[an error occurred while processing this directive]

物語の端切れ

[an error occurred while processing this directive]

Mail

[an error occurred while processing this directive]

[an error occurred while processing this directive]...

Days gone by - 2010 Second half

2010年6月27日

一応サイトを公開って事で。

何年か前の作りかけのままなファイル群を見つけたので、どこかにアップロードしてまたWebサイト弄りでもしようかなと思った。それがこの「前髪焦げた」で、今よりもうちょっと髪を伸ばしていた四年前、モニタを眺めつつ煙草に火を付けていたらタイトル通り焦がしてしまった、というのがその由来だ。もっと以前に別のサイトを動かしていた頃、cssとかxhtmlとかvalidとかstrictとか、そんな言葉がWeb界隈で終焉を迎えていた。その時のサイトをひな形に削れるだけ削ってのらくら運用出来るようにと、そんな理由で改変を始めたのだけれど。それはいつしか、大学をやめ病気の療養に入るにつれ忘れていった。

呟くだけならマイクロブログやSNSや大型掲示板などいくらでもあるけれど、一昔前の所謂ほめぱげみたいなものがひっそり生き残っていたって悪くはないんじゃないかなとは思う。

だいたい動機が暇潰しと自己満足なので、おおむねが無駄情報ばかりだ。それでも少しばかり人の役に立ちそうなものがあった時には、ちょろっと広げたりするかも知れない。そんな感じそんな程度で続けてみるつもりだから、これを読んでいる方はさらっと流してまたどこかへ飛んでいって貰ってかまわない。

ところで、ページトップのリロードすると変わるワンフレーズは、昔書き留めていた小説や読んだ本や何某の一節を抜き出したもの。『葉巻で世界を旅する男』は僕が昔、足繁く煙草屋に通ううちに出会ったおっさんの一言がもとになっている。題が振ってあるものは大体、中途で投げ出した小説のひとかけらたちだ。要するに大した意味はない(カウンタも回らない)ので、暇な御仁はF5を押してみよう。

2010年6月28日

病院の帰り。三車線を左から中央、右にがーっと跨ぎ、その勢いで矢印信号を右折していった車がいた。

明日の夜は友人らが訪ねてくる為、帰り道がてらスーパーで酒とつまみを買う。誰か一人が運転係の羽目になるので今流行りらしいノンアルコール・ビールを二本かごに入れた。僕はビールが嫌いなのだが。

その友人の一人はつい先週まで、新宿だかその辺の拘置所だか留置所に入っていた男である。この春上京し、すぐにスリをやって起訴され、結果執行猶予三年と相成った。人の財布を盗むくらいならと、色々諭すというか説教してやりたかったのだが、すでに処分が出、帰ってきてしまった事だ。大体彼はあまり他人の忠言に耳を貸さない。

丸二ヶ月見ないうちに身体堅くなったな、何だか引き締まっているな、と言ったら「二十日間、房でずっと筋トレやってたから」と答えた。ヤクザや詐欺師グループや、およそ堅気でない輩と共に二十日間を過ごし「強制送還された」そうだ。彼の手短な話では、激しい右の方々の一人がいともあっさりと看守に見送られ房を出て行った、というのだが、ここではその件について深く触れない。慌ただしく「来週の火曜にTとまた来ていいか」という旨を言い残し帰った。一昨日の事だ。

帰り道、家に着く直前になって激しく雨が降り出した。アスファルトの埃っぽい匂い、カブトやクワガタなんかの飼育かごのにおい、真新しい篠竹簾の匂い、いろんな匂いが熱気と共に感じられて嬉しかった。梅雨を越せばじき、夏だ。

2010年7月1日

友人らは丸二日のあいだ、僕の部屋でうだうだしつつ帰って行った。

その後、堅気でなくなった友人との共通の知り合いに連絡を取った。例のその人が姿を消した二ヶ月間の経過報告だ。彼女と僕とはネットを挟んでのやり取りだけだが、まあ何と言うのか、あんな奴だけれど見守ってやって欲しい、そういった事を頼まれた。もちろん頼まれてする事ではないからと、そう考えて返事は適当にしておいた。大丈夫、気にする事でもない。

話変わって多分、この土日あたりに僕は新しいデジ一のレンズを手に入れるだろう。ペンタックスの「PENTAX-DA15mmF4ED AL Limited」だ。今年の春先からこのレンズを買うための貯金をしてきて、今月になり手に入るだけの額が貯まった。

正直言って、僕はカメラ内部の詳しい仕組みを殆ど知らない。絞りと言われるものについては知人からアドバイスを受けたのだが、からっきしだ。多分、技術者であった父の才能を受け継がれなかったのだろう。何かしら壊す事は得意なのだが。

そんな僕が何故かポラロイドカメラ「SX-70」を持っていて、おまけに未だしっかりと感応する600高感度フィルムを7パックと9枚も保存している。不思議な話だ。フィルムは友人たちが来る前の掃除で、書類放り込み置き場の下から出てきた。物は試しと一枚だけ撮ってみたところ、きちんと写ったのだ。このカメラ自体の製造年月日は30年以上前のモノで、慣れないヤフオクで落とした記憶がある。そしてSX-70を弄りはじめて二年後にフィルムの生産が終了し、一つの時代が終わった。今現在このフィルムに互換する品が出回っているのかどうかは分からないが、まだ僕のポラが動く、写真が撮れる、そう思えるから嬉しい。今までに撮った写真はスキャンしてからアルバムにしまってある。気が向いたときこのサイトにこっそり置いておこう。

2010年7月4日

夜の紫陽花と横切る猫昨日の夜、近所の沢の蛍を見に行ったついでの紫陽花公園にて。猫に三度も目の前を横切られた。

このところ睡眠の周期がずれている様子だ。僕は大抵夜九時ごろには寝て、朝四時前に起きる習慣にしている。これでは大変だ、目覚し時計を探してこなければ。

昼前に友人が慌ただしくやって来た。先日僕の部屋を訪れた際に財布を忘れたと言う。慌てて探すと本棚の陰、紙袋の下敷きとなっていた。庭に銀マットを敷き寝転がりつつ煙草を吸っていたのを見られ、大いに笑われた。仕返しにポラで顔を撮ってやったのでおあいこだ。

正午のサイレンが鳴る頃、母の叔父からお中元の桜桃が、続いてAmazonで頼んでおいたペンタックスのレンズが届いた。

この写真は初めて弄る広角レンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 15mm F4ED AL Limited」の試し撮り。桜桃

今まで持っていたデジ一のレンズは「PENTAX smc PENTAX-D FA 50mm MACRO」と標準ズームレンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mm AL II」の二つ。これらを使い続けて二年、ようやく「こういうレンズがあれば撮れる写真の幅が広がるんだろうなあ」と思えるようになって初めての自分で選んだレンズだ。頑張って使いこなしたい。

激しい通り雨が屋根をたたいた昼下がりに買い物へ出掛けた。目当ては部屋着にしたいと思っていた甚平と、前々から祖父に植えろと言われたオクラの苗。甚平は二件、オクラは三件回ってようやく見つかった。オクラのついでに色々と苗を買う。モロヘイヤ、桃色夕顔、ミニトマト、それから「ペピーノ」というナスの仲間らしい不思議な野菜。これは熟した実が「メロンと洋なしを足して割ったような不思議な甘さを持つ」というのでそのコピーに惹かれて買ってしまった。割と最近広まった品種なのだろう、うちのどの園芸本にも載っていない。育て方が詳しく分からないが、まあナスの仲間なのだからそのまま育ててみよう……。そういえば庭ではすでにトマトが大きく青い実を実らせていたっけ。ただ妙に背丈が低い。肥えたところに植えたのだがなあ。どうしたものだろうか。

夕暮れになって蜩が鳴き始めた。今年は今日がはじめてだ。この辺りでは先月二十七日に初めて鳴き始めた蝉だが、もう蜩が出てきているのかと驚いた。蜩は午前四時少し前にも一斉に鳴き始める習性がある。そうか、やはり目覚ましか。

2010年7月6日

Karl Blossfeldtこれは『植物を撮り続けた寡黙の写真家、カール・ブロスフェルト』自身の写真。

ちょっと言うと、「前髪焦げた」の前にもWebサイトを立ち上げ、投げ出していた。そっちでとある古本を購入した事を書いたところ、検索エンジンからその記事の単語目当てに飛んできたらしい人がいて、詳しく書いたわけでもないのにと後悔した記憶がある。後で調べたところ、その本が結構な稀書だと分かった。「Karl Blossfeldt 写真」という、百ページ足らずの割合薄いモノクロハードカバーの写真集。With atext by Rolf Sachsse、ベネディクト・タッシェン出版(Benedict Taschen)とあるのはドイツが本家の美術本らしい。昔の記憶では、この本の写真を丸ごと含めた大型の美術本「不思議の園」や「芸術の原型」というのがあったはずだが、それらの値段が万単位であったことと僕は美術本の蒐集家ではないのとで(写真だけならばGoogleイメージ検索でいくらでも出てくる)、この写真集の紹介を誰にともなく書き留めておく。

表紙以下の文章は、上記のロルフ・ザクセという人物による10ページにもわたるブロスフェルトの業績についての端的な抜粋。

彼は植物を撮影した。それも、何千枚も。彼の写真にはほとんどいつも、花やつぼみや二股に分かれた茎、あるいは花軸の先頭に放射状に花が咲く散形花序や種嚢が真横から撮られている。真上からのは少なく斜めからとらえたのはさらに少ない。また、ほとんどいつもその背景は白か灰色の厚紙で、たまに黒の厚紙を背景に撮影していることもある。奥行きが感じられる背景は非常にまれである。撮影時の照明は北側からの窓から差し込む光で、拡散性だが、対象を一方向からのみ照らすため、それが立体感を出す効果をあげている。撮影技術と処理条件は非常に単純である。彼はミドルサイズのネガだけを使って平均以上のできばえの写真をものにした。意識を対象そのものに集中して、はずすことがなかったからである。30年以上もの間この男はそんな写真を撮り続けた。仕事、そう、植物の撮影は仕事以外の何者でもなかった。……

写真技術の課題画像の裏表紙にも書かれているが、5ページ目の主張ははっきりしている。『カール・ブロスフェルトがわれわれに伝えたかったことの基本はただ一つ、工業デザインにおける理想の構築美はすでに自然が先取りしているということであった。』自然に倣うこと 具象の追求悲しいかな僕には英語の細かい文脈を汲み取れないのだが、それでもこの本の主張はシンプルで強烈で分かり易い。どの植物も花弁や葉を摘み取られたり、時には恣意的に並べられたりして、無機質な雰囲気を醸し出している。モノクロであることがより一層無機質さを引き立てていて、はてこれは植物なのだろうかと感じさせる。そして美しい。

実を言うと、この本を手に入れたのは京都市内のブックオフの片隅で、それも五百円という「誰か買うだろうか」的価格設定だった。だから、この本を入手しようと思ってもどこへ行けば置いてあるのか、僕にはちと分からない。上の方で挙げた「不思議の園」と「芸術の原型」について言えば、ググるなり、建築・美術本に強い書店をあたれば見つかるだろう。あとはネットの気儘さに任せて、この辺で。

2010年7月8日

蛇口から水ひと掬い浴びる夏
何の捻りもない句だが、今日はこの言葉そのままだったもので。

紫陽花そのいち 水辺の紫陽花青空にそそのかされ、本日は市街地近隣にある城跡の公園で昼食をとることにした。自転車を漕ぐことおよそ一時間、帽子以外に遮るもののない日光がじりじりと身体を焦がす。公園へ至るまでの道のりで紫陽花がそこかしこで咲いていた。

途中のコンビニで弁当とお茶を買う。たまに立ち寄るこのコンビニの入り口には燕が巣を作っていたのだが、今日改めて見るとすでに巣立ったのか一羽もいなくなっていた。

ところで、この町中心部のシンボル「金灯籠」と呼ばれる史跡が年明けから工事のためどこかに移動されており、今日の散策でようやくその移動先を見つけた。一緒にあった涼しげな一坪庭は失われ、砂利敷きの人目に付かない場所に鎮座在していた。悲しいので写真は撮らない。

公園目的地の公園、通称お城山に着いたところで三十名ほどの小学生とすれ違った。昼ご飯でも食べに来たんだろうかとぼんやり考えながら木陰のある所へ移動する。シルバー人材の方やらランニングトレーニングをしている男性やら、平日の真昼間でもよく人とすれ違って「暑いですね」と声を掛けられた。買ってきたお茶をあっという間に飲み干して後悔した。暑すぎるのだ。自転車漕ぎで汗をかき、息切れもしていた事だし。紫陽花そのさん傍らの紫陽花を見て涼みつつ昼食。食後に公園内をぐるりと一周、ぶらぶらと歩き回る。写真を撮っていてこんな木を見つけた。木の実桑ではないしモミジイチゴでもない。何という名前だったのかなあ……食べると甘いが、口の中がいがいがする感じの木の実。誰かご存じでしたらご一報を。

駄菓子屋のラムネ帰り道、と言っても公園を出て川を渡ったところの交差点で、駄菓子屋を見つける。来る時に気がつかなかったのは来た向きが逆だったからだろう。店に入り、瓶のラムネ八十円こんにゃくゼリー十円を二つ、しめて百円。表のベンチに腰掛けて先ほどのお茶の不足を補うように飲む。昼過ぎだからとにかく暑い。店先に何か足りないと思ったのはガチャガチャ(というのだったか)が置いてなかったからだろう。近くの小学校の隣にある駄菓子屋は五年ほど前に潰れたはずで、あそこから一番近い駄菓子屋がここになるのかと思うと少し悲しかったり、嬉しかったり。長居もいけないかなと、区切りの良いところで店を出て帰途についた。

自宅の庭の水道で火照った手足を冷やすことしばし、日記の頭に書いた句はそのとき思いついたもの。帰ってきてからふと、ポラを持って行ったのに今日は一度も使わなかったことを思い出した。そのうちまたどこかへ出掛けるだろう、そうしたら存分に撮ってやろう。今日は疲れたのでここでおしまい。

2010年7月14日

ふと「新しい地図が欲しい」と思い、行動に移した。今回利用したのはDEMIS Web Mapという、昔からある一部有料なマップデータベースの一つ。

「今回」というのは、過去幾度もデジタルの地図をプリントアウトして壁に貼り付けていたからだ。海外の大学図書館のWebサイトには、地図フェチ(収集家と言うほどではない)がいかにも喜びそうな蔵書というかファイルがたくさんある。今回の地図サイトもそれらを漁っている過程で見つけたもの。

で、暫しのち。

出来上がりましたる世界地図。これである。世界地図これは縮小してあるからこのサイズなのであって、実際は7500x3600のBMPファイル80MBをPNGになおしたものだ。ライセンスに抵触するかも知れないので大きいファイルは載せていない。半年前の僕のパソコンではメモリが足りなくて弄れなかった。

さて。ここからだ、制作に取り組むのは。

制作といっても16枚+4枚の地図を写真用光沢紙に印刷し切って貼り合わせるだけなのだが、これが結構な作業だ。なにせ事前にプリンタを微調整せねばならないし、A4紙で20+αという枚数ではインクも飛ぶ。そして事は運び、早い時から予想していた事態、両面テープがなくなってしまった。作りかけの地図スティックのりや接着剤は比較して湿度変化に弱い為、壁紙にすると接着面がその日の天気でたわんだりする。ここは即断と実績の両面テープが必要なのに……今日はここで中断。あとできちんとしたテープを買ってこよう。

ところで20枚というのは、(おそらく)ミラー図法である上記のマップを緯度45度・経度90度ごとに刻んで出来た4x5枚の分割地図のことだ。以前にも似たようなのを作ったことがあり、そのときは4x4のグリニッジ標準時を中心線にした為に太平洋が真ん中で途切れてしまった。そういう日付変更線はあまり美しくない。いや、実際のそれも全く美しくないものなのだが。それで今回は三大洋を収めるべく、大西洋を中心に西へ4枚90度足したというわけだ。上の画像二つで区切りが違うのは、太平洋をうまく収めたかったが為の苦し紛れの変更。

上の地図サービスでは両極域から見下ろした半球は弄れない。今この部屋の壁にはそれがあるのだが、A42枚と大きくもないので少し悶々としている。こういうとき定番の各種サービスは多分、探せばいくらでもあるのだろうが、何だかくたびれた。今のところは手元の二軸回転式の南極が見下ろせる地球儀で我慢するとしよう。

