2021年11月7日(日)

朝から産直へ向かい、そのまま裏手にある神社を一巡りした。参道入り口で買った鯛焼きはかりかり感のある薄い皮がおいしい。それを食べながら着いた境内にはテントが設営され、その周りでのんびりと菊まつりが開かれているところだった。本殿を参拝してからなんとなく後ろへ行ってみると古墳があり、その手前には小さめのお社が三つ四つ、傾くように立っていた。稲荷もあった。そこに並ぶ陶器のきつねにヒマそうだねと思う。やはりなんとなくお賽銭をして周り、この神社の由来のおおもとであるらしい古墳を一回りして菊まつり会場へ戻った。本殿後ろのそのあたりはひとけこそないものの来る人はいるようで、開けた足もとに生えるオオバコやイヌタデが、秋の朝の光を穏やかに受けていた。そのイヌタデの赤い穂を見ながら思う。こうした花は誰に見られるでもなく咲くけれど、そこを訪れるどんなに小さな虫でも、この花にとっては未来へつながるために待ち望んだ担い手なのだな。期待した相手が来ないこともあるかも知れず、それでも花は咲けばしばらくそこにいて、役目を果たしたらやがては土に帰っていく。なびかない者が持つ言葉にならない美しさを思う。ついでに地元の自然観察館へ向かった。常設の昆虫標本なんかに加えて県立博物館の移動展示があり、いまは昆虫化石と進化の旅がテーマとのこと。たまにしか来ないからと念入りに眺めるうち、それなりに時が過ぎていた。帰り足、立ち並ぶケヤキがわずかな風で一斉に葉を落とすのを、歩きながらぼんやり眺めた。去年も今年も紅葉には目がいかずにいたのだけれど、こうして見ていると、自然や景色は人の社会なんかにはまったくお構いなしに巡っていくのだな、と思う。ケヤキの落ち葉へ手を突っ込んでいる親子のそばを通ったとき、枯れた葉の甘く古びた、よいにおいに包まれた。そして帰宅。うちにいて創作の続きをしてもよかったのだけれど、閉じこもっていたら次第に考え方が煮詰まることだしね。天気のよい日に気分転換に出かけられてよかった。残っていたジギタリスやデルフィニウムなどの苗は、日没ごろに母と庭へ植え付けた。ことし仕込んだ植物が庭に馴染むのは来年から。次の春にそれらが勢いよく伸びるのを楽しみにして、冬を乗り越える。

2021年11月6日(土)

アクリル(仮)の書き出しをしていた。その資料になればと思い、日が沈むころになって新聞を探しに本屋へ出かけた。のだけれど見つからない。考えてみればそうだった、毎日入れ替える必要があるから規模の大きな書店でなければ取り扱うのはむつかしそうだね。それでコンビニへ入って適当に三紙を手に取った。スポーツ系の新聞を開くのは今回が初めてのように思うけれど、なんというか、自分が求めているのとはすこし違う方向性の猥雑さというか。先のTSUTAYAでは地球の歩き方やるるぶをぱらぱらとめくって、こんな感じなのかーと思いながらも棚へ戻した。情報のまとめ(旅先で寄りたい場所とか)ではなく、ローカルめなニュース(どこに追いはぎが出るよとか)をひたすら並べるような媒体があるとよいのだけれど。それは情報の性質が違うからジャンルそのものが別かと思い、雑に検索してる。地球の歩き方のコーナーには、世界のお祭りや主要な都市、国と地域の基本情報をまとめたものも置いてあった。そういうのも検索すれば出てきそうな情報だけれど、紙媒体の決まったフォーマットでまとめられているところが、探しものとは別腹で気になる。あとでシリーズ一覧に目を通せたら。市の文化祭が開かれていることをきょう知った。気が向いたら日曜は覗きにいくかもしれない。

2021年11月5日(金)

朝から教習を受けたり、複数の病院やスーパーをハシゴしたり。待合室で船をこいだほかおつりを取り忘れそうにもなったから、それなりに疲れてるんだろうね。やるべきことをやっていますし、そのままやっていけばいいのでは、と医師から言われ、心の隅でほっとした。周りから評価されることも必要なのかもしれない。今夜と土日はのんびり過ごすつもり。いま、紅の豚のサントラから加藤登紀子『さくらんぼの実る頃』と『帰らざる日々』を聴きはじめた。一日を終えた人たちがこの歌のためにジーナの島へ向かうのは、よい時間かもね。

