二十日、久しぶりに玉藻稲荷神社へ行ってきた。この辺りの桜も散り始める頃だからと、油揚と桜酒を持って出掛けてきたのだが、稲荷神社の様子は割合酷かった。社殿と狐塚、創建八百周年記念の朱の鳥居は何ともなかったが、あの地震で石の鳥居は貫(下の横棒)が落ち砕けていて、誰かが除けたのか柱の脇に並んでいた。石段は地面ごと滑ったかのように、や、その通りに崩れて石組みが緩んでいた。
一番酷かったのは右のお狐様だ。お狐様が乗っていた何枚かの石と碑がまるごと倒れ、お狐様そのものは境内の端っこにちょこんと立っている有様だった。左のお狐様は何ともなかった様子。境内へ至る石段も右側の方が崩れ方は酷かったから、もともとその辺りの地面が柔だった事もあるのだろう。けれど、この近辺は3.11の三度の大揺れで最大震度六強を観測していたそうだ。すらりと背の高く立派にたたずんでいたあの両像が、片方だけでも無事なことに感謝するしかない。社殿に油揚を三切れお供えして、お賽銭と二礼二拍一礼。
玉藻の前が正体を見破られ、矢で射貫かれたときの伝承の池、鏡が池も地震の影響を被っているらしかった。水がすっかり抜けて涸れていたのだ。この池は湧水池で、稲荷の手前の水芭蕉の原へそろそろと水を供給している、筈だった。地面の下の構造が違ってしまったのだろうか。湿地そのものはちょいと踏み込んでみると水が染み出してきたから、それらが枯れる事はすぐにはないだろう……けれど。
狐塚の手前の鳥居は笠木も貫も倒れて、両の柱だけが立っていた。危険と書かれたテープが張ってあったが、ここまで酒を持ってきておいて帰るのも申し訳ないので、失礼しますと心で呟いてお供えをした。桜の花びらを閉じ込めたお酒だ。玉藻の前はもしかしたらちょっと苦手かもしれないな、なんて苦笑いしつつ。
石段の下、スタンプラリーの看板の前でざっと周囲を眺めてみて、これは当分元には戻らないだろうな、と思った。八百年以上存えていれば色々あっただろうが、今回の地震だってそれらに勝るとも劣らぬ天災だ。近所の氏子の方々が頑張ってくれる事を願うばかり。
参道を戻って駐車場へ歩いて行くとき、砂利敷きの道のあちこちに桜の花びらがちらほらと落ちている事に気がついた。山桜だろうか。辺りをきょろきょろ見回してみても桜の木なんて無かったし、一体どこから舞い散ってきたんだろう。来たときは気付かなかったが、まさか、ね。
在りし日の稲荷神社の事はこの「前髪焦げた」で少し書いたし、ある方がPicasaウェブアルバムに沢山写真をアップして下さっているので(リンク)、かつての玉藻稲荷に興味のある方は是非ご覧なって欲しい。それと、帰り道でのおまけ写真。田に水が入った。もう代?きの季節だ。