。霜の青白い部分と日差しとをうまく収めようとしたのだけれど、これを書いている時点でまだデジタル現像しておらず、どんな感じに書き出せるか不明。一週間後のふたご座流星群の日は天気予報に雪のマークが出てる。流星観望のために晴れて欲しい。

2020年12月6日(日)

朝から日没まで祖父宅の物置を整理。田舎の人脈を実感した日だった。金属類は懇意にされている回収業者さんへ、木材は近隣の引き取ってくれるお宅へ、それぞれ本宅のおじいさんの伝手で、軽トラの荷台へ積み込んで運搬した。使い道のありそうなめぼしい物品はおじいさんの知人がいくらか引き取ってくれた。あのおじいさんがいなければ物置の荷物はなにひとつ片付かなかったに違いない。古い釜や調理器具を始めとした金属はきょう回収してもらい、叔父の漫画や衣類・家具は来年1/14の野火の日に燃やすこととし、ほか食器や人形などは後日また来て要り用なものを選別したりお焚き上げに出すこととして、最終的にあまったものは市のクリーンセンターへ持ち込む予定。祖父が使うつもりで残していた籾殻は、二回に分けてクレーンで軽トラへ積み込み、おじいさんの田んぼへ人力でばらまいた。そちらはあとで耕運機を使って攪拌するそう。文字通り一日じゅう動き回り、眠気を催す疲れを感じてる。そう遠くないうちに物置自体を解体するかも知れない。祖母の桐箪笥については母が無駄にしたくないと言っているから、オンラインを活用して引き取り手を探すことになりそうだ。個人的には残っている食器に気に入るものがあるかも知れないから、その整理が気になる。時の止まった物品に触れて感傷を催す余裕もなかったけれど、そういうのはこれから時間差でやってくるかも知れないしね。きょう未明、はやぶさ2が放出したカプセルの帰還する中継をリアルタイムで視聴していたのだった。上層大気へ突入したカプセルは前回のはやぶさほどの激しさではないものの発光し、取材陣から見てオリオン座の辺りを長く掠め、しばらくして十分に減速したらしく光るのをやめた。僕はそのあとカプセルの着地時刻を待ってから就眠したのだった。これを書いている現時点で、カプセルと前後のシールドなど大気圏へ突入したパーツは全てが発見され、現地本部へ搬入されたとのこと。ああ疲れた。これ書いてしばらくうだうだしたら眠ってしまおう。

2020年12月5日(土)

あまり気がつかなかったのだけれど、きょうは最高気温が6度ちょっとと、気温の上がらない寒い日だった。リングフィット中に窓を開けると冷たい風が気持ちよいな、くらいに思っていた。今夜の二時半ごろ、はやぶさ2のサンプルがオーストラリアへ着陸する予定とのこと。その中継がニコニコ動画で見られるようだから、このあと起きたまま、サンプル回収の様子を窺おうと思ってる。明朝九時前に祖父宅へ向かい、また物置の整理をする予定。その前に仮眠くらいはとれたらよいのだけれど。