うれしいこともしんどいこともあった日。高原のほうの料理店へ行ってみたら観光地でしたかというあれで、食べるのは止めて周りのお土産屋へ足を踏み入れた。所狭しと並ぶアジア系の雑貨をふーんと見るうち、小さめの花びんを見つけた。気泡がたくさん入っていて透明な、手吹きガラスのシンプルな花びん。こういうの探してた! と手に取ってまじまじ眺めるうち気分が乗り、買いものかごを持ってつぶさに品々を見て回るなど。星野道夫のエッセイに、季節の移ろいひとつに心を動かされてしまうようなその浅さで人は生きていけるのでしょう、という旨の言葉があったけれど、じぶんのこういう軽さに悪い気はしないね。それから数ヶ所に分かれているお土産屋も覗き、お香が充実している一角を見つけて前のめりな気分になってしまった。HEMの六角柱の箱入りなお香がたくさん並んでいる。ひとつひとつ手に取って香りを確かめながら気に入ったものをお買い上げ。チャンダンやムーンという名前のが売れ筋で有名でもあるようだった。そのあと移動して喫茶店でひと息ついてからギャラリーへ向かい、オーナーさんとしばらく話をした。じぶんがいま行っている、印刷所へジークレー印刷を注文して作品を仕立てるというやり方は高くつく。高価格帯の6色くらい使うプリンター、といっても5~10万くらいのものでもじゅうぶんにジークレーと見分けが付かないくらいのクオリティがあること、そっちにすればすぐ元は取れるよ、というアドバイスをいただいた。オーナーさんの姪にあたる方がジャーナリスト・フォトグラファーで、そのギャラリーでの展示に使ったという東日本大震災直後の現地を移したプリントを拝見したり。なにかしら誰かしら、活躍されているのだなあみたいな思いがよぎるときには毎回思うのだけれど、じぶん自身はひとかどの立場や社会的な肩書きといったものから距離を置くことにして、内的な充実に舵を切ったでしょ。評価されることというのも競争や比較でできていて、そうした経済の枠組みに回収されることからはうまいこと半身抜けたいんでしょ? 感心経由ですら、通念ていうのは簡単に侵入してくるのだよなーと思う。そのあと夕餉の食材を買って帰途。しんどいこともあるにはあり、それだけ書けばじゅうぶんという。HEMのお香を数種類焚いてみて、どれもエキゾチックでよい香りと思いつつ、それなりな受け皿を使うほうがよいのだろうなという大きさと灰の落ち方。耽溺しているリスンは茶さじがしっくりくらいのサイズだからね……。そういうふうになっているとはいえ猫の目のように気分が動いて思うのは、ネガティヴな気分での失望はほんとうにまっ暗という感じなのだけれど、多少持ち直して思い直したときには深刻さはさほどではなくなっていて、ではどちらを基準にするかということ。悲観は気分で楽観は意思というフレーズを採用するにあたり、気分に圧倒されがちとはいえ、そのあとの沈黙や余白がベースラインの気分へ戻るために必要なもの、なんだと思う。この「戻る」「戻れる」という自己調整/自己効力感の育成/メタ認知が回復における身体的アプローチでは鍵となるもの。そのうえで指針や方向性が出るならそれはするのがよいよ。まとまりがなくなってきたから今夜はここで切り上げ。
