2010年11月25日(木)

先日祖父から聞いた金丸の飛行場跡の倉庫を見に、那須野ヶ原CCの辺りまで行ってみた。行ってみたと言っても、常々通る道の脇だからたまたまちょいと折れて入ってみた、というのが正しい。平べったい弧を描いたコンクリートの壕があった。金丸原飛行場跡こちらの金丸原飛行場跡というページが詳しい。祖母の話では戦時中(小学三年生だったか)、兵隊さん達がぞろぞろと宇都宮駐屯地から金丸演習場までの40kmの道のりを歩いてきた場を見た事があると言い、へとへとに疲れ切っていたその様子がかわいそうだったと語った。その頃、太平洋戦争のことを大東亜戦争と呼んでいたという。

祖父の言っていた警察署の前の「御稲荷さん」にも今日行ってきた。経塚稲荷神社だ。学生の頃、良くこの辺りで昼飯を食べていた。朱の鳥居 駒狐様 ひがん桜石碑に寛永十年(一六三三)建立とあるから、そう古いものではないらしい。少なくともこの辺り一帯の、那須野巻狩の前後に建てられた神社・稲荷とは別の性質のものだ。例大祭は四月第一土曜日、神域を護る杉木立の隣にある「ひがん桜」の樹齢は約180年とのこと。社務所は公民館を兼用していた。この稲荷、地元の人々に親しまれながら今に至る、地域密着型の神社のようだ。まあ稲荷というものはだいたい地域と密接な関係を持って存えているものなのだが。佐久山の御殿山稲荷神社のようなのは多分例外だろう。

近くの交差点の角に珈琲専科・茶羅という喫茶店がある。以前に何度か立ち寄った事があり、ここは外観も内装も、いかにも純喫茶という風で好ましい。ただメニューがおしなべて高めだ。経塚稲荷神社のついでにと、ぼちぼち立ち寄って中へ入った。ちゃらんちゃらんとドアベルが鳴る。

カウンターにつくとしばらくしてメニューとおしぼりが渡された。何の気なしにカプチーノを注文。待っている間、ぼんやりと辺りを眺めてみた。正面の棚には高価そうな金の縁取りやら何やらを施されたコーヒーカップが並び、真ん中にはブランデー等のお酒の瓶が置いてあった。多分このブランデーでカフェ・ロワイヤルなんかを淹れるのだろう。棚の下にはKEY COFFEEの青い缶がマンデリンとかグアテマラとかキリマンジャロとかのラベルを貼られて置かれており、目の前のカウンターの向こうで小さめのサイフォンが三つ、静かにバーナーで炙られていた。店の奥ではスーツを着た男性が新聞を広げ、近所の奥様連中がなにかしら雑談し、入った事のない右側の部屋にも誰かいただろうか。横のおっちゃんが「んじゃ、そろそろいくか」と独りごちてお会計の方へ歩いて行った。

肘をついてしばらく瞑想していると「どうぞ」とカプチーノ。GABANのロゴの入ったシナモンスティックが添えてある。質感と香りから察するにセイロンシナモンだろうか。クリームの上にもシナモンが一振りとオレンジピールがちょっぴり。とりあえずカップに口を付けると、冷たくて濃くさっぱりしたクリームと熱々のエスプレッソの層が流れ込んでくる。クリームは何か変わったものを使っているようだが、僕の舌では分からなかった。一息ついて、スティックでくるくるかき混ぜながら、小説のネタの事やなんかを考え、ひとくち、ひとくちと飲んでいるうちに時間が過ぎていった。

割と長居せずに会計をして店を出た。そういえば学生時代は良くこの店の前を通ったが、入る事は結局無かったな。それだけ僕自身が変わったという事でもあるのだろう。またの機会にここへ寄ってみようっと。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です