2021年11月4日(木)

ぼんやりと考え続けていたアクリル(仮)のことでかちっと繋がってくれた箇所があった。こういうのがたぶん楽しい。疾患とパーソナリティ特性の複合だと思うのだけれど、意欲や楽しさ、喜びといったプラスの感情が水のように淡くなっている一方で、怒りなんかの負の感情は極端に強く感じるようになってる。希薄なりにすくい取れるよう適応しているものの、夢中になれたらそっちがよかったかな、と思うことはときおりあるよ。おそらく自分が属している解体型は、言葉や体験をまとめる能力が低下することを特徴の一つとするらしい。だろねえ。文章系の創作はそれをしたいからこだわって少しずつ書き出しているんだけれど、能力が損なわれている方面に答えを探しに行くのは、それがやりたいことなら納得のいくようにやればいいよ……というため息じみた気持ちも、わりと。少し別の話。僕がよかれ悪しかれ自己評価を重んずるのは頼っている側面であるし、そうした性質を強めることで生き抜こうとしてきたからでもあると思う。ただ、もう少し一般的には、人は他者からの評価を重んじたり力にして、そうした相互作用で社会が成り立っている。評価がひとりで完結していたら社会にただ乗りしかねないから、還元することを考えられるように……ということを、ほとんどひとさまの呟きそのままに自分のこととして案じたのだった。よし、もう眠ろう。

2021年11月3日(水)

教習の技能は第二段階へ進めた。よかった。今朝のNHKラジオ第1で、第六波がくるとしたら年明けの一月中旬がピークになるかもしれない、というようなことを聞いた。現時点では不確かな話となるけれど、年の瀬がせまれば感染の広がりやすい状況はくるだろうから、人混みへ(相対的に)出かけやすいのは大雑把に今月いっぱいと見積もりたいところ。第二段階と学科はあと五回か六回ほど通えば修了できるのではと目論んでる。ので、教習が今月中に片付くようにあまり間隔を開けず予約を入れることにした。それと去年の冬から考えていることで、宇都宮あたりまで足を延ばして冬のコートを一枚探したいのだった。こちらもそろそろ取り掛かれたら。アンスンエンシスの残り一鉢はきょう植え付けた。別の場所へ植えた株はもう元気につるを伸ばし、まち針の頭ほどの白いつぼみをつけてる。冬のさなかに咲く花は心が和むと思うのだけれど、耐寒性がぎりぎりなのだよね。株元に落ち葉でも敷こうか。

2021年11月2日(火)

これまでにもなんとなく感じていたことなのだけれど、ある程度の気分の浮き沈みであれば、口笛を吹いているうちに上がってこられる感触があるのだよね。それともたんに口笛を吹く気分になれているならもう大丈夫、ということなんだろうか。まだ不安定さが払拭できたわけではないから、今夜も早めに眠る。α7R IIIの中古と一緒に仕入れるレンズの手がかりにと思い、500pxでひとさまの作品を見てる。

2021年10月31日(日)

こたつ布団を敷く前にコインランドリーへ持っていったり、灯油を買ったり。ミスドのドーナツがおいしい。ここ一年は豆腐とサラダが基本でそろそろ食事制限の意欲がなえてきており、米やパン、麺類など、穀物の味がほしかったのだった。米も小麦も舌に中毒性があるよ。甘いものとコーヒーは無心になれる組み合わせ……。ほしいレンズのこと。空のほか星空も撮ってみたいのだよね。だったらどうしても明るいのが要る。手持ちのAPS-C向け15mm F4 Limited(換算23mm)は日中の撮影のために割り切られたもの。カメラ界隈には「はまるつもりがあるなら初めからよい機材を揃えると資金や機会の損失が少ない」という金言があることだし、自分がやりたいことを増やすつもりで、フルサイズ向け24mm F1.4くらいのレンズにどんなものがあるか、もっかEマウントを中心に調べているところ。ソニーのFE 24mm F1.4 GMは素晴らしそうだと思う一方、シグマの24mm F2 DG DNは機動力があってこんなのがほしい、でもシグマのレンズは寒色に振れやすいし、なんて思う。レンズのレンタルサービスを使って比較してもよさそう。