2010年11月30日(火)

大田原市の諏訪神社と不退寺の薬師堂行ってきた。どちらもこまめな手入れが行き届いているようで好ましい。

諏訪神社諏訪神社にはいわゆる大東亜戦争で亡くなった戦没者の慰霊碑がある。……と知ったのはこの神社を一巡りしてみたときで、先日の雑記の戦争つながりで書くのにちょうど良いからここにピックアップしてみるだけだ。時代は昭和十四年八月の北支那から昭和二十年の九月シンガポールまで、没年は二十一歳から三十一歳、十一名の名が掲げられている。若い。僕と同じくらいの年頃だ。言葉にするにはちと重い。灯籠

諏訪神社は大田原自然遊歩道の第五コース、ホロの碑と境の松との間にある。都市計画道路三三一号線(国道四百号線)のたいら屋前交差点を南側に折れ、道なりに数百メートル程行った右手の杉木立だ。下枝が払われて道沿いからも社殿が覗けるので行ってみれば簡単に分かる。

諏訪神社を後に不退寺薬師堂へ向かった。大田原の旧中心街、与一通りというのだったか、その通りの突き当たりに薬師堂はある。蛇尾川方面から蛇尾橋を渡ってまっすぐ商店街を行けば正面に参道と大銀杏の木がある。ちょっと言うと、先ほど触れた諏訪神社の道沿いにも大銀杏があり、こちらの方は杉林に囲まれていて紅葉の季節以外はあまり目立たない。どちらの銀杏も樹齢は分からないが同じくらい背が高く立派だ。

一面の黄色薬師堂は参道の辺り一面に銀杏の黄色をまき散らして佇んでいた。雲一つ無い晴天のもと、その黄色が眩しく染み入る。通りかかったおばちゃんとすれ違って挨拶。案内板に有形文化財の文字があり、寛永年中(1624~1644)ごろ大田原氏によって建立とある。先日の雑記の経塚稲荷神社と成立した時代が重なるあたり、この時代の大田原(大俵が語源とも言われている)は城下町・宿場町として大層繁栄していたんだなあと思う。それを象徴的に表していたのがいつぞやの金灯籠なのだが、金灯籠そのものはこの雑記に書いたとおり旧市街地の活性化のための家屋解体とビル建築にあたり場所を移されてしまい、今では街の交差点の読み仮名にその名がただ残るばかりだ。

幾つかの案内板を巡って回るうちに面白いものを見つけた。「大田原の盆おどり唄」というもので、昭和53年9月7日選定とある。この盆踊唄は毎年八月の与一まつりで行われている盆踊りだ。以下抜粋。……大田原の盆おどり唄の起源についてはつまびらかではない。発祥の地は下町(中央二丁目)薬師堂の庭とも言われている。……唄の節回しも田舎節から都節に変わり、音楽的に統一性を欠くが、一種独特で他には見られない節回しである。……大田原の盆踊り唄は残り少ないふるさとの盆踊唄の一つである。……

薬師堂では冬の間に甘茶を振る舞うイベントがあるのだが、詳しい日程を失念してしまった。下町のささやかなお祭りだから見逃してしまうかも知れない。花市の頃だったかな。まあ出会えたら幸運、位に思い留めておこう。

話変わってメールアカウントの掃除。今使っているメーラーはnPOPQというもので、これがシンプルで使いやすいのだが更新停止からずいぶん経つソフトだ。今日はWindows Liveメールを使って、普段特に巡回していないアカウントも含めてお掃除とバックアップを取ることにした。未読メールが1037通、そのうちYahoo! アカウントの広告とSPAMが半分。ネット記事の定点観測をしているGmailアカウントを読了にして、私用でいくつかメインで使っているZenno.comのフリー・100円メールの容量確認やら細々とした調整。Zenno.comのWebメールは出先で使うのにもってこいなので重宝している。ぷらメールは仕様が複雑なのでメーラー側で振り分け。nPOPシリーズの当初の目標はフロッピーディスク一枚に収まる簡易メーラーだったらしいが、今ではWebメールやUSBメモリと言うものがあるし、しかし使い慣れたアプリを手放すには少々惜しいということで、現在から当面の間はこのnPOPQとカスタマイザひとつでやっていく事に。なんとかバックアップも取ったし、メーラーも定常運転へ。

Webを検索していて、昔の大学の先輩を見つけた。サークルが同じだったので何度か世話を見てもらった事がある。セミプロのアコースティック・ギター弾きの方で、こちらのYoutube – 「風を誘う少女」は昔、その先輩から200円で買ったオリジナルCDに収まっているそれのバージョン違いだ。とてもいい曲なのでもっと他の人に聴いて欲しいと思う。こんなWebの片隅からだが一応、エールを込めて。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です