2021年3月11日(木)

母と一日中、外の物置の整理とクレマチスの整枝作業をやっていた。物置の大半を占めていた五月人形は、祖父宅のひな人形とともにいずれお焚き上げに出すこととした。物置そのものはすっかり片付いたから、軒下に出されているものもこれから仕舞っていける。クレマチスは誘引されずに鳥の巣のようになっていたのを丁寧にほぐした。あとでロープを買い、それでトレリス代わりのネットをつくる予定。震災の起きた時刻に二人で黙祷。疲れた。

2021年3月10日(水)

日中吹き荒れた風は日が沈むころぱたりと止んだ。去年は桜の開花が早かったけれど、ことしもそうらしい。Tenki.jpの開花予想を見たら、北関東は去年とほぼ同じ頃合いという内容が書いてあった。去年は3月24日に桜が咲いたとここへ付けているから、あと二週間てとこだ。そういえば、座禅草を見に行くことを忘れていた。うちに来てから伸びたクレマチス苗の新梢が、自重に耐えられずに付け根から折れてしまった。元の状態は損なわれずにすんだものの、もしかして不器用な種族なのでは。可哀想なことをしてしまった申し訳なさに加え、たまたま発根促進剤のメネデールがうちにあったため、本に書いてあるとおり挿し穂をつくって瓶へ活けてみた。伸びたばかりの若い枝は挿し穂にしても溶けてしまうそうだけれど、こちらになんとなく罪の意識あるもんな……。うかうかしているといい季節が来て植物は動き出してしまうから、はやいとこ植え付けたい。

2021年3月7日(日)

なんとなく過ぎ去りし日。もったいない。久しぶりにカメラで写真を撮った。一月はかろうじてヒヤシンスを撮ったけれど、二月はカメラに触りもしなかった、ということが分かった。お話にリソース割り振ってるものね。そろそろ座禅草が見頃だから、気晴らしもかねて写真を撮りに行けたら。

2021年3月6日(土)

祖父の命日と一周忌の法要が近いため、そちらの墓を母と掃除した。曾祖母の命日はたしか八日で、祖父の九日と一日違いだとか。墓石をたわしで磨いたり、花を供えるなど。帰りに祖父宅へ立ち寄り、母がお焚き上げのため梱包しているひな人形などを覗いた。それから土手に生えているののひろ(野蒜)を採った。少し前に雨が降ったことで球根は瑞々しくなっているだろうし、祖父によれば野蒜の辛みが減っておいしくなる旬はいまくらいらしい。あとで味噌を付けてかじったそれは、最初にほのかなうま味がありながら、咀嚼するにつれ涙が出るような痛烈な辛みがあり、春の野辺から採ってきた野草の味がした。おいしい。育苗ポットへ播種したほうき草は二日ほど前に芽を出した。発芽率はよいようで、確率に合わせた数の種を埋めたはずが、おおむね発芽しているように見える。春の大型連休に向けて体格よく育つとよいな。ちょっと前に取り寄せたクレマチスの苗は毎日見るたびに蔓を長く伸ばしてる。株元から刈り取っても一年で数メートル伸びる種族だということは分かっているけれど、こうして日々の変化を目の当たりにすると、びっくりする。早いとこ地植えにしてやろう。辺りを見回せば福寿草や梅といった庭の花がたけなわで、足下にもタネツケバナやホトケノザ、菜の花なんかが鮮やかな絨毯のように群落をつくって咲いてる。夜風ももう、そこまで寒くはならない。いつの間にか春のなかにいるんだなー。しみじみとこのうれしさを思う。

2021年3月5日(金)