2010年7月15日

昨日に引き続いて地図をぺたぺた。

作りかけの地図2一度に扱う横幅が机の上では足りなくなったので、床で作業する。上の方で座っている黒いのはぬいぐるみのジジ(魔女の宅急便)。

新しく買ってきた両面テープをびしっと貼り、繋げていく。この辺はいつぞやの壁紙作りの反省が生かされている。前回の普通用紙から特厚の光沢紙に切り替えたとはいえ、沢山貼り合わせれば多少歪んでしまうのは、特に一度に長く貼れば必然だ。今回のは縦横4x4から4x5と長辺が増えていることだしね。

出来上がった地図 壁の地図頑張ること十数分。意外とあっけなく地図は出来上がった。縦幅およそ700mm、横幅ちょうど1400mm。ほぼ正方形二つ分だ。でかい。

縦幅は前回と同じだけれど、横はどうだか。壁紙としていざ貼ってみたところ、ぎりぎりだった。「まあ収まるだろう」とアタリを付けて作り始めた地図だったが、具合良く壁に収まってくれたのはなんとも嬉しい。実作業時間が数時間ちょいにしてはなかなかの満足感だ。しばらくこの壁紙で行こう。

あ。今気付いたけれど、この写真はInfoの項目にぴったりだ。地図と帽子とぬいぐるみ。

2010年7月21日

きのこ夕方、庭に出て涼んでいると、植え込みの奥にきのこが生えているのを見つけた。このきのこは図鑑で見た事があったはずだ。早速写真に撮ってきのこの本をめくった。が、見つからない。探し方が悪いのか、図鑑を始めから読んでみるも見当たらない。うーん。

よく思い出してみるとこのきのこ、毎年梅雨時になると庭の一角に生えている様子。傘の直径4cm弱、柄の長さ7~8cmほど。ねずみ色で根本につぼがある。

見た感じあまり興味をそそらないし、ぽつんと一本生えているだけだ。何かのついでに別のきのこ本を当たることにしよう。

犬小屋の周りをうろついていて今度は夕顔が咲きかけているのを見つけた。雑記を読み返すに今月四日買ってきて植えたもので、桃色夕顔とある。確かにそんな色だ。桃色夕顔他の群がって生えている朝顔と見分けが付いたのは、葉っぱの形が少し違ったため。手持ちの三脚を使ってつぼみが開ききるまで待ってみたかったが、我が家の犬がそわそわしていたのでやめておいた。

今日は非常に暑かったため、犬小屋にすだれを立てかけて日陰を増やす作業をしていたのだが、玉のような汗が出た。これからも暑い日が続くだろう。せめて犬がどろんこ遊びをしなければ、他に手立てもあるのだが。

2010年8月5日

バラの剪定をしていて毛虫に刺された。

バラというかモッコウバラなのだが、この時期若い枝がびょんびょん伸びてくるので、それを生え際から切り詰めてやっていた。夕闇が迫った手元のよく見えない状況で、切り落とした枝葉の先が右手をかすめたその時だ。瞬間的に感電するような痛みを覚え、慌てて手を引っ込めた。

即座に見当を付けて探すと、体長1cmほどの若草色……とはあまり言えないケバい三つ叉の槍を持った毛虫が一匹、葉にしがみついていた。きのこじゃないがこれも子供の頃図鑑で見た事がある。凶悪な見た目で印象に残っている毛虫だ。こういうときの応急処置はと、直ちに患部を流水に晒して痛みが引くのを待ったが、やけど後をずきずきと刺すような痛みが増すばかり。とりあえず万能薬ムヒを塗ってWebで刺す毛虫を調べてみた。

どうやら僕が刺されたのはイラガという蛾の幼虫らしい。刺す毛虫3 イラガ/庭の刺す毛虫・刺さない毛虫 (社)農林水産技術情報協会というページによると、イラガのトゲは体内の毒腺につながっていて刺すと同時に相手に毒液を注射する、という。水で流しても無駄なわけだ。抗ヒスタミン含有のステロイド軟膏を塗るのが効果があるとのこと。よく分からないが多分、塩酸ジフェンヒドラミンが入っている軟膏ならなんでも良いんだろう。そのうちPVA配合とか言う軟膏を見つけ出してべっとりと塗り、寝ている間うっかり他に触れないよう絆創膏をばってん印に貼った。

それにしても酷く痛い。かゆみこそないが痛覚に直接訴えるいやらしい痛みだ。これを書いている今も親指の付け根はびりびりするし、今日はもう落ち着いて眠れそうにない。

2010年8月12日

喉の調子がおかしかったので病院へ行ってきた。

朝の九時ごろ電話を入れると「大変混んでおりますが……」とのこと。この病院、木曜日は午前中しか診察を受け付けていないので、たぶんそのためだろう。少し急いで自転車を漕ぎ一時間弱、受付にはすでに28名の予約が入っていた。「診察の順番まで一時間以上待つ事になるから、病院外で待っていても構わない」という旨を言われ、冷房の効いた待合室を後に近場の河川敷運動場へ向かった。

自販機でお茶を買い、運動場の芝生に寝転がってぐうたらと過ごすことしばし。直射日光で焼けるように暑い。そのうち屋根の付いたベンチに移動したが、そばの切り株で20cmほどのきのこを見つけて写真に撮った。きのこ

るりまつり オニヤンマ

近くの川風のためだろう、日陰のベンチに心地よい風が吹いてきて過ごしやすい。ぼんやり見ていると、ランニングをしているおっちゃん、何かのトレーニングなのか後ろ向きで歩き続ける人、ゲートボールをしながら暑い暑いと騒いでいる一団など、晴天の日中でも河川敷を訪れる人々は割合多い様子。一時間ほど暇をつぶしたのち再び病院へ赴いた。

診察では医師の判断でレントゲンと採血、尿検査をすることとなった。少し大げさな気もしたが。診察の結果は「喉の粘膜が慢性的に荒れているようだ、煙草と冷房のせいだろう」ということで、レントゲン写真に妙な影でも映っていたらと気にしたのだが、一安心。気管支拡張剤と鎮痛・鎮咳薬を二週間分貰うことになった。尿と血液は少し日を置いてから結果が出るらしいので二週間後にまた病院だ。ちなみに待合室に血圧測定器があったので使ってみた。僕の最高血圧は116mmHg、最低血圧71mmHgだった。たぶん平均的な範囲だと思う。

帰り際に小雨がぱらついてきた。そういえば今日辺りに台風が東北地方へ上陸するはずなんだった、と思い出したが、さして降りそうでもないなと判断し、のんびりきこきこ漕ぎながら帰途についた。

2010年8月14日

庭のライラックの木の下に、カブト虫やクワガタがわらわら死んでいるのを見つけた。ざっと数えただけで十匹以上、どれも固い殻だけを残して散らばり転がっていた。

カブトなんて小学生以来だ、なんてワクワクどころじゃない。茂みの下にかたまって、まるで誰かが世話を放り投げて死骸だけ捨てていったかのようだ。なぜライラックの下なのか、どうしてこんなにたくさん死んでいるのか、まるで見当が付かない。木の下からは道路を挟んで背の高いフェンスがあるし、死骸以外には何も転がっていない。うーん、謎だ。

T字に広げた革紐 首輪を付けたちびコウ話変わって、今日は腰に引っかけていたぬいぐるみに首輪とつり革を作ることにした。

今までは安い皮のチョーカーで結んでいたのだが、そのチョーカーもはげてきてしまったし、いつ切れるか分からないので、革紐など買い込んでおいたのを使い回すことにする。

レザーパンチだかなんだか、そういった工具で革紐に穴を開け、留め金のジャンパーボタンをプレスして出来上がり。かんたん、かんたん。

これでもう切れたり無くしたりする心配はしなくて済みそうだ。他のぬいぐるみ達にも何かアクセサリを作ってあげたいが、彼ら彼女らは超特大とか3Lとかの一抱えもある大きさばかりなので、ちょいっと作るわけにはいかない。今日はしとしと雨が降り続く様子だし、ぬいと戯れて過ごすとしよう。

2010年08月24日

テント 月居トンネル 明神トンネル自転車で茨城の海まで行ってきた。道中、八溝山地と呼ばれる小高い山々があり、そこを通るのにいたく難儀した。

何が辛いって、緩やかな上り坂とカーブだ。ママチャリを漕いで登れないので降りて押したが、足にまめが出来た。

海それでも、自分の体を使って海を見られたのは感激だ。ざぁー、ざざぁー……という音を聞きながら、仲良くなった地元の方と寝転んで空を眺めてた。

で、帰ってきてからが本題だ。なにやら喉の調子がおかしい。酷く咳き込むのだ。病院で診察して貰ったところ、気管支炎が悪化していて、喘息のようになっている、とのこと。あああ……。峠のぼりを頑張りすぎてこうなったらしいのだが、とにかく抗生物質とステロイドその他諸々をもらって今も咳き込んでいる。咳き込みすぎて頭の奥が痛い。正直日記どころじゃない感じだ。

仲良くなった地元の方には手紙を出すよと言ってあるので、一宿一飯のお礼にビールも送ろうかなと考えながら今日はここでおしまい。

2010年8月30日

沼原湿原気晴らしに那須の沼原湿原へ。湿原を見下ろせる駐車場から標高300メートル下にある沼原池は揚水発電の貯水池で、今回が初めての来訪だ。

お天気があまりよくなかったので自然遊歩道へ入るのは控えることにし、代わりに貯水池を一望したりと、少しばかりぶらぶら散策。ガマズミやクヌギらしき木の実がなっており、すでに辺りは秋口に入っているだろうか、爽やかな風が高山の散歩を楽しませてくれた。ガマズミ クヌギの実あかとんぼがいっぱい居たのは貯水池があるからだろう。半草原の芝生が広がっていて、そこに捩花がぽつりぽつりと咲いていた。アキアカネ

山に登るときには気圧計を持ってこようと思っていたのに今回は忘れてしまった。この沼原湿原、まだ本格的な秋の訪れには幾分早いようなのでまたもう一度来よう。その時に気圧がどの辺まで下がるものなのか調べてみようと思う。

山々の間から重たい雲が割合な早さで下界へ流れ出していて、これは帰り道に降られるかなと思っていたのだが、その通り帰途につく途中で激しい驟雨に襲われた。自宅近くでは全く降っていなかったので、雨雲は逸れて行ってしまったらしい。山の上から撮った写真には霧の立っているような所や暗雲に覆われて日の差さないところ、または窓のように陽光が差している場所もあり、この辺りの地形と気象の関係はかなり複雑な様子だ。本日夕方の山沿いの降水確率は高かったが、自宅付近は山沿いとはいえ扇状地の扇端の手前なので、降るかどうかいつも微妙なのだ。あまり関係ないが、自宅を含めたこの小高い丘の上の住宅地は地下湧水を生活用水として利用している。近所の農業用水も地下水を水源としていて水が綺麗な為にホタルがよくいる。要するに扇状地に位置するこの地はボーリングで深く掘らないと水が出てこないのだ。ここから見上げる那須連峰は活火山帯であるため、地の利を活かし市内には多くの温泉ホテルが散在している。

話が逸れたが、山のふもとである地元にはまだ秋は訪れていない。ツクツクボウシの声が多くなると夏の終わりを感じるものだが、今年は例年になく暑い八月だった。このまま九月へ踏み入るのがちと惜しいように思うのだけれど、まあ、秋も良いか。

2010年9月11日

昨日、原付免許の試験を受けてきた。結果は満点で合格。

恥ずかしいことだが、僕は三年ほど前に自動二輪の無免許運転で罰則を受けている。試験でその事を票に書き忘れてしまい、合格票の受け取り時に注意されてしまった。

実技の講習では「君は緊張しすぎ。もっと力を抜いて」と言われる。筆記試験の合格で力が抜けていたかと思ったが、実際に運転してみるとやはり難しい。講習でこれなのだから、一般道を余裕を持って走れるようになるのはもうちと先になりそうだ。

僕は詰めが甘いというか少し間が抜けている。たとえば出先で財布やら携帯電話やら筆記具なんかの小物を忘れて後々困ったり、まあ細々とした事々で今まではどうにかなってきているのだが、それは学生時代からずっと感じていたことだ。今回の原付試験は良かったものの、この先いろいろな場面で詰めを怠る事が多々あるんだろうと思う。これはもう自分の性格の一部なのだから、直すよりは諦めて、他にどうにかなるような手を打ったり受け入れる他にないのだろう。

当日の夕方に、合格した旨を知らせた友人が祝ってくれたので遊びに行った。自転車で出掛けたのだが、帰り道の足取りが妙に軽い。自宅へ着いてベッドへ寝転ぶと急に疲れが襲ってきて気がつくまもなく眠ってしまった。一日中緊張が続いていたということか。この日記を書くのも翌日になってしまったし、今はだらしなくクエン酸の豊富らしい梅干しなど食べて過ごしている。原付を買うのはもう少し先に延ばそう。

2010年9月20日

那須連峰の茶臼岳に途中まで登ってきた。登頂していないので山体の写真はない。

出掛けるときにカメラを持って出るのを忘れてしまった。先日の日記で間が抜けていると書いたが、やはり間が抜けている。15分ばかり後戻り。

那須街道の観光街を抜け、九尾の狐伝説の伝承の地である殺生石を通り過ぎると、ぷわんと硫黄の匂いがしてくる。地面の下が動いているのだな、と思う。くねくねと曲がった上り坂を登り切ると、車で通っていける突き当たりにロープウェーが見えてくる。このロープウェーは11月の7日まで、午後4時半をめどに運行しているらしい。僕らが来たのは午後二時ごろだったが、あまりに寒い風が吹いていたので登頂は諦めた。

リンドウ代わりにリンドウやススキ草らしいのや、高山の植物を見つけて写真に撮った。ロープウェーの頂上駅ともなると下とは打って変わった植生が広がっていて、背の低い木立が鋭く砕けた岩石の隙間に風に踏ん張って生えていた。登山道の途中で黄色く変色した岩があって誰かがスプレーで印でも付けたのかなと思ったがちょっと違う。頂上付近だからガスがたまに出るのだろう、硫黄の黄色だった。ススキ?

