2020年11月10日(火)

『ブレードランナー(ファイナルカット/字幕版)』観た。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を先に摂取していたから、この作品はもう抑えてあるけれどまあ評判がいいから映画も、という気持ちで望んだのだけれど……幻想的な雰囲気に心地よい高揚感が相まって、一生忘れないだろう作品になった。雨降る屋上のあの悲しみを上回る美しさと、そこからなだれ込んでいく引きの場面の高揚感に、すっかりこちらの気持ちは持っていかれた。物語のしんがりに壮大な背景がちらっと登場するのってたまらない。そしてところどころ振り返ってみると、ロイの言動のニュアンスが変わる。たとえつくられた存在であっても、仲間を思い生きたいと願うのは、人間と同じじゃないだろうか。デッカードはレイチェルに歩み寄ってしまうし。ロイ(たち)は辺境へ連れて行かれ、そこで恐怖に耐えながら信じられないようなものを目の当たりにしてきたわけだけれど、そうした者たちが「感情を持つと面倒だ」という理由からあまりにはかない寿命を施されていることが、とても悲しい。そうした彼が見せた微笑みの尊さもよかった。この何ヶ月かで映画を観るようになった理由は、自分の集中力が鑑賞に堪えられるようになったからなのだった。映画っていいなあ。こんないいものにいままでさっぱり手を付けなかったのはまあしょうがないものの、時間の流れの奥行きを圧縮して名作ばかり味わうという意味では、とてもリッチな体験をしていると思う。今年の春先に始めた往時の名盤漁りもこんな贅沢さだった。作品と向き合える準備ができていると、感動は心へ届くものだね。明朝は0度近く、木曜の朝は氷点下になる予報が出てる。

2020年11月9日(月)

創作地名のリストアップはとりあえず一段落。アクリル球に書き込んでいる世界地図と手元の地球儀とを見比べてみると、書き込んだ陸地がわりあい大きめだった。陸海の比率は大雑把に地球の3:7を軸にしたほうが気候を想像しやすいように思う。地球のランドメイクには感心してしまう。地中海の出口から中東、南/東南アジアを貫いて南太平洋へなだれ込んでいる一連の造山帯の、そこの生き物の暮らしや気候だけでも、よくこんな変化に富んだものができたよなと嬉しくなる。こういうのはいくらでも凝ることができるけれど、お話をつくったりなんだりのベースのつもりでいるから、自分なりに進捗を覗っていきたい。そしてモチベーションを保つために、ところどころ見切り発車したっていいんじゃないかと思う。AdobeのIllustratorが使えるようになれば幅広いことをやれそうな気もする。ちらっと確認すると単体のサブスクは高いんだな……いま契約しているフォトプランが例外的なだけだった。まあでも、どんなことができるか考えてみる。

2020年11月8日(日)

