2020年8月19日(水)

シャークネード5 ワールド・タイフーンを観た。なにもかもが雑な中、人命も特に尊重されてはいないところがよかった。突っ込みどころの多さに疲れて中盤からは笑うだけになっていたような。法王から授かったチェーンソーがそのあと出番を持たなかったところ(たぶん)や、変形して要塞化するオペラハウスに「単なる派手な建築物ではなかったんですね」というコメントが入るところなんかがツボ。サメ映画は健やかになれそう。いまくらいになると蝉の声は減ってくるようで、耳鼻科へ寄った昼ごろの風景には暑くて静かな、ひなびた感じがした。

2020年8月17日(月)

日没後の暗くなっていく空を見ていた。南には背の高い入道雲が残照を受けて青白く映え、その下のほうでは雷が瞬いて、雲のなかやその後方を音もなく照らすのだった。西の空高く、赤く輝いて目立つアルクトゥールスを皮切りに、星がちらほら出てきていた。青や緑から黒へとゆっくり減光していく空は、普段のように気にも留めないような雲量の多さではあったけれど、その隙間から覗く深い色彩に一日の終わりを感じて気持ちが安らいだ。買い物の帰りだったから、見通しのよい田んぼの真ん中へ原付を止めて、虫の声のほかは静かな日没をしばらくのあいだ眺めていた。この眺めを目にすることができたし今夏は上がり、みたいな考えが頭をちらっと横切った。

夕空のへりは暖かい季節に見られる赤く滲んだものではなくて、秋冬特有の眠たいような緑と水色をしていた。田んぼの中を行く路上には飛び交う虫たちが増え、いかにも実りの季節を待ちわびているようだった。みぞおちに入ってきたのはそれらを捕らえるコウモリだったんだろうか。季節がゆっくりと、確実に巡っていくことを、肌で感じる。

ニュー・シネマ・パラダイスを観た。よかった。子供のトトに対して同じ目の高さで向き合うアルフレードの誠実さを思う。

2020年8月16日(日)

朝から父の墓へ出かけていって送り盆とした。帰りがけに、川縁に整備された花の道を母と見る。周りの人たちそれぞれの根深い問題をなにかの拍子で目にするたび、『ムーミン谷の冬』でムーミントロールが考えた(みんないろんな悩みを抱えているんだなあ。あのジャムのことなんか、とりたてて言うほどのことじゃないんだ。)というせりふが思い浮かぶ。人の悩みを察知する理由って、自分が相対的に気楽なためなのかも。あまり関係がないけれど、やりきれなさや溜飲下げたさからちくちくとものを言うことがないよう、気をつけようと思う。そういうのは他人の居場所を奪うものね。

2020年8月15日(土)

お盆も後半。宵のころに花火大会の音だけが聞こえてきて、そういえば少しばかりあるんだと思い出し、家の前で花火をした。ドラゴンとロケット花火に、回転しながら上昇するとんぼ花火が一袋ずつ。値段なりにすぐ終わってしまったり、上手く打ち上がらないものもあったけれど、いいものだなあと思う。火薬の匂いはいつまでも嗅いでいたくなる。上空で響く破裂音も余韻が気持ちいい。ひとりでやる花火なんてつらいだけと感じていた人生の時期を通り過ぎ、いまでは自意識や人目をさして気にせずに、好きなことを好きにやれるところまで来た。とても楽。花火で遊んだあとで近所をぐるっと散歩した。お盆期間中の田舎は人口が増え、気持ちも賑やかというか安心感がある。街灯が木の枝越しに路上へ投げかける光や自販機の照明、足下を照らすごく小さな明かり、それから紫電で星空を照らすかなとこ雲といった、誰もいない場所を照らすささやかな光源に、しっとりと優しい夜の雰囲気を感じながら歩いた。明朝は送り盆だから早めに眠る。ジャスミンは今夏二度目の花期が訪れたところ。さっき見たら白い花が二つほど開き、芳香を放っていた。

2020年8月14日(金)

む、Wordpressのアップデートで文章入力画面のフォントが見づらくなってる。朝のうちにいとこたちの元へ出向き、祖父の初盆に坊さんが読経を上げてくれるのを聞いたり、自分で線香を上げたりしていた。世が世なので長っちりは避けるところだけれど、出してもらった麦茶とまんじゅうくらいは食べたほうがよかろうと思い、もしゃもしゃやってから帰着。あれは、お客さんに出したけれど誰も食べなかったねー、みたいな会話が一日の終わりに発生するのは、そういうものだけれどさみしいんだよね。人口が少し増えた田舎のお盆の浮ついた雰囲気は好きだ。もちろん、そうした慣習や淑気を苦痛に感じるひとも世にいることは知っているけれど。なんとなく、お盆期間中に夜の散歩があってもよいかもね、と思う。ラジアンF待ち。