帰り道に山の駅とでも言うのか、まあそういった休憩所兼観光街を通り抜けたのだが、あまりにも寂れていて驚いた。全ての店がシャッターやらドアに休業中の看板を出していて、動いているのは飲み物の自動販売機だけという有様だ。山の上だからか缶コーヒーが一本150円と高い。そのお高い缶コーヒーで下界をちらりと眺めながら一服。

実は禁煙をしようと考えていたのだが、山の上で缶コーヒーをちびりちびりと飲みながらの煙草は美味いのだ。高原の空気がそうさせるのか、一本吸い終わるまでにずいぶんとくつろぐことが出来た。

途中でチーズガーデンと書かれている御用邸という店へ入った。ここではチーズとチーズケーキを売っていて、ここのチーズケーキがやたら美味いらしい。白ワインとミモレットチーズ、そして名物のチーズケーキを買った。パルミジャーノチーズも欲しかったのだが高くて手が出ない。美味しそうだったのになあ……自宅へ着いてから食べたチーズケーキは真に美味しかった。安っぽいスポンジではなくふんだんにクリームチーズを使っている。濃厚でまろやかな味だ。ミモレットは熟成18ヶ月とあって、どれ、と封を開けて食べてみたのだが、これも美味しい。ちょっと硬いがからすみのように旨みが口に広がるのが分かる。ああ、幸せ。

書き忘れた。下界へ降りるときにフラワーパークというところへ寄ってきた。今の季節はケイトウが見事な色をして咲いていたので、もう少ししたらコスモスの時期だろう。この春にもフラワーパークによったことがあり、その時はチューリップと桜が咲き乱れていた。冬を覗き通年で何かしら花が咲いているので、興味がある方は寄ってみると良いかもしれない。

2010年9月29日

今日は車屋の奥さんから格安で譲って頂いた中古の原付の納車日だった。

夕方。歯医者に出掛ける少し前に、車屋さんが軽トラックでDioというらしい黄色いスクーターを運んできてくれて、自宅の車庫の前で基本的なことごとのレクチャー。鍵回りの機能が割と多くて、キーを差し込みONとOFFの間にして押し込むと座席が開く、などということは初めて知った。原付は自動で常時点灯だからねというのも聞かされたが、原付試験の記憶はすでに曖昧になっている。教習では30キロ制限だったが実際のところ広い道では何キロ程まで出しても良いものだろうかと聞くと、時速50キロくらいまでは大丈夫だろうとのこと。最近の若い人は飛ばすし、渋滞の原因にもなるしね、と言われ何となく納得したが、警察のねずみ取りも多いから注意しなよと市内外の待ち伏せスポットをあちこち教えてくれた。2000キロ走ったらオイル交換だから店に来なさいだとかガソリンタンクの開け方だとか、あれこれ懇切丁寧に指導して頂いた。

ヘルメットは新品の、視界の広い少し大きめのを渡して貰った。金具二つで一本のあごひもを止める方法に手間取ることしばし。それでは早速とご近所一週の旅に出掛けてみたのだが、一時停止してからの発進の時、少しふらついた為に道の縁石でボディの左下側をがががっとやってしまった。要は慣れだから練習しなさいという旨を残して車屋さんは帰っていったが、差し当たって僕はふらつかずにまっすぐ走る練習から始めるべきなのだろうな……。

そうだった、本日の歯医者への通院で、八月半ばから続いていた虫歯の治療が終わった。計六回も通ったのは情けないが、今はとにかく心底ほっとしている。のど元過ぎれば何とやらと言うけれども、カリエスだか虫歯の箇所を削られるときの痛みは筆舌に尽くしがたい。放っておいたらいずれはその痛みを再体験することになるのだから、早めに治して貰ったのは感謝すべきなのだが、もうしばらくはあの消毒薬のものらしいニオイと高い音は御免だ。

2010年10月3日

運動せねばと思い立ち、昨日買ってきた万歩計を持って散歩に出掛けた。手頃な距離の所に神社があるのでそこを目指し出発。

普段全く運動らしい運動をしていないので、歩き始めること十数分でヘタる。息切れはしていないのにふくらはぎの辺りがぱんぱんになり、神社に着くまでに計四回ほど休憩を入れる事となった。そういえば八月の半ばに自転車で海へ行ったが、あの時はふくらはぎより太ももの辺りの筋肉が腫れたなあと思い出し、ひとくちに足腰を鍛えるといっても色々あるらしいことを実感。

田畑の稲は見たところちょうど今頃が刈り時らしく、割合で言うと半分ほどの田んぼが刈り取りを終えていた。途中でおっさんと雑種犬が綱引きをしているところに出くわす。おっさんは犬を軽トラックに乗せようと、犬は車を嫌がっているのか、視界の端でチラ見しているうちに犬が首輪抜けをして稲刈りの終わった田んぼまっしぐらに逃げていってしまった。そんなおっさんと道をすれ違って少し苦笑いの挨拶。彼は慌てる風でもなく犬が逃げた方向へ車を向かわせるのだが、犬は追いかけっこのつもりでもいるのかどんどんあぜ道を走って行く。あんな風に軽々と走れたらいいなあと思いつつ興味が逸れたので再びひたすら歩いた。

那須篠原玉藻稲荷神社農道をてくてく歩いて行き、気がついた時には目当ての神社への入り口道。「那須篠原玉藻稲荷神社」とある。農道脇の石碑からおよそ200メートルほど奥まった林の外れに境内へ至る参道があり、その手前にこじんまりとした駐車場と公衆トイレ。朱の鳥居の横には境内案内略図が立っていて、神社の由緒と云われがこう書かれている。

那須篠原玉藻稲荷神社

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。……

建久四年(一一九三)源頼朝が那須遊猟のときこの社に参詣したという伝えがある。また元禄二年四月十二日(陽暦五月三十日一六八九)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。……

……また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚趾」は、ここより北東の地の県道沿いにある。

芭蕉の里 黒羽町

最後に黒羽町とあるのは平成の大合併で我が市に編入された町のことで、その頃からこの案内板は変わっていないのだろう。参道の回りに広がる杉林は下草から落ち葉まで整然と掃き片付けられており、どうやら近所の農家の方か誰かが常に手入れをしている模様。参道脇に小さな石碑があり、「稲荷神社創建八百年記念 奉献鳥居一基氏子一同 平成五年二月二十日」とある。僕は氏子ではないものの年始の初詣にはここを訪れることにしていて、大晦日の晩にはたき火が焚かれつつ、かなり多くの人々が年越しをしにやって来ているらしい。

御稲荷さんのかけら鳥居の脇の足下には、ところどころ欠けた陶器のお稲荷さまとお賽銭が置いてあった。社殿の脇ののぼりに正一位玉藻稲荷大明神とある。稲荷神社の裏手にはよくキツネの巣があったりするものだ(だから稲荷神社が立つとも)という話をどこかで聞いたが、裏に回ってみたところ本殿の延長が山の斜面にくっついていて何があるのかはよく分からなかった。初詣の時のお供え物には油揚げとお酒のワンカップがよく見られたけれど今の時期は農作物、りんごや梨らしい。正一位玉藻稲荷大明神 駒狐様とちびコウ実は家を出る際に財布を忘れてしまい、本殿の前でお賽銭をしていこうとして鈴を鳴らしたときそれに気がついた。二礼二拍手なんとかだったか、参拝の細かい作法なんて僕は知らない。とりあえずお賽銭を忘れたことを心の中でわびて、写真を撮るときと鳥居をくぐるときにもお辞儀をした。それぐらいでも良いだろう、また散歩で来るだろうし、とりあえずは。

狐塚祠こちらの写真が上記の引用の中にある狐塚。かなり小さい。玉藻の前、白面金毛九尾の狐伝説の一つの最後の地(諸説あるが)としては何ともあっけない感じだ。鏡が池この狐塚祠の鳥居の手前には小さな湧水池があり、季節になると周囲にミズバショウの群落が白い大きめの花を付ける。この「鏡が池」にもいわれがあって、へたくそな写真しか撮れなかったので文章で引用しておく。

八溝県立自然公園

鏡が池

三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

池の縁に立って辺りをざっと見まわしてみたが桜の木はどこにもなかった。むかしむかしのお話、ということか。玉藻の前の詳細についてはこのリンク先の「玉藻の前 - Wikipedia」をどうぞ。

さてさて。参道脇のベンチに腰掛けて休憩を取ることしばし、ふくらはぎをよく揉んで軽くならしてから帰途へと出発。前半よく歩いたのが効果があったのか、休憩したからかは分からないが、足取りもだんだん慣れてきたものだ。僕は飽き性なので、来た道とは別のよく知らない脇道に入り自宅方面へ向かって進んだ。農家の前の草むらで雑草と化している朝顔だか昼顔だかを見つけ写真に撮るうち、花が赤と水色との二種類あることに気がついた。小振りな花で葉っぱがカードのスペードのように丸いのが特徴。ヒエの畑脇の草むらでも元気よく雑然と蔓を伸ばしている。外来朝顔そういえば、と以前Webで見掛けた新聞記事のことを思い出した。今引っ張ってきたこの記事がそうなのだろう。アサガオ類、全国で雑草化 大豆畑覆い、収穫妨げる 記事には、夏から秋までだらだらと開花して、とある。すでに十月の頭で日差しの強い日中に、まさしくだらだらと咲いている。見るぶんには構わないが除草のことを考えると投げ出したくなりそうな生え方だ。

再び歩くうちに犬の散歩でたまに通るあぜ道に出た。ここから自宅まではさして、と言っても今来た距離を考えればのことだが、遠くはない。気力も出てきたし、道脇のアザミやら落ちている栗を拾ったり、近所の梨畑から聞こえてくるラジオに耳を澄ましたりと、足取りも軽いもの。そうこうしているうちに昼のサイレンが正面にある鉄塔から鳴り渡ってきた。自宅を出たのが朝の十時少し前だったから、休憩を除くと一時間半ほど歩いていることになる。最後の道は上り坂でふくらはぎが腫れるようだったが、とにかく足を引きずらないように注意を注ぐ。ようやく家に着いた、と思うまもなく我が家の犬がすさまじい剣幕で吠え掛かってきた。大抵のことでは吠えない犬だが、何をどうしたのか見知らぬ他人と間違えたらしい。こら、と呼びかけて近づくと、一瞬妙な顔をしてお腹を見せるように仰向けに転がった。この野郎。

自室でくつろぎながらお茶を飲み、パソコンを付けてちょいちょい弄り、はっと思い出して万歩計をジャージから引っ張り出した。僕は万歩計なんて使うのは初めてなので、歩ききってから何歩だったか見るのを楽しみにしておいたのだ。液晶の表示板を見ると2686とある。そんなものなのかな、もっと歩いたような気がするけどな、と各種機能を弄っていて気がついた。表示を逆さまに見ていたのだった。正しい結果は9892歩、6.92km。もう少し歩いていれば一万歩か。まあ常日頃から出不精の僕にしてはよく動いた方だろう。これからも出来るときは歩いてみようか。

2010/10/06

煙草の量は減ったのだが、イマイチ止められないので、医師から禁煙用の薬をもらった。

チャンピックスという煙草のニコチンがまずくなる薬なのだそうだ。もらうまでの各種診断測定やサイン書きにずいぶん時間を費やした。0.5mg錠を三日、0.5mg×2回を四日、1mg×二回を7日と、結構細かい処方になっている。飲み始めの七日間は煙草を吸っても良いよとのことで、昨日から薬を飲み始めているが、確かに煙草がまずい。わざわざ煙草をまずくするのは妙な感じだけどこれは吸う気が起こらなくなる。三ヶ月で禁煙が完了とのことなので、それまで頑張ってみるか。

朝夕の冷え込みが激しくなってきたので毛布を取り出すことにした。半年近くクローゼットの中に置いていたので、近所のコインランドリーで洗濯と乾燥機にかけることにし、合わせて一時間弱でおしまい。ふかふかだ。今晩は冷えなかったので、明日からお布団に入れよう。

ぬいぐるみもお洗濯にかけたいが、形が崩れるからやれずにいる。重曹水で拭くのが良いと聞いたことがある。そのうち試してみようかな。

2010/10/11

家族でりんご狩りに行ってきた。市をまたいで三十分程度、長井りんご団地と呼ばれる地域へ。

今日は朝早くから自宅の庭掃除をしたりと慌ただしかった為、途中のコンビニで朝食を買い、市の西を流れる箒川の河川敷で一時休憩。河川敷の両端はススキとセイタカアワダチソウでいっぱいだった。看板が立っていて、ここから上流16.9kmに塩原ダムがあり……とある。僕らが目指しているのは寺山ダムの方向だったのでさして気にもとめなかったが、その看板の脇に小川が流れていてうぐいだか何だか魚が数多く泳いでいるのを見つけた。確かこの近くにはオオタカの保護区があったんじゃなかったかな。

長井りんご団地の一帯の各農家ではりんご栽培を柱とした兼業農家をやっていて、一本の道を入るとそこかしこにりんごの直売所がある。直売というからには朝摘みが喜ばれるのだろう、早朝でも辺りにはひとけが多く、彼方此方の売店に家族連れが集まっていた。販売のおばちゃん達も忙しなく試食用のりんごをむいている。

しばし迷ったのち、僕らは加藤農園というりんご狩りとその直売を行っている売店へ入った。りんごジュースやら何やらと一緒に今年の新米が売っていて30kg7500円。りんご狩りをしたい旨を伝えると、まず現在狩れるりんご三種類の品種を味見して、それから、という流れになった。紅玉、秋映、ジョナゴールドの三つが今の時期に狩れる品種だという。王林は酷暑の影響で二週間ほど先にならないと、らしい。んで、味の方。紅玉は身が締まっていて酸味も強い。僕好みだ。秋映は口当たりがよい。さっぱりしている。ジョナゴールドは先の二つを足して割った感じで、身が程よく柔らかい。結局紅玉を狩ることとなった。

りんご1 りんご2 りんご3りんご園の木は太くてごつごつしていた。紅玉は園の奥にあるという。行ってみるとしたたるような赤いりんごがたわわに実っていた。下の枝の方はすでに狩られていたらしく良さげな実が残っていなかったので、脚立を使って上の枝を探ることに。手のひら一杯の大きな赤いりんごをもぎ取った。数えること、十個。写真を撮ったりしながら園内をぶらついて、直売所のカウンターでお会計、1500円だった。端数はおまけ。

売店の駐車場の脇には濃い色をしたコスモスが茂っていた。風が吹いていて上手く写真に収められなかったが、ビビッドなピンクとチョコレート色をしたコスモスがりんごと山々を背景にして花盛りだ。隣ののぼりに「クール宅急便 りんご便」とあって、こんな需要もあるのか、そうだよな、遠方から来る観光客もいるんだな、とそんな事を思った。

次に向かったところは栃木県民の森方面。こちらには寺山ダムと、その支流につながる尚仁沢(しょうじんざわ)がある。尚仁沢の上流には尚仁沢湧水があり、これは名水百選の水源地の一つに数えられている。高地の冷涼な風を突っ切り曲がった道を上って行く。途中の道のりでツクツクボウシが季節を間違えたように鳴いていた。15分ほどで下流の駐車場に到着。小さな駐車場だが車で満席だ。案内板には、ここから遊歩道を1500米登ると湧水に至る、とある。高原山の山麓590mに位置し、山岳仏教の盛んな奈良時代には修験者はここの水で身を清めたことから精進転じて尚仁となったという。

僕ら一行は沢の下流から来たが、母によれば十何年前に来たときには上流から下ってすぐの位置に湧水があるルートもあったはずだとか。来てしまったものは仕方がないし、体を動かせとも言うので、1.5kmの山道を登っていくこととなった。途中までの道のりは舗装されていたが、手前にあるあずま屋を通り過ぎると、途端に岩と木の急な斜面が広がっている。しばらくして汗がにじんだ。よくもまあ昔の修験者達はこんなところに道を作ったものだ。思い切り大股でむき出しの階段を上り下りしてぜえぜえと息を吐く。途中で何人かとすれ違って挨拶。降りてくる方は息が軽い。湧水はどこまで行けばあるんだろうなあと思っていると看板に500m先、湧水、とあった。スクウェア 締め付ける蔓ともすると下ばかり見て歩きがちだが、木の根がスクウェアに交差している所を見つけてぱちり。そのとなりでは太い藤蔓か何かが木をぎゅうぎゅうに締め付けていた。

下りの夫婦連れに後どれくらいかと尋ねると5分程度だという。登り道ではそれ以上に感じたけれども、しばらくして親子連れやカップル達が散らばって一休みしている場所に出た。どこに湧水があるのだろうと辺りを見まわすと、あった。尚仁沢湧水岩の隙間からぼこぼこ水が湧き出している。一息ついて清水を手に掬い、ごくりごくりと飲む。うまい。汗をかいたのが良かったのか周囲の冷涼な空気と光がそうさせるのか、ひんやりとして爽やかな感じのする水だ。手頃な木の根を見つけて腰かけ、目の前に立っている看板を眺めた。……日量6万5千立方メートルを噴出し、四季を通じ湧水量は一定で水温は年平均11度と変化なく……昭和六十年七月二十二日環境庁より全国名水百選の一つとして選定された……とのこと。名前が変わる前の環境庁とあるとおり、看板には苔と落ち葉が積もっており、脇に朽ち果てたテーブルが一つ転がって、そこにいろんなきのこが地味に主張するように生えていた。

辺りはまだ緑濃く一面に苔むしている。座ってのんびりしていると溶け込んでしまいそうな空気だ。ときおり眩しく日差しが差し込み生き返るような気持ちがした。しかし座り込んだままでいるわけにもいかない。しばし休憩を取ったのち下山することにした。

下りは足も軽い。先ほどすれ違った夫婦連れがあと少しと言っていたがその通りだ。行きは40分ほどだったか、下りは30分と経たずに歩くことが出来た。半ばで沢が三方から集まって集合しているところがあり、緑と白の調和した様子が目に良く映えた。

ふもとの駐車場に着いて、熊出没注意と看板が立っているのを見つけた。確かにこの辺りは広葉樹も割合多く、以前近隣の八方ヶ原で角の生えていない鹿を見た事やその仲間のふんを見掛けたこともある。秋口には熊も出るかも知れない。休憩を入れてから山を下りた。もう一度来るときには真っ赤に色づいていることだろう。ネット上の書き込みで茶臼岳の頂上は紅葉が始まっている、と言うのを見掛けたが、高原山や八方ヶ原はあとどれくらいだろう。

