2018年11月2日(金)

音楽の好みの話。自分がインストゥルメンタルやフュージョンのような歌詞を持たない曲を比較的好むのって、歌詞に興味が無いからでは、全くないな。その逆でひどく言葉を選り好みしてる。十代くらいで邦楽の洗礼を受けなかったことはたぶん、受け付ける表現の幅を狭めてる理由の一つだ。「君」なんて歌っているのを不用意に耳にすると、必要もなく身構えてしまう。こういう姿勢には心の境界の広さも関係してるんだろう。

そうしていても、好きになれる作品との出会いは尽きることのないところが、音楽のふところの広さだなあ。

暮れ時に立ち寄ったドラッグストアの隅のほうでは、The BanglesのWalk Like an Egyptianのリミックスがちんまりと流れていた。ほのかな年末感がある。

2018年11月1日(木)

少しでも散歩を続けるというのは、気分に加えて身体の調子も整うなあ。

テーブル裏のヒーターを掃除してこたつを出した。ハロウィンが終わったし、これから先の街並みはいそいそとクリスマスへ向かって加速をしていくのだろう。

最近流行りの、ビットコインに振り込め恐喝詐欺のメールが、僕のメールボックスにもやってきていた。そのアドレスは2005年くらいから利用している5MBのフリーメールだったのだけれど放置していて、ようやくパスワードを変えた。Gmailかクローラーにそこのログを拾ってもらってアカウントを削除しても良いかも知れない。

いろいろに読み解ける『ムーミンパパ海へ行く』のテーマを考えてる。家族の再生やムーミン一家の休暇、海との対話といったものが浮かんできたりするし、作者のトーベ・ヤンソンさん的には、ムーミンシリーズに生み出したモランの孤独という課題をここで解決してみせたのではなかろうか……というのは、読み返していた初期の『ムーミン谷の彗星』で「こわがられるとひとりぽっちになる」という趣旨の台詞が出てくるからなのだけれど。そうだとしたらこの手腕は、ただの優しさを超えて一人ひとりを慈しむ感情のように思う。

あのあとのモランはもう海を渡れないだろうけれど、どうしただろうか。島で夜な夜な、灯台守の点ける明かりを見ているのかも。

そういえばこの一年くらいは波の動きが消えるように、頑固な不眠症を自覚せずに済んでいた。十年以上のあいだろくろく眠れないか、眠るために目を閉じている努力が必要だった。この変化は末梢神経の痺れや、慢性的な下痢、冷え性といったものが解消されていることと関連がありそうだ。まあずいぶんな体の使い方したもんね。

明朝の最低気温に3度という予報が出てる。たぶん今季最も冷える。