2021年6月13日(日)

母と祖父宅へ出向き、敷地内の通路に除草剤を撒いた。噴霧器のノズルが壊れているようで、薬剤はぼたぼたとこぼれるように出た。いずれ新しいのが要る。それから買い物と、地元の園芸店へ立ち寄った。ディルの苗と、母が探していた白花のランタナを買う。うちに作った菜園は牛糞堆肥を漉き込みすぎたらしく、植え付けた苗が肥料焼けをしてあまり育たないでいる。一年目だから仕方ないけれど、しくじってしまったなあ。来年以降はいい土を作ろう。『ソング・オブ・ラホール』観た。パキスタンにて、原理主義により衰退しかけた民族音楽にジャズのエッセンスを吹き込むことにより、自分たちの文化を盛り返そうとするドキュメンタリー。彼らの音楽は、海外のメディアで取り上げられたことを切っ掛けに注目を浴びるようになり、とうとうニューヨークの舞台で著名なジャズミュージシャンと演奏する機会を得る。観ている自分もいつの間にか、息をするのも忘れるような緊張感に引き込まれていた。パキスタンでは家父長が強い発言力を持つのだな……という感想も抱いたけれど、そこを都合よく脚色しないところは、この作品を描く上で登場人物や彼らの文化へ込められた敬意とも受け取れる、と思う。ある人物が独白した「人は信じたものに神を見いだす。僕たちの神は音楽の中にいる」という言葉は、彼らがイスラム圏でそちらの宗教をベースに生活しているだろうことを考えれば、深い含蓄があるもののように思えた。そして民族楽器がよかった。シタールはもはや疑いようのない個性的な音色を発揮していたけれど、メインディッシュ的な扱いを受けていた打楽器も深みのある響きを持っていた。あれがタブラという楽器らしい。文化/政治的に抑圧され音楽の担い手そのものが減衰していくなかで、伝統を守りつつ新しいものに賭けようとする人々の表情は、笑顔の中にも後がないことへの厳しさを浮かべていた。こうして起死回生を果たしつつある事例を知るにつけ、状況に抗いようもなく失われていくあまたの文化のことを、少しだけ思う。それはもしかしたら、親族や近しい相手を含め自分に連なる存在についての、大切な人たちの記憶のことを指すのかもしれない。

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