昼下がりの帰り足、塩谷町から各方面に出でる交差点で、宇都宮方面の道路が延々と渋滞しているのを見掛けた。三連休最後の日だからなあ。これからの紅葉シーズンはもっと混むだろう。一応は首都圏から日帰りで秋を楽しめる距離だしね。日光や那須に比べれば今いちマイナーではあるけれど、塩谷や八方も近年訪れる人が増えた。これからも身近にお山と親しめる地元であって欲しい。

2010年10月18日

しばらく散歩を休んでしまったので方角を変えて出掛けてみた。割と近所の羽田(はんだ)沼へ向かう。

公民館の広場で老人連中がゲートボールと座談会らしきものを広げていた。道すがら缶コーヒーを買って店のあるじのおはさんに挨拶。アメジストセージの見事な花壇があった。

坂を登ると「この先750mに羽田沼」とある。道の脇のウド畑から、甘くて青臭いニオイが漂ってきた。昔、子供の頃は、このウドの実に細長い松などの葉っぱを引っかけはじき飛ばして遊んだものだった、と思い出す。畑の中からは雀の騒々しい鳴き声が聞こえてきた。大群が藪の中に潜んでいるらしい。と思うまもなく、遠方から害鳥退除のための「どーん」という発砲音が鳴り渡った。

大したことが起こるでもなく羽田沼へ到着。小さいながらも休憩所、トイレ、駐車場が整備されている。ベンチの一角に腰かけて、買ってきた缶コーヒーをちびちび飲む。ベンチから柵を一つ向こうにマガモがわらわらいて、おっさんが一人、カモだか鯉だかに餌をやっていた。マガモの群れ 羽田沼

この羽田沼は栃木県内で唯一のハクチョウの飛来地だ。昔、と言っても二十年近く前には、市の反対側の琵琶池(びわいけ)にもハクチョウが飛来していた。僕が羽田小学校に来た頃にはもう琵琶池になんかハクチョウは全くと言っていいほど来なくなって、代わりに毎冬の羽田沼のハクチョウの数を競うようになっていた記憶がある。僕が小学六年の冬には最大およそ300羽だった。白鳥(はくちょう)情報-栃木県大田原市にある白鳥の沼(羽田沼)の紹介 : プランニングオフィスワンによると近年では毎冬千数百羽が飛来するらしい。すぐそばの農家の方々や小学校の生徒が連携を取って餌付けを行ってきた成果だろう。が、目の前の看板には「水鳥にエサを与えないで下さい~」とある。読めば、水質の悪化によって池とその下流の生物相の減少が目立っているという。この羽田沼の下手にはミヤコタナゴが住んでいる用水路がある。ミヤコタナゴはこの辺りでは別名オシャレブナ、オシャラクブナとも呼び、栃木県では確か市内の数カ所にのみひっそりと生息していて、国の天然記念物にも指定されている。この羽田沼のミヤコタナゴは一時消滅の憂き目を見そうになったが、小学校内での飼育と近隣農家の理解などによって今も生きながらえている、らしい。僕は実際に用水路で捕まえたことは無く、学校の事務室の水槽で泳いでいるのを見た事があるだけだ。

話がタナゴに逸れてしまったが、十年前に比べてハクチョウの飛来数は数倍に増えたわけで、水質の悪化は当選の帰結だろう。ブルーギルやブラックバスの無責任な放流が一時期騒がれていたが(今もか)、この沼にもその手が伸びていて、それらの餌食としてミヤコタナゴが池から姿を消してしまった。上で下手の用水路に、と書いたのはその為だ。水が多少汚くとも、相が貧弱であれ、ブルーギルやブラックバスなどは強く繁殖出来る。ハクチョウがいない季節にはそれらを駆除するために網を張って対処したりもしていた。今現在は過去のそれほど過敏に周囲が反応することはなくなったらしい。池の水質改善とハクチョウ飛来数の維持がこれからの課題のようだ。

当然ながら今はまだハクチョウは一羽もいなかった。底冷えのする秋の終わりごろにぽつぽつとやってくるはずで、その時期になると駐車場脇にここ数年から、一件の出店が立つようになった。寒い中で喜ばれるのだろう、たい焼きとたこ焼きが売れる。ゴミ捨てかごを設置していないのでごみは持ち帰りになるわけだが、それでものんびりするぶんにはありがたい。そういえば、市の中央を流れる蛇尾川・蛇尾橋の脇にもだいぶ古くからこぢんまりしたたい焼き屋がある。秋冬のみ営業しているのだが、先日通りかかったときにはもう開店していた。このたい焼き屋では小倉あんとクリームがそれぞれ110円で売っている。以前寄りかかったときには写真撮影お断りですと言われ、ちょっとがっかりしながら小倉あんを近くの高台で食べた記憶がある。このたい焼き屋はこの市の冬の風物詩でもあり、ネット上のコミュニティでも時々話題に上る。必ず待ち人が行列を作って並んでいるので、場所は通りかかればすぐ分かる。

また話が逸れたが、とりあえず池の脇のベンチで一休みし、間近でマガモを眺めてみた。餌が貰えないと分かると向こうは興味を失ったのか、ガアガア言いながら離れて行ってしまった。そこへ近くにいたおっさんが穀類をばらまく。この場合、「エサを与えないで」にどう当てはめればいいのか分からないが、とにかく集まってくるカモの数はすごい。一瞬で50羽ほどが集まり貪っていた。

ポケットに空き缶を入れ再び出発。やはりというか慣れると歩きやすい。途中で何かの木の実がぎっしりと生っているところを見つけた。木の実この木の実も餌を求めるマガモによって、枝の下の方に実が少ししか付いていなかった。

家に帰ってきてから、テーブルの上のコルチカムに花が咲いているのを写真に撮った。コルチカムは日の当たり具合で花の色が決まるらしく、庭の外のそれは薄紫をしていたのに部屋の中のは真っ白だった。あとから植え替えてやったが、もう花の時期を過ぎているようでしおれていた。コルチカム

最近睡眠の浅い日が続いているが今日はよく眠れそうだ。今、ココアにベイリーズを垂らしたものを少し飲んでいる。そんなカクテルあるのか知らないが、美味しい。

2010年10月22日

原付に乗って大田原市ふれあいの丘シャトー・エスポワールへ行ってきた。

ふれあいの丘というのは、僕の住んでいるこの市の公共宿泊を兼ねた多目的施設だ。僕が小学生の頃は毎年、学年ごとに研修だか何だかと称して泊まりに行っていた記憶がある。二、三年前に天文台とプラネタリウムが出来たのを思い出したので、興味半分、原付の運転練習がてら行ってみる事にした。

途中で道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市に立ち寄った。この道の駅の事は後々またこの雑記に書くとして、とりあえず休憩。売店でコーヒーフロートを買った。ちょっと涼しい。コーヒーフロートとちびコウ「竹のギャラリー」と言う施設の一角で著名らしい方の工芸品を見学してから出発。

ふらふらと原付を飛ばし20分ほどで到着。時はもうじきお昼だったので、コンビニで買ったおにぎりを原っぱのよく分からないモニュメントに背もたれながら食べた。ふれあいの丘天文館というらしい施設は写真の建物の裏手にある。ごろりと横になって一休みしてから行ってみたところ、プラネタリウムは午後一時半からのスケジュールだという。一時間ほど暇が出来たわけで、そのあいだ天文館の隣の自然監察館へ寄ってみた。

一年前にここへ来たときは「世界77カ国チョウ展」と言うのをやっていたが、今回は「世界のクワガタムシとカブトムシ」の展示をやっていた。タイトル通りの事や様々なクワガタ・カブトの飼育法、標本集の展示だ。特に飼育法などは、名前は忘れてしまったが、市販のえのきたけの栽培瓶のようなものに幼虫を入れて育てるなど、真新しいものが幾つかあった。しかしどのクワガタやらカブトも生きているのかいないのか、飼育かごをこつこつ叩いたら動いていたからまあ生きてはいるんだろうけれど。季節を外した今は活気がないのだろう。標本それよりも約2000点という昆虫標本の展示が目に入った。多くが国内で採集されたもので、チョウやハチ、タマムシなどと幅広い。小一時間ほど見学して楽しめた。

天文館の入場料は一人300円。ここには県内屈指の反射望遠鏡があるというので、まずそちらの案内を受けた。ドームへ上がって二階でまず目に入ったのは65cm反射望遠鏡(フォーク式赤道儀)というでっかい望遠鏡だ。65cm反射望遠鏡壁にはこの望遠鏡で捉えた天体、惑星だとか星雲だとかが幾枚も貼られていて、折角なので色々と質問をしたりした。十年ほど前からの主流はパソコン制御による天体の補足追尾だそうで、ここの反射望遠鏡もある一流メーカーの品らしい。面白いのはこの望遠鏡が二人同時に観望出来る(デュアルワンダーアイ)という事で、人待ちが多くてもスムーズに見られる方法なのだそうだ。ドーム二階の表には屋外観測場があり、そこに10cm屈折望遠鏡(太陽望遠鏡)が設置されていた。あいにく本日は薄曇りで太陽は見られなかったが、接眼鏡から雲が流れていく様子は見られた。夜の観察会ではこの観測場に15cm屈折望遠鏡(ドイツ式望遠鏡)が二台設置されるらしい。

一通り質問をしたり案内を受けて、プラネタリウムを見る事に。平面の壁に投影するスクリーン型プラネタリウムというもので、僕が見たのは秋の星座のお話だった。ギリシャ神話の物語を中心に、ペガスス座がなぜ上半身だけなのかだとか山羊座やアンドロメダ座やらやらの由来だとか、ミラやアルゴルという変光星の話など、結構内容の充実した時間を過ごした。昼間だったので、見学者は僕一人きりの貸し切り状態。おかげでゆとりを持って見学出来た気がする。

しかし初めての距離を原付で運転してみて疲れた。天文館・自然監察館は上のふれあいの丘へのリンクから辿れるので、興味のある方はどうぞ。

2010年10月23日

朝早くから家族で出掛けた。行き先は茨城・国営ひたち海浜公園。コキア(ほうき草)の紅葉が見頃だというので行ってみる事に。大田原市湯津上から那珂川町などを抜けてひたちなか市へ。

常陸大宮市を抜ける途中で物産センターみわ・ふるさと館「北斗星」という、道の駅を兼ねている所へ立ち寄った。その名の通り近隣の作物の直売などを大いに行っている。来たのは十時ちょいごろだったか、かなりの人出と賑わいだった。道の駅みわ 近場で採れたきのこたち今はきのこの季節であり、軒先には採れたてのきのこが並んでいた。真っ赤な色合いで目を引くタマゴタケやぶっといマツタケなども並んでいる。クリタケだったかなんだかが一房、と言っても軽く一キロ以上ありそうな大房なのだが、3600円で売っていた。母が帰り道にまた立ち寄って無花果を買っていこうと言い、暫しの休憩ののち車に乗った。

揺られる事一時間ほど、東海村に差し掛かったところで緩やかな渋滞に捕まった。今日は実に良く晴れた行楽日和で、多分その為の渋滞なのだろう。原子力センターだかなんだかの敷地の柵が二重の鉄条網で囲われていた。

十時半ごろ到着。ひたち海浜公園の西口から入ると、渋滞対策のためか駐車料金の後払い用紙が配られていた。入園料は大人ひとり400円、小人80円。公園に入ってコキアの植えられている「みはらしの丘」へ向かいながら、人出に押し出されるように脇道の林へ。中の軽食屋でとりあえずコーヒーを飲む。傍らでわい性のちっちゃなシクラメンが咲き、クリスマスローズが青々と茂っていた。茨城県の特産品、お芋を使ったタルトが美味しい。

一息入れてまた歩くとみはらしの丘へすぐたどり着いた。が、コキアの紅葉目当ての人連れが多すぎて人間も渋滞している。人混みをかき分けて目の前に開けたのがもこもこしたコキアの埋め尽くす丘陵地だった。コキアの丘上記のWebサイトでは21日付けで紅葉が真っ盛りとの事だったが、本当に真っ赤っかだ。すれ違う人がみな携帯やカメラを持ち、草を撫でてまりもみたいと呟いている。僕自身は海ぶどうみたいとか呟きながらカメラとコキアの海へ飛び込んでいった。

みはらしの丘の頂上にはこれまた「みはらしの鐘」というのが突っ立っていて、訪れる人が皆それを揺するので始終がんがん音が響いていた。周りは三脚とバズーカみたいなどでかい一眼レフカメラを持った人ばかり、僕はポートレート向けの小振りな18ー55mmズームとぺったんこな15mm広角レンズを首にぶら下げているのみ。なんだか所在なげな気分になり、意識して気持ちを紅葉に向けた。多少のばらつきはあったが一面が赤紫に染まっていて、実に見事な風景だ。昨日の関東地方の天気予報では直近の明日23日が最も良く晴れるでしょう的な事を言っていて、これは日曜日よりも土曜日の方が混むなあと思っていたのだが、その通りだった。丘の向う側からはひたちなかの海が見下ろせた。左手にコンビナート、右手に岬、手前に防波堤、その先に水平線。コキアの赤とコスモスのグラデーション、セイタカアワダチソウの黄色が帯を作っていた。水平線へ。人混みの間を縫って海をぱちり。

海の見える丘を去るのは惜しかったが、お腹も空いていたので出店のある広場へ降りて行く。ウナギの蒲焼きが煙で人をおびき寄せて、何十人という行列を作っていた。日差しは飽くまで強く、木陰に座ってみたらしだんごをもそもそ食べたのち、ぶらぶらと園内を散策。手際よくビニールシートを貼って談笑している家族連れなどは近場から来たのだろうか。ぷお~っと気の抜けたサイレンを鳴らしながら汽車という名のトラックが通り抜けて行く。そのうち高くて目立つ観覧車が目に入ったので、それを目指してみる。

海抜百メートルという観覧車は「プリンセスフラワー」とか言うのだそうだ。乗車券もお高い。まあそれは良いとして母と乗ってみた。車内のスピーカーから流れる海猫と潮騒の音がわざとらしいが、気分も乗ってしまえば中々良い感じだ。「大」観覧車と言うだけあって上からの展望も良い。何より海と水平線がぐるりとみえるのだ。さっきのコキアの丘よりも目の位置が高い。内心はしゃいでいるうちに12分間の遊覧は終わった。

お土産屋で母の好物であるうまい棒納豆味を買い、常陸那珂有料道路を跨ぎてくてくと外周を巡っていく。西口ゲートの手前に公園事務所、兼屋上エコガーデンと言うのがあった。僕は個人的に常々屋上というものに興味を持っているので、迷うことなくその屋上庭へ向かった。が、見てみると、公園事務所の上にあるのに植木の水やりすらテキトーな感がする。枯れているものもあった。屋上を出しに使ってゆるせん。

それでもまあ案内板のマルチングとか軽量土壌とか色々の緑化のための用語を眺めて西口ゲートへ向かった。即席の虹と、脇を通っていった子供たちが正面の噴水を指さしてなにやら騒いでいる。よく見てみると、噴水の霧が立ちこめたところに日が差して虹が出来ているのだった。写真では見づらいがきちんと七色映っているのだ。少し感心してしまった。

道の駅みわの食事渋滞を避けるため午後の日が高いうちに撤退したが、再び道の駅みわへ着く頃には(山間部なので)日は落ちぼんやり薄暗くなっていた。無花果はまだ売れ残ってあったのでそれやらラッキョウの根やらを買い込む。ピーマンが大袋で一つ100円。遅いおやつ代わりに、子持鮎の塩焼きと柚味噌こんにゃくを買って食した。季節ものの子持鮎が特に美味しくてしっぽから頭まで丸ごと食べてしまった。

本日は海辺の紅葉を眺め虹を見、夕餉に鮎を食らったわけで、まさに満ち足りた気分で「imaginary inquiry : bayaka - Amanece - 2003 ode music production remix」を聞きながら夕暮れの帰途についたのだった。

