2020年5月19日(火)

これまで言葉に直すことを避けてきたけれど、僕は他者の感情に敏感なせいで要らない苦労をしているな……。感情の制御が利きづらい精神の構造をしていることもあって消耗しやすい。と言っても他者との境界が溶けるような感じではなく、あくまで別々の感情として、おおむね独り相撲をしている状態。

ふと思い出した。2017年9月のちくまの『心へ飛び込んでくる世界』に、栂嶺レイという方が自身の「自我が完全に崩壊してしまった経験」について書かれていた。「私はまるっきり霊感を信じてはいないが、外界との境界を失った心が、普段は気づかないごく微細な光景の違いを何か感じ取るのである。」とのこと。高野山の墓石の造形一つ一つから死者に対する残された者の叫びを感じ取ったり、だれもいない山中の里山でそこに加えられてきた人の意思に気分が悪くなってしまったり。面白い体験や出会いもあったそうで、そのなかで熊野という土地に親しみ、本を書くようになった……というのが『誰も知らない熊野の遺産』(ちくま新書)という本を紹介したその記事だった。積読になってる。導入が長かったけれど、これほどまでに外の世界に影響されてしまう体験というのもあるのかと驚いたのだった。

感情の制御権を自分が持つことは僕の人生の課題なのだろうなー。オンラインにありがちな、敵意や憎悪を直接こちらへねじ込んでなにかさせようとする言動に対しては、わりとすんなりと距離を取れるというか、いい加減に対処できる。真に受けて後を引きずるのは、どうでもいいとか気に入らないとかの、日常にありふれた小さな段差や、投げっぱなしな負の感情。そういうものに僕は足を取られやすい。こちらに向けられているわけではなくても受け止めてしまいがち。意気込みだけじゃ変われないと思って認知療法の考えを取り入れたりもしているものの、これは実践が肝心なので、実際に場数を踏む必要がありそう。「多くの人にとって自分自身の言動は当たり前のことなのだから、そうしたそれぞれのありようを理解しよう」っていう考え方は、そうなる予定はあるけれど、いまは仏のように思える……。感情のことを書いてると吐き出す気持ちよさが簡単に独りよがりになっていくのを感じる。こうした対策もいいけれど、対処するような状況に陥らないことのほうが大切で、機嫌よくいられるときって仏でしょ、ということ。

2020年5月18日(月)

曇りがちの蒸す日。スチルのためにシネマを知る必要があるんだろうかと考えていた。目当ての分野はカラーグレーディングというそう。路傍にムラサキツユクサがわっさと花を咲かせているのを見かけた。明け方か雨の日に撮りたい。花撮りもいいけれど、そのへんの風景からもっと概念や観点を汲み出せたらと思う。

2020年5月17日(日)

夕暮れにISSが天の高いところを行くのを見た。火曜以降の週間予報には傘が並んでる。

CP+2020で公開されるはずだったものを、リコーが15日に動画で公開していた。その中にD FA 21mm Limitedというものの説明があり、こ、これは触ってみたいと、いつになく興奮したのだった。ペンタックスではDFA(つよい)とLimited(すごい)の組み合わせってこれが初めてだと思う。中二ぽい「来た!」という感じ。半分オールドレンズの域にいるFA Limitedをデジタル対応で超えて来るんだろうか。寄れるということはDA 15mm Limitedの上位互換になりそう。こちらは持っていて空を撮るのに重宝してたので、今回公開された21mmに目が釘付けになったのだった。ほか二本のレンズと、APS-Cの次期フラッグシップ機の紹介。あー。次にカメラボディを新調するときはフルサイズと決めているものの、写真を仕事に活かせたらという思いがあり、それならユーザーの多いキヤノンかニコン、あるいは高級高性能のソニーが着地点かなーと思っていた。ペンタックスにもフルサイズのデジイチはあるから、そちらを選べばいまのレンズ資産は活用できるのだけれど……ペンタックスでこの先やっていけるかどうか、確信が持てないのだよね。

新しく組んだ自作PCは動きがきびきびしてる。Core i9-9900KにGeForce RTX 2070 SUPERとメモリをたらふく積んだところ、Lightroomはストレスなく操作できるようになった。OSやソフトウェアを置くCドライブにIntel SSD DC P4511 1TBという頑丈なM.2タイプのSSDを組み込んだから、この部分は少なくとも十年くらい元気なまま機能してほしい。このパソコンでものをつくっていこう。パーツの分割払いもしっかりな。

2020年5月16日(土)