予備知識がないまま筋肉少女帯のアルバムを聴いているところ。いったいどういう世界観なんだと思いながらもいい感じに変な笑みが浮かぶ。戸田山和久『教養の書』(筑摩書房)が手元へ届いた。ちくまに載っていた「飛びだせ教養」をちょっと振り返るうち、それらの連載が加筆されて本になっていたことを知ったのだった。自分は教養が欲しいのかというとよく分からないけれど、映画『トゥルーマン・ショー』や洞窟の比喩について書かれていた部分が気になる。ので、その周辺のようなものをまとめて読んでみたい。本のカバーは革を再現しているのか、手触りが独特だ。

2021年3月4日(木)

ランドメイクと並行して進めているお話のプロットについて、ディティールの足りないところへ設定を付け足していた。これを書き上げたらWebページへ上げるつもりでいるほか、二つ折りか一般的な折り本として配布するのも楽しそうだ、と考えてる。セブンのA3モノクロなら印刷費は20円だから財布に優しいはず。ただ、そうするかどうかは鼻先のにんじんくらいの話。とりあえず、リストアップしてあるディティール不足の箇所へいい感じの話の流れを当てて、全体の破綻を減らすことを最優先するつもり。丁寧にやぐらを組み続けられたなら、歩留まりはともかくとして、いずれ完成へこぎ着けられる。日々の進捗をベースにこの自己効力感を大切にしていこうな。たまたま早い時期にこのお話へ手を付けはしたものの、これまでの創作の断片を一つの星の上での出来事として落とし込んでいるわけで、書き出したい話はほかにもあるよ。

2021年3月3日(水)

図書館で再びCDを借りた。カウンターで渡されたアンケート用紙に「視聴覚資料の貸出期限」についての評価欄があり、書籍2週間に対してCDなど視聴覚資料1週間の貸し出し期限をどう思うかについて、書籍の2週間に合わせては、という回答へ印を付けた。視聴覚資料は借りる絶対数が少ないため、あまり長い期間で貸し出すとそれだけ後続の人の損失になるかもしれない、そうした理由から現状では1週間としています、という注釈があった。もっともなことだと思う一方、こうしてCDを借りている身としては、もう少し長い期間借りられてもいいかなという思いがあったのだよね。最終的には数の力と職員の方々の判断があるわけだし、ひとりのユーザーとして軽く回答した。そもそも図書館の利用を再開してからまだ、一ヶ月経つか経たないかってとこだ。路上を走ると梅の香りが流れてきた気がした。もう一ヶ月と経たずに桜が咲くはずなんだなー。耐える気持ちでいた長い冬も、別れが近いとなると名残惜しくなるものだね……。桜が咲くのと合わせて、ことしもアミガサタケ探しを目論んでいる。たぶん自分の視界には入っているにもかかわらず注意が向いてない、そのせいでアミガサタケを見つけられていないんだと思う。Twitterのきのこ界隈を眺めていると、きのこを見つけるには「きのこ目」という、それを察知するための注意や慣れのようなものを身につける必要があるらしい。桜の季節に木の周りをうろうろするのは悪くないことであるし。道明寺スタイルの桜餅がおいしかった。

2021年3月2日(火)

午前の空は灰色の雲が低く早く流れ、午後からはまとまった雨が降った。日がなぬかるんだ土のよい匂いがした。日の暮れるころに風が出て、木々の梢はいまもごうごう音を立ててる。Simplenoteを使って「創作の活動履歴/関心/発想の記録」という見出しで、その日ごとに一行や二行の記録を(あれば)付けてる。ふわふわとした作業をするなか、言語化は一種のセーブポイントとなるのでは、と思ってのこと。感覚は行使しやすい反面で惑いやすくもあるから、この推進力に頼るなら地に打ち込むアンカーのようなものを駆使したほうが、安定感を持って活動を続けやすいと思う。記録を付けることはたいした労力ではないから続けているけれど、創作がなんらかの理由で行き詰まった場合なんかに、これをうまく解釈して活動に役立てることができたらいいな。このSimplenoteはEvernoteよりずっと単純に使え、パソコンとスマホで勝手にテキストを同期してくれるところが気に入ってる。