2010年11月5日

ここ一週間ほど、原付であちこち出掛けていた。紅葉の下見という下心もあったのだが、十日ほど前に塩原の奥の上三依(かみみより)へ行ったときは紅葉はまだ始まっていなかった。ただ一本の木立だけが真っ赤に染まって、近くのそば屋のおっちゃんが嬉しそうに話していた。昨日、那須野ヶ原公園へ行ってみたところ木々が少し赤く変化していた。数日前に市内の母の実家へ行ったときに祖父が「あと一週間か十日でここらにも霜が降りる」と言っていたから、その通りなのだろう。黒羽の雲厳寺の境内はまだ青々としていたなあ。ゆっくりと秋が山から下りてきているのだろうか。

昨日の午前中は那須野ヶ原公園へ行ってきたが、何もせずに原っぱで昼寝ばかりしていた。良く晴れていたんだもの。昼時になり小学生の群れがご飯を食べにやって来て、寝ている側に陣取り始めたので、様子を見計らって退散。朝のうちはジョギング客や犬の散歩連れなど人が多かったけれど、昼を過ぎてしまうと公園内はやや閑散としていた。祝日の翌平日だからだろうか。園内をぐるりと一周、散歩して帰る事にし、ドングリなどを拾った。

夕刻、友人からメールが届いて、遊びに来ても良いかと言う。構わないよと返すと30分ほどでやって来た。相変わらず彼はうちの猫に目がない。「サキちゃん、会いたかったよお」などと猫なで声で言っている。猫も僕の部屋まで付いてきたので入れてやり、最近の出来事や音楽の話に花が咲いた。話に寄れば彼は、つい最近入社したばかりのケーキ屋を首になったそうだ。詳しい事情はここでは省くが、とにかく彼の友人の紹介で今度はパチンコ屋の従業員をやる事になったらしい。大変だったな、まあ次の仕事が見つかって良かったじゃないか、と言うと微妙そうな表情をしていた。彼も原付に乗って会社へ通うのだが、これからの時期は寒いからねえ、と言っていた。この辺りは冬になると「那須おろし」という冷たい強風が吹く。彼はヘルメットがフルフェイスではないため、風が当たって寒いのなんの、ということらしい。通勤も大変だ。

ひとしきり最近の一押しピアノ演奏家などの音楽の話題を語り合ってから、彼は帰っていった。すでに夜十時ごろになっていて、夜風がとにかく寒い。彼の原付はマニュアル式でもらい物のため、今日僕の所へ試運転に来たという事もあったのだが、発進するまでの手順がめんどくさい。僕のDioなんか楽だよ、地球にも優しい、などと軽口を叩いた。ようやくエンジンが掛かったのでさよならを言って見送り、ささっと家に引き込んでしまった。じきに霜が降りる。寒いのだ。

2010年11月10日

原付で病院へ行ってきた。朝一番で出掛けた為、待合室で待つことなく診察。ついでにインフルエンザの予防接種をお願いする。看護師さんの話で、今年のワクチンは新型フルーと季節性の二種類が混合されたものだと聞かされた。去年の予防接種のときはそれぞれ合わせて二本の注射を打たなくてはならなかったと聞いて、去年の接種を避けておいた自分にうなずいてしまった。注射も採血も嫌いではないのだが。

十時半ごろに病院を出、買っておいたコンビニ弁当を近くの公園で食べる事にし、途中でブックオフに立ち寄った。開店まで駐車場で待つ事しばし、やはり一番で入店する。人気のない店内が気持ち良い。漫画本を三冊、あまり迷わずに購入した。僕は以前に、和泉なぎさ氏の「リアリスの私写真」と冬目景氏の「LUNO」という漫画を古本屋で見つけてから、「一冊で完結している漫画本」にはまっているのだ。もちろん物語の大まかな流れをぺらぺらっと読んでみてから購入するかどうか決めるのだが、四コマ漫画などを除き一冊で完結している漫画というのは、その性質上こじんまりと程よくまとまった作品に当たる事が多い。だらだら立ち読みして内容をある程度まで把握してしまってから家でまた読み返すというのは性に合わないのだ。関係ない事だが、一週間ほど前に105円で買ったダニエル・キイス氏の「アルジャーノンに花束を」はまだ手を付けてすらいない。ハツカネズミが出てくる話だったような。近いうちに読んでおこう。

店を出て原付にまたがり「烏ヶ森公園」へ向かって国道を横に逸れた。この烏ヶ森公園の真ん中には烏森神社というのがあるのだが、僕は今回来るのが初めてなので先に弁当を食べて一休みする事に。ベンチに腰かけて弁当とコーヒーを取り出しちびちびと食事。弁当のご飯に手を付けた瞬間、あ、これは失敗した、と思った。コンビニのレジで「暖めますか」と訊かれたとき、ぼんやりとしていて「結構です」と答えてしまったのだ。御飯粒がすこし糊化していて硬い。ああ、これはあんまり美味しくないなあと思い、ベンチ前の池の鴨に餌をやるまねをしつつ、黙々と箸を動かした。

野良犬かな半分ほど食べた頃、黒茶色の中型犬がリードも無しにとたとたっと駆け寄ってきた。周囲には飼い主らしき人物はいない。不意を突かれて足を動かすと、その犬はびくっと飛び退いて、ちょっと用心する様子を見せた。きっと野良犬なのだろう、うちの飼い犬も元野良で人の足の動きに非常に敏感だから、その反応ですぐ分かった。ひとかけの硬いご飯を地面に転がしてやったところ、ゆっくりと近づいてきてぱくんと食べる。もう無いよという身振りをすると池の向う側へ駆けて行ってしまった。耳の後ろに草の種を沢山ひっつけていたなあ。藪の中でも走っていたんだろう。

食べ終わって、コーヒーを片手に芝生のある方へ向かう。日が照っている間は昼寝なのだ。少し離れたところでは作業員のおっさんたちがなにやら談笑している。ごろりとくつろいでひなたぼっこ。焼けるような日差しが心地よかったが、一時間も経たないうちに広い雲の縁が太陽をかすめ始め、次第に薄日になり、とうとう曇ってしまった。日が当たらないとこの時期は風が冷たい。やおら腰を上げて芝を払い、神社のある方へと向かった。

烏森神社烏森(からすがもり)神社は松林に囲われた小高い丘の上にあった。階段を上ると少し息が切れる。歩いているうち四、五人とすれ違って挨拶。平日でも割合訪れる人は多い様子だ。そのうち頂上の神社にたどり着いてちょっと驚いた。普通の神社かと思っていたが稲荷神社なのだ。正確には神社の後ろに稲荷の祠がある、という風なのだが。朱の鳥居 祠 お稲荷さまキツネの小さいぬいぐるみを連れてこなかった事を少し後悔したが、まあそんな事はどうでもいい。祠に続いているらしい朱の鳥居をくぐると、あった。お稲荷さまだ。駒狐さま、とでも言うのだろうか、右と左で顔がちょっと変わっている。奥の祠はこざっぱりと掃除されていて、落ち葉よけなのかボンネットのようなもので被われている。真新しい銅板葺きの祠に青い榊。つい最近整備されたばかりのようだ。そういえば朱の鳥居の手前の神社の壁に古い絵馬が並んでいたなあ。誰かがいつも手入れしているんだろうか。

お稲荷さまの前に五円玉をお供えして写真に撮り、来たときに素通りしてしまった案内板をよく読んでみた。

烏森神社

一 御祭神 天照大神・豊受大神・倉稲魂の神・印南丈作/矢板武 大人命

一 創立年代 延喜二年(九〇二)創建
明治二一年(一八八八)四月五日 烏ヶ森稲荷神社遷宮

……

一 由緒沿革
烏森神社の前身、烏ヶ森稲荷神社は、平安時代の延喜二年(九〇二)、上石上村(現、大田原市)の農人田守という人が、烏ヶ森の丘の上に祠を建て、豊受姫命を祀り五穀豊穣を祈った事に始まると伝えられています。……鎌倉時代初めの建久四年(一一九三)、将軍源頼朝の那須野巻狩の際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、……明治十八年(一八八五)四月十五日、開拓事業の成功を祈願し、那須疎水開削の起工式が神前で行われました。……明治二一年(一八八八)、社殿竣工、四月五日、開拓者の氏神として、……遷宮式(ご神体を移す式)を盛大に執り行い、烏ヶ森稲荷神社は、「烏森神社」となりました。……以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。

平成十一年(一九九九)九月吉日 烏森神社社務所

社務所なんてどこにあっただろうか、と思いつつも、この烏森神社と稲荷の謂われについて中々面白い事が書いてあって、この案内板を素通りしなくて良かった。この辺りは昔から水の利が悪く、明治時代になって那須疎水が開削されたのだが、その当時の非常な苦労を偲ばせる遺物があちこちに残っている。僕も那須疎水開削の苦労を描いた演劇「那須の大地」を小学生の時に見た事があり、友人の一人が後年演劇でそれを再びやると言うので見に行った事もあり、地元の歴史としてちょっと興味のある事柄だった。那須野巻狩でも関わりのある神社だという事で、先だって玉藻稲荷神社を見てきている自分にとってはとても面白い。ちょっとWebで調べてみたところ、先月十月二十三・二十四日に那須塩原市で「那須野巻狩まつり」というのが行われていたらしい。隣の市なので情報が入ってこなかったのは残念だが、機会があれば来年行ってみたいと思う。

ちょっと話が逸れたが、「この丘を展望所として……」というくだりに感心して、丘を降りるときに下界を眺めてみると、松林の間から西那須野や大田原の町がよく見えた。そうやっていると何だか地元や地域の歴史が身近に感じられるから不思議だ。先々週に「那須野ヶ原風土記の丘」という史跡や文化財の展示施設で知識を仕入れてきた事もあるのかも知れない。近々またどこか歴史を学べるところを探してみよう。

2010年11月14日

今日は母の誘いで笠間稲荷神社に出掛けてきた。車で揺られる事一時間半、茨城県の笠間市へ。

参道に近い駐車場はどこも満杯だった。母の目当ての「笠間の菊まつり」というのが10月16日から11月23日まで開かれているらしくて、加えて日曜日の朝だった事もあり、付近は人でごった返していた。この103回目のお祭りでは、NHKの大河ドラマ「竜馬伝」を模した菊人形展と菊花の品評会をやっており、参道から手水舎、御本殿、裏庭の有料展示ゾーンに至るまで、笠間稲荷神社を貫くように五千鉢以上という菊花が展示されていた。

大和古流奉納たどり着いた朝十時ごろは、菊の花の香りが漂う中、拝殿の前の広場で「大和古流奉納」という奉納の儀が行われていた。男性が垂れ幕の的に弓を射って場を清めているらしいのだが、人だかりの為によく見えないしアナウンスも聞き辛い。四神の朱雀がどうだとか玄武がなんだとか途切れ途切れに聞こえてきている内に、儀は割とあっさりと終わってしまったらしい。七五三で来ている子供連れ向けの行事が始まったようだったのでその場を人に譲って離れた。手元のパンフレットによれば、大和古流(こる)奉納式とは、諸処の芸や道を継承している大和古流の当主がその奥義を奉納する式、なのだそうだ。

菊 虻社務所の反対側に展示向けの菊花がずらりと並べられていた。先日大田原市の産業文化祭でやはり菊の展示会を見てきたが、それよりもだいぶん規模が大きい。花の善し悪しは素人目には分かるはずもないのだが、一つ一つの花ぶりは見事だと気圧された感じがした。菊花の種類も数百以上と絢爛豪華だ。肌寒い空のもと、何匹かの蜂や虻がたかって蜜をすすっていた。

お稲荷さまの群れ御本殿の裏手の売店が建ち並ぶ方へ歩んでいくと、ケヤキかなにかの木の隣にお稲荷さまが地面に沢山並べられていた。石造りのものもあれば焼き物のものもある。見た感じどこか欠けたりしている風でもないし、どうして置いてあるんだろう。不思議な光景だ。

銀杏の紅葉裏門を出て菊人形の展示場である笠間稲荷神社美術館へ来た辺りで、あたりがやたら臭うのに気がついた。地面を見ると紅葉した落ち葉に混じって、銀杏が至る所で踏みつぶされている。これのニオイだったのかと少し顔をしかめながら券売所の脇を通った。正面に櫓があり、でん、と坂本竜馬とその妻お龍の菊人形が佇んでおり、日本初新婚旅行、とこれまたでかく看板が立っている。その周りを囲むように意趣をこらした菊の展示が行われていた。それは古都の風景だったり富士山だったりと、よく作ったなあとただただ感心するばかりだ。竜馬と加尾美術館の中では坂本竜馬の生涯をパネル展示と菊人形の組み合わせで展示していた。悲しい事に僕は高校で世界史や日本史を学ばなかったので、龍馬の事もあまりよく分からなかったのだが、江戸と明治という時代を駆け抜けた志士だったようなことは分かった。写真が大好きだったらしく、晩年はゆったり暮らしたようで何よりだ。

菊も見終わって、茶店で味噌田楽と甘酒を頼むとお茶が出てきた。気遣いに心も温まる。ちゃんちゃんこのお稲荷さまとちびコウ参道をぶらぶらと歩いている内にちゃんちゃんこを着たお稲荷さまを見つけ、ぬいぐるみと一緒に写真に撮った。仲見世でお稲荷さまの焼き物を見つけ、家の部屋に置くつもりで三寸のを買ってしまった。鳥居をくぐり表道に出ると、バスでやって来たらしい観光客達が大勢、門の脇の椅子に座っていた。その横でまたちょいと休憩。やがて歩くうち、笠間のマスコットキャラクター、いな吉くんというのが目に入った。辺りの店は笠間稲荷神社にあやかって、いなり寿司やキツネの焼き物などを並べているようだ。半ば歩行者天国とかしている道路を渡り、車に戻った。大変活気のあるところだったなあ。来るのに時間は掛かるが、また新年に入ったら行ってみたい。

おうちのお稲荷さまで、こちらが自室のCD棚の前に置かれたお稲荷さま。対でひと組だった。神棚が無くここしか場所がなかったので、ここにお酒も備える事に。何か御利益でもあるかなあ。

2010年11月18日

大間々の展望台からこれは矢板市の八方ヶ原・大間々の展望台から眺めた那須地域。左手に那須連峰がある。本日の八方ヶ原は天気が変わりやすく少し吹雪いていた。

昨日は那須温泉郷の殺生石へ行ってきた。曇りがちな天気のもと那須街道を抜け湯本へ至る道へ。

殺生石のふもとから流れ出でる湯川を渡る手前の駐車場に車を止め、まずまっすぐ殺生石へ向かった。殺生石辺りは礫や岩がごろごろしていて歩けないため、観光用の歩道が敷かれている。一番手前にあるのは盲蛇石。これは案内によって「Mojaishi(もうじゃいし)」「めくらへびいし」と二つの呼び方があるようだ。この石は賽の河原と呼ばれる岩だらけの一帯にある。賽の河原のイメージからなのか単純に登山道としての中途にあるからなのか知らないが、そこかしこに小石が積み上げられている。ふつうはこれをケルンcairnと言い、いつ、どこで誰が始めたのか分からないくらい世界中の山々で見られる光景でもある。が、ここは亜硫酸ガスや硫化水素ガスの吹き出す死の地だ。亡者と鬼の三途の川縁といった方が似合っているのだろう。

盲蛇の湯の花木道を歩き、湯の花採取場へ至る頃には、辺りはすでに濃い硫黄の匂いで被われていた。ここの湯の花にも謂われがあり、昔、ある男が盲の蛇に出会い親切にしてやったところ、その恩返しとして湯の花の作り方を教わった、のだとか。側の小石を拾ってみると、それは黄褐色をした硫黄と小砂利の混ざったそれだった。

教伝地蔵賽の河原だから地蔵菩薩もいる。河原中央の教伝(教傳)地蔵と千体地蔵だ。実際には千体もいないのだろうが、ひとつひとつに編み帽子がかぶせてあって和む。花も供えてあるのは近くの温泉神社の人のものだろうか。教伝地蔵のあるところは教傳地獄と呼ばれていて、これまた昔、親不孝をしたために天罰を受け死んでしまった青年を供養しているという。