コーヒー豆の自家焙煎に手を出した。いつでも新鮮な豆が得られることと、少しは安く上がりそう、と思ってのこと。煎りはじめは麦茶のようなこくのある香りが立ち、それから焦げたような煙に変わっていった。ふだんフルシティローストが好きなため、2ハゼなるタイミングで焙煎を切り上げた。豆の色は知ってる濃いあずき色だけれど、ふくよかな香りがぶわーっと広がる……というのとは少し違うな。あれはプロの技なんだね。煎った豆を極細挽きにしてモカエキスプレスで抽出したのを飲んでみると、味のほうはいい線行ってる。個人的に珈琲にモナンのヘーゼルナッツシロップを入れるのが好きなのでだばあと加えた。手間が満足感に乗っておいしい。至高の珈琲を求めてこだわる人の気持ちがわかる気がする。自分で煎っても満足あるものができそう、という確信が得られたことだし、これからは生豆をストックしておいて必要な時に煎り、新鮮なものを使ってもよさそうだ。各所の記事で見かけた「チャフ(豆の薄皮)が飛び散るため、焙煎後は周りの掃除が必要」というのは、事前に豆をざるで研いだところ、ほぼ抑えられた。

『天使にラブソングを』を観た。初めてハモる場面に胸のすくような感じがしてよいなあ。ウーピー・ゴールドバーグという人物の作品に触れるのはこれが初めてだった。あーいい気分。

日がな小雨の降る、潤いある日。梅雨に入る前のからっとした気候と降り注ぐ日差しは、季節のうちでも一番美しくて快適だと思う。身動きを取りにくい状況ではあるけれど、今年もそういう光景を写真で記録できたら。そういえば、銀の針のような雨がけぶって緑と調和している光景、というのを五月には見かけることがある。今年はそういうのに遭遇するだろうか。

2020年5月15日(金)

たいへん眠たい。沖縄では梅雨入りしたとか。スクービーの『月光』に、梅雨時の夜中の静まり返ったような印象を持ってる。

Windows10は使い始めた初日にスタートメニューが出なくなり、三日目のきょう、ブルースクリーンに遭遇した。なるほど、こんな感じなんだ。導入して間もないWindows7にサービスパック1を入れたとき、エラーを乗り越えるために金曜から月曜まで格闘したのを覚えてる。10も現行のOSとはいえ、うまくいかないことはまだまだあるんだなあ。

祖父宅の茶のすす病についてはオルトラン粒剤を撒き、ベニカXスプレーもついでにかけてきた。明日は雨が降るそうだから、粒剤の成分が浸透してアブラムシを絶やすはず。すすは生け垣の内部で蔓延しているみたいだった。茶が病虫害に弱いということと、なんともないように見えたものも祖父は世話をしていたのだなということの両方を思う。彼が愛用していた小刀を見つけ、だれも使わないだろうと判断してもらってきた。一つの場所に暮らすことで風景に記憶が宿り、やがて人々の暮らしも思えるようになっていく、そういう感覚がある。

2020年5月13日(水)

昼前より雷鳴、続いてにわか雨が降る。昼過ぎから日没にかけて風が強かった。いま、わずかな風に透明感と涼しさが乗っており、ほんのり秋口じみたさみしさを感じる。鉢植えにして部屋で飼っているすいかずらの枝先に花芽が付いていた。野生種の花の香りも強いものだけれど、これはとりわけ香りが強く花も大きい改良種だそう。花が咲くことを思うと気持ちが前向きになるなあ。少し前に発生した台風1号はなんとなく北上するルートに見える。

2020年5月12日(火)

さして迷うこともなくパソコンは組みあがり、OSのインストールもすんなり終わってしまった。ので、ストレージのフォーマットをしながら、そのデスクトップ機でこれを書いてる。フラットな画面だなー。ソフトウェアを入れたりデータを移したりといった作業が残っているけれど、今回の自作PCはうまく組めたと言ってよさそう。いまのところとりあえず、デジタル写真のRAW現像を快適に行うため十年ぶりで手に入れた虎の子なので、また長く面倒を見ながら使っていく予定。二年の分割払いを頑張ろうな。

パソコンや周辺機器への理解も深まるといいなあと目論見つつの組み立てはいい線行った気がする。デジタル寄りの写真撮影はこうした機械ありきの趣味なので、その性能や仕組みを知ることは作品の出来栄えと結びついていくし。組む前といまで理解が異なって見えるのは、やっぱり筐体内部の配線かなあ。この部品をこういうふうに接続すれば所定の機能を果たせるというのが、なんだか生物の内臓を弄り回しているみたいだった。パソコンは連結された電子部品の集合なのだなあと思う。

2020年5月11日(月)

印象的な雲が流れる。ウェザーニュースのつぶやきに、光の梯子が地元へ降り注ぐ写真が載っていた。ちぎれ雲からときおり雨粒が落ちてくる青空の日。Lightroomで表現できる手札を増やせたらと思い、youtubeとnoteの記事のいくつかを漁ってる。