2020年8月13日(木)

墓参りへ。それから、祖父宅やいとこたちのことを気に掛けてくれる近隣のお宅へ、ビールを持っていったりした。祖父亡き後の相続については基本的な話の方向性がまとまり、懸案な叔父の家屋に関しては田舎の人脈で話が付くかも、といったことを聞いてる。あしたは朝のうちに祖父宅へ線香を上げに行く予定。昨晩は意外にも星空が覗き、ペルセウス座流星群が流れるのを一時間ほど眺めた。

2020年8月12日(水)

午後より自宅と山道の草刈りをした。密集した篠藪は一度に刈ることがむつかしいため、切断した篠をちまちま除けながら、三時間ほど掛けてひとが楽に通れるような幅を作った。高さ三メートルはあると思われるあの藪は、うずらや雉や狸が安全に暮らすにはこれ以上ない隠れ家になっているんだろうなあ。緻密な篠藪の上部ではオニドコロや藤の蔓が樹冠に近いものを形成しており、それらに絡みつかれた篠は根元を刈るだけでは倒れてこなかった。ああ、けっこう疲れた。水風呂が心地よい日。明朝は墓参りがあるから、早いとこ眠ってしまおう。

2020年8月11日(火)

きょうは今夏一番暑い日だったのではないだろうか。地元のアメダスでは最高気温が36度ちょっとあり、40度を超えた地域もあったそう。このあたりの予報だと今後は真夏日くらいで済みそう、という感じ。昼の盛りに出かけると路上には熱風がこもっており、気体というよりはとろりとした温かい液体の中を行くようだった。きのうの山の上は涼しくていくらか雲によるミストも掛かっていたから、高原は地上の熱気を避けるには都合のよい、恵まれた環境なのだなあ。道の駅で見かけた花オクラは、雑に刻んでわさび醤油で食べると粘り気が出て、そのうまさに意外なくらいびっくりした。ここへ来て食と季節がしっかり合流したような、夏を食べてる気分。きのうの夜更けはそこそこ晴れ、一時間ほど星空を見ていた。散在流星とペルセウス座流星群がそれぞれ二つ、極大の二日前だからそれなりに流れたと言ってよさそうだ。今夜と当日のあす夜は観望の期待薄。

2020年8月10日(月)

那須ブックセンターへ。店主らしき男性が出入り口前に、珈琲販売かなにかの設営をしていた。ぼっそり挨拶して店に入る。中は静かだった。椎名誠や沢野ひとしを中心とした書籍コーナーがあったり、郷土関連の本にこだわりがあるのかなと思わせるチョイスが目に入ってきたりと、個人の書店ってこんなふうに性格があるものだねえと気持ちよかった。ヘイト本とSFコーナーは見当たらなかった気がする。岩波文庫が多めでうれしい。ながっちりをしてから本の雑誌とその別冊な古典案内を購入した。本の雑誌は興味を持ちながらも近隣の書店には見当たらず、Amazonで取り寄せたものかと保留にしていたもの。PR誌の図書もなんとなく手が伸びた。それから山の上のほうへ。ロープウェイ駅まで原付で行けるか確かめたかったのだけれど、ギアを低速に入れてのたのたと粘るうち、目的地より上の茶屋にまでたどり着いた。来られるものだなあ。大気はしっとり涼しく、木々の甘いにおいがした。この快適さは確かにひとが来るかもね。初めから山を登るつもりはなかったから、そのへんを少しうろうろして花の写真など撮り、帰途。那須街道は登るときも下りるときもちょっとした渋滞で、多種多様なナンバーの中には神戸や盛岡、所沢なんてのも見かけた。ハイシーズンの避暑地+お盆前+山の日に山の組み合わせはどこへ行っても人がいた。もうちょっと自分はほかの日にできなかったのという気がするけれど、これはこれで県外から見た那須の印象を確認できた、ということかも知れない。今年のペルセウス座流星群は天候に恵まれなさそうなので、今夜のうちに雲間が覗くかどうか、少し様子を窺うつもり。

2020年8月9日(日)

『バーフバリ 伝説誕生』と『バーフバリ2 王の凱旋』を、Amazonのレンタルで続けて観た。有無を言わさぬ展開にツッコミが絶えなかったけれど、感情のフルスイングの連続がよかった。日ごろ映像作品に慣れていないため、自宅とはいえ映画の二本立てに集中するのは疲れた……。おかげで眠たい。早めにお布団へ入って、あしたの天気次第で那須の上のほうに行けたら。今福龍太氏がちくまに寄せた「少年の日の思い出」関連のエッセイに影響され、ヘッセつながりで古本の「シッダルタ」を手に入れた。「車輪の下」ならむかし読んだ記憶だけがあるけれど、そちらは窮屈という印象がおぼろに残ってる。作者へのイメージは変わるだろうか。しばらく積ん読かも。