九尾の狐伝説、殺生石木道の突き当たり、正面の断崖上にあるのが殺生石だ。殺生石と言えば九尾の狐、玉藻の前。鏡が池のほとり、桜の木の上にいるところを三浦介義明に矢で射貫かれ絶命した……ここまでが玉藻稲荷での言い伝え。こちらでの伝えによれば、この妖狐は死後、更に毒石へ姿を変え毒気を放って人畜に危害を加えたとのこと。そのため「殺生石」という名が付いたのだが、案内板にはのちに会津示現寺の玄翁和尚が岩にこもる妖狐の恨みを封じ、ようやく毒気も少なくなったと書かれている。予備知識では確か、和尚が金槌(玄翁)で岩を打ち砕き破片が日本各地へ四散し、そのため各地に九尾の狐伝説が生まれる事となった、はずだったかな。大陸、つまり海を渡って飛んでいった破片もあって、それが向こうでまた伝説を生んだという話まであるくらいだから、玉藻稲荷と殺生石との間の伝承は多少のズレくらい構わないのだろう。

頬っ被りのきつねさん 那須湯泉神社と九尾稲荷木道を左手に逸れて橋を渡って数百メートル行った先に、那須湯泉神社と九尾稲荷がある。何だかこの雑記ではキツネや稲荷神社の事ばかり書いているような気もするが、烏ヶ森稲荷といいここといい、なぜ稲荷というのは脇とか隅っこのほうにあるんだろうか。それはともかく、この九尾稲荷神社には詳しい説明書きが見当たらなかった。造りもそう古くはないし、おそらくは九尾の名を冠したのみでごく普通の、五穀豊穣を祈るための社なのだろう。

那須温泉の発見にも謂われがある。七世紀頃の昔に、狩りで傷ついた白毛の鹿を狩人が追っていたところ、その鹿が温泉に浸かり傷を癒しているのを見つけた、というのが那須温泉の初まりだという。

鹿の像近くに足湯に浸かれるあずま小屋があったので入ってみた。結構熱い。足湯は二つの湯に分かれていて、僕の反対側の湯ではおばちゃん方が三人、同じように足を浸かりながら談笑していた。しばらくして湯から上がり帰り道へ戻っていったが、家に着くまで足はぽかぽかしていた。うむ、今度は体丸ごと湯に浸かりたい。

2010年11月20日

馬鹿みたいに天気が良かったので散歩に出掛けた。

よく分からない山の中を登ったり降りたり、農家のおっちゃんに道を訊いててくてく歩く。干してある大根家の前にぬか漬けのためのものであろう大根が干してあった。山の中なので起伏が激しい。くねる林道を歩くのは楽しいが、上り坂はあんまり面白くないな、などと考え事をしながらぶらついた。農家のおっちゃんの話で羽田沼だけでなく琵琶池にもハクチョウは来るよという事を教えてもらったので、ハクチョウ到来の季節になったら行ってみようと思う。一時間ほど歩いただろうか。万歩計を持って出るのを忘れたので詳しくは分からない。額に汗がにじむほど良い天気だった。落ち残った柿

午前中に郵便が届いた。何かと思って差出人を見るとVISIT FINLANDとある。思い出した。一週間ほど前、フィンランド政府観光局(リニューアル中らしい)のWebサイトで観光案内の資料を送って貰えるよう頼んで銀行振り込みをしてきたのだ。

何故唐突に観光パンフと思われるかも知れないが、体を最も壊していた時期に、僕はパンフレットとか本屋の無料小雑誌を集めるのに凝っていた。空想や妄想の種を育むのにそれらがもっとも手頃だったのだ。そういう事をarmchair travelingと呼ぶ事を知ったのは結構後になってからだ。あまり関係ないがarmchair travelerでググると最初に出てくるAmazonのAmazon.co.jp: The Armchair Traveller;Southbound:というアルバムは僕も持っている。中にはode music productionの創始者となったbayakaやchari chariの名で知られている井上薫氏など大御所の音楽がいくつか収まっている。紙のジャケットの内側には雪国を歩く場面と南国の浜辺に横たわる座椅子の写真が拵えてあって、Southboundの名の通り南へ旅立ちたいとき聴くと良い一枚だ。

話が逸れたが、僕は元来空想好きな上に収集癖持ちだった事もあり、あちこちの観光パンフ集めは次第に熱狂的なものになっていった。そこで興味を持った(最近は「触手を伸ばす」とも表現するらしいな)のが世界各国の政府観光局で配布しているパンフレットだ。ネットで資料請求出来る国のものはほとんど集めたと思う。んで、今更になってフィンランドのパンフを請求した理由だが、フィンランド政府観光局刊行の「トラベルノート」を久しぶりに眺めようとして部屋を探したのだが見つからないのだ。置く場所は本棚しかないから迷うはずはないのだけれど、良く引き出すからだろうか、どうにも何かの拍子に無くしてしまったらしい。仕方なく再度請求をした、というわけだ。フィンランドの観光パンフ今回届いたのがこちらのパンフ達で、画像の中の「Finland Summer Guide 2009」以外のものは無料で上記のサイトから請求出来る。もちろん他に有料パンフは沢山あって、フィンランド観光局のものは出来が良く内容も充実しているので、一度サイトからご覧になるといいだろう。

政府の観光パンフというのは七割方が有料で、ネット上からの請求の半分位は切手支払いとなっている。観光収入に力を入れていない、若しくは自国を広報する手段をWeb上に持っていても内容に乏しい国々は、資料を請求しようにもそもそもフォームが無かったり、どんな資料があるのか書いていなかったりする事が多い。そういうときは都の各政府大使館へ足を運んで訊ねればいいだけなのだが、何せ今暮らしている地元は首都圏とはいえ端の端っこだし、熱烈に蒐集していたころは関西の方で生活していたしで、訪れる機会に恵まれずにいる。今はもう熱烈な衝動と妄想がやってこないので、いずれいわゆる「若い頃集めていたレコード」になるのかなあ、と思ったり。

フィンランド政府観光局刊行トラベルノート「トラベルノート」の事。親しみやすいテンポで綴られた38ページの小雑誌で、国の統計情報から首都ヘルシンキ周辺の地図や施設・散策案内、フィンランドに関する細々とした図鑑などど、とても濃い内容となっている。想像を刺激するのにちょうど良い写真と文章のバランスが旅へのあこがれを非常に良く搔き立ててくれる。僕は現在体を壊して療養中の身だが、それを治して海外へ行けるようになった暁には、夏の北欧にもぶらっと行ってみたいと思う。

2010年11月21日

大田原市佐久山・御殿山公園の紅葉祭へ行ってきた。箒川を渡って段丘を登り、佐久山街道へ。一見寂れた感じのある街路だが、この地域では結構頻繁にイベントや祭りが開催されている。

紅葉祭開催期間の末日・十一月二十五日までは、午後五時から九時半あたりまで園内のライトアップが行われているとのこと。もう時期的にぎりぎりだし、折角のいいお天気なので昼間に出掛けた。駐車場の脇ではおっちゃん達が仮設テントのもと談笑しており、公園の入り口で地元のおばちゃん達がおでんや甘酒、大判焼きを売っていた。財布の中に百円玉が一個転がっていたのでそれでおでんのこんにゃくを買った。ほんのり柚子の香る味噌を付けてもらって、まずは食べる。地元らしいそれなりな賑わいの中で、携帯電話から一眼レフまで様々にカメラを持った人が目の前を通り過ぎていった。

カエデ ツタが登る 一面の紅葉御殿山公園は山の側面にある。眺望の良い場所を探して傾斜の急な階段を上りながら、辺り一杯のカエデの大木を見渡した。名札を見ると土佐楓とある。何故土佐なのか分からずにいたが、今ググったところではこのページ那須高原の四季 佐久山御殿山もみじ祭が詳しい。以下、引用の引用。

佐久山御殿山公園の楓について

安永年間(1772~1780年)佐久山藩主として四国山内土佐守一豊の子孫である資敬公(福原家佐久山藩23代藩主)が養子として迎えられた時、純粋の土佐楓5~6本を持参し、佐久山城敷地内に植え故郷を偲んだと伝えられ、今は1本のみ現存している。

佐久山地区活性化協議会が配布する資料を引用

佐久山と聞くと僕はどうしても夏場の花火大会を思い出してしまうのだが、ここ御殿山公園は佐久山城趾であり、割と市内でメジャーな方の観桜、観楓スポットだ。丘陵の南東側にある展望台に登ってみると大田原市街地が一望出来た。少し下に目を動かすと箒川、佐久山街道(旧陸羽街道)、佐久山小学校が順に見え、学校脇の銀杏の木が見事ビビッドな黄色に染まっていた。

園内をぶらついているうち、枯れ草の茂みに鳥居が立っている事に気がついた。見ると御殿山稲荷神社とある。こんなところにも、と、思わず写真にぱちり。鳥居 質素である。駒狐さまはいなかった。灯籠の後ろに寄進と書いてあり、雑草に半ば埋もれるように石碑が立っている。

御殿山稲荷神社

縁起

此の稲荷神社は鎌倉時代則ち文治三年那須の守護那須太郎資隆公次男佐久山次郎泰隆公此の地に初めて築城せし折城内鎮護として京都より伏見稲荷の神霊を奉祀す

……

廃藩置県後は旧藩士により祭祀し護持されてきたがその社殿老朽し仍って佐久山在住藩士子孫十七名相計りここに新殿を建立す

……

平成十年七月吉日

漢字ばかりで読みづらいが、文治 - Wikipediaという年号は十二世紀、鎌倉時代のもの。那須太郎資隆というのは那須氏初代当主であり那須与一公の父親であるらしい。此の稲荷神社、かなり由緒と歴史ある代物だ。その割には参道は雑草で一杯だったし、こっそり覗かせてもらった内部は質素な造りになっている。まあいいや、こういう神社のあり方も、忘れられずにいるだけ恵まれているのだろう。

割とあっさりとした帰り際に近所の母の実家へ立ち寄っていこうと思い、手土産に大判焼きを買った。売店のおばちゃんの話で、近々市だったか地元新聞の写真コンクールがある事、上手いのが撮れたら応募するといいよという旨を聞いた。いやいや、と苦笑いしてその場を立ち去ったが、そうだな、そういう目標の建て方もあるなと思った。

それから実家に向かい、祖父と祖母に御殿山稲荷神社の事を尋ねてみた。「お稲荷さまといったら警察署の前のだろう」。どうやら地元の祖父母も御殿山の稲荷神社の事は知らなかったらしい。代わりに、近所で「お稲荷さん」と呼ばれている、個人のお宅で祀っている稲荷(神社ではない)のことを聞かせてもらった。ああ、確かにあの民家の脇には鳥居があるが、稲荷だったのか。そう話しながら、この地元の史跡の話もしてもらった。年上の人の話は聞くものだなと改めて思う。今度晴れている日にその辺りへ出掛ける事にして、今日はこの辺でおしまい。

2010年11月23日

黒羽矯正展行ってきた。毎年この日になると近くの県道沿いが渋滞したものだが、今日に限っては午前中の雨模様にやられて人出も押さえられた様子だ。みかん一箱と煮卵六つ、函館少年刑務所謹製の○獄(まるごく)ポーチなどを購入してきた。○獄ポーチ

この矯正展の展示販売家具は品質が非常に高く、数万円から十数万円という価格に抑えられた家具が赤札で掛けられ、日が高く昇る頃には続々と売約済みになっているのだ。総檜の日光彫りなどに触れてきたが、質感のずっしりとしたそれはしかし決してくどくないという印象を受けた。

ところで、いつもの日記。「何処其処に行ってきた」では飽きてしまうし、そろそろ過去に追いやってよい記憶だと思うので、僕がかつてそこにいた場所の事を誰にともなく紹介しておく。

人は誰しも多くの陰を抱えて過ぎ去って行くもので、僕の駆け抜けた時間もそうだった。過去形で書いているのは今現在、僕が自分の人生の一部をすでに生きたと感じているからだ。全うしたとは言えないが、今の自分につながる時間と時代を駆け抜いた、そういう実感がある。有り体に言ってしまうなら孤独の連続で、それに割と偶然にも耐えきってしまった自分が居た、耐えきる事に人生の一部を賭けていた。かつて「人生、59敗1勝くらいでいいんじゃないか」と教えてくれた方がいたが、僕はすでに一回勝利して、今現在を有余と猶予の渡河にいると感じている。

現実に話を戻せば、僕が実際に居た、ポラロイドSX-70の600高感度フィルムの青さに似た時間と場所、それは京都駅の屋上だった。正確にはJR京都駅伊勢丹ビル側の屋上庭園を臨む工事現場だ。京都駅ビル屋上にヘリポートがあると知ったのはこのときにだった。

至るまでの通路はこうだ。草津方面から東海道線を下車し西跨線橋を中央改札口へ向かって歩く。一階の中央コンコースをJR京都伊勢丹、The CUBEに向かいエスカレーターをてっぺんまで上がる。正面に位置するJR京都伊勢丹ビルの右側入り口を跨ぎ通路を突っ切ると、ビルの屋上庭園とは別の工事現場へ至る非常階段がある。ここは常時警備員が徘徊していて鬱陶しい事この上ない。七階辺りまでの扉一つだけは従業員の清掃業務のため必ず鍵が掛かっていない。頃合いを見計らって、時間は夜か昼の十時過ぎ辺りだろうか、階段を一気に非常口まで駆け上がる。鍵には緑のプラスチックの鍵カバーが掛かっている。これを外してまたかぶせ、ドアをくぐる。周りはフェンスに囲まれた一坪庭、向う側には京都伊勢丹屋上庭園が見えるはずだ。フェンスを跨いで登る。左側コンクリート壁の下の陰に脚立が隠してある。これを立たせてコンクリを素早く登り、あとは架線にそって剥き出しの忘れ去られた工事現場を渡り、L字にもう一つの屋上非常口扉が見える位置まで小走りに駆け抜けていけばいい。

そうすると少し開けた場所に出るだろう。目の前にはどこからか通じている非常口と、もう一つコンクリ壁に打ち付けられたはしごがある。これを登れば、京都タワーを除き京都で一番見晴らしのいい屋上に至る、というわけだ。

あの場所には大切な思い出が残されている。が、僕はそこを立ち去って、もう別の人生の渡河にいる。僕の第一の生は言ってみれば屋上と青空だった。立つ鳥跡を濁さずというが、僕がこれまでの事々と別れるにはいつも、文章に直すのが一番の方法だった。あとは誰かがあの空や屋上を受け継いで、それをまた誰かに受け継がせて行けばいい。

この文章がWebのキャッシュのどこかに幾らかでも残り続ける事を期待して、今日の日記ここでおしまい。

2010年11月25日

先日祖父から聞いた金丸の飛行場跡の倉庫を見に、那須野ヶ原CCの辺りまで行ってみた。行ってみたと言っても、常々通る道の脇だからたまたまちょいと折れて入ってみた、というのが正しい。平べったい弧を描いたコンクリートの壕があった。金丸原飛行場跡こちらの金丸原飛行場跡というページが詳しい。祖母の話では戦時中(小学三年生だったか)、兵隊さん達がぞろぞろと宇都宮駐屯地から金丸演習場までの40kmの道のりを歩いてきた場を見た事があると言い、へとへとに疲れ切っていたその様子がかわいそうだったと語った。その頃、太平洋戦争のことを大東亜戦争と呼んでいたという。

祖父の言っていた警察署の前の「御稲荷さん」にも今日行ってきた。経塚稲荷神社だ。学生の頃、良くこの辺りで昼飯を食べていた。朱の鳥居 駒狐様 ひがん桜石碑に寛永十年(一六三三)建立とあるから、そう古いものではないらしい。少なくともこの辺り一帯の、那須野巻狩の前後に建てられた神社・稲荷とは別の性質のものだ。例大祭は四月第一土曜日、神域を護る杉木立の隣にある「ひがん桜」の樹齢は約180年とのこと。社務所は公民館を兼用していた。この稲荷、地元の人々に親しまれながら今に至る、地域密着型の神社のようだ。まあ稲荷というものはだいたい地域と密接な関係を持って存えているものなのだが。佐久山の御殿山稲荷神社のようなのは多分例外だろう。

近くの交差点の角に珈琲専科・茶羅という喫茶店がある。以前に何度か立ち寄った事があり、ここは外観も内装も、いかにも純喫茶という風で好ましい。ただメニューがおしなべて高めだ。経塚稲荷神社のついでにと、ぼちぼち立ち寄って中へ入った。ちゃらんちゃらんとドアベルが鳴る。