市の文化祭へ。会場の入り口付近で参加票を書き、検温してから入場シールをもらう。僕のようなふらふら集まってきたものが言うのもあれなのだけれど、標準的な対策を施した上で開かれたイベントだったことに、丸裸ではないのだなーという多少の安心感はあった。ただ、目当てにしていた小中学生の美術作品は一切展示されておらず。このイベントでは柱となるはずの出し物だけれど、そういうの設営したりそこへ人が滞在していくことを考えると、衛生上やむを得ないのかもしれない。菊の花も今年は展示されていなかった。そちらは先日書いた状態のまま道の駅に並んでいるんだろう。半ば屋外なステージでギターを弾く男性の歌を聴いたり、フリマを覗いてビートルズのレコードを買ったり。会場を訪れる人足は例年通りに見えた。それから一度帰宅して夕どきを待ち、再び市街へ出かけて散歩しながら写真を撮った。写真って、やっていることとしては風景を視線に沿って切り出すものだと思うのだけれど、今回は午前の行動で疲れていたからか、そうした「おっ?」と感じる歩留まりというか頻度が露骨に落ちた。創作で関心を維持するなら、心身の疲れは真っ先に取り除くべきだな……。出発前に地図上で見つけた中国茶の店の前も通った。茶葉の商店かと思いきや、ドア越しに見る手狭な店内にはテーブルや椅子が並んでいたから、どちらかというと喫茶寄りの店なんだろう。それならこちらがもっと元気なときに来ようと思って帰着。少し話がずれるけれど、市内の純喫茶「茶羅」がこの伝染病のあおりを受けて閉店したそう。あの店のメニューにあった生卵入りのコーヒーはとうとう頼むことがなかった。町の風景なだけでなく多少は思い出のよすがでもあったから、それがもうないことを思うとしみじみとさみしく、むなしい。そんなわけで気になる喫茶店には入れるとき入っておいた方がいいんだろな。市街地にはほかにも紅茶がおもな喫茶店を確認してる。コーヒーではなくお茶のお店ってこのあたりでは貴重だ。なにかをしようとして自分の感情を確認するその都度、判断は揺らいでぶれて、なにに対してもちっとも誠実じゃないなと思う。そもそもの感情で判断するところが悪手だ。苦い顔をしてでも意思を頼りにすべしということは分かるのだけれど、その場の気持ちにライドされてしまう……。病的というか疾患の後遺症に近いものなので飲み込むほか余地のない部分もかみ締めつつ、なんとかできないのかなこれと手をこまねいてる。

2020年11月6日(金)

『グリーンブック』を観る。先の『最強のふたり』関連のおすすめとして友達から教えてもらった映画。あちらは裕福な障害者の白人とスラム出身の黒人という配役だったけれど、こちらはピアニストの黒人とがさつな用心棒の白人という、全く逆の構成になっている。視聴し始めた当初は白人向けの「大切なものを教えてあげる」という作品なのかとひやひやしていたのだけれど、徐々に黒人への差別を含めた、さらにセクシャルあるいは普遍的なみんなへ向けた抵抗としての、ドンとトニーの双方向に変化がもたらされる作品だと思ってからは、その勢いに飲まれていた。後半で警察からの不条理な言いがかりを切っ掛けにふたりが留置場へぶち込まれる場面があり、ドンの「暴力では勝てないぞ、勝ちたいなら品位を保て」とトニーの「俺ならそいつ(留置場のベッド)には触んないね」に、今の世と繋がる凄みを感じた。大きな時代性に抵抗していても、それらの尊い記憶として継承されるのは、わずかな個人間の信頼だけなのだ。ものは言い様だから絶望かもしれない。小さく確かな入り江、景勝地、緑の谷、そういったものが限られた人々の記憶に残り、いつしか失われていくんだろう。それらが存在することをただ知っていたい。そして、いずれ大きな流れが変わっていくのなら、その河へしれっと合流して未来を託していこう。そういうことを思う映画だった。

2020年11月5日(木)

明け方は2度まで冷え込んだらしい。日中の日差しは柔らかで、秋の色彩にくすんだ風景は透明さを帯びていた。那須の山々が冠雪している姿がここ平地からも見えた。道の駅に展示されていた菊の鉢は、こんどの土日に開かれる市の文化祭へ持っていくのではないかなあ。すいかずらに殺ダニ剤のバロックフロアブルを希釈して噴霧。風や雨の当たらない室内にいるため、うっかり葉ダニがはびこってしまった。薬が効くとよいな。

2020年11月4日(水)

リングフィットのカスタム機能を使い、腕のみと腹部のみのメニューをそれぞれ登録してる。あわせて二十分くらいのコースなのだけれど、意外と苦痛ではなくなってきたかも。一、二週間前はきつくて休み休みこなしていたレッグレイズが、一セットならまあなんとかくらいの気持ちでできる。ウェストやそけい部の少し上あたりに効いたような余韻を感じるのはけっこういいものだ……。スワイショウで腰を痛めてバファリンを飲んでいた先の冬から比べると、日常の立ちしゃがみの動作なんかは気にしなくなるくらい快適になった。サボってばかりのトレーニングでも続けることでQOLは上がるんだなー。Netflixに入荷していた水曜どうでしょうの家つくり編を見終えた。その次回作というのがあり、まずはお膝元で放送されているところらしい。そのほかの地域での放送は未定とのこと。気になる。かなり前にとちぎテレビで流れていたアフリカ編をおおむね見損ねたことも手伝い、海外ロケへの期待値が確定されないままに上がってる。

2020年11月3日(火)

昭文社の世界地図帳から創作に使いたい地名をピックアップ。こちらは帝国書院の新詳高等地図よりも地名が細かく載っており、もっか重宝してる。長いこと本棚の肥やしだったのが、ここへ来てやっと日の目を浴びた感じだ。本の価値っていうのは紐解かれるまで塩漬けにできるかどうかにあるんじゃないだろうか。『ムーミンパパ海へ行く』は作中のエンディングと同じ十月三日に読み終える予定でいたのだけれど、じつはまだ読みさしにしてる。読書ってどのみち自己満足だしね。そちらを読み終えたら、例によって『ムーミン谷の十一月』から『ムーミン谷の冬』へ渡り歩く予定。『海』の中盤でママが放った「やけにおもしろいぞ」というあの悪い言葉は、ああした状況で言い換えるなら「くそつまんねー」くらいのニュアンスなのだろうと思う。そうだとすると、あの時点でママはもうかなり心をやられていたことになるのだけれども。ムーミンママは自己主張が強いくせにそれが表立って表れにくく、やるべきことを取り上げられると簡単にやつれる。家族の再生が一つのテーマになっている『海』で、ママのそうした揺らぎというか不安定さがどこで解決されたのかというと、作中では「だんだんに気が大きくなってきて、りんごの木の後ろに隠れたりしなくなった」のあたりなのだけれども。ムーミン作品の特徴な「貸し借りの関係なく場の流れと自分の力で解決」が介在したとすれば、ママは創作活動を通じて自己治療しました、っていうことになる。身も蓋もない気がするので、もう少し掘り下げる余地はないだろうか。季節の移ろいにあわせてムーミンを読めることに、震えるような喜びを感じる。ベネディクティンDOMは薬草くさくてちびちび舐めるのに向いている。甘くておいしい。部屋のなかにいるすいかずらはいまも花を咲かせ、甘く鋭い香りを漂わせているけれど、よく見ると粉を吹いたような葉ダニの姿が目に入る。そちらとは同居したくないのであとで殺ダニ剤を使うつもり。

2020年11月2日(月)

本を少し読む。関心や注意を引くもののうち、要らないものはそぎ落とすべきかもなと思う。心からやりたいことって限られているんじゃないか。リソースは集中したほうがかたちになるよ。後ろ髪を引っ張られているように感じるとき、たぶんその多くは自分の心がつくる執着やこだわりで、手放してもどうってことない場合が多いのでは。今さらといえばそうしたごもっともな話を書いている。

2020年11月1日(日)

朝から果物市場へ出かけていってぶどうや洋梨など買った。種あり巨峰三ふさが350円。そのぶどうのパックをかごとカートへ過剰積載している男性がいた。ご家庭で消費できる量を超えているように見えたけれど、あれは我を忘れたんだろうか……。それから道の駅へ向かい、産直やフリマを覗いたり、ポケモンGOを開いてアイテム回収をしたり。市街を歩いて写真を撮ることも予定していたものの、思いのほか疲れを感じたため一度うちへ戻った。夕方になり、こたつカバーや敷物を洗うため母とコインランドリーへ出かけ、ついでに車も洗う。マジックアワーが迫るころにはだいぶん気だるくなり、とうとう撮りに出かけることは延期してしまった。布団へ入って楽になりたい。手荒れが気になり購入した缶のニベアは蓋が外しやすく、持つとき少しひやっとする。缶の中のクリームを見るたび、へらかナイフでいい感じに切り出してどこかに盛り付けたくなる。ポケGOのハロウィンイベントでの目的にしていたシャンデラは、育てるのにおおよそ十分なアメとともに確保でき、あとは砂だが……といったところ。もうベッドへ行こう。