カウンターにつくとしばらくしてメニューとおしぼりが渡された。何の気なしにカプチーノを注文。待っている間、ぼんやりと辺りを眺めてみた。正面の棚には高価そうな金の縁取りやら何やらを施されたコーヒーカップが並び、真ん中にはブランデー等のお酒の瓶が置いてあった。多分このブランデーでカフェ・ロワイヤルなんかを淹れるのだろう。棚の下にはKEY COFFEEの青い缶がマンデリンとかグアテマラとかキリマンジャロとかのラベルを貼られて置かれており、目の前のカウンターの向こうで小さめのサイフォンが三つ、静かにバーナーで炙られていた。店の奥ではスーツを着た男性が新聞を広げ、近所の奥様連中がなにかしら雑談し、入った事のない右側の部屋にも誰かいただろうか。横のおっちゃんが「んじゃ、そろそろいくか」と独りごちてお会計の方へ歩いて行った。

肘をついてしばらく瞑想していると「どうぞ」とカプチーノ。GABANのロゴの入ったシナモンスティックが添えてある。質感と香りから察するにセイロンシナモンだろうか。クリームの上にもシナモンが一振りとオレンジピールがちょっぴり。とりあえずカップに口を付けると、冷たくて濃くさっぱりしたクリームと熱々のエスプレッソの層が流れ込んでくる。クリームは何か変わったものを使っているようだが、僕の舌では分からなかった。一息ついて、スティックでくるくるかき混ぜながら、小説のネタの事やなんかを考え、ひとくち、ひとくちと飲んでいるうちに時間が過ぎていった。

割と長居せずに会計をして店を出た。そういえば学生時代は良くこの店の前を通ったが、入る事は結局無かったな。それだけ僕自身が変わったという事でもあるのだろう。またの機会にここへ寄ってみようっと。

2010年11月30日

大田原市の諏訪神社と不退寺の薬師堂行ってきた。どちらもこまめな手入れが行き届いているようで好ましい。

諏訪神社諏訪神社にはいわゆる大東亜戦争で亡くなった戦没者の慰霊碑がある。……と知ったのはこの神社を一巡りしてみたときで、先日の雑記の戦争つながりで書くのにちょうど良いからここにピックアップしてみるだけだ。時代は昭和十四年八月の北支那から昭和二十年の九月シンガポールまで、没年は二十一歳から三十一歳、十一名の名が掲げられている。若い。僕と同じくらいの年頃だ。言葉にするにはちと重い。灯籠

諏訪神社は大田原自然遊歩道の第五コース、ホロの碑と境の松との間にある。都市計画道路三三一号線(国道四百号線)のたいら屋前交差点を南側に折れ、道なりに数百メートル程行った右手の杉木立だ。下枝が払われて道沿いからも社殿が覗けるので行ってみれば簡単に分かる。

諏訪神社を後に不退寺薬師堂へ向かった。大田原の旧中心街、与一通りというのだったか、その通りの突き当たりに薬師堂はある。蛇尾川方面から蛇尾橋を渡ってまっすぐ商店街を行けば正面に参道と大銀杏の木がある。ちょっと言うと、先ほど触れた諏訪神社の道沿いにも大銀杏があり、こちらの方は杉林に囲まれていて紅葉の季節以外はあまり目立たない。どちらの銀杏も樹齢は分からないが同じくらい背が高く立派だ。

一面の黄色薬師堂は参道の辺り一面に銀杏の黄色をまき散らして佇んでいた。雲一つ無い晴天のもと、その黄色が眩しく染み入る。通りかかったおばちゃんとすれ違って挨拶。案内板に有形文化財の文字があり、寛永年中(1624~1644)ごろ大田原氏によって建立とある。先日の雑記の経塚稲荷神社と成立した時代が重なるあたり、この時代の大田原(大俵が語源とも言われている)は城下町・宿場町として大層繁栄していたんだなあと思う。それを象徴的に表していたのがいつぞやの金灯籠なのだが、金灯籠そのものはこの雑記に書いたとおり旧市街地の活性化のための家屋解体とビル建築にあたり場所を移されてしまい、今では街の交差点の読み仮名にその名がただ残るばかりだ。

幾つかの案内板を巡って回るうちに面白いものを見つけた。「大田原の盆おどり唄」というもので、昭和53年9月7日選定とある。この盆踊唄は毎年八月の与一まつりで行われている盆踊りだ。以下抜粋。……大田原の盆おどり唄の起源についてはつまびらかではない。発祥の地は下町(中央二丁目)薬師堂の庭とも言われている。……唄の節回しも田舎節から都節に変わり、音楽的に統一性を欠くが、一種独特で他には見られない節回しである。……大田原の盆踊り唄は残り少ないふるさとの盆踊唄の一つである。……

薬師堂では冬の間に甘茶を振る舞うイベントがあるのだが、詳しい日程を失念してしまった。下町のささやかなお祭りだから見逃してしまうかも知れない。花市の頃だったかな。まあ出会えたら幸運、位に思い留めておこう。

話変わってメールアカウントの掃除。今使っているメーラーはnPOPQというもので、これがシンプルで使いやすいのだが更新停止からずいぶん経つソフトだ。今日はWindows Liveメールを使って、普段特に巡回していないアカウントも含めてお掃除とバックアップを取ることにした。未読メールが1037通、そのうちYahoo! アカウントの広告とSPAMが半分。ネット記事の定点観測をしているGmailアカウントを読了にして、私用でいくつかメインで使っているZenno.comのフリー・100円メールの容量確認やら細々とした調整。Zenno.comのWebメールは出先で使うのにもってこいなので重宝している。ぷらメールは仕様が複雑なのでメーラー側で振り分け。nPOPシリーズの当初の目標はフロッピーディスク一枚に収まる簡易メーラーだったらしいが、今ではWebメールやUSBメモリと言うものがあるし、しかし使い慣れたアプリを手放すには少々惜しいということで、現在から当面の間はこのnPOPQとカスタマイザひとつでやっていく事に。なんとかバックアップも取ったし、メーラーも定常運転へ。

Webを検索していて、昔の大学の先輩を見つけた。サークルが同じだったので何度か世話を見てもらった事がある。セミプロのアコースティック・ギター弾きの方で、こちらのYoutube - 「風を誘う少女」は昔、その先輩から200円で買ったオリジナルCDに収まっているそれのバージョン違いだ。とてもいい曲なのでもっと他の人に聴いて欲しいと思う。こんなWebの片隅からだが一応、エールを込めて。

2010年12月6日

日常のことごと。

最近僕は昼寝をするのが日課になっている。主に午前中、あちこち近所の公園に出向いてお日さまの光を浴びながら芝生に転がるのである。これは僕があまり仕事とか収入につながる事に熱心でないから出来る事だ。先月十一月の頭から始めた習慣だが、曇りや雨の日を除いて概ね続いているところを鑑みるに、これは僕にとって良い事だ。寒い日もあるが、日差しは柔らかい。不審の目で見られない程度に続けようと思う。

古本、というか漫画なのだが、百円の中古本を集めるのに凝るようになった。僕は好みにうるさい。色々な欲求を出来るだけまっすぐな形で発散しようと心がけているからだ。わがままとも言う。その中で、近頃見つけて当たりだと感じた漫画。

Amazonへのリンクをタイトルに張っておいた。「できそこないの物語」の第四巻はAmazonで注文し、明日郵便で届く手はず。まだ読んでいないという事なのだが、これはストーリーがおもちゃ箱をひっくり返したような適当さで展開されていて非常に面白いので、扉絵が好ましければ即買いである。「こころ」はかの夏目漱石の作品を現代風にアレンジしたもの。小説と併せて読むと非常に分かり易く奥深い。どの漫画も世界観が明瞭に組み立てられていて割合短く程よくまとまっているが、中でも榎本ナリコ氏の作品はいずれも安定感があり読んで損はしない。まだまだ中古漫画を発掘中なのでこれからも良いものが見つかるかも知れない。そのときは気が向けばここで紹介しようと思う。

先日百貨店でコーヒー豆とお酒を買った。トアルコ・トラジャとモカで迷ったが結局モカ。一応コーヒーミルはあるが、面倒くさいので挽いて貰った。中挽きで少し後悔。僕は細挽きで濃く淹れるのが好きなのだ。ここのコーヒーショップはKEY COFFEEなので、僕が昔から集めているUCCのクーポン券は集まらない。UCCのカード券も持っているのだが、これは期限が切れてしまった。お酒はベイリーズ。三本目である。

こう書いていると僕は何にも考えていないようだが、創作小説のネタで少し悩んでいる。僕は常に三話ぶんローカルに書きためておいて前の一話をアップロードするので、四話ぶん先の話の流れが決まらないのだ。まだアップロードしていない三話ぶんもごちゃごちゃと書き換える。まあ、ラストの描写はすでに決まっているのでそこから逆に繋げていこうかと思う。今のところ二話分の題名は決まっていて、04「ものごとを決めるために必要なこと」と05「それぞれの時の流れ」。お絵かきウサギはガラスの人魚をありていの人魚に還す魔法を訊くために魔法使いの事を追っている、という感じ。ちょいと科学文明の描写も。

それと「Info」の項目にTwitterへのリンクを足しておいた。かといって何かあるわけでもないのだが、とりあえず。

2010年12月9日

今日は何事もなく過ぎていったので、前々から誰かに紹介したいと思いつつ叶わなかった本の紹介をしたいと思う。

九龍城砦 - 宮本隆司(著)

この「九龍城砦」は、159ページに及ぶ九龍城砦のかつてのありのままの姿を写した、宮本隆司氏によるモノクロハードカバーの写真集だ。僕が語るには物理的にも存在としても歴史的にもあまりに大きすぎて言葉にならない。以下、抜粋した文章と写真。これを見て読んで、本を直に手にとってくれる人がひとりでもいれば僥倖だ。

消滅した都市──宮本隆司

九龍城砦が消滅した。……

九龍城砦人間は時に、まったく想像を絶するものを作り出すものだ。九龍城砦は、国家と国家の狭間にあって、幾多の偶然の重なりで出現した都市であった。……

九龍城砦は、中国人の集合的無意識の巨大な結晶体なのだ。たまたま私たちの目の前に立ち上がった、奇跡のような、人類の営みの類いまれな超絶現象でもあった。

九龍城砦は、今世紀最大で最後の迷宮だった。……いずれにしても、九龍城砦は消滅してしまった。すでにこの地球上には存在しない。汚濁と苦悩にまみれていながら、どこか崇高で孤絶していたもの。その深い闇と混沌を直に見ることは、もう永久に不可能なことになってしまった。九龍城砦は、人々の記憶の中でのみ永久に生き続ける伝説の都市となったのである。九龍城砦

巻末の方に荒俣宏氏によるテキスト、「九龍城砦 最後の迷宮」と大橋健一氏の解説「九龍城砦の歴史」があるが、前者は現地からのレポート風になっているため、実際に読んで味わって貰いたいと思う。後者を抜粋。

九龍城砦 龍城砦――香港啓徳国際空港の北西数百メートルに位置するこの2.7ヘクタールの空間には、「魔窟」、「東洋のカスバ」、「犯罪の巣窟」等々、ありとあらゆる負のイメージが長きにわたって付与され続けてきた。この空間を埋め尽くしていた約500棟にものぼるといわれた不法建築群の取り壊しがすべて完了し、公園として整備された今日においてもなおそのイメージは人々の間に流布している。……

……

九龍城砦九龍城砦が好都合であったのは、少しでも安く住める場所を求める一般の難民にとってばかりではなかった。中国の社会主義化に伴って活動に制約を受けるようになった黒社会は、地元香港の黒社会と結託し、この九龍城砦を活動の拠点とした。1950年代から60年代にかけての九龍城砦には、その後の九龍城砦をめぐる「魔窟」伝説を構成する賭博、麻薬、売春などが存在したほか、これらの客寄せに行われたストリップショーや香港では禁止されている犬肉料理店もあったという。しかし、これらの存在が可能であったのは、必ずしも九龍城砦がもつ政治的真空地帯としての無政府性、無法性そのものにのみ由来していたとは言えない。実際には、賭博、麻薬、売春などは、当時九龍城砦の外にも存在していた。むしろ黒社会が、九龍城砦のそのような特殊性に目をつけ……

九龍城砦……この間、九龍城砦の人口は増加を続けてゆく。1950年代初頭、数千人であった城砦内の人口は、60年代までに2万人を越え、82年に「街坊福利事業促進委員会」が行った調査では、約1万2千戸、約四万人にまで増加している。同時に、50年代当時は、木造バラックや木造、石造の低層家屋によって構成されていた九龍城砦は、60年代に入るとコンクリート化、高層化し始め、60年代末から70年代にかけて何度も建て替えられながら更に高層化し続け、80年代までに最高16階建ての高層ビル群がほぼ空間を飽和状態に埋め尽くすに至った。……

九龍城砦……九龍城砦は決して社会解体の進行という意味でスラムではなかった。劣悪な居住環境、外部に流布するダーティーイメージとは裏腹に、そこには政治的真空地帯としていずれの政府からも干渉を受けないが故に自律的に形成された特異なコミュニティが存在していた。……

九龍城砦 九龍城砦しかし……1991年10月から93年3月まで3段階にわたって行われた立ち退き作業の後、九龍城砦はわずか10ヶ月で解体された。

1995年、九龍城砦の跡地には、中国伝統様式の建物を配した公園が完成した。ここには、1843年頃に城砦内に兵舎として建てられ、その後立ち退き作業開始の間際まで老人センターとして使われていた建物が改装され、"歴史的建造物"として残されているものの、激動する戦後香港社会で人びとの生存への意志の結晶として出現したあの特異なコミュニティについて記憶を辿れるものは、何も残されてはいない。(大橋健一)

「汚濁と苦悩にまみれていながら、どこか崇高で孤絶していたもの」との言葉そのもの、それがたぶん「九龍城砦」だ。本屋で見掛けた折には是非手に取ってみて欲しいと思う。

2010年12月10日

以前の日記で「温泉に浸かりたい」と書いたが、今日はその温泉へ行ってきた。大田原市黒羽の町営温泉、五峰の湯だ。

国道294号線沿いに「くらしの館」という観光施設がある。そこの十字路をローソン側に折れ道なりに行くと、三つ目の交差点辺りに小豆色した「五峰の湯」というのぼりがいくつも立っている。のぼりの連なる右手へぐるっと曲がり行った先がそこだ。市営バスも出ているらしい。JR西那須野駅東口から乗る市営バスの終点が五峰の湯、とのこと。温泉スタンドというのもあり、五峰の湯駐車場脇のスタンドで10リットル10円で販売されている。僕が来た時も帰る時も、それぞれ違う軽トラックがお湯を積んでいる最中だった。

入浴料というか施設の利用料金は大人ひとり五百円。ちょっと高い気もするが、施設全体の利用料だと思えばいい。レストランや農産物の直売所も施設の一部であり、他に大広間二つとその間に自販機やマッサージ器などの置かれた休憩所がある。

まあなんだかんだ言いつつ男場に入った。更衣室は割合の清潔感でドライヤーが置いてあった。写真を撮れなかったのが惜しまれる。コインロッカーで着替えて浴場へ。

まずはお湯をかぶって体を洗い、大浴場へそろそろと入る。このお湯、ぬるっとして粘性を帯びている気がする。pHが高いのでこう感じるらしい。パンフレットには「肌触りが非常に滑らかで皮膚に良いことから、『美人の湯』と呼ばれ大変好評です」とあった。熱さも適当で良い感じだ。ちなみにパンフには「男湯と女湯は一週間のローテーションで入れ替わります」とある。今回、ジャグジーがあるのは女湯の方だったらしい。些細なことではあるが。

洗ってさっぱりした頭の中で樋口了一の「1/6の夢旅人 2005ver」を口ずさみながら、のんびり湯に浸かった。温泉の宿命なのか田舎の早朝だからなのか知らないが、大浴場にいる人たちは10人強、大体60~70代のじいさんばかりのようだ。見れば裸で大浴場の外へガラス戸を通って出て行く人がいる。露天風呂というのはあれのことらしい。急ぐ必要もないからボケッとガラスの向こうの空を眺めていた。

んで、那須連峰を臨みつつ風に当たりつつ湯に浸かるのも良いかなと考え始め、だんだん上せてきたところで湯を上がった。前を隠さない男気溢るるおっさんもいるが、僕には真似出来ない。あまりしたくもないのが正直なところだ。とりあえずぺたぺたと露天風呂の方へ歩いて行った。

二重のガラス戸を開けて出たところで、隣のやはり露天風呂からわしわし響く声が聞こえた。おばさん連中がお喋りに花を咲かせているらしい。こちらも壁一枚隔てた露天風呂に入って浸かった。表の空気と風がぴりっとして気持ちよい。この風は那須の茶臼岳から吹いてきたものであろう、と勝手に決めつけた。植え込みのために男湯の方からは山が見づらいのだ。そのうち風呂の縁、木枠の角へ移動して、腕を広げて乗っける形でくつろいだ。相変わらずだみ声が届く。幸せな人はそれに気付かないからいけないだとか、うちの亭主の遺言がとか、日本人は金かねカネだ、とか。かわってこちらの露天風呂は静かである。男同士の静かなる連帯感である。

おばさん連中の幸福と人生論をぼんやり聞くうち頃合いを見計らって、連れのじいさんへ先に上がるよ、と言い残して出て行く中学生かそこらの子に続いて湯を出た。もう一度シャワーを浴びて体を拭き、更衣室へ。服を着替えてドライヤーを借りる。先月髪を切った折に縮毛矯正を掛けた髪なのですぐ乾いた。どうでもいいことではあるが、僕の地毛は猫っ毛で癖毛なのだ。ぼさぼさ。だから普段の風呂上がりは髪全体がうねって毛先も跳ねる。面倒くさいのでひと月とちょっと前、担当の美容師さんにストレートにして貰った。この美容師さんからは健全な肉体の維持の仕方を教わり、現在実行している最中である。じきまた散髪しに行くから少し驚いて貰えるだろう。

男湯の暖簾を再びくぐり、休憩所でドクターペッパーを買った。この癖の塊のような味がたまらなく好きなのだが、その辺の自販機ではあまり置いていない。飲みながら大広間の空いているテーブルへ移動した。見ると通路の突き当たりの奥の方にレストランがある。ちょうど昼時だし、ということで、飲み終わってからそちらへ赴いた。

山菜そばレストランは小さくて空いている席も一つだけだった。掻き込み時と言うことでおかみさんも忙しなく動き回っている。メニューを見ると、鮎の定食は4~10月までとなっていた。海鮮丼などはお高い。チタケそば・うどんというのは美味しそうだが旬のみの販売となっていてこれも高い。結局、山菜そばを頼むことに。待っているうちにおばさんの二人連れが空いた席を探していたので正面を譲った。

程なくしてそばが運ばれてきた。お先にと言って啜る。問題なく美味い。ちびコウを取り出して写真にぱちり。

腹八分目ほどに満たされたので席を離れてお会計へ。650円。ごちそうさまと言うと「どうも~」と返ってきた。先ほどの大広間のテーブルに戻り、その辺のおっさんたちの真似をするように横になってMP3プレーヤーを掛ける。こういうのはのんびり出来て良い。

ランキング壁に張ってあるポスターや広告、雑誌の切り抜きを眺めているうちに面白いものを見つけた。栃木県内の温泉施設の充実度、接待の様子、泉質をそれぞれ数値化して並べたもので、ここ五峰の湯の充実度は県内6位とある。誰が投票してるんだろうと思いながらこれも写真に撮った。

お金を払ったとはいえ、いつまでもだらだらしている訳にもいかない。そろそろ行くかと受付を出て駐車場へ降りていった。

民家 かご帰り際に「くらしの館」へ立ち寄った。今は季節を外しているがこの近くには黒羽の観光やなもあり、そこそこ賑やかなところである。くらしの館そのものはわらぶき屋根の民家を改装して無料で開放しているもので、その隣にふるさと物産センターという直売所がある。ここは朝九時から夕方六時まで営業していて、第二第四木曜日が定休日。一通り家の中を見て回って、千歯扱きやら何やらの昔の農具も見学してから帰途についた。うむ、今度また温泉に行きたい。

2010年12月17日

今朝、なんだか寒くて目が覚めた。室外の温湿計を見ると摂氏二度。タイマーを掛けておいたはずのエアコンは動いていない。お布団の中でもそもそやって、きつねのでっかいぬいぐるみに抱きついているうちにしっかり目が覚めてしまった。

今日の予定は銀行にお金を振り込んでくること。先週にf-planning フリーピストン空き缶スターリングエンジンというサイトからスターリングエンジンのおもちゃを購入したのだが、その支払い用紙の期限が今週いっぱいだったのでぼちぼち出掛けることにした。今朝みたいな寒い思いをするくらいなら代引き支払いにしておけば良かった。

ちなみに販売しているこのスターリングエンジンは半分完成品、つまり組み立て式となっている。用意するのははさみとセロハンテープくらいだが、ただでさえ繊細なこの手の機械を手のひらサイズにまで縮めたのだから、組み立てには結構な注意を要する。スターリングエンジンのおもちゃおまけに僕の組み立てたエンジンは外付けHDDの熱くらいでは動かなかった。取説には熱いお湯を注いだカップの上に乗せて~等と書かれているがそれでも動かない。たぶん部屋の空気温度も重要なのだろう。シリンダーの輪ゴムの取り付け位置を調節する必要があるのかも知れない。いずれにせよ僕のスターリングエンジンは今、鏡餅のようにHDDの上で鎮座在している。この形式のエンジンが黒ダイヤの時代の中にあって廃れていったのも頷けるほど、非力だ。

話が逸れたが、朝っぱらのひりひりする空気を突っ切って、まず近所の公園に出向いた。昼寝なのだ。朝寝でもある。どちらにしても日光浴である。これをすることは現代人が毎朝携帯電話の充電器を弄ることと同じくらい重要だ。本日は晴天、風も弱く日光浴に向いた天気であった。が、僕はこのごろお日さまの力が弱くなっていることを実感している。冬至に近く日差しが低いからだ。午前中でもあるし。芝生に寝転がったのは良かったが、さして経たないうちに気分が変わり近所の古本屋へ向かった。

古本屋では爺さんがひとり奇声を発しながらうろいていた。あまり居心地は良くない。昔読んだドイルの「四つの署名」等のお会計を済ませて早々にTSUTAYAへ移動した。人も多く雑然とした空気だがこちらの方が気分がよい。季語集と漫画の続き物を幾つか購入。以前この日記で単巻ものを好んで読むと書いたが、面白そうなものならその限りではない。それと僕は夏の歳時記を持っている。ただ、一年の四分の三を追憶とあこがれに生きるのは厳しいのだ。夏しか詠めないというのもちと寂しいものもある。そんなわけで、元来共感能力の低い僕だが、割と仕方なしに目にとまった季語集を買ってしまった。

本屋から銀行までの道は一直線だったはずだ。あやふやな記憶を頼りに原付を飛ばしたが、目当ての銀行は見つからなかった。おまけに、違う銀行店内に入ってからスターリングエンジンの払込書が郵便局のものだったことに気付いた。鈍くさい。町中を突っ切って郵便局へ。しかし、郵便局内のATMで今度はカードが使えなかった。忘れていた、このカードは傷を付けたか磁石を近づけたか何だかで以前から使用不可になっていたらしいのだった。窓口で依頼するとATMより手数料が少し高く付くという。面倒くさかったのでそのまま支払いの手続きをした。ああ、こうしているから使えないカードをいつまでも財布に突っ込んでいるんだな。

たったひとつの用事も済んだので喫茶店・茶羅へ寄った。喫茶店本を買った日は割合よくこの店で読書することにしている。頼むのは大抵アレンジコーヒー。この茶羅で使っている美味しい生クリーム、いつか、どこのものを使っているのか聞いてみたい気がする。今日頼んだのはアイリッシュコーヒー。冷たく濃いクリーム、熱々のコーヒー、底にざらめ糖がたっぷりと入ったこのカクテルは実に僕好みだ。お日さまの差す席へ着いたのは良かったが、写真を撮る時逆光になってしまった。しかしながらこの茶羅はよい。オーナーが趣味で経営しているといううわさ話を小耳に挟んだことがあり、僕はその趣味に四つ星の評価を付けたい。五つ星でないのは日曜が休店日だからだ。のんびりページをめくって、時折コーヒーを啜って、適当なところで時間を見計らって店を出た。

体を壊してからというもの、寒さに触れる折々に体の末梢神経がぴりぴりと痺れを起こしたものだが、今日の帰り道もこの季節も何事もなく、どうやらことは快方へ向かっているらしい。この寒さの中、羽田沼のハクチョウがすでに飛来しているとのことなので、そのうち見に行こうと思う。

それから。このサイトの更新情報をRSS(XML1.0)形式で公開することにした。不定期更新の為にいちいちこのサイトに来る手間が省けるので、興味がおありの方はリンクから巡回してみるのも良いかも知れない。

2010年12月24日

また五峰の湯行ってきた。休憩所の自販機でドクターペッパーを三本買って持ち帰ることに。

週替わりなので男湯と女湯が入れ違っていた。今週の男湯の方が露天風呂は格段に広い。正十二角形らしい檜枠に両腕を預けて風に当たる。これがすこぶる気持ちよい。他の入浴客が上がって一人きりになってから長らく、ぼーっと露天風呂を貸し切りにしていた。こちらの風呂の壁にはどの向きが那須連峰のどの山だとかの案内板が張り付いている。興味が湧かなかったのと移動するのがめんどくさかったのとで良く見もしなかったが、だいぶ細かい解説が付いていたっけ。

先日、この日記兼雑記の左枠の一言板に佐久山のきみのゆへ行ってきたと書いたが、施設の雰囲気と泉質は五峰の湯の方が個人的に好みだ。地元用語で言うと「なめっこい」湯、ぬるりつるりとした湯の感じは五峰の湯ならではなのだろう。佐久山温泉きみのゆの雑然とした賑わいと比べると、五峰の湯はまったりのんびりしていていかにも地元らしい。先だっての日記の写真のランキング、あれだけを見ると五峰の湯はちょいと垢抜けてない勢いだが、入浴客の絶対数が佐久山温泉の方が多いから票も伸びているのだろう。

二つ忘れていた。きみのゆの満足度が高いのは浴場の施設の充実度も大きいのだ。電流を流してマッサージするらしい電気びりびり風呂が大浴場の端に二人分あり、入ってみると非常に痺れるのだ。好んで入るお客も入るようで、僕がああ~と痺れている目の前でふう~とため息をついて電気びりびり風呂に浸かる人がいた。個人的にはあまり気持ちよくない、というか非日常的感覚の違和感まみれの風呂なのだが、お年寄りのツボを刺激するのにはむいているらしい。それときみのゆにはサウナ風呂がある。入れてせいぜい六人程度のひな壇式サウナ風呂で、なにやらサウナ風呂向けらしい十二分時計が目にとまった。僕は先日が初めてのサウナ体験だったのだが、とにかく汗をかく事著しい。十二分も経たないうちに撤退。サウナ室を出てからまっすぐ露天風呂に浸かり、表の風の爽やかさを実感した。

もう一つ忘れていた事、大田原市の温泉パンフには五峰の湯ともう一つ、湯津上温泉やすらぎの湯というのがあるのだ。湯津上方面へ出向いた事はあまりなく、温泉のある事も知らなかったが、パンフでプッシュされているなら行ってみるのも良いだろう。休業日が毎週月曜日、第四火曜日、年末年始とあるから、今年のうちに行くとすれば明後日までだ。お天気と気分が良ければ行ってみようと思う。

それから。大田原市に住んでいて大田原温泉(太陽の湯)へ入った事がないというのも何だかなあという感じなので、これは近々気が向いた時に出向いてみるつもりだ。上のリンクから飛んでいける大田原温泉のサイトには地域のイベント情報が割と頻繁に更新されているので、要チェックである。

ハクチョウ五峰の湯の帰りに羽田沼へ寄った。ハクチョウがやってきているという話を大分前に聞いたのでもう大勢いるのかなと思ったが、羽の薄黒い一歳になったばかりの子供を含めて十羽ほどしかいなかった。大勢のカモや名前の知らないのに混じってぽつねんと浮かんでいる。眺めているうちに合図したようにハクチョウの群れが一斉に滑空していった。柵の手前には大砲みたいな迷彩を施した一眼レフカメラが三脚の上で異彩を放っていた。休憩所から談笑が聞こえてきたから、近所の人なのかも知れない。最盛期には千羽を超えると言うからその頃また羽田沼へ行ってみるつもり。市の反対側の琵琶池にも少数ながら飛んでくると言うから気にとめておこう。

某月某日

最近、PCのついでにキーボードを新調した。Adesso SlimTouch Mini AKB-410USっていう、テンキー無しのタッチパッド付き、USB英字キーボード。長らくノートパソコンを使っていたので、入力環境くらいは同じものにしたかったの……だけれど。ちょっとこれお値段張りましたね。まぁ使いやすそうだから良いかなぁと、素人考えで購入しちゃいました。

んで、届いたブツをPCに繋いだところ。何故かHIDキーボードデバイスと認識されてしまい、何をやっても他に互換性のあるハードウェアデバイスが出て来ない。適当に拾ってきた101/102用のドライバも突っ返されてしまう。つぅかそんなもん認識される訳が無いのだ。どうして最初からドライバ付属してないんだよぉ。。。

まぁ仕方ないかなーと、こちらの愛とゆりの部屋で公開されている「KeySwap for XP」でキー配列を弄りながらしのぐ事しばし。しかしこれ、Shift押しながらの入力までは弄れないんだよね。「窓使いの憂鬱」や「猫まねき」ってソフトは可能みたいだけれど、英字USBって事で弾かれちゃった。

括弧打つキーが四つとも一つずつズレていたり、@と”が入れ替わって入力されたり、アンダーバーもスラッシュも出ないじゃんと、かなーり微妙な入力感。内部では106/109配列と認識されているようで、タッチパッド付きという特殊な仕様の為か、よー解らんままに組み込まれちゃっているらしい。

もぉいいやと思い始めた頃、ふとレジストリを弄ってみたらどうだろうと調べてみた。結論から言うとこんな感じ。

レジストリエディタ(スタート→「ファイル名を指定して実行」→regeditと入力)からHKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\i8042prt\Parameters を開く。そこのキーのデータ名にKBD106.DLLとかなんとか書いてあるから、その106を101に書き換えちゃう。で、一度再起動。

ものすごーく強引で適当なやり方だけど……おぉ、きちんと英字で打てるではないかっ! キーボードのプロパティは相変わらずHID準拠何とかのまま。しかし今のところこれと言った問題も無く動いてる。むぅ、慣れ親しんだ環境というのは落着くねぃ。

日本語キーボードの配列が認識されずに困ってる、って記事はあちこちで見かけたけれど、その逆は中々見付けられなかったなぁ。とりあえず、キーボードが訳分からなくなったからレジストリ弄ったら上手くいったよ、って事で。


ちなみにこの、Adesso SlimTouch Mini AKB-410USの使用レポートと言うか感想をちょこっと。ノートパソコンに模してあるだけあって、キータッチは割と静かで軽い。元々パームレスト付きのようなものなので、手首が疲れることもない。キーの高さはノートより若干高めだけど、一般(PCの付属品とか)のキーボードに比べるとだいぶ薄く作られていて、横幅も約30cmとコンパクト。もちろんNumLockでテンキー切替え可能。ただ、この手のタイプにはあまり必要性無いんじゃないかなぁ。。。

それから、上のリンク先の製品を見てもらえれば分るけど、タッチパッドエリアが中心からやや左に配置してあるんだよね。僕はCapsLockをEnterキーに変換して使ってるので、左手メインで打っているとパッドに触れそうになる事がある。どうして中心に配置しないんだろ。省スペースキーボードなのだから、Windowsキーも二つは要らないと感じがする。。。

詳しくはこちらのShopUというお店の商品ページにユーザーレポートが書いてある。これの日本語キーボード版も置いてあるみたい。ファンクションキーやタッチパッドの隠し機能など、色々な情報が寄せられていて便利。……ただ一つ気になったのは、ShouUと本家Adessoの製品で、キー配列に微妙な違いがある事かな。見比べてみると、矢印キーの位置に若干差がある。僕が使っている方はAdessoのもの。まぁ些細な違いだけどね。これの日本語キーボード版も置いてあるみたいだけど、ローマ字入力なら英字キーボードで十分。


長々と書いたけど、仕事等でノートPCをメインに使用していて、プライベートではデスクトップ型PC、という人にはお勧めのキーボードかも。

Copyright © 2010 ヱニス All